アンチユニット
それはズルである。
卑怯である、チートである、反則である。
本来辿るべき正規のルートから極めて外れ、その過程の大半を無視した、あり得ざる所業。
まごう事なき横紙破りである。
だけど、到達したというその事実に代わりはない。
これは武道でもなければ学問の道でもないのだから、その過程に一切の価値はない。
才能とか努力とかそういう要素さえ一切合切配慮する必要がない。
どの様な過程であろうとも関係なく、到達する事にのみ価値はある。
神と呼ばれるこの世界の超常たる存在に至る事に。
この世界には『魔物と呼称される多数の種族』と『人と呼称される単一種族』の二種類が存在している。
生態の異なる多数の種族を同胞とする魔物であるにも関わらず人間だけ別種族として分けられているのは、人間と魔物の間で子を残す事が出来ないからだ。
普通は。
そう……子を残せないというのは絶対のルールであるにも関わらず、例外が存在する。
とは言え、残念な事に少しだけ訂正しなければならない。
なにせ例外と言っておきながら二つも存在してしまっているのだから。
今回のケースは、クロスとは関係がない。
サキュバスをダウンさせる様な、同時に何人を相手にしようとも愛情にて全員を溺れさせ、快楽のみで後悔させる様な、そんな夜の怪物とは何も関係がない。
そういう下ネタの権化、違う意味での皇帝の事ではなく、もう一つの例外……『精霊』の事である。
精霊はその他の種族と異なり、魔物と子を残した記録も、人と子を残した記録も、単独生殖した記録さえ残っている。
分類は魔物の仲間となっているが、人と子を残せるため厳密に言えば魔物から外れていた。
そして当然、魔物と子を為せるから人でもない。
じゃあ、精霊とは一体何なのか。
魔物とどこが違うのか。
人とどこが違うのか。
そもそも、精霊は種族、生物にカウントして良いのか。
彼らは、種族とか以前に生物として異質な存在であった。
そもそもの話だが、精霊は『最初の因子』を受け継いでいない。
この世界における知的生命体、その雛型は全て、神により生み出されている。
魔物は交配が進み原形がなくなっているけれど、それでも最初の形は神に創造された。
吸血鬼やドラゴンは変化に乏しい為、原初の原形を強く残している。
吸血鬼はピュアブラッドと呼ばれる形態を更に濃くしたら原初の形になる。
ドラゴンは原初の形だと、もっと巨大で雄々しく、理性が乏しく更に人化出来なかった。
外見の変化で言えば、人間が最も変化が少ないだろう。
原初との差異は身長や体重程度であるのだから。
人間はただ屠られその嘆きを娯楽とする為に生み出された。
だから身に着けた牙は嘆きと抵抗の証により磨かれた後付けである。
そういったルーツを持つ彼らと精霊は全く異なる。
精霊は神から生み出されていないからだ。
精霊は初期文明ではなく、何度か文明が崩壊した後に、自然の中より生まれた。
だけど、それの誕生は決して自然的な物ではなかった。
精霊は現れる事を、強く願われたからだ。
零落し、地上にて足掻く神々。
世界唯一の神となり無限の孤独を味わうクロノス。
因子ではなく、力でもなく、神と呼ばれる存在の深い嘆きが、精霊を生み出した。
神と呼ばれる彼らの集合意思が、精霊の原初の姿。
その最初の形は、植物の種であった。
そう……生まれたのはただの種。
その時はまだ命とは呼べない物であり、発芽するまで文明が何度も崩壊する程の時間が必要だった。
大自然の中でゆっくりと育ち、この世界という母体に愛され、生きる事を諦めた零落した神を取り込んで……そうして幾星霜もの時間を糧とし、ようやく発芽しこの世界に生み出される。
最初の精霊は、大木の形をしていた。
そこから人々に寄り添い、今の形となった。
神に祝福されず、神に依存せず。
純粋なエネルギーを本体とし、同時に世界に影響を与える肉の器を異なる理屈により使用出来る。
感情という物がそのまま力となる程に純粋で、魔力を誰よりも感じられる存在。
それが精霊。
つまり、精霊とは元々神の雛型であった。
精霊は神の癒えぬ孤独を埋める為に生み出された。
神に至る事こそが精霊の目的であった。
だけど、それはまだ限りなく遠い未来の話であった。
簡単に辿り着く事が出来ないからこそ、神は孤独に苦しんでいるのだから。
本来、この世界にて最も神に近かったのはエリーだった。
そのエリーでさえ、踏破の一パーセントにも未だ満たしていなかったが。
当然、シアなんてのはそれより更に下である。
だけど、膨大な魔力を得て資格を得て、信仰を得て模られ、神の因子を受け継ぎ試練を無視出来る様になって、頭が悪いショートカットを繰り返した。
そして最後の、最も突破に困難な壁は……。
もし、シアが神となった最大の要因、その原因を一名あげるとするならば、彼女の名前があげられるだろう。
『アリス』
彼女の自業自得が、シアを神へと至らせた。
もっと言えば、彼女が踏みにじって来た命がシアの運命を踏破まで引き上げた。
シアの糧となった者の多くはアリスによりその生を狂わされていた。
アリスの話術に乗っかり、自らの秘儀を伝えた事を後悔した者。
アリスの用意した天使と戦い四肢を欠損した者。
アリスの行いに直接、間接的に巻き込まれただただ転落しつづけた者達。
アリスがいなければ、アリスが踏みにじる事を躊躇っていれば、シアの為に命を捨てる者は今の半分もいなかっただろう。
そして……体を改造された母娘。
何も悪い事をしていないのに巻き込まれ勝手にスパイにされた。
しかも本命ではなく、クロスが怒れば良いしそうでなくともまあどうでも良いか程度の扱いで。
アリスとしてもこの母娘は作戦に必要な物では決してなかった。
実際、アリスはこの母娘の事を欠片も覚えていない。
その母娘が、改造された母娘が、願ったのだ。
自分の夢を捨て、我が子の夢を諦めて。
それは深い憎悪でも、燃え盛る様な怒りでもなかった。
嘆きはあれど、恨みは持たず。
そこに願ったのは無辜の幸せ。
自分の幸せを諦め、沢山の、大勢の幸せを母娘は願った。
その幸せの為の礎となる事を、彼女達は選んだ。
何でもないただの凡人に、そこまで真摯たる願いを持たせてしまった。
だからこそ、これは全てアリスの自業自得と言えた。
母娘により託され、生み出されたシアの瞳。
機械であり、精霊であり、神である証明。
母娘の持つ機械の身体が、最後の『鍵』となった。
アリスに対しての抑止力はクロスではない。
その役目を任されたのは、その犠牲を背負うシアだった。
「何よあれ……一体……何が……クロス! 教えろ! あいつは……あいつは何だ!?」
発狂した様に、アリスは叫ぶ。
クロスには黒壁の外を飛び、宙に浮くシアにしか見えない。
ついでにちょっとピカピカしているけど、大した事ではないだろう。
だけど、どうやらアリスにはよほど違う物に見えているらしい。
その顔には、クロスを見るのと同じ位の恐怖が宿っていた。
「ん? 俺の嫁の一人だけど?」
笑いながら、クロスは平然と答える。
事情なんてわからない。
だけど、きっとシアが何かしてくれた。
だからそれアシストする様いかにも知ってましたという風な意味深な態度をクロスは取る事にした。
「くそが! もう待っていると言ってられない……。死ね! みんな纏めておっ死んじまえ!」
アリスは怒鳴りながら魔法陣を機能させ、ミサイルを発射させた。
繰り返そう。
これは全て、アリスの自業自得である。
別に善人であれというつもりはない。
悪党であろうとどうであろうと構わない。
ただ、無駄な犠牲を出すなというだけの話である。
アリスがもし、犠牲にする命を選ぶなり悪党なりの矜持なりを持っていれば、無作為かつ無関心に命を奪う様な事をせず真っ当な悪であったのなら、シアはこの瞳を持っていなかった。
ミサイルは全方位より飛来して来ていた。
狙いはクロノアーク。
既にミサイルは、最初の一発よりも近い位置に来てしまっていた。
一発でも直撃すれば、クロノアークは壊滅する。
この距離なら迎撃しても相当の被害を受けるだろう。
そして例え生き残っても、全く意味はない。
たった一発で、外気温が跳ね上がり世界が汚染される様な代物なのだから。
「だから……一発も落とさせない」
シアは右手の平を前に出し、ミサイルをその瞳にて認識する。
たったそれだけ。
それだけで、ミサイルはぴたりとその場で急停止する。
慣性を無視したその動きは、止められたというよりも、ミサイルが自ら止まったかの様だった。
シアは空の様な髪を靡かせながら向きを変え、ぐるりと一周し全てのミサイルを認識する。
認識された瞬間全てのミサイルは動きを止め、アリスの制御下を離れた。
それだけに飽き足らず、シアは自らの意思でミサイルを誘導し自らの手元に引き寄せた。
その様子は餌を求める魚の様だった。
驚きすぎたら、冷静になる。
アリスの状況は今まさにそれだった。
ミサイルを奪われた事はもうどうでも良い。
問題なのは、何をされたのか理解出来ない事。
未知こそが、最も可能性の高い死への落とし穴なのだから。
「……クィエル。さっき何されたの?」
「アリス? あの……」
「良いから、説明」
「たぶんですが……」
「ですが?」
「ハッキング……ですね」
その言葉はアリスも理解出来ている。
だけど、オメガという兵器に対してそれが行われたという発想はなかった。
「……可能なの?」
「はい。容易く……」
「どうして対策を取ってなかったの?」
「ハッキングされる事なんて想定されていませんからです。機人と天使以外にハッカーはいませんから。そもそも、ハッキングだとは思いますがどういう手段で接続し操作権をアリスから奪い取ったのかさえわかりませんので……」
「そう。……クロス、あんたこれ知ってたのね……。だから……」
クロスはにっこりと満面の笑みを浮かべる。
当然、クロスは何も知らない。
というか今現在絶賛混乱中である。
だってそうだろう。
自分の嫁が神々しくなって光り輝きながら空を飛び、手の平を前に出すだけで九十九のミサイルを全部止めて見せたのだ。
もはや何がおかしいかさえわからない。
とは言え、あまり気にする必要がないとはわかっている。
誰も死ななかった。
それ以上に重要な事などないのだから。
手元に招くまでは良かった。
だけど、シアはここからどうすれば良いか困っていた。
神となったのは事実である。
だけど、神は別に万能という訳でもなく、何なら強くなったという事もない。
シアの実力は神となる前と比べてもそう大きな違いはなかった。
ミサイルを処理出来ない事はない。
だけど、今の出来る範疇ではそれに大きな犠牲を伴う。
世界を広く汚す。
世界を狭く汚す。
自分を犠牲にする。
選択肢はこの位だろう。
選ぶなら三つ目を選びたいが、それだけは出来ない。
自分はまだ、奪った命の分報いられていない。
そんな時だった。
声が、響いた。
『祈りなさい』
短く、優しく、だけど威圧的に。
それはシアにとってよく知った声、所謂同僚の声だった。
大聖堂の方からだろうか……清浄なる空気と荘厳なる鐘の音と共に、クロノスの声がクロノアークに響く。
『今ここに、新たな神が生まれました。そして、貴方達を助ける為に立ち向かっています。捧げなさい。貴方達を護る女神シアに、その祈りを』
あまりにもらしくない言葉遣いである。
きっと無理をしたのだろうと思う程度には、シアはクロノスの事を理解出来ていた。
だけど、そのらしくない無理をした意味はあったらしい。
クロノアークの中からシアに信仰という名の祈りが、救いの願いが送り届けられる。
その身を神とするシアは、それだけの事で不思議と力が内から沸いていた。
「ああ……これはわかるわ。神が人から離れられない訳。これを味わったら……確かにそうなるわね」
神は人と共にあり、人は神に祈りを捧げる。
その相互の関係の心地よさは、ほとんど麻薬に等しい。
この快楽を生む信仰を自らの意思で捨て、勇者という形にしたクロノスの事を心よりシアは尊敬出来た。
『あの、ちょっと良いです?』
突然、シアにだけ聞こえる形でクロノスは声をかけてきた。
『何?』
『いえ、その……こんな時にどうかと思うのですがちょっと興味本位と言いますか未来の為の予習と言いますか……』
『だから何よ? 今頑張ってこれ何とかしようとしている所なんだけど……』
『えっとですね。その……信仰されるのと、クロスさんと致すの、どっちの方が気持ち良いです?』
そう……クロノスはこういう奴である。
いかにも偉そうな態度で誰かを話す様なタイプではなく、明るくノー天気で、若干空気が読めない頑張り屋。
ちょっと今回はタイミングといい質問内容といい若干ではないが。
『――恥ずかしいから秘密』
そう言ってシアは交信リンクを一方的にシャットアウトして……小さく溜息を吐いた。
クロノスは素直で純粋でむっつりで。
つまり、とっても普通な女の子である。
ただの女の子が、ずっと孤独と戦いながら人を護り続けて来た。
だからあまり強くは言えなかったけれど……それでもこのタイミングでなんつー馬鹿な事とは思う。
だから、全部終わったら叱りに行く事にシアは決めた。
初めての友達相手に距離感が掴めないポンコツに『めっ』としてあげないといけない。
自分だけは、ひとりぼっちの彼女が待つあそこに行けるのだから。
気持ちを切り替え、シアは手を前に伸ばして両手の平をぺたんと合わせた後、くるりと逆手に。
そしてそのまま両手を真横まで広げ、何もない空間を引き裂いた。
縦に割れ、空間の裂け目に生まれる虚無の先。
信仰の力により干渉出来た、ここては違う位相の場所。
その空間の先こそが、今のシアの本体。
神である証明……生まれたばかりで伽藍洞の、空間という名の命であった。
人は、その身に命を宿す。
精霊は、精神世界に自らの命を宿す。
そして神は、空間そのものが命であった。
その自分自身とも言える狭い空間の中に、シアはミサイル全てを誘導し突っ込み、そのまま亀裂を塞いだ。
別に自分を犠牲にした訳ではない。
むしろその逆。
犠牲となった者達の尊き祈りと、クロノアークの皆の救済祈り。
胸に渦巻く願いのおかげで、己を犠牲にする必要さえもうなくなった。
封じた先で爆発し、汚染をまき散らされる。
シアを意味する空間が、シアの魂が、壊滅的な物に襲われる。
その全てを、シアは喰らい尽くした。
空間は神という名の証明、空間であり命でもある。
確かにそれはシアにとって急所となり得る場所だが、同時に最も強大な場所でもある。
自らの世界、神域にて神は万能であるからだ。
本当に文字通りなんでも出来る、明晰夢に限りなく近い世界。
同時に明晰夢の様に、何でも出来るのはその空間の中でだけで、外で神はその力を発揮できない。
外に影響を与える事が難しく、こちら側からは開く事さえも相当の力が必要だった。
それはそういう場所。
だから、そこで起きた事はどうとでも出来る
汚染を無効化し、総てのエネルギーを己の魔力に変換する事さえ……。
むしろ重要なのは神域と世界を繋げる事。
それがそう簡単な事ではないから、神は孤独にしか生きられなかった。
魔力に変換したとは言えそれは永続的な物ではなく、あぶく銭の様な一時的な物である。
時間と共にロスが生まれ、最期には消えてしまうなんてもったいない事になるから、さっさと使ってしまわないといけない。
シアが手を指し示すと、崩れた黒壁が元に修復される。
更に周辺環境も完全に浄化され、熱帯の様だった気温も元に戻った。
天変地異を元に戻すその姿は、まごう事なき神であった。
『寝坊した分働くわ。だから皆……私に貴方達を護らせて!』
皆に伝えられる声は、今までのシアと何も変わっていなかった。
神という目線ではなく、あくまで隣人という目線のまま。
いつも慈愛を持ち誰かを助けて来た、シアそのまま。
『だからさ、出来たら女神って呼ぶのは止めてね。恥ずかしいから。神様ってのもあんまり嬉しくないかな』
クロノアーク中に届けられたその一言によりシアの運命は決まる。
シアはこれから一生、慈愛の女神なんて名前で呼ばれ揶揄われる運命となった。
ありがとうございました。




