鏡の中での冒険
アリスが対クロス想定として用意した手札は合わせて四枚。
諸事情で最近一つ追加されたがこれは既に用途が決まっている為除外して四枚だが。
一枚目は『霊的殲滅兵器、神造兵装アラミタマ』。
その場にいる者を殲滅する事しか出来ない、無限成長の霊的高次元兵器である。
とは言えこれで倒せるとは最初から思っておらず、相手の手札を吐き出させる為の手札でしかないが。
二枚目は設置場所の難点とミリアの指揮能力でスルーされた。
これはクロスにはあまり効果はないがその他の女性陣には大きな効果が見込め、運が良ければステラを抹殺出来悪くても女性陣の誰かの殺害、並びに戦闘不能に追い込む事が出来るだけの可能性を持っていた。
まあ、無駄になったが。
今後出番があるかどうか正直アリスでも自信はない。
一つ飛んで、四枚目はクィエル。
僅か程度の継承とは言えほぼ全ての天使の権能を継承し、喰らった天使の回路を全て取り込んだ文字通りの超大型演算回路。
機械としての単純なスペックなら機人にさえ引けを取らないだろう。
悪意を持って動き、死者を生み出す大軍勢を持ち、自身も世界最強に匹敵する性能を持つ。
アリス自身を除けば、最も強く、そしてアリスの手札で最も使い勝手の良い手札であった。
では、今回使った『三枚目の手札』は一体何だったのか。
結局アリスが何をしたかったのか。
あの洋館自体はアリスではなくクィエルの仕込みである。
クィエルに何が出来るかを調査するのと同時にクィエルのダウンロードしている知識の確認でもあった。
目的そのものは、鏡に触れる事。
そう、本命は『鏡』である。
もっと言えば『鏡面』。
鏡でなくとも、一定範囲内の鏡面に触れさせる事が出来ればその遺物は可動する。
ただし、この遺物はアリスの切札らしからぬ、あまりにも脆弱でかつ優しい代物であるが。
なにせこれには強い安全装置が働いており、ただの人間を一人殺す事さえ叶わない。
殺さないではなく、殺せない。
あまりにも弱くそれでいて使用制限の多い道具である。
かつての文明、魔導機文明よりも更に大昔に造られた遺物。
その時代は戦闘力は低かったが今よりも魂への知識は豊富であったらしく、この道具は魂に直接語りかけて来る。
道具の名前は『Quest of the Mirror World』。
略して『QMW』。
はるか昔の時代に造られた……魂接続型擬似体験遊戯。
つまり……ぶっちゃけた話ただの『ゲーム』である。
あの時ああしてたら良かった。
もしもああしてたらどうなっていたか。
そういう違う過去を見たい人と思う人は少なくないだろう。
それを擬似体験させてくれるのが『QMW』というゲームである。
これは魂に干渉し該当者のデータを読み取り、擬似世界を魂内に展開。
そしてそれを自らのアバターを生み出し追体験させてくれる。
ルールは三つ。
一つ目は『擬似過去世界では記憶が制限される』。
当然だがこれが擬似世界であるという事に気付けば何の意味もなくなる。
だから当然、未来の知識を持って来る事も叶わない。
記憶は大きく制限され当時の物に限りなく近くなる。
あくまでたらればの再現がゲームの趣旨である。
二つ目は『全く同じ世界ではない』。
魂再現は限りなく現実に寄りそうが全くの誤差がないという訳ではない。
更に付け足すなら、全く同じではなく『最低一つ何かが違う世界』でないとゲームは起動しない様になっている。
同じ過去を再現すれば、同じ事を繰り返す事になる可公算が高いからだ。
三つ目に『クエスト目的をクリアしない限り再挑戦となる』。
自由に過去を体験出来る訳ではなく、一つの目的を持ってプレイさせられる。
目的そのものは実際に起きた事の中から選ばれる。
目的を達成しなければという『意思』に関しては記憶の制限から外れるが、これをきっかけに違和感を持つ事は出来ない。
つまり、<異なる過去で現実と同じ道筋を刻む>事がクリア方法である。
また再挑戦する度に記憶の制限が緩み、徐々にこれが現実ではないと理解出来る様になる。
要するに、無限に閉じ込める事は叶わずいつか必ずクリアできるという事。
そういう難易度でしか設定できない。
遺物とは言え良くも悪くもゲームとして作った物である。
それ以上でもそれ以下でもない。
それがこの『Quest of the Mirror World』、アリスの三枚目の切札である。
一度目のトライに失敗し、メリーははっと我に返る。
ついさっきまで忘れていた記憶が一気に戻って来て、状況を判断出来る様になった。
メリーはさっきまで『悪徳王を懲らしめろ』というクリア目的の過去を体験していた。
勇者クロード冒険時代初期の頃で、クロスが心と体を痛める程の修練に励む前時代に実際起きた記録である。
ただし……現実と異なり『クロスと恋人である』というルールが付属された過去だが。
メリーに人の心はない。
だけどクロスの事を愛している事は間違いなく、そしてクロスと共に居る時だけは普通に成れると信じていた。
少なくとも、あの頃は。
だからまあ……ちょっとイチャイチャし過ぎてパーティーが修羅場になって失敗判定されたのはまあ、少女のちょっとした失敗で……。
「いや、あれはあかんだろ……何してるんだよ私……」
己の過去ながら盛大に自己嫌悪を覚え、メリーは溜息を吐いた。
自分が逆の立場になれば殺してでも奪い取りたくなる事はわかるはずだ。
だというのに過去メリーはクロスを独占し、しかも見せびらかす様に自慢した。
勝利者アピールを繰り返した。
そりゃあそうなるだろうと、正直今なら思う。
今の様に、あの頃の自分達は仲良くなかったというのに。
とは言え落ち込んでいられる訳もなく、気持ちを切り替え現状把握に努める。
再トライ猶予期間の今しか、考えを纏める時間はないのだから。
一つ、皆ここに閉じ込められた。
少なくともクロスの助けた男とソフィアの助けた子供以外の全員飲み込まれていたのをメリーは確認した。
二つ、ここはルールを課せられた過去の再体験の場。
ただし現実とは異なる工作が一つされ、それを乗り越えた上で実際と同じ結末を迎えなければいけない。
要するに、自分の過去が物語となっているのだ。
しかもそれを脚本とした舞台に役者としてあがらないといけない。
それがこの鏡の中の正体である。
なんとまあ下らない事だろうか。
メリーは更に、己にしか出来ないであろう方法で時間を測定する。
魂に干渉し、魂の記録ではなく魂の実働時間を観測。
そうして、あの別世界体験の計測時間ではなく、肉体の実働時間を調査した。
驚いた事に、まだ『一時間』しか時間が経過していなかった。
あちらのいる時に少なくとも三日は過ぎたというのに。
「……逆ならわかるんだけどなぁ」
拘束した体感時間より現実世界の時間が過ぎる。
それなら意味はある。
だが逆にして何の意味があるのだろうか。
体感時間だけを引き延ばす拷問ならともかくこれはそうでもない。
むしろ精神疲労とかその辺りは完全リセットする仕様になっている。
メリーにはあまり関係ないが、ここにいる間はストレス指数が限りなく少なく常に冷静でいられる様だった。
全くもって訳がわからない。
一体アリスは何がしたいのか。
だからこそ、メリーは恐ろしかった。
人殺しの道具ならその用途はとてもわかりやすい。
人を殺す事しかないからだ。
だが、こんな用途どころか存在の意味もわからない下らない道具をどう利用すれば良いのか。
しかもそれを、あのアリスが使って来たのだ。
意図が全く読めない。
逆に言えば、メリーでさえ意図が読めない策略が今行われているという事でもある。
それが、アリスの手の平で転がる事が、メリーは何よりも怖かった。
時間が来た事を理解し、メリーは再びあの過去の再体験に向かう。
他の誰とも相談出来ないこの現状では、少しでも早くクリアし脱出する事。
それだけが今メリーの出来る最善であった。
そうしてプレイ二度目……再び失敗。
冒険初期のメリーはまだ、自分が普通に戻れると信じてしまっていた。
待ち望んだ瞬間は、すぐそこに。
アリスはその時を、心安らかに待っていた。
その最も最悪な瞬間を、最も最良とするこの時を。
クィエルはそれを信じていない。
信じていないが、それでもきっとその時は来るのだろうとは思っている。
あのアリスが、そう確証を持っているのだから。
『Quest of the Mirror World』
その最大の目的は分断にある。
ミリアが厄介なのはメリーやクロス、ステラと組んだ場合であり単体ならそれほど脅威ではない。
それはクロス以外の他の誰にでも言える。
クロスパーティーの厄介さは連携が、スペシャリストが異なる長所を生かす事により生み出される。
だから分断した。
もちろん、そうなる様に工作している。
これはゲームであるから、いつか必ず出て来る。
しかもゲーム中はこちらから何の干渉も出来ないから弱らせる事さえ出来ない。
このままだと単なる時間稼ぎにしかならない。
何なら出て来る時は前よりも健康になっている。
魂を休める効果があのゲームにはあるからだ。
だから、同時に出てこない様条件の難易度をずらした。
メリーは二番目に簡単な条件だが、クロスの条件はこれでもかと言う程のふざけた難易度にしてある。
それこそ、年単位で出れなくてもおかしくない位に。
まず、目的。
クロスの再体験、そのクリア目的は『魔王レンフィールド討伐の後にクロードを庇う事』である。
始まりは冒険を始めて一か月位から。
おおよそ一年という最長のスパンのゲームを体験させられる。
当然だが、難易度とゲームの体験期間は比例する。
しかも現実と異なる点は『クロード達全員クロスの事を嫌っている』である。
史実と異なり彼らは他の人間同様クロスを見下し、貶し、死んでも惜しくないと感じている。
クロスの事を思い守っていた人達は、村にいた人だけとなる。
その条件でクリアというのは十や二十のリトライではどうしようもない。
心が折れてくれたらそれで終わるし、折れずとも出て来るのはかなり後になるはずだ。
だから、クロスが戻って来た時には他の全員はクリア済。
クロスのいない状態で、しかもほぼ確実に単独で、彼女達はアリスとクィエルの相手をしなければならない。
いや、こう言い換えた方がわかりやすい。
彼女達はクリアし、出て来た傍から殺される。
ステラの難易度を最も簡単にした理由は言うまでもないだろう。
彼女を殺せば全てが終わるのだから。
それが、今回の作成内容。
その『表案』である。
何故表なのかと言えば、クィエルはこれで上手くいくと思っているが、アリスはそうは思っていない。
クロス相手に作戦がそのまま通るなんてのは幻想であると理解しているからだ。
だから本命は『裏案』の方。
アリスはその時、本来ならば絶対にあり得ない状況を、もうすぐ訪れるその瞬間を、今か今かと待ちわびていた。
『結局役に立たなかったな』
勇者クロードはそう口にする。
『え? 期待してたの? こんな奴に?』
嫌味たっぷりに、メリーは言った。
クロスの方には、眼さえも合わせない。
『誰も期待なんてする訳ないじゃない。こんな恥知らずに』
メディールは事実だけを告げる。
『皆さん可哀想ですよ。この方だって悪気がある訳ではないのですから』
慰める様、ソフィアはそう言ってクロスに微笑みかける。
だがそのソフィアさえ、旅の仲間であっても名前さえも憶えていない。
クロスの居場所はあの村にしかない。
だというのに、クロスは付いてきてしまった。
実力不足である事がわかった上で、嫌悪されていると理解した上で、勇者の旅に。
クロスは微笑む。
それは虚勢でもなんでもなく、心からの笑顔だった。
それが余計気味が悪く、クロード達は嫌悪を加速させる。
正直言おう。
どうでも良かった。
クロードが嫌おうと、メリーがそれをちゃかそうと、メディールが見下そうと、ソフィアが興味なかろうと、どうでも。
極論ではあるし傷付かない訳ではないが、それでも、クロード達がどう思おうとクロスのやる事に変わりはない。
重要なのは、クロード達の気持ちではない。
クロスがどう思うか。
クロスは文句なしにこう言えた。
旅に出てクロード達についてきた事に欠片も後悔はなく、そしてこれから先どんな目に遭おうとも、後悔なんて絶対しないと。
クロスは心の底から、彼らの為に何かをしたいと願っている。
そこに彼らの意思は関係なかった。
『あいつらの為に何かがしたい』
それは他者愛などではなく、究極の自己愛。
故にクロスは愛されようと愛されまいとやる事に何も差異はない。
そしてそれ故に、限りなく現実と異なる世界で、クロスは再び同じ結末を引き寄せた。
力不足に苦しみ、嘆きながら、勇者達の心を溶かし、そしてその末にただ尽くす為に最後身代わりとなるという、その結末を――。
事情は何も知らないままに、クロスはゲームをクリアした。
最終的には皆に狂おしい程に愛され、ただ後悔だけを残すというあの結末を再びやりきってみせた。
終わってから、もっと良いやり方があったんじゃないかとは思うけれど……それでも同時にこうも思えた。
例え何万回繰り返されようとも、きっと同じ事をするだろうと――。
最初の時は夢中だったから思いもしなかったが、今なら確信が持てる。
あれは紛れもなく自分の意思。
自分はあの頃から変わらず、皆の事が大好きだったのだと。
閉じ込められてから時間にして一分弱。
クロスは鏡の拘束を抜け出した。
そして目覚めた時クロスはテーブルに着いていた。
白いテーブルクロスの用意された、貴族の華やかなお茶会みたいな雰囲気の部屋だった。
ただ、ここに至ってはもう部屋の事などどうでも良い。
それよりも重要な事があった。
そのテーブルの同席者。
そこには、微笑むアリスと驚くクィエルがいた。
何となくだが、クロスは気付いた。
自分がアリスを理解していたように、アリスも自分を理解してくれていた。
自分なら試練に一度で成功すると信じ、罠を張っていたと。
「ね? 来たでしょ? 久しぶりクロス。気分はどう?」
楽しそうに、本当に楽しそうにアリスはクロスに声をかけた。
「ああ。あんまり良くないかな。美女と一緒にお茶が楽しめるのは嬉しいけどね」
冷汗を隠しながら、クロスは微笑んだ。
嘘はない。
本当にアリスとクィエルが一緒なのは嬉しい。
ただ同時に、今までない程に動揺していた。
死線だらけで世界が認識出来ない。
自分の心臓の音が、痛い程に煩かった。
ありがとうございました。




