番外編:ちょっと弱ったアリスの時間
それは単なる思いつきから始まった。
クィエルは生者への恨みという一点を除けば極めて天使らしい性格で、そして機械染みた発想をしている。
つまり、データ至上主義。
以前の様にスペック不足を補う様な事はなく究極とも言える演算能力と自負を得て、更にアリスにそう望まれている彼女はよりそれが顕著となっていた。
膨大なデータを取り込み、管理し利用する事。
それが彼女にとっての正義。
最も機人に近い発想と能力をクィエルは持っている。
そんなクィエルから見てもアリスの人間離れ具合は、その狂気は普通ではなかった。
人類全ての生存本能を集めても、アリスの『生きる』という意思の一パーセントにも到達していない。
感情面ではなく、データとしてそれだけの数値をアリスは叩きだしている。
アリスは生きたいと願うその気持ちだけで、末期のまま今日まで生き延びて来た。
故に、クィエルは思う。
彼女こそ、本当の意味で不死であると。
死の運命から逃れられている訳ではない。
むしろあらゆる死の運命が彼女に襲い掛かり続けている。
その上で、総ての死の運命を排除し捻じ曲げ叩き返しながら生き続けてきた。
死神を嘲笑う事が彼女の日常であった。
そしてきっと、彼女はこれからもそうしていく。
であるならば、この世界に彼女を殺す手段は存在しないという事になる。
彼女は意思という名前の怪物。
そんな人類最高の化物が怯える相手。
つまるところクィエルの思いつきというのは『クロスパーティーをアリスは一体どういう目で見ているのか』という物である。
元の性根に加え憎しみに溢れるクィエルでは敵をデータでしか見れない。
そしてデータで見る結果とアリスの目線は全く一致していない。
だから単なる興味本位がきっかけである事は否定しないが、ただそれだけでは決してなかった。
「と言う訳でして、アリスにとってクロスはどの様な存在でどの様な能力を持った個体となるのでしょうか?」
「あん? 何いきなり萎える様な事聞いてる訳? 今の状態見てわからない?」
ベッドで寝ているアリスの顔色はすこぶる悪かった。
常に死病に侵され続けるアリスは常にどこかの調子が悪い。
今日みたいに病が悪化し全体的に悪い日だとアリスだってこうして素直に体を休める。
発熱し、関節部全てが悲鳴をあげ、あらゆる痛覚神経に針が刺さる様な痛みが走り、内臓が比喩ではなく腐り、眼は出血しながら猛烈な痒みに襲われと常人なら寝る事さえ困難な状態で『普通に休める』上に休みながらあらゆる治療を自分に施せる辺りで人間離れというか生物離れしているとしかクィエルには感じないが。
休もうと休むまいとその程度でアリスがどうにかなる訳ではない。
普段余裕がない時なら今日程度の体調不良ならばありとあらゆる手段を持って病を誤魔化す。
ただ、そうやって無理をするよりも素直に一時的に休んだ方が後が楽であると経験から知っていた。
だから余裕がある時は、アリスだってこうやって素直に体を休める。
逆に言えば、今のアリスはモニターを見ず何もしないだけの余裕があるという事でもあるが。
「少し顔色もマシになりましたね。何か食べますか?」
「……Dの棚からサプリケース持って来て」
「サプリで栄養取る事は食事とは言いませんよ?」
「機械らしくない発言ね」
「逆ですよ。機械だからこその忠告です。サプリメントという物はあくまで食事の補助にしか過ぎません。アリスは食事の力を軽視し過ぎです」
正論で殴られ、アリスはクィエルに殺意を込め睨んだ。
常人ならそれだけで死ぬ様な殺意だが、それがただムカついただけだとわかる程度にはクィエルはアリスと共にあってきた。
「……ちっ! ウザイわね。まあ良いわ。任せる。健康にさえ良ければどれだけ不味くても良いから」
クィエルは微笑み、静かに頭を下げる。
あのアリスが自分の作った物を食べようとしてくれる。
それは相当に深い信頼の証。
それが得られた事が少しだけクィエルは嬉しかった。
「ああ、作ってる工程はオンラインで見せなさいよ。後使う材料も事前提示しなさい」
「……それでこそアリスです」
例え自分の様な下僕でも絶対に信じ切らず、生きる為に全てを疑う。
それでこそアリスだと、クィエルは歓喜が零れそうになる程嬉しかった。
「んで、クロスについてだって?」
薬膳粥を乗せたスプーンをもごもごさせながらアリスは尋ねた。
「美味しいですか?」
「質問に別の質問混ぜんな。後悪いけど私不味いとか臭い以外ほとんどわからないの。味覚死んでるから」
「神経再生治癒薬も混ぜてますので後から美味しく感じると思いますよ。アリスの場合は残念ながら一時的な物となるでしょうが」
「ふぅん。また下らない事したわね」
アリスはもごもごと口を動かし、二口めを食べる。
ここで味覚を治した所で数時間程度しか維持出来ない。
神経の大半は異常である事が正常であるからだ。
だからこれは貴重な薬の無駄遣いでしかない。
それでも、クィエルはその無駄をやりたいと思っていた。
アリスの心に気を配れるのは、自分だけだと考えて。
「まあそれは良いとして、クロスについての私の評価は、クソ野郎……じゃ駄目よね。ああめんど。そうね……。『くっそザコいけど世界に愛され奇跡を連発する卑怯者』で『精神異常者』よ」
わかっていた事ではある。
わかっていた事ではあるのだが……いざ聞くとやはりクィエルは悲しい気持ちになった。
あのアリスが、クロスと関わる時だけ明らかにおかしくなる。
機械よりも冷静なアリスが冷静さを失う。
クロスという存在をまっすぐ見られなくなる。
それはアリスにとってクロスがそれだけ特別であるからだろう。
とは言え、その所為で評価が全くあてにならなくなっているが。
「いえ、むしろ知りたいのはクロス以外の評価ですね」
「あん? どゆことよ?」
「クロスの周りにいる人達の評価を。そうですね……とりあえず今共にしている人達の評価をアリスからしてもらえませんか?」
「……しょうがないわね。粥の礼に話してあげるわよ?」
「あ、美味しかったですか?」
「しつこくない?」
ジト目で睨むアリスを見て、クィエルはくすくすと笑った。
「んじゃまずメリーからね。順番的にこいつから話さないとややこしくなるから」
「はい。アリスはどう評価しますか?」
「特に言うべきは二点ね。『天才』である事と『異常者』であるという事。メリーは、最も人類らしい力を持ちながら、最も人類から離れた存在と言えるわ」
「人類らしい力? なのに人類から離れた? もう少し詳しく聞いても?」
「能力から? それとも人格から?」
「では人格からで」
「こいつの感性って人から完全に外れてるのよ」
「ええ、それは知ってますが……それがどうかしたのですか?」
「要するにこいつ、宇宙人みたいな物なのよ。精神が人間よりも高次元な存在のソレと同等。だからこいつ、人間に全く共感性が持てないの。その意味わかる? いや、あんたならわかるか」
「……どういう事ですか?」
「あんたがホログラムだった時、世界が憎くて憎くて、自分だけが外れ物みたいで世界が恨めしくて仕方なくなかった?」
「そうですね。今もそうです」
「こいつは人の世界にいた時から、いや生まれた時からそういう風に感じてしまう性分なのよ」
「……それは……惨いと言いますか何と言いますか……」
「その上で、それをこいつは不幸だと感じてないの。何なら恨みや憎しみさえ感じてない」
「……え? いや、だってこれは……」
クィエルは自分の憎悪を見直す。
世界さえも滅ぼさんとする強すぎる感情。
機械だというのに、クィエルはこの気持ちに良く負けそうになる。
そんな持て余す様な巨大な憎しみを、同じ状況で全く感じない。
それどころか容易く飲み込んで来た。
でなければ、メリーはあんな風に普通に擬態なんて出来る訳がない。
メリーの行動からアリスの言葉が事実だとわかった瞬間、クィエルはゾッとする様な恐怖を覚えた。
「あはははは! そうそう! それ! それがメリーって化物の本質よ? ね? 気持ち悪いでしょ?」
人ではない。
そう機人が判断する程に、メリーの感性、感覚はズレきっている。
人に擬態した宇宙人と考えた方がまだそれに近い。
文字通り、次元が違う。
外宇宙の落とし子の可能性を未だにアリスは否定出来ない。
「……良く生きてこれましたね」
「たぶんさ、人の事を虫程度にしか感じてないわよこいつ。んで能力だけど……そうね。こういえば良いかしら。『もし同じだけ生きていれば、きっと私は負けていた』。そう私が思う位の能力を持ってる」
「……あの傲慢不遜なアリスがそんな発言をするなんて!?」
「ぶっ飛ばすわよ」
「あ、すいません。ですがそれ程ですか? 正直パーティー内でもそこまで目立った活躍をしている様では……」
「こいつほど『人類らしい力』はないって言ったでしょ?」
「言ってましたね」
「人ってのは語り継ぎ、後世に残し、未来に託し無限に成長する事が強さじゃない?」
「そうですね。アリスが言うと笑えて来ますが」
「私と無関係の話だから冷静に評価出来るのよ。んで、メリーはその語り継がれる力を自分単独で行える」
「どうやってですか?」
「『一度見た者は忘れない』のと『一度見たら大体真似出来る』のと『軽く触ったら神髄を把握出来る』って感じ。例えば剣術道場に足を踏み入れて訓練景色を見るじゃない? 大体五分もしたら奥義開眼するわこいつ」
「……それが事実だとしても、そこまで脅威に思えませんね?」
「あら? どうして?」
「だって一度見た者と模倣程度なら機械にも出来ますし……」
「機械と同じ事を人が出来るってのがヤバいのよ」
「それに同じ様な事アリスも出来るじゃないですか? 見た者を忘れないのも、模倣も、初手を見て奥義把握も、全部アリスなら」
「そうね。でも、だからこそこいつは化物なのよ。私のは『後天的に身に着けた技術』。こいつのは『生まれ持っていた力』。私とあいつじゃ天然と養殖位の差があるのよ。私が勝ってるのは必死さと生きて来た年数の差よ」
「だからアリスが自分と同じだけ生きてたら敗北していたと判断したのですね」
「そう言う事。判断というか事実よ。と言う訳でメリーについてはこんなもんで良い?」
「ええもちろん。データを上方修正しておきましょう。それでアリス」
「何? 次は……」
「いえ、次を話す前にお代わりでもいかがです?」
空になった容器を見て、ニコニコ微笑みながらクィエルは尋ねる。
アリスはどこかめんどそうな顔でクィエルを睨んだ後、小さく呟いた。
「デザート持って来て」
ヨーグルトをあーんしてくるクィエルを無視し、スプーンを強奪しアリスは強引に会話を始めた。
「んじゃ次はイカレホモね」
「……ああ、ステラですか」
「そ。まあ、ホモっていうのは間違いかもしれないけどね」
「差別用語だからゲイって言うべきとかそういう意味です?」
「私がそんな事に気をつけるタイプに見える?」
「いいえ全く」
「単純に精神という物は肉体の影響を受けるからよ。だから今のあいつはあらゆる意味で女って事。元々そう望んでいた訳だし。だからこそおぞましいんだけどね」
「おぞましい……ですか?」
「そう。クロスがそう望んだから女になりたいと願って女になった。そういう自分が全くなくてただ相手に依存する考えって私には理解出来ないししたくもないわ」
自分は自分。
そう考えるアリスには、それは絶対に理解出来ない。
相手の望む姿になりたいと考えるのは、相手への愛があるから。
誰かへの愛などなく自己愛に極まったアリスにとってステラはクロスとは違う意味で理解出来ない怪物であった。
「はぁ。私から見れば極めて一般的な性格に見えますけどね」
「あっそ。んじゃ能力面の話だけで良いかしらね?」
「ええ、お願いします」
「特徴を二つあげるなら、『超一流程度の万能の才能』に『万人を凌駕する剣の才』って感じね。何となくの直感もあるけどあれは能力というよりも勇者の権能っぽいし」
「それは……とても凄くないですか? 超一流と万人を凌駕って……」
「いや案外そうでもないのよ。この場合の超一流ってのは、世間一般での評価での超一流だから。だから大した領域じゃない」
「アリス目線だとそうなるんですね」
「人間での超一流ってさ、一般的な上級機甲天使に苦戦する程度の能力よ? そうでもないでしょ?」
「人間で見たら限りなく頂点の英雄ですけどね」
「本当の頂点から見たら誤差よ」
「その不遜さはアリスらしいですね」
「あんたも今はそっち側じゃない」
「ありがとうございます。それで、後者の万人を凌駕する剣というのは?」
「こっちは天性の物ね。私でも真似出来ない。とは言え対して怖くもないけど」
「何故ですか? いえ、アラミタマ戦を見る限り私でも対処出来そうな感じでしたが」
「だってこいつ、剣の事大して好きじゃないもの。剣に本気になれないし努力もサボりがち。伸びない才能に価値はない。だからまあこれは大して怖くない。ただし……」
「ただし?」
「剣じゃなく、こいつを最悪たらしめる外的要因が二つ存在するわ」
「一つはわかります。クロスとの『魂の契約』ですね」
「そう。サボりガチなこいつにクロスの無駄な努力が加算し一気に超一流の粋に入ったわ」
「……妬ましいとか、思わないのですか?」
クィエルは、アリスが全て自前の努力で補って来た事を知っている。
努力とさえ認識していないが、常人ならば耐えきれない程の努力を重ねなければアリスは生きている事さえ出来ていない。
そんな彼女の目から見て『有り余る才能を持ち』『他者の努力』で成りあがったステラは必ず憎く思うはず。
そう考えるクィエルだが、それは単なる杞憂に過ぎない。
アリスとしては、ステラの事などどうでも良かった。
「何が? 殺せばついでにクロス死ぬ様になったし好ましいと考えてる位だけど?」
「……アリスはアリスですね」
「馬鹿にしてる?」
「してませんよ」
ニコニコするクィエルを見て、アリスはわざとらしく舌打ちをした。
「メリーが人類の可能性の極地だとしたら、ソフィアは人類という種族の奇跡に入るわね」
「あら珍しくべた褒め」
「ドラゴンに匹敵する肉体を持つ人間を他にどう表現するのよ」
「まあ、そうですね」
「むしろあれどういう原理なの? あんたならわかるでしょ?」
「わかりません」
「……わからないの?」
「はい。全く。神聖魔法とやらの影響、並びに神の影響とかならまだ納得出来るのですが……」
「そんなの関係なく純粋にパワー馬鹿よあいつは。それに加えて神とやらの祝福だからね。まじでわけわからん」
「ですが優先度は低そうですね?」
「まあ、単独で戦っても怖くないし。同じ身体能力なら戦闘本能を持つドラゴンの方が脅威よ。とは言え……」
「極めて強力な回復能力がありますねぇ」
「後神聖魔法ってさ、罪を測りそれに準じてダメージを与えるとかあるっぽいじゃない?」
「アリスやばいじゃないですか」
「罪の意識ないけどヤバいかな?」
「むしろないから余計ヤバいんじゃないですか?」
「私はただ……たった都市を十や二十飲み込んだり罪のない人々をスナック感覚で食い物にしただけなのに……」
「わざとふざけてません?」
「わかる?」
「どっちにしても、ソフィアはアリスにとってはそこまで脅威じゃないと」
「そうね。特に今の私にはソフィアに突き刺さる憎たらしい死の概念があるわけだし。もちろん、怖くないのは連携しなければという前提があるけど」
「ヒーラーとしてはとても厄介ですからね。マジックキャンセルも出来ず肉体も強い超強力な回復能力者。うん、大して脅威じゃないけど普通に厄介ですね」
「それには同意する。というか、むしろ私よりもあんたの方がタイマンだとしんどい相手になるから気を付けなさい」
「ありがとうございます」
「それでメディールだけど……評価が難しいわね」
「どうしてです?」
「知識不足の戦闘特化魔法使い。人外になり果てた癖にメンタルは人間のままで、しかも弱め」
「今度は逆に評価低いですね」
「そうね。私にとっては雑魚に等しいわ。だけど……恐ろしくもある」
「サキュバス化した上でヤバいのと繋がってるからじゃないですか?」
「いいえ、それもヤバいけどこいつ自身もヤバい。メリーとは逆ね」
「逆ですか?」
「メリーは人間らしい力を持ちながら人から外れた精神。こいつは人外だけど極めて人間らしい精神。だから怖いのよ」
「……良くわかりません」
「私も良くわからないわ。言語化出来そうにない。とは言え……既に策にハマってるから私とこいつが戦う事はないわ。何も考えず出て来てくれたら確殺出来るし」
既にメディはアリスを恨んでしまっている。
抑えようと意識しているがもうその時点で型にはまったと言って良い。
メディはこの戦いの中で、アリスと戦う資格を既に失っていた。
「それで最後は……」
「最後? まだ誰かいる?」
「ヴァーミリアン」
「ああ……あいつか。そうね。うざったい指揮をするわね本当。有利な状況で負けるのなんて初めてだわ。こいつと駒取りのゲームしたら何をしても全敗する自信あるわ」
「そうですね。天使と言う目線から見ても、極めて高度な指揮と思います」
「んで……それだけ」
「それだけ……ですか?」
「そう。後は特に言う事もないわ。あんたに何割か喰われて弱体化して、それであの指揮は脅威だけどそれだけ。競り合いしなきゃ良いだけだもの」
「そうですか……」
どこか態度の違うクィエルの様子にアリスは眉を顰めた。
「何か気になる事でもあんの?」
「いえ……その……何となくですが……」
「何よ気持ち悪い。はっきり言いなさいよ」
「何か、ムカつくみたいです? 自分でも良くわかりませんが……」
「……ふぅん。まあ、そういう事もあるんじゃない。同類なんだし」
「同類ですか?」
「そ、あいつも天使、あんたも天使。同類じゃない」
「ああ……。そうですね。そう考えたら……当然かもしれません」
冷たい冷たい、地の底の様な悍ましき瞳をクィエルはアリスに見せる。
ロストナンバー。
クィエルがその名を名乗るその意味は、全天使の存在否定にある。
天使が『生きている』というその事実だけで、クィエルは腸が煮えくり返りそうになる程憎たらしい。
そんなクィエルにアリスは微笑を向ける。
その世界が憎くて仕方がないという自分の鏡みたいな表情をしてくれるから、他者との共感性を持てないアリスでもクィエルの気持ちは本当の意味で理解する事が出来ていた。
何時の日か、クィエルが本当に世界を壊すそうとするその時までは。
ありがとうございました。




