しがらみシンドローム
少しずつの小さな、誤差と呼んでも差し支えない物。
それでも、否定出来ない程に確かな変化であった。
クィエルが気づく程度には、確かな――。
そしてその変化は、最初とはまるで違う状況となるまでに大きな差異となっていた。
最初の頃は、ただ指示を出してくるだけだった。
VOIDをこう動かせ、天使をこう命令しろというアバウトな命令だけで、しかも何かの作業をしながらの、雑なながら指示だった。
ただ、ある日を境に、指示が細かくなった。
時間、タイミング、数、撤退状況。
徐々に細かくなっていく指揮に比例し、アリスはどこかいらついている様になっていった。
そうして今では音声指示では間に合わなくなり、クィエルに頼む時はデータチップ形式となった。
マップを見ながら眉を顰めながら自分で配置図を作り、膨大な量の相手の対策、対処、緊急時の状況よ予測を書き込んだそれは、、人間では絶対に認識出来ない程馬鹿みたいに巨大な情報量を持っている。
それが出来るアリスもおかしいが、天才のアリスがそれだけしなければならないというこの状況もまたおかしいと言えるだろう。
地上からでは絶対に見られない、神の目線。
はるか空、宇宙空間より撮影される図を拡大し、天使、VOIDを模した駒を細かく配置し取りやめを繰り返しシミュレートしていく。
事前配置図だけでの命令ではもう間に合わないから、リアルタイムでの命令変更も今では重要な物となった。
気づけばアリスは実際の作戦行動中以外でも毎日暇を見ては盤を動かしては試し、一喜一憂している。
どこか楽し気に見えるが、やはり基本不満げであった。
その理由もクィエルはわかっている。
神の目線で見ながら、膨大な演算機能を持つクィエルを利用し、機械にてリアルタイムでの戦場更新が可能という最高にアシストされた環境にいるアリスが、指揮にて押し負けていた。
「……あんた指揮出来ないの? 同じ機械でしょ?」
自分の限界を認識した上でアリスはそう尋ねて来る。
重要な場面で誰かに頼るなんてアリスらしくないが、自分の優れた部分がちょっと負けたからと言ってあっさり見切りを付けられる辺りはどこまでもアリスらしかった。
「無理ですよアリス。私は特化型じゃありません」
クィエルは簒奪という機能を利用しアップデートを繰り返して来た。
故に強化形態は全体的にまんべんなく。
つまるところ高性能万能機である。
はっきり言って天使如きに負ける事はない。
対してミリアは特化型能力者。
他全ての能力が大きくクィエルに劣っているが、指揮という僅かその一点だけは突き抜けていた。
そもそもの話だが、全ての天使を喰らい演算回路と情報、そして無数の上級機甲天使の権能を得たクィエルの指揮能力が低い訳がない。
ただ比べる相手が悪すぎるだけである。
アリスの指揮能力、軍を動かす力はアウラを越えている。
魔王であり稀代の策略家であるアウラをだ。
いや、遥かに勝っていると言い切っても良い。
騙し合いでメリーを越え、純粋な競い合いでレンフィールドを越える。
アリスはそういう、人の器を越えた純粋たる怪物である。
足りないのは人の心位だろう。
そんなアリスに勝っているミリアの方がおかしいのだ。
上級機甲天使、元ナンバーズ。
その名を持ってしてもその能力は常識外れであった。
「クィエル。こいつ喰らったらあんた同じ事出来る?」
「無理ですねー。それどころか喰らった所で一ミリも成長しません。まあヴァーミリアンがいなくなればそれだけ敵は弱体化するので問題は解決するでしょうが」
「は? 何でよ?」
「既にミリアは喰らってるからですよ。簒奪した分を今から少し増やしたところで誤差でしかありません」
「……もしかして、あれで指揮能力低下してる?」
「たぶんしてますね。基本スペックごっそり下がってますから」
「下がってこれなの?」
「はい。……そんなにやばいんです?」
「あんたが敵の立場だとして、私が誘導してるって気づいたらどうする?」
「誘導してそうな方角と真逆に全力で避難します。相手のやりたい事をさせないのがセオリーですから」
「そうね。まあそれが普通よね? でもこいつら敢えてその場で誘導に私の策に乗ったり乗らなかったりしてたのよ」
「何故そんな危ない真似を?」
「探って来てんのよ。私の意図、そしてどこに誘導しようとしてるのかを。私の二手、三手先を読みに来てる。指揮で勝ちながら尚油断せず、私を詰ませる様な動きをしながら、私の勝利条件を把握し本当の勝利条件を調査しやがってる。一手で五手や六手分位得てるわね」
「……人間みたいですね」
「天使のそのニュアンスは良くわからんけど、とにかく面倒なのよ。こっちもダミー使ってるけどそれも見抜かれそうで……全く。都合よく行くとは信じてないけどちょっと面倒過ぎるわねこの状況は……」
アリスは溜息を吐き、モニターに映されたマップの範囲を広範囲に拡大する。
戦っているのは、クロス達だけではない。
あっちこっちで抵抗の炎をあがっているその状況は、アリスの想定する絶望よりも少しばかり希望に溢れていた。
こちらに襲撃して来ているクロス達が作戦指揮の誘導にうまくはまらない事。
この事自体はアリスにとって想定内でしかない。
なにせクロスは唐突に『こいつはアリスの策略だ!』と気づき逆さに全力疾走するなんて珍妙かつうざい習性がある。
ミリアがいなくてもこの状況になっていた可能性はそう低くない。
クロノアークの抵抗が強い事も想定内だ。
アリスの目から見たらパルスピカは悪い意味で父親似である。
それに加えて元魔王国の重鎮が揃っている。
十分に層が厚い。
全力を出さないVOIDなら何とか出来てもおかしい事はない。
ヴィクトアリア勢力は少しばかり予想外であった。
あの穢れたゴミ箱の底の方がマシな性格をしている天使共が素直に従っている有様はアリスにとって完全なる未知と言っても良い。
絶対にあの馬鹿共はヴィクトアリアを裏切り、その醜さで絶望させるとアリスは信じていた。
いや、実際裏切って自分が天使のトップに立とうとした馬鹿はそれなりにいた。
いたのだが、やらかす前にアンジェが始末している。
偶然逃れ実行にまで移した奴もいたがその瞬間ミリアが爆ぜさせた。
つまるところ、ただの希望だけでなくアリアは皆に愛され護られている。
ついでに言えばアリア勢力は恐怖政治も混じっている。
状況的に言えば良い警官と悪い警官と言っても良いかもしれない。
とは言え、ヴィクトアリア勢力自体は大したレベルではなく、全体の流れに影響を与える程ではない。
そこじゃない。
クロスはパルスピカもアリアも、何やらかした所で想定内だ。
本当の想定外は、もっと別の場所から出て来る。
一つ、アリスにとって完全に予想外でかつ想定外の集団がいた。
ラグナ率いる純人間部隊である。
天使や機人の言う大きなくくりの人間ではなく、魔物と争っていた純粋たる人類。
そのたかが二、三十人程度の一部隊が各地でこれでもかと暴れまわり、VOIDに対する抵抗の炎を各地に炎上させまくっていた。
やっている事自体はそう難しくない。
クロノアークからの転移を繰り返し各地でゲリラ戦法でVOIDと戦っているだけ。
問題はその戦果の方。
救助、救出並びに都市防衛。
それに特化した活動しつつゲリラでVOIDを殲滅し、護った都市に武力、武器を提供。
そのルーチンは無駄に洗練されており、それ故にVOIDに対しての抵抗が各地で行われている。
アリスはこの世界で唯一、真なる答えに辿り着いた。
『何故最弱種族である人間如きが魔物と対等に渡り合ってこれたのか』
勇者という殲滅システム。
兵器開発に長けた戦争特化の国民性。
殺意という武器を生かす事の出来る唯一の種族。
それらは否定出来ないが、答えにはまだ一歩届いていなかった。
人間が魔物に勝っている真なる要因、それは……。
「こいつら、持続力えぐいわね」
アリスはラグナ部隊の活動記録を確認し、そうぼやいた。
「持続力ですか?」
「そう。あんたにわかりやすく言うとパフォーマンスの維持」
「すいません。もう少し詳しく尋ねても?」
「普通さ、軍事行動なんてしてたら肉体的には当然だけど精神的疲労を積み重なっていく物なのよ」
「まあ、当然ですね。我々だってそうですし」
「んでそうなると、徐々に能力が下がっていくじゃない。疲れて自分の力を出せなくなって」
「そうですね」
「こいつら数か月ぶっ続けで大して休まず戦い続けているけどそれがないのよ。肉体疲労は何とかなるでしょうね。治療でも薬でも何でも使えば。でも緊張感や摩耗による精神的疲労はどうにもならない。そのはずなのに……」
それが答え。
人間という種族に与えられた、守護女神クロノスでさえ知り得なかった人間の種族的特徴。
それは、戦争の継続能力。
彼らは精神的疲労を極限まで抑え、極めて長期に渡りパフォーマンスを維持し活動出来る。
どれだけ疲れても、休憩しなくても、一定以上のパフォーマンスを維持出来る。
例え仲間が死んでも、戦力が半数になっても、それでも各個体の能力の低下は他種族より遥かに少ない。
それが人魔大戦にて、魔物と戦い敗北しなった理由、魔物に対し高い勝率を維持出来た真なる理由であった。
「……ですが、この程度大した事ありませんよね? 処しますか?」
クィエルは静かに尋ねる。
確かに厄介事であり、完全なる想定外である。
だが、それだけ。
クロス、パルスピカ、ヴィクトアリア以外なら正直ごり押しですり潰せる範囲でしかない。
どれだけ強かろうとも本気のVOIDに勝つ事は出来ない。
VOIDの強みは最強の兵士を無限に量産出来る所。
戦った時点で負けに等しい。
だが、そんな事ラグナ達も想定していない訳がなかった。
ラグナは、自分達が殺されても状況が有利になる様に作戦を立てている。
動き続けたら邪魔で、殺しに来てくれたら状況を一気に傾けられる。
そういう風に、最初から動いている。
つまり、ラグナ達人間部隊は、最初から単なるスケープゴートに過ぎなかった。
羊と呼ぶにはあまりにも雄々し過ぎる牙を持っているが。
「……こいつらを処理するのに労力を割いたらさ、あっちこっちに隙間が出来るのよね……。それにこいつらクロス達から離れたところにしか行かないし」
「それは重要な事なのですか?」
「こいつらがクロス達に近かったらさ、こいつらを殺して死体を利用する手が使えるじゃない。上手く怒らせたらその時点で勝ち。そうでなくとも死体を凌辱し利用すればクロスのメンタルは削れる。失敗してもおいしい作戦の出来上がりよ」
「なるほど。でも出来ないと」
「遠いのよ。殺して運ぶと相当時間がかかる位に。……いや、私が直に動いて殺し転移させるって手が丸いっちゃ丸いけど……」
「しないんですか?」
「私が直に動いたらその時点で負けじゃない」
そもそもだが、勝利条件が違う。
クロスは『アリスを殺す事』を勝利条件としているがアリスは『生き残る事』こそが勝利である。
そのアリスがふんぞり返らず直に動かないといけない状況になったらもう負けに等しい。
死の可能性を一パーセントでも上げる訳にはいかない。
その一パーセントを貫くのが、主人公補正なのだから。
各地の抵抗は増え、徐々にVOIDの動きが制限されつつある。
そんな中でこちらの企みをクロス達に見抜かれつつある。
敗北が近づいている訳ではない。
状況は変わらず俄然アリスの有利なまま。
だが、徐々に抵抗が増えている。
やるべき事が増え、課題が積み重なり、クロス以外にも意識を割かないといけなくなった。
確かにしがらみが増えている。
アリスは、狭い部屋の中で動き辛さと妙な緊張感を味わわされていた。
ありがとうございました。




