ハート(中編)
ステラはあまり頭の良い方ではない。
いや、要領が良すぎた為に知恵を磨く必要性に欠けたと述べる方が正確だろう。
それに加え、幼少期にマトモな教育を受けられず、代わりに勇者育成という名目での拷問染みた肉体訓練をさせられていたのだから尚の事である。
多少の事なら力技で解決出来、多少でない事でも持ち前の勘の良さで何とか出来てしまっていた。
勇者であった時からそれは顕著であり、ニヒリストとでも言うべきであろう虚無的怠惰思考である事も合わせ工夫という行為をほとんど行ってこなかった。
簡単に言えば、ステラはどんな時でも力押しの、基本ごり押しスタイルという事である。
工夫やら努力やらをちゃんとしだした事さえクロスと契った後なんて最近で、それまでは誰よりも脳筋であった。
具体的に言えば、万能である勇者の力さえもまともに機能しない位に。
そしてそれが許される程に才能があった。
斬れば大体何とかなってきた。
それで何とかならなくても『何となく』と『直感』で何とかして来た。
それで駄目だった事はほとんどないし、例え駄目であったとしても優れた仲間が何とかしてくれた。
斥候から暗躍まで何でもござれなメリー。
魔法で広範囲カバーメディ。
治癒と暴力特化ソフィア。
そして何より、破滅に突き進む精神異常者達を正常にした光がいた。
嘆きの涙を流しながらも正しき怒りを持ち続け、皆を過ちの道から引きずり出した光。
報われずの人助けを続けた、真の救世主。
彼最大の功績は『心が大切』という当たり前の事を、彼女達に伝えた事。
そんな当たり前さえも、彼女達は誰にも教えて貰っていなかった。
彼らがいた事はステラにとって最大の幸運であり、そしてそれ故に更に考えなしになったなんて弊害であったとも言えた。
ではそんなステラに対抗する為用意された『ハート』はどんなスペックとなるか。
時間をかけ、何体も調査用の個体をぶつけ、そこから導き出された事は一体いかなる物となったか。
アラミタマが出した結論は……。
『脳筋には、脳筋を』
別に狂った訳でもふざけている訳でも、もちろん無能という訳でもない。
複雑な計算式により導き出された解であり、特定の対策を取らない事が最も合理的な選択であった。
他の事が必要ない程に応用力に長けた才能を持ち合わせ、クロスの努力を引き継いだ。
ピュアブラッドに近しい程吸血鬼としての高い能力を持つ眷属となった。
そうして最近では剣の答えを見出し、至り、斬るという概念に昇華した。
これでもかと広い対応能力を身に着けた為、ステラには対抗戦術は通用しない。
簡単対策など取れる訳がなく、むしろ安易な対策なんてしようものなら逆にカモとなる。
極めて汎用的で、秀才なステラらしい成長と言っても良いだろう。
だがそれは無敵と言う訳ではない。
最強ではなく、優秀でもなく、秀才。
才能に胡坐をかいて、更に否定的皮肉的なニヒリズムによって努力をほとんどせず、小さくまとまってしまった事がステラの欠点だった。
ステラの才能だったら、本当の意味で勇者に成れただろう。
今のクロスさえも圧倒する、正しい勇者に。
それを潰したのは他の誰でもなく勇者を私物利用してきた人間社会である。
ステラは対策を主体とした相手には滅法強い。
万能の一である剣は生半可な対策を斬り潰す。
であるなら、答えは容易い。
安易に斬り潰されず、そして同格の、真っ当な戦闘能力を持つ相手を用意すれば良い。
それが、アラミタマの出した結論。
それは優れた獣人の特性を持ちながら神としての能力も引き継いだ。
速度面を中心とした近接主体で他の機能は全て切り捨てた、純粋な獣の個性。
更に、努力を切り捨てたステラに対してのカウンター能力として、成長能力を身に着けた。
時間が進む程、よりステラに対し有利になれる様変化、それは成長を『無限』に繰り返す。
真っ当でないステラに、真っ当に優れ成長する相手を。
そしてあり得ない程に正々堂々と。
それは欠点ではなく、真っ当になり心が弱くなったステラに対して、精神的優位に立つ為の策でもあった。
真っすぐ、直線的な動きで襲い掛かって来るその動きは獣に限りなく似ていた。
あまりにも俊敏で、眼で追う事さえ出来ない。
だけど、避けるだけならそう難しい事ではなかった。
ハートは一瞬だが構える様な仕草を見せる。
数ミリ腰を落とす様な、そんな小さな動作。
その動きが弓が引き絞られ矢を放つ直前の様な物だと知ってるステラは、即座に横に跳んだ。
次の瞬間にハートは飛び出し、ステラにその鋭い爪を振るう。
その時には既にステラは回避済みで爪は空を斬る。
しかも見失わず、次なる一撃を観る為にハートをちゃんと目視し続けていた。
予兆さえ見逃さなければ、単調な動きを躱す事はそう難しい事ではなかった。
ただし、ここまで相手を判別するまでに少々手痛い傷を受けてしまっていた。
腕に三回、足に二回、胴体に一度。
躱しきれず、見切れず、剣で受け止められずでそれだけの負傷を負った。
小さく、肩で息をする。
眷属の効果によって傷自体はもうほとんど治っている。
ただ、痛みとそれに伴う疲労だけが蓄積していた。
疲労、長期戦になる事が予測される現状では、それが目下最大の敵と言えるだろう。
相手の爪は直撃せずともかするだけで手痛いダメージを負わせてくる。
当たったらいけないというその気持ちが、これまでの痛みが緊張を生み、精神的疲労へと繋がる。
ちょっとでも気を抜けばその凶爪はステラに直撃し、容易く命を奪うだろう。
そしてもし自分の命が奪われたら――。
静かに、息を整える。
もしもの未来を考え冷水を被った様な冷たい怖さに身を引き締める。
自分の命は自分だけの物ではない。
その本当の意味を、ステラは既に知っている。
同時に、何故クロスが人間時代にあそこまで、何故あれ程までに死に物狂いで見知らぬ誰かを助けようとしていたかを今日ようやく理解出来た。
命とは、繋がりである。
誰かの命はどこかで自分と繋がっている。
誰かを助ける事は自分を助ける事でもある。
それを、クロスはあの時から知っていた。
だからクロスは、一生懸命だったんだ……。
背面からの強襲を、バックステップで躱しカウンターに一閃。
それは何時もの様に当たらず、その半透明の体を素通りするだけ。
それでも、ステラは剣を振り続けた。
かすりもしない剣を振りながら、ステラは回避を繰り返す。
観察眼と直感、クロスから借り受けた全てと己の才能全てを費やして何とかやりくりしていく。
だけど、徐々に相手の攻撃を避けきれなくなりつつあった。
理由は単純に、相手の変化。
ハートは外見さえも何度も変化し成長……いや、ステラに適合していた。
最初は虎の獣人だった。
そこから一度目の変化で、カンガルーの様な姿になった。
爪は失われ、腕は細く長くなり、そして常に高速でステップを繰り返す。
そうしてタイミングを狙い、目にもとまらぬインファイトでのジャブを繰り出して来た。
ヒットアンドアウェイの様に遠近での細かい移動、接近してからのジャブのラッシュからの渾身のストレート。
避け辛く何度かジャブを貰ったが耐えきれぬ程ではなかった。
そうして今度の変化で、カンガルーからゴリラの様な獣になった。
上半身が大きく、動きもどこか鈍重そうでゴリラっぽい。
だが相変わらず速度は速く、でかい腕から繰り出される拳は見えず、ついでに拳圧は空気さえも斬り裂いた。
回避は出来ている。
相変わらず真っすぐの攻撃で、そして予兆も見て取れる。
それでも、剛腕から繰り出される暴風、空気の刃でステラの体は全身血まみれになっていた。
速度は最初の虎より少しだけ落ちている。
だからこそ、ステラは自分に適合していると理解出来た。
なにせ若干だけ速度を落とし、自分が目視出来ないギリギリを維持しているのだ。
完全に、こちらを読んでいるとしか言えない。
それに、こちらもやられ放題という訳ではなく、しっかり反撃をしている。
それが通じているかどうかは別の話だが。
刃を振り、一閃、空を切る。
刃を振り、一閃、空を切る。
繰り返される徒労、無駄としか言えない積み重ね。
昔のステラならさっさと辞めていただろう。
だけど、今のステラは知っていた。
クロスの努力が、足掻きがこれと同じであった。
いや、この程度でさえなかったと。
先の見えない無駄な徒労を、どれほどの心血注ぎ進んで来たのかステラは知っている。
実際にクロスを見て、繋がり心を見て、そして魂で感じて。
故にステラはこの通用しない繰り返しの作業を徒労と思わない。
真剣に繰り返し、重ね、磨き上げていく。
そうして繰り返していけば、いつの日か必ず刃は届くと信じて。
理解すれば、斬れる。
つい先ほどステラは見えない壁を斬り裂いた。
空間断絶さえも絶ったのは、クロスがそうだと言ったから。
そこにあると信じたから。
つまり、斬れると心から信じられたら、そうであると認識出来たら、きっとこの刃は届く。
故にステラは、当たらない刃を繰り返し放った。
到達する未来があると信じて。
大した事ではない。
この程度、クロスの努力の億分の一にも満たないのだから。
ハートのパンチを避け、体に傷を作り、反撃を繰り返す。
油断なんて欠片もせず、真剣に、ただ勝つ為に。
それはその積み重ねの最中。
ハートの拳が顔面の横をよぎった瞬間……張り詰めていたステラの集中が、ぷつりと途切れてしまう。
つい、想像してしまった。
顔に傷がついた自分の姿を、そしてそれを……クロスに見られた時の事を。
無意識だった。
無意識で、ステラは両腕で自分の顔を隠してしまった。
戦いの最中で無駄な乙女心を出す程に、ステラは幸せになってしまっていた。
その程度クロスは気にもしないでいてくれると知っているはずなのに。
そうして視界を塞いだステラの腹部に、ハートの拳がねじり抉り込む様に叩きつけられた。
一瞬の視界の暗転と脳が沸騰した様な錯覚。
精神が狂いそうになる。
傷みで意識を失うのと、痛みで意識が覚醒するのがコンマ以下で無限に繰り返される。
思考など消し飛び気が触れそうになりながら、現状を確認する。
自分が吹き飛んでいると理解した直後、ステラは見えない壁に背を叩きつける。
想像以上の衝撃で、肺に残っていた空気が漏れ変な声が出た。
潰れたヒキガエルになった様な気分だった。
正直、死んだとしか思えないけど意識があるなら生きているのだろう。
そんな他人事の様な気持ちでそっと目を開けると、目の前に巨大な燃え盛るゴリラが。
――あっ死んだ。
体は動かない。
意識もほとんど覚醒していない。
なにより、勘がそう言っている。
それでも、体が勝手に動いていいた。
死に抵抗しようと手を前に出して。
後悔も罪悪感もない。
誰の為でもなく、生きる為に。
もう二度と自分も、彼の命も諦めなくなくて――。
そう願う彼女の前に、誰かが立った。
ステラを庇う様に、その前に……。
「ごめんなさい。クロスさんじゃなくて」
そう言って、ソフィアは優しく微笑んだ。
現れたソフィアは全身血まみれで、自分とどっこいどっこいという程にボロボロだった。
そんな状態でソフィアはゴリラの全力パンチに合わせ、自分も全力で拳を叩きこんだ。
ぶつかり合う拳が衝撃波を生み出し、暴風を巻き起こし、花火が目の前で上がったかのような爆音が鳴り渡る。
そんな中でも尚振り向き続け、安心させる様ステラの方を見てソフィアは微笑んでいた。
「ご、ゴリラが二頭……」
「ステラさんもぶっ飛ばして良いです?」
ソフィアの言葉が本気にしか聞こえなくて、ステラは一瞬死を覚悟した。
ありがとうございました。




