ハート(前編)
遠き世界から、SQはそれを見守っていた。
血の繋がり事ないものの愛し子であり、魂の繋がりにより実質的な家族であるメディール。
彼女が苦しむその様を、ただ見守る事しかSQには出来なかった。
いや、愛情深きSQが何もしないなんて事はなく、出来る事はもうやっている。
SQはメディが喰われる魔力を肩代わりしていた。
世界を自分という毒で満たさない様に、世界との繋がりを造らないままに、ただ奪われる魔力だけを肩代わりする。
それ位しかSQに出来る事はなかった。
後はただ、痛みの中藻掻くメディを信じ見つめる事しか……。
その羽虫は、本当に全く魔法が効かなかった。
使えそうな魔法は大体放った瞬間に消されるか食われた。
地面を破壊しその地面をぶつけようともしたが魔力が外に出た瞬間喰われた。
痛みで複雑な魔法は使えそうにない。
使えたところでどんな規模の魔法でもたぶん通用しない。
そもそも魔法は全て喰われるのだから。
符術ならと思ったが、仕込んでいた紙は一瞬で全部喰われた。
メディにとって魔法とは呪いであり、総て。
己が堕ちる事で生まれた力であり、そして己が生きる為の最大の武器。
その全てが封じられた今、メディに出来る事はない。
だけど、その程度で諦める程メディは弱くなかった。
昔なら、きっと早々に諦めていた。
だけど、今はそんな無責任な事は出来ない。
何も言わず魔力を肩代わりしてくれたマムが、母代わりの家族がいる。
離れたどこかで一生賢明戦う最愛がいる。
後おまけに最愛を共に愛す悪友達もいたりする。
こんなに支えて貰っているのなら、長所全てを失った程度で諦める訳にはいかなかった。
そのタイミングで、急に身体に強化がかかった。
それがクロスの天体魔導であるとメディには理解出来た。
想像でしかないが、余力が出来たから支援としてこの場の四人にかけたのだろう。
クロスの天体魔導、それは愛する人を星と例え合一化するという物。
自身の強化は全く出来ないが、その愛情が星空と一緒になり願いとなって降り注ぐ。
メディの場合、その影響にて受ける事でサキュバスとしての力が覚醒する。
純愛でかつ単独の相手にしか見せない、深き性愛の使徒。
それこそがメディとクロスの共通見解。
そのおかげだろう。
少しだけ、痛みを堪える事が出来た。
意識を覚醒させ、サキュバスとしての力で精神世界の扉を開き、メディはSQの世界とリンクを繋ぐ。
SQを利用する為じゃない。
ただ、相談する為に。
「何? 手を貸せば良いの? 何をすれば良い? 何でも良いわよ。使うなら髪でも心臓でも好きな物持っていって頂戴」
SQの本心にメディは苦笑する。
心からの献身で嘘偽りない献身だろうが、流石にそれは不味い。
SQの髪を地上に降ろせば世界中でサキュバスに成り替わる者が現れるだろうし、心臓なんて物使った時にはSQがこっちの世界に再誕するだろう。
どっちにしても大惨事確定であり、しかもこの状況をどうにかする事も出来ない。
SQの力を直接借り受ければ、この程度の羽虫瞬殺出来るだろう。
だがそれは出来ないし、出来たとしても絶対にやらない。
ここでSQの力を使えば、この場にいるクロス以外の三人を犠牲にする事になるからだ。
彼女達では、SQの汚染に耐えられない。
良くて性欲の事しか考えられなくなり、最悪の場合は存在が全て書き換えられ、生物である事に耐えられず液状化する。
流石にそんな手段はメディも取りたくなかった。
「ううん。何も要らないから知恵を貸して」
「大丈夫? 私無知だし貴女もその状態で考えられる?」
苦痛に顔を歪ませるメディを見て、SQは心配そうに尋ねた。
「頑張る」
「うぅ。何も出来ないマムを許してメディちゃん……」
ぼたぼたと涙を零しながら、SQはただただ悲しむ。
代われるなら、代わりたかった。
「いやそういうのは良いから……何か知恵を。こいつらを出し抜く方法を……」
「逃げる」
SQの出した行動案は間違いなく最適解であり、当然メディもその発想はあった。
だが同時に、それは選べない選択肢でもあった。
「駄目。それをしたら仲間の負担が跳ね上がる」
戦線離脱した後の事を考えると、どう転んでも味方に迷惑がかかる。
それで戦線復帰出来なくなったらもうどう最悪である。
「……そうね。じゃあ駄目ね」
SQは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
これが『クロスが困る』ならSQも理解出来る。
伊達に愛欲の化身であるサキュバスの王ではない。
だけど、『仲間の為』と言われると正直理解し辛い。
大した繋がりもない、何なら恋敵でもある奴らに何で気を配るのか。
わからない。
わからないけど……そのわからない事がSQには悲しくて、だけど自分にわからない事を娘がわかるという事が誇らしくて。
……だから、少しだけ寂しくてちょびっと嬉しかった。
「それでマム。他に手はない?」
「……正直、どの位痛みに耐えられそう?」
SQは今こうしてメディが普通に話しているだけで奇跡であると理解している。
受ける激痛は吸われる魔力に比例する。
その理屈で言えば、発狂していないのがおかしい位であった。
「こんなん将来の事考えたら大した事ないわよ」
「将来って?」
「えっ? その……赤ちゃん産む時……とか……」
「もじもじしてあざと可愛いわね私のメディちゃんは本当に……。あ、関係ないけどお産の時大した痛くないと思うわよ?」
「どうして? 痛いし死ぬ人もいるって聞いてるけど?」
「サキュバスだもの。痛みも快楽に変換されるわ。メディちゃんの場合は……多幸感になると思う。性より愛寄りだから」
「そう。それは嬉しい様な残念な様な……。まあ、無事に生まれて来てくれるなら何でも良いわ。それで、その快楽変換って今は出来ないの?」
「無理よ。性に関わる事だもの。メディちゃん痛みに喜ぶドエムじゃないでしょ?」
「クロスに貰える痛みなら喜べる自信あるけど」
「貴方の前だけは奴隷でも娼婦でもってか。かーっ! 可愛いなぁ本当に!」
ばんばん地面を叩き喜ぶSQを見て、メディは思う。
――相談する相手、間違えた……。
家族想いで寂しがりのSQに、家族想いでかつ痛みで思考がまとまらないメディ。
それで一旦でも雑談に流れようものなら、話し合いなんて出来る訳がない。
とは言え大好きなマムにそれを言えば百年位落ち込みそうだから、何も言わずそっと会話を打ち切り現実世界に意識を戻した。
マムとの会話が頼りになったとは、流石のメディでも言えなかった。
だがまるっきり無駄と言う事ではなく、きっかけにはなった。
存在した瞬間に羽虫程度なら滅ぶから無意味な過程だが、同じ魔力関連でもSQならどうにでも出来る。
単純に生物としての格が違い過ぎるからだ。
殺す事が出来ず、封印処置された先を己の世界としたSQの存在定義は王というよりも神に等しい。
純粋な神ではないけれど、力の質はそれに準ずる。
流石に真似をする事は出来ない。
SQの様な不条理な例外になる事は不可能である。
それでも、例外が居るという事は即ち、『魔力全てが駄目』と言う訳ではないという事だ。
要するに、考え違いをしていたのだ。
魔力が効かないから魔力を使わないでどうにかしようなんてのは完全に負け犬の発想だった。
魔力が通用しないなら、通用する様にすれば良い。
自分の長所を捨てて一体何が出来るというのか。
既存の方法ではなく、全く新しいプロセスを持ってアンチ魔法使いを打ち破る。
それはつまり、常識を破壊するという事。
新しい常識を制定するという事。
世界を変えると言っても良い。
正直、自信はない。
確証なんて全くもてないし、不安要素は無限に出て来る。
それでも、メディはやり遂げるつもりであった。
どうすれば良いか、筋道だけは立っている。
そう……魔力が通用しないなら――ならば!
「何かやばそうね。助けたげるから動かないでね」
唐突にメリーが現れて、そのまま武雷を一刀。
雷バチバチ巻き起こり、羽虫は全て死に絶え地に堕ちた。
強い覚悟を持っていたメディを取り残して。
「……え? あれ?」
ぽかーんとした顔で、メディはメリーの方に目を向けた。
「何? 感謝してくれても良いと思うけど……何その顔?」
「いや……その……今やろうとしてたというか……こう……覚悟決めてた感じと言うか……」
「はいはい言い訳言い訳。何よその今やろうとしてたのにお母さんに言われたからやる気なくなったみたいなの」
ケラケラ笑いながらのメリーに、メディは小さく苦笑した。
「いや、そうね。上手くいくかわからなかったし。ごめんなさい。遅くなったけど助かったわ」
「そうそう素直が一番って。んで、参考までにどうするつもりだったの?」
「ん? こんな感じ」
そう言ってメディは自分の手の平に魔力を集めた状態にしてみせた。
「悪いけど見てもにゃーんもわからないわ。つか普通の人は何となくしか感じないのよ魔力って」
「そか。ほら、ちょっと前のニンジャいたでしょ?」
「居たわね。トンチキタイツマン」
「アレのやってた事思い出して真似しようとね」
「出来たの?」
「何となく程度だけど」
やっていた事はつまり、魔力を練り込むという事。
メディらしくない曖昧な表現だが、あまり理解出来ていないからそんなニュアンスでしか話せなかった。
『魔力に自分の属性をねじ合わせ別の力に変える事』
これがメディの出来る精一杯の表現。
だが、これもおそらく六割位しか当たってないだろう。
魔力を練り込み加工する。
だから、それは厳密には魔力ではない。
それ故に、この力は羽虫に吸われずメディの手に残っていた。
「んじゃ何とか出来たの?」
「いや、手の平に纏う事が出来たけど、それだけ。こっからどうやって魔法? 忍法? まあ良くわからない術に派生するのかわからなかった。手で術式を構築すると思って一応手に纏ったけど……」
メディは手を見ながらわきわき動かしたりぶんぶん振ってみたけど、特に何の変化もなかった。
どうやら、見ただけではあの術式は真似出来ないらしい。
「と言う訳で何とか出来たとしてももう少し時間かかったと思うし、本当に助かったわメリー」
「……素直に逃げなさいよ」
「逃げなかった理由位わかってるでしょ?」
「……はぁ」
メリーはあえて答えを言わず、溜息を一つ吐いた。
全にして一、一にして全。
アラミタマは全てが同一個体。
役割に差はあれどそこに優劣の差はない。
キングと言っても王としての役割を担っていたというだけ。
クロスの対峙したアレは、ただ王という名の歯車に過ぎなかった。
彼らは所詮パーツである。
役職や能力で格差など付かない。
集合個体であるが故に等しく等価値で、等しく無価値。
増えようが減ろうがアラミタマという存在定義出来れば何も問題は生じない。
唯一例外であるのが『コア』。
コア以外は幾らでも代えが効くがコアはそうはいかない。
コアはアラミタマがアラミタマであるとされるその原因。
エネルギー元であり、構成パーツの中心であり、存在証明。
つまるところ、加工された神の魂そのもの。
分割され加工され壊され殺された魂だが、大部分がそこに集約されている。
為遥か彼方にまで時を巻き戻せば神をそのまま復元する事さえ叶うだろう。
そんな事出来る者はこの世界にはいないが。
コアは滅ぼされたら終わりであるが、同時に最も強力な個体となる機能も持ち合わせている。
使わずにしまっておく。
それが出来る相手であるならそうしただろう。
だが、それが出来る相手ではない。
最も優れた駒を使わずに何とかなる程この個体群は弱くなく、それどころか隠しておいた方が探され危険であるとさえアラミタマは判断した。
そして最強の駒であるコアを誰の元に送ったのかと言えば……。
ステラの前にいるそれは、『獣』だった。
直立二足の人型だが、全身獣毛に包まれ獣の耳、爪、牙を持つそれは虎の獣人に限りなく近い。
ただし、獣人にはあり得ない特徴を二つ程持っているが。
一つは、『真っ赤で半透明』な事。
ステラがどうも対処出来なかったあの霊体みたいな姿。
その特徴を、新しい敵もそのまま持引き継いでいた。
ステラが対処出来なかったから、コアの避難場所も兼用しているなんて事情もあるがそれをステラが知る事はない。
そしてもう一つは、『燃えている』事。
比喩でも何でもなく、その半透明の赤い獣人は全身から高熱を発し、熱を纏い、周辺が燃え盛っていた。
ステラは自分の服装が白から黒になっている事に気付く。
これはクロスの花嫁である己を表すステラのデザイア。
クロスと心から繋がり、心さえ共有しても理解し合えない事を愛おしく思う比翼の姿である。
クロスが人であるなら人として寄り添い、吸血鬼となるなら夜の眷属として傍に立つ。
つまり、クロスの方もそうせざるを得ない相手と戦っているという事になる。
武術家の様に拳を構えるその半透明の虎獣人、『ハート』をステラは見つめ、剣を構えた。
まともに戦ってどうにかなる相手じゃない事はわかる。
だけど、これは自分だけでどうにかしないといけない相手でもあった。
唐突に、嫌な予感が走って来る。
ゾッとする様な、悪寒にも似た感覚。
勇者時代から培ってきた剣以外のもう一つの武器。
才能と訓練により磨かれた『勘』の良さが、ぞわりとした恐怖を訴えて来た。
即座に横に回避した次の瞬間には、ハートはステラの背後の方に回り込んでいた。
見えなかったが、動作的に見ればまっすぐ突っ込んで来て爪を振った様である。
もしも避けていなければ、その爪により引き裂かれていただろう。
想像していたよりも、いや想像さえ出来ない程ハートは早い。
獣人の特色を持っているからある程度早いというのは想像していたが、想像を遥かに凌駕している。
稀代の才能持ちであるステラが眷属化した状態で視認できない速度というのは常軌を逸していた。
「っ! だけど、見えない程度で!」
吼え、斬る。
そう……見えない程早い程度では諦める理由には程遠い。
夜とも言えるドレス姿を、この花嫁姿を身に着けているからには、この程度で折れる訳にはいかなかった。
ありがとうございました。




