朱雀門ご乱心事変(前編)
意外な一面と言えば意外であるが、妥当と言えば妥当。
今回の事で、クロスはエリーに対してそんな感想を抱いた。
エリーは兵士から魔王の騎士となり、そして今はクロスの騎士という経歴となっている為、軍に長く属している。
それらの生活は当然厳しい訓練や過酷な生活を強いられる様なものであり、その経験故エリーは鋼の様な自制心を持っており、常に冷静でいつもはふざけてはっちゃけるクロスを窘める側だった。
そのエリーが自制する事すら忘れ、怒りに身を任せるというのはクロスにとって少々の予想外である。
とは言え、それに納得出来る部分はある。
昔のエリーは余裕なんてもの欠片もなくて、張り詰めた空気をしていたが自分の元に来た後はどこかゆったりとした空気となっていた。
それはクロスのお陰で変わった、というよりは、エリー自身の大切な物が変化したからに他ならない。
だが、それはエリーが別の存在になったのかと言えばそんな事はなく、スタンスですらも前とは何も変わっていない。
一番大切な物を心底大切にして、その為だけに生きるというスタンスは、全く変わっていなかった。
だからこそ、その大切な物を貶されたエリーが爆発するのは、ある意味で言えば納得出来当たり前な事だった。
当然だが、他所様の庭である蓬莱の里で名代という立場の自分達がもめごとを起こすというのははっきり言って良い事ではなく、場合によってはアウラに迷惑がかかるだろう。
それがわかっていても、クロスはエリーを叱る事はない。
なぜならば……。
「悪いとわかって居ても、俺の為に怒ってくれたって思うと、やっぱり嬉しいよなぁ」
そんな情けない事を口ずさみ、クロスは顔を綻ばせながらその怒ってくれた従者の元に向かっていった。
「おーいエリー。そろそろ落ち着い……」
その様子を見て、クロスは息を飲んだ。
その場では誰も暴れておらず、場は静寂に包まれている。
だが、エリーが落ち着いたかと言えば、そんな事はないだろう。
鬼の男を四つん這いにしてその背に居丈高な態度で座り、ついでの様に別の男の背に足を乗せるエリー。
これが落ち着いている様に見えるのは相当のマゾか変態位だろう。
「おや我が主。もう少々お待ち下さいませ。今誰が一番か体に仕込んでいるところですので」
そう言って座ったまま、足下にしている男の背にエリーはかかとを叩きつける。
その足下にされる獣耳の男は俯いたまま、ぷるぷると震えていた。
「エ、エリー。悪い事は言わない。そろそろ止めとけ。な?」
冷静に、言い聞かせる様にエリーの為にクロスはそう言葉にした。
「もう少々お待ち下さい。特にこのポチは私に未だ反抗的な態度を取りますので。あとこのいぬっころさえ躾ければ止めましょう」
「たぶんだが、それ何しても無駄だぞ」
「どうしてでしょうか?」
クロスはそのいぬっころと呼ばれた獣耳の魔物の様子を見る。
俯いて、ぷるぷる震えて、ぽちとかいぬっころとか貶されたら時折ぴくんと反応して。
それは……その様子は……。
「いや、こいつ目覚めかかって……いや、完全に目覚めた様子だし」
「はい? どういう事ですか?」
「いや……たぶんだぞ。俺にその趣味ないからわからないからたぶんだけど……そいつ、嬲られて悦んでるわ」
「……は? ……え? 気持ち悪……」
びっくりするほど冷たい目で、エリーはそう吐き捨てる様に言う。
たったそれだけの事だがその男的にはツボだったらしく足下にされた男ははぁはぁと息を荒げていた。
まるで何事もなかったかのようにそっとエリーは立ち上がり、クロスの横に移動した。
蹲り、地べたにくっつく男達という地獄絵図を見ないフリして。
クロスにその趣味はない。
ないのだが……少しだけ、今の冷たい表情で見下すエリーの顔を見ると、本当に少しだけ、その気持ちがわかってしまいそうだと思った事は、生涯誰にも言わない様にしようと固く心に誓った。
「あー。正直このまま何もなかったかのようにしてどこかに行きたいんだけど、そうもいかないわな。だから本当は聞きたくないけさ……エリー。一体ほど足りないのは、どうしてだ?」
そう、クロスはエリーに尋ねる。
死屍累々と化しここに蹲る男の数は四体。
最初にからんでいたのは五体。
一体足りなかった。
じゃあ逃がしたのかと言えば、その可能性はありえない。
今の状態のエリーがターゲットを逃がす様な、そんな甘い性格じゃない事位考えなくてもわかるほど明確な事だった。
だったら、何か理由があるという事だろう。
「それはですね……どうもこの這いつくばった蟲共は門番じゃないらしくて、こいつらの親玉が門番様らしいんですよ。だからその親分の門番様にこの責任を取ってもらおうと思いまして、あえて見逃しました」
にっこりと、いかにも今日の夜はカレーですよ位の気軽さでエリーはそう言葉にした。
「あ、まだ終わってないんですねはい」
もう深く考えず、とりあえずクロスは同意する様頷いていた。
クロスは怒る時、爆発するように一気に怒るがその分怒りが沈静するのも早い方である。
だからこそ、クロスはエリーは一旦怒りを露わにすると、相当以上に長引くという事を理解した。
それと同時に、あまり怒らせない様にしようと心に決めた。
「んで、どうやら来たみたいですよ主様。その親分さんが」
その言葉を聞き、クロスは遠巻きからこちらに歩いて来る二体の魔物を認識した。
一体目は、五体の中にいた全身緑色の魔物。
全身濁った緑色に加えて手に小さな水掻きの様な両生類らしい特徴を持つ謎の種族の魔物は、自分が行った後の惨劇に緑色でもわかる程顔を青くしていた。
もう一体は、子供位の背丈に小さな角。
小鬼は小鬼でも、蓬莱や本来の鬼の方ではなく、クロスの良く知る小鬼種。
それはゴブリンと呼ばれる種族である。
どうやら、そのゴブリンが彼らの親分で件の門番らしい。
「……治安維持の妨害をして暴れまわって、俺の部下を襲ったってのが、お前らか」
ゴブリンの男はそう言葉にし、クロス達を睨みつける。
クロスは何か言い返そうとするエリーを手で静止させ、代わりに自分が答えた。
「俺達は別にそんなつもりじゃなかったし、それに性質の悪いナンパだったぞそいつらの治安維持って」
一応の確認も込めての言葉。
それに対し、ゴブリンは嘲笑う様な顔をしてみせた。
「俺の子分がそんな事する訳ないだろ。俺の子分が治安維持って言ったらな、何をしようと治安維持なんだよ」
「……オーケー。同類だったのならもう何も言わないさ」
そう言ってクロスは両手を広げお手上げのポーズを取った。
もしかしたら下が勝手やってただけかもしれない。
その幻想が壊れ、クロスは小さく溜息を吐いた。
「拉致されそうになって抵抗しただけなんですけど」
エリーは見下す様な目をしたままそう呟く。
それに対しゴブリンは……。
「聞こえないな。……んで、俺に、いや門番に逆らったんだ。連行してしっかり事情聴取してやる。その後に、こいつらの介護を手厚くすれば、まあ許してやっても良いかな」
その言葉に、クロスとエリーは共に苦笑いを浮かべた。
仕事口調でそんな事を言ってるが、言っている内容はさっきまでの子分共とまるで変わっていなかった。
「魔物界は割としっかりしてると思ったんだけどなぁ」
人間だった時ならこういう事は悲しい事に多々あった。
軍人が仕事よりも民衆を食い物にする事に熱心になり、上役はもみ消しとゴマすりに特化して、気づけば肝心の防衛力が全くなくなっていたとか、そういう話は五万とあった。
だが、魔物の国でこれを見たのは初めてで、クロスは少々落胆を覚えずにはいられなかった。
「ま、こういうのもいますよ。魔王城周辺ではあり得ませんけど、やはり離れたらそういうのはねぇ」
「そうか。……ま、そんなもんだよなぁ」
そう呟き、クロスは溜息を付いた。
「良くわからんが……まあありきたりな言葉で締めておこう。抵抗する様なら……覚悟してもらう」
そう言葉にし、ゴブリンから腰の刀を鞘から抜き放ち、クロスとエリーに向け構える。
その構えを見て、クロスとエリーは底知れぬ恐怖を感じ身構えた。
ゴブリンとは、鬼と仲間の様に語られているが鬼らしい特徴は全くない。
今回のゴブリンは角を持っているが、角を持っていないゴブリンも多くいる位で、ゴブリン本来の能力は鬼と異なり非力で人よりも筋力は乏しい位である。
代わりに秀でているのが、器用さと俊敏さ。
全くもって鬼とは正反対。
冒険者として向いているポジションは、罠関連や斥候。
職業で言えば猟師。
それがゴブリンである。
種族的能力で言えば魔物の中でどころか人よりも低い位で、優れた部分もある為劣った種族とまではいかないが、それでも決して優れているとは言い難い種族。
そんな中間より少し下位の種族であるが、ゴブリンを侮る者は誰もいない。
人間は当然、勇者も、それどころか魔王ですらだ。
アウラもまたゴブリンに関してはアンテナを常に光らせている。
その理由は、時折出て来るからだ。
ゴブリンの中から、とんでもない能力を持った存在が。
勇者であった時も、こっちに来てからもクロスはその話を耳にしている。
ゴブリンの英雄の話を。
時に勇者を倒し、時にドラゴンを配下に従え、時には魔王にすらなった。
ゴブリンと言う種族はそんなとんでもな存在を時折、何故か忘れた頃にぽんと生み出す。
だからこそ、クロスとエリーは目の前のゴブリンに対し、一切の油断を捨て去った。
そのゴブリンが強そうだったからではない。
びっくりするほど弱そうで、剣を構えているとは思えない程迫力がなかったからだ。
一緒に学んだクラスメイトの幼稚園児が素手で構えた時の方がまだ強そうな位。
剣を支える事すら出来てなさそうで、かっこつけの為だけの構えで隙だらけで。
だからこそ、そのゴブリンにクロスとエリーは恐怖を感じた。
こんなに弱いのが門番のはずがないからだ。
それなのに弱そうと感じるという事は、クロスとエリー共に相手の術中にはまってしまったという事。
つまり、相手に力量を把握させないタイプの剣士という事だ。
そう考え、クロスとエリーは格上であると認識し本気でゴブリンに対峙した。
「……ふむ。本能的に察したらしいな。どちらが強いかを」
そう、ゴブリンが言葉にする。
それに対し、クロスとエリーは何も答えない。
答えられない。
何故なら、全く察せていないからだ。
ギリギリの状態となってもまだ、相手の強さが全く見えない。
それは本当に恐怖だった。
「……すいません。油断していました」
怒りが完全に抜ける程の冷たい空気の中、我に返ったエリーはそう言葉にし、クロスに謝罪をした。
「いや気にするな。……ほんと、世界ってのは広いね本当。実力が全く見えない相手がいるなんてなぁ」
強い相手ってのなら無数に見て来た。
実力を隠す強者ってのもまた経験してきた。
だが、ここまでへっぽこな実力に擬態した相手は未だかつて見た事がなかった。
ゴブリンは怯えるクロスとエリーにニヤリと笑い……そして、接近してきて剣を振る。
恐ろしく遅い突進に、スローなのかと思う程ゆっくりな剣。
どこで正体を見せるのか怯えながらそれを見守る。
だが、最後まで正体を見せる事はなく、剣は空を切るだけだった。
「……あれ?」
クロスは首を傾げた。
未だ緊張を見せ、じりじりと後退するエリーと、不思議そうな顔をするゴブリン。
その様子をゆっくり、冷静になってみて……クロスはそのもしかしての可能性に気が付く。
そして、それを試してみた。
もし、ゴブリンがその英雄で本当の強者であるなら、もう何もしても勝ち目はないだろう。
だが、もし……もしも、クロスが今考えている事が正しいなら……。
ゴブリンは空振りをした首を傾げ、そのまま再度二度目の剣を振る。
それにクロスは、特に変わった事はせず、魔力も使わず、そっと足だけ残してゆっくりと避ける。
本当に何もしていないし、実戦でそんな動きをしたら絶対に斬られるというような、油断たっぷりの動き。
それなのにゴブリンはその隙を狙いもせず……そのまま、ゴブリンはクロスの足に引っ掛かりびたーんと地面にボディプレスをかます事となった。
そこでようやく、クロスは理解した。
「うわっちゃー……。エリー。逆だ逆。これ、青竜門のあいつと比べてちゃだめだったわ」
その言葉に、エリーも気が付き茫然とした表情を浮かべる。
そう、逆だったのだ。
ゴブリンの力量が見えなかった訳じゃあない。
ゴブリンがクロスとエリーの力量を把握すら出来ない程へっぽこなのに、信じられない程自信満々だっただけ。
それだけ自信に溢れているからきっと強いと、クロス達がただ思い込んでいただけだった。
「……どうする? エリー」
すっかりやる気を失って目が細くなったまま、エリーは呟いた。
「何か、もう、どうでもよくなってきました」
「奇遇だな。俺もだ」
倒れたままのゴブリンを見ながら、クロスはそう呟き溜息を吐いた。
「ちょっと、これはどういう事ですか!?」
聞こえて来るのはそんなヒステリックとも言える様な、悲鳴に近い女性の声。
どうやら、面倒事はまだ終わりそうにないらしい。
ありがとうございました。




