荒魂(前編)
それは遥か大昔、世界の形も理も、何もかもが異なっていた時代。
神々の時代が愚か過ぎる理由で終わりを迎え、世界が神の手から離れた大いなる変転期。
その騒動の中逃げ、生き延び、零落した神々がいた。
これはその一柱の話。
その神は、良くも悪くも神らしい神であった。
零落したとはいえ未だ大きな力を持ち、不遜たる態度にて人々を当然の様に見下した。
農村にて男だけを殺してみた。
命乞いをしてきた奴だけを殺して覚悟を決めた奴を敢えて生かした。
暇つぶしに生贄の代償として街の護り手をやってやり、飽きたら皆殺しにした。
全ての根本にあるのは、幼稚な悪意だった。
とにかく、愉悦として娯楽として、人々を苦しめ続けた。
何故我という偉大なる神が穢れた地上なんていなければならないのか。
そんな態度のまま、イライラを己のやりたい様に解消していった。
当然、人々も抵抗した。
だが彼らは神に立ち向かう力などなく、ただ無惨に敗北し神を増長させる事しか出来なかった。
守り切れずの悔し涙を見て悦に入り、抵抗したという理由で抵抗者の家族を、人間にわざと襲わせて。
そうやって神は、人を食い物にして生きて来た。
だがそれも終わりは来る。
強者が常に強者である歴史はない。
必ず、いつか終点を迎える。
零落し落ちぶれていくだけの神と、生物として力をつけていく人々。
逆転するまでに、そう永い時間はかからなかった。
とは言えそれはギリギリの勝負であり、神殺しは為せず封印するまでが精々であった。
封じられながら神は人々を呪った。
『いずれ必ず封印を破り、人間共を滅ぼしてやる』と――。
これははるか昔のお話。
まだ魔物が魔族と呼ばれるよりも更に昔で、魔物が人と呼ばれ人が家畜であった時代の話である。
それから、長い歴史が積み重ねられた。
何度も文明は崩壊し、何度も世界は終焉を迎え、繰り返し歴史は積み重ねられかつての名残は遺跡位。
そんな時代に、神の封印は解かれた。
神は不運された長い歳月にて怒りと憎悪を増長させ、人々を滅ぼさんと動き出し――そして、絶望を目の当たりにする。
歴史という物の恐ろしさを、神はその日知った。
長い歴史により積み重ねられ研究された殺しの技術、戦術。
研鑽され、鋭さを増した魔法。
そして何より、その時神が対峙したのは勇者と魔王である。
最も優れた力を持つ魔王と、人を護る為に選ばれた勇者。
人魔大戦という魔境の中牙を研ぎ合った彼らと比べたら、零落し怠惰に過ごした神など子供でしかなく、恐ろしい程あっさりと封印された。
今回は初回の時の様に多くの命を犠牲にした上でのギリギリの封印ではなく、余力も残しての敢えて滅ぼさず封印した。
神という存在を、研究する為に。
魂の研究としてバラバラに引き裂かれ、長い永劫とも言える時間苦痛の中で苦しんだ。
拷問に次ぐ拷問、実験という名目での残虐行為。
生物でないからという理由にてありとあらゆる苦痛を押し付けられて、そうして『苦痛を受ける程力を発揮する武器』という形に変わった。
実験の最中に文明が一つ崩壊し、歴史が一つ先に進み、かつての所業は忘れられた。
神が居たという事さえもう彼方に去ってしまった。
その結果『忌々しい兵器開発に利用された哀れな犠牲者』という側面のみが残った。
こうして神は死んだ。
神である事を忘れられた事。
それが、神としての彼のトドメであった。
神でしかなかった彼は存在が定義出来なくなり、そのまま崩壊した。
残ったのはただ苦痛を感じ続ける魂なんて、哀れ以外に表現出来ない何か。
滅ぼす事も破壊する事も叶わず、利用する方法さえもわからず。
後世の彼らは『先史文明の哀れな被害者』であるそれを、痛みを感じない様封じる事しか出来なかった。
これは加工され過ぎて原形を失った魂であり、残ったのはただ苦痛を味わう機能だけ。
常人ならば、あまりにも哀れ過ぎてこれに手を出そうとは思わないだろう。
そんな物をアリスは手にして、喜々としてかつての歪んだ実験を再開した。
当然だろう。
この世界でアリスだけは、それの正体を知っていた。
これが神の成れの果てであると知るのは、今はもうアリスだけだった。
零落したとはいえ神で、しかも他の『神造兵器』と異なり魂の大半が維持されている。
不老不死を目指すアリスが実験してみない訳がない。
そんな理由で実験という名目での拷問を繰り返し、アリスにとっては実験失敗結果であるが、それは誕生した。
『霊的殲滅兵器、神造兵装アラミタマ』
名前の如く、ただ相手を殺すだけの兵器である。
それは思考と呼ぶ程深い物でもなく、本能と呼ぶ程生物的な物でもない。
目的を定める能力はないがその目的を果たす為に工夫をするだけの能力は持っている。
そういう意味で言えば、生物に似た特定を持っていると言えるだろう。
問題は、それが『知性』でないというだけで。
だからその知性にも似た『機能』を理解しようとする事さえ間違いであり、それは生物とは根本的に分かり合えない。
そういう風に、アリスに造られた。
今アラミタマは汎用プロトコルの使用を中断し、応用プロトコルへの移行を取りやめ専用プロトコルを導入しようとしていた。
機能的に遊びが効き、毒という致命を持つサソリ型の攻撃手段。
これは極めて汎用的でかつ応用が効くアラミタマの現汎用装備である。
その汎用装備が、この五体の個体には通用していない。
それぞれ得意な装備に合わせカスタマイズしても全く難なく突破される。
であるならば、彼らには応用プロトコルが機能しない可能性が高い。
故に、対策特化した装備、専用プロトコルが必要である。
そう、機能的に判断した。
「呆れる程に正しいわね本当に!」
メリーはこの状況に叫ぶ他なかった。
そう……敵の行動はメリーでもきっと同じ行動を取ると確信する程に効率的であった。
『少数の冒険者チームを見たら分断しろ』
全くもって嫌な程に正しい。
周囲を見渡すがクロス達の誰の姿も見えない。
分断してくると気付いていたのだが、何も対処出来なかった。
気配は感じるからそう遠くにはいないだろうが、現状探す余裕もない。
運よくどこかが合流してくれたら良いが……意図的な分断である以上そう簡単にはいかないだろう。
なにせそう離れていないはずなのに周りの戦闘音は一切ないのだから。
確実に、何かされている。
「っと。危ない危ない」
ちょっと考え過ぎて当たりかけた矢を避け、メリーは矢が飛んで来た背後の方に目を向ける。
遠くに何の特徴もない村人が五人、こちらに弓を構えていた。
中肉中背で特徴のない顔立ちをした普通の布の服の五人。
それは特徴もないとしか表現できなかった。
五人全員同じ顔という特徴はあるが。
メリーはこの大して強くない相手の行動が『探り』であると理解していた。
そうやってこちらの手の内を探り、そしてそれに適した装備を用意するか、または作り出す。
そういう機能しか相手にはないからだ。
無から有を作り出せないから、改良を中心とするから、この様な事しか出来ない。
「つくづく似てるわね……本当」
もしかしたらこれが自分の未来の姿かもしれない。
そう思うと、メリーはちょっとだけ自分の事が悍ましくなった。
「他の皆大丈夫かなぁ」
この手の相手は下手に手の内を見せすぎたり切札を切って耐えられたりしたらもう大変な事になる。
同時にスペックだけで見ればソフィア以外はちょっと対処を誤るだけで殺されかねない。
クロスはこの手の相手が苦手そうに見えるが、経験が多いから案外大丈夫である。
伊達にメリーの弟子をやっていた訳ではない。
だから問題は……。
「一番やべーのは……メディだろうなぁ」
どうにか合流出来ない物かと考えるが、やはりそれは難しそうだ。
目の前に見える敵の数は十四まで増えている。
十の弓矢部隊に四の前衛剣士部隊。
こちらの突破力が低い事からの配置だろう。
「探ってくるねぇ」
そう言いながら、メリーは迫って来る剣士の腕をナイフで切り落とす。
幾らメリーの攻撃力が低いからと言って、鎧もつけていない相手に苦戦するメリーも弱くはない。
いや、攻撃力が低いのではなく、メリーはそう見せているだけである。
「……手応えは完全に人間ね。って事は模倣でなく情報取り込み型のコピー。んで改修してくる感じかな」
相手に対抗し情報収集をしているメリーに訴える様に、腰に携えた武雷がガタガタ震え出す。
俺を使えと言っている事はわかるが……。
「おだまり!」
そう言ってメリーはぺしんと武雷を叩く。
数少ない突破力ある武器を、この序盤かつ探り合っている状態で使える訳がない。
特に、これ系の手合いには同じ行動は二度通用しない可能性が高いのだから。
「あーもう! 不安だなぁ」
叫びながら、メリーは投げナイフで弓部隊をちくちくと削っていった。
アラミタマはそれぞれに様子見の戦力を放った。
メリーには人の軍隊。
アラミタマが喰らったかつての部隊を再現した物を。
ソフィアにはドラゴンを。
あっさりと圧殺された事により成体のドラゴンとなったが。
クロスには天使部隊を。
つい先ほど取り込んだそれをそのまま流用した。
対処出来ない程ではないが、余計な自意識がない分元の天使より質が悪くなっていた。
メディールには『羽虫』を。
様子見である事に違いはないが他とは少々事情が異なる。
メディに襲い掛かる小さな無数の羽虫、それは魔法使いの天敵でもあるからだ。
はるか昔に滅ぼされた虫の再現体。
その特性は『魔法による攻撃を受け付けず』また『攻撃対象の魔力を吸い尽くす』という物である。
ただまとわりつかれているだけだが、今メディは拘束され膨大な量の魔力を奪われ続けている。
更に、吸われる魔力の量に比例し動きが遅くなり痛みが走る様になっている。
だからメディの状態は、常人なら既に五人位は廃人と化す程の魔力を吸われ、途方もない激痛を耐えている最中であった。
為す術なくやられているが、はっきり言って耐えているだけで正直奇跡である。
なにせこれは言葉通り魔法使いの天敵。
虫が滅ぶまでは『魔力が多いなら見かけた瞬間逃げろ』が鉄則であり、このために魔力がほとんどない前衛が重宝された時代があった位である。
それの奇襲を受け生きているだけで十分メディは規格外と言えた。
半透明で前のめりに立つ二足の獣。
それは、ステラにはそうとしか表現できなかった。
わかっている事はこれまで数多くの人、魔物を切り伏せて来たステラにとっても未知なる相手と言う事。
前例がない程に特別な個体であるという事だけだった。
狼を彷彿とさせる犬系の特徴を持ち、前足の鋭い爪を振りかざし攻撃してくる。
ライカンスロープを更に獣に寄せた様なというのがしっくりくる表現だろう。
ただし、真っ赤で半透明だが。
ゴーストという魔物の様な特徴を持つが、それらとは全く異なっている。
少なくともゴーストならば容易く殺せる。
だがこいつは……。
ステラは静かに剣を振る。
斬撃の極地、世界さえも見逃す見えない刃。
だがその刃に手応えはない。
極地の刃はただすり抜けるだけ。
今のステラは概念に至っている。
それは『斬ったという事象を確定させている』と言い換えても良いだろう。
それなのに通用しないというのは普通ではない。
しかも……。
獣は爪が大きく縦に振るい、ステラに襲い掛かる。
回避した後、その爪は地面に大きな三つの傷痕を残していた。
こっちの攻撃はすり抜けるのに、あっちの攻撃は物理法則に適応される。
もしかしてと思い爪を狙って斬ってみたけれど、やはりすり抜けた。
相手だけ一方的に攻撃出来る。
全くもって不条理である。
どうしようか少しだけ悩み、ステラは最もシンプルな手段に出た。
出来ない事は、出来そうな人に頼れば良い。
『クロス、聞こえる?』
交信にて呼びかけ、反応を待つ。
流石の相手も魂の契約による問いかけなんて想定している訳がなく、連絡はあっさりと通じた。
『ああ。そっちはどうだ?』
『ごめん。さっきの獣に襲われて結構きつい。倒す手段がない感じ』
『すぐに合流する。そっちに行くから粘ってて』
『了解』
会話はそれだけで十分。
互いの状況や大まかな位置まで把握出来るからこれ以上必要がなかった。
数分してから、クロスから交信が入った。
『すまんステラ。ヘルプ』
『何かあったの?』
『透明な壁があってそっちいけん。ついでに言えば俺じゃ壊せん』
『わかった。やってみる』
ステラは迷わずクロスのいるすぐ傍まで移動した。
だけどそこにクロスはいない。
壁なんて物も見えず気配も感じない。
だが、ステラは信じている。
クロスはここに居て、そして自分達を阻む壁があると。
本来ならば、斬ったところで空を斬る事しか出来ない。
文字通り空間が断裂している状態である為、それは斬ってなんとか出来る様な事ではない。
ステラの才能は良くも悪くも斬る事に特化しているのだから。
だけど、ステラは心の底から信じ切っていた。
そこに壁があると。
花びらが舞い、ステラの服装が白いドレスに変わった。
繋がりが、デザイアが、想いが、その刃に乗った。
ない物を『認識』した。
ない物をあると信じ切った。
故に、あり得ない事であっても彼らにとっては当たり前の現象であった。
ステラは彼らを隔てる『存在しない壁』を引き裂かれた。
空間の隙間から、互いの顔が見える。
彼らはそのまま、相手の空間に入り入れ替わった。
「ステラ頼んだ!」
「わかった。気を付けて!」
たったそれだけの会話で、互いの敵を交換しようという作戦が成立した。
その獣と相対し、クロスは気を引き締める。
あのステラが通用しなかった敵である。
真っ当な方法で何とか出来るなんて思っちゃいない。
だから、それは慎重と呼ぶより臆病と呼ぶ方が近い位の立ち回りであった。
限りなく引き気味に、びびっている様に見える位控えめにトレイターを握る。
そしてさっと接近し、ちくりと牽制の突きを一つ放ち、距離を取る。
当たらない事を想定したその一撃は、何故か不思議とぷすりと刺さった。
「……あれ?」
偶然か、それとも油断か。
訳がわからないとばかりに離れた位置から魔力を斬撃に変更し飛ばしてみる。
すると今度はすり抜けた。
ああ、なんだ、じゃあやっぱりさっきのは偶然か。
そう思いながら相手の爪を避け、反撃に側面からトレイターを振る。
ざくり。
何故か、確かな手ごたえがそこにあった。
獣は悲鳴こそあげないものの、明らかにダメージを負っている。
ついでに斬られた部分から赤い靄の様な煙が噴き出て周辺が若干赤色が薄くなっていた。
「……あるぇー?」
戦々恐々という気持ちだったのに拍子抜けしながら、クロスはちょっと気合を入れ、斬撃を入れる。
獣は当然の様に真っ二つとなり、そのまま霧散した。
同じ神造兵装同士ならば、次元を超えた神の魂さえ斬り裂ける。
そんな事知る由もないクロスは、何とも拍子抜けなやるせなさをひしひしと味わっていた。
心にもやもやを抱えたまま、クロスはステラと合流しようとして……
「あれ? どこだっけ?」
壁の裂け目は消えていて、更に言えばステラの気配も随分遠くにある様だった。
『ステラ。今どこにいる?』
『え? ごめんわかんない。私は壁付近から動いてないよ』
『後ろに壁ある?』
『ない。……不味った。そっちは大丈夫? ヤバい感じ?』
『いや、あの獣は……瞬殺だった』
『流石クロスだね』
『いや、たぶん俺じゃなくて相棒様のおかげだわ』
『それも含めてクロスだから。それでどうする? どうやって合流する?』
『どうしよ――いや、相手さんがわかりやすい目安用意してくれてるわ』
そう言ってクロスは小さな城の方に目を向ける。
城のすぐ傍に男性が立っていて、じっとクロスの方を見ていた。
ただ見ているだけでビリビリとする威圧と、これまでと異なる遥かに巨大な魔力。
あれが自分の敵であると判断するに十分だった。
『ん、こっちも何か来た感じ』
『んじゃ、お互い切り抜けるか不味くなったら再度連絡で』
『了解。気を付けてね、クロス』
『おう。そっちもな』
交信を切ったその瞬間に、クロスはピュアブラッドモードに肉体を移行した。
そうする事で自分の強化だけでなくステラも同様の眷属としての強化が施され、若干だがメリーも強化される。
要するに、ここからが本気と言う事である。
それは別段知恵を使った訳でもなければ経験則と言う訳でもない。
相手の様子見が終わったからここからはもう手加減する必要がないという事を、クロスは本能的に判断していた。
ありがとうございました。




