一枚目の手札
泥。
水気のある緩んだ土にしか見えない為、他に表現しようがない。
だから最初は、それはただの泥だった。
雨あがりでもない渇いた地面から染み出て来た水たまりの様な泥。
意思は感じられないし自然現象にしか見えない。
だけど、確かにクロスは……死を直感した。
何時もの死線……いや、かつて人間であった頃幾度となく味わったあの脅威。
力なき人間であった頃レンフィールドと出会ったあの頃に近い、圧倒的な死をクロスは感じていた。
「止まれ!」
ハンドサインを出す事さえ忘れ、クロスは叫ぶ。
クロスの命令だったからだろう。
全員何の躊躇もせず命令に従って立ち止まり、即座にクロスの方に合流した。
「どうしたの?」
ステラはそう尋ねるが、クロスは何も答えられない。
クロス自身何が起きているのかわかっていないからだ。
「わからん。ただ……何かヤバい感じが……」
確かにVOIDは危険である。
実力そのものは格下だが訳がわからん手札を山ほど抱えていて、その上触れただけで死を感染させる。
驚異的な格上殺しであり油断する事は出来ない。
あっさり倒せているクロス達でさえ長期戦となれば精神的負担を抱える位には恐ろしい相手であった。
だけど、今感じている死はその次元じゃない。
死を感染させ死を操り対象を死人とするVOIDより遥かに濃厚かつ直接的な死の予感。
それを感じているクロスが、途方もない厄介事であるという確信を持つ程に。
その直後だった。
VOIDの一体が、とぽんと音もなく泥に吸い込まれたのは。
数百の内のたった一体であっても、丁度正面だったから彼ら全員それを目撃していた。
「……出てこないわね。底なし沼かしら?」
泥から上がってこないVOIDを見てメリーはそう呟く。
一早く気づいたのは、メディだった。
「いや、何か死んでる? 機能停止? ……というか姿形になくなってない?」
魔力波長を見て、そこにいない事に気付きメディはそう呟いた。
一体泥の中で何が……。
そう思っている最中、泥の範囲が拡大化しVOIDを次々に飲み込みだした。
「何かの魔法ですか?」
ソフィアの問いにメディは首を傾げる。
その問いにイエスともノーとも言えるだけの情報が出そろっていない。
わかる事なんてのは、クロスの予感は正しいだろうという事位であった。
そのまま泥は拡大し続け、大体数百程VOIDは飲まれた。
それでも尚、泥の拡大もVOIDの消失も止まらない。
VOIDは元々知能に乏しかったが今は特にそれが顕著で、まるで自分から泥に沈み込んでいる様だった。
誰かが作ったVOID殲滅兵器か何かか。
そう思っていたら、泥がうにょんとかぷるんとかスライム染みた動きを見せだす。
そしてぽんっと、五十センチ位の小さな泥スライムを生み出した。
底なし沼の上に浮かぶ小さな泥スライムはうごうごと体を変え、そして……。
「……蛙?」
クロスはそれを見て、そう呟く。
かなり巨大だが、緑色のそれは蛙と表現する以外にないくらい蛙だった。
ぽこぽこと泥スライムは生まれ、次々にそれらは蛙になっていく。
外見だけでなく、性質まで変化しているらしく完全に肉体を得ている風に見える。
何故泥の上に立っていられるかわからないが、ゲコゲコ元気に鳴きながらぴょんぴょんと跳ね舞わっていた。
そうして『蛙か?』という質問から『何故蛙?』という質問に変わりそうなタイミングで、蛙はビヨンと舌を伸ばす。
伸びたしたは十数メートル上空にいる天使を叩き落としていた。
「な、何!? 何事!?」
いきなりな事で現状が理解出来ていないらしく、天使は泥に体を沈めながら混乱しきっていた。
だが、天使が泥に沈む事はなかった。
泥に沈むより先に、蛙は大きく口を開き……。
自分よりも遥かに大きな天使をぱくっと一口。
そして蛙はごくんと飲み込み、五十センチ程から二メートル位まで急成長した。
「これ、何?」
監視映像に映る姿を見て、クィエルはアリスに尋ねる。
自分でも何を尋ねたら良いのかわからない位意味のわからない状況に陥っていた。
「相手に合わせて形状変化させるのよ」
「はぁ……」
「それより監視映像映す天使もっと後ろに下げさせなさい。あんたその範囲じゃ巻き込まれるわよ」
「そんなヤバいです? 見る限り大した事なさそうですが……」
「私の手札よ?」
「絶望的なまでに説得力ある言葉ですね」
クィエルは即座にリンクを遮断し、次の天使を探す。
使っていた天使にわざわざ命令を下すよりは適した場所にいる天使を探した方が時間的にも労力的にも楽であった。
そして別の天使とリンクし数秒後に映像を読みだしてみると……先程までクィエルが使っていた天使がどこかにロストしていた。
どこかというか、どうせ蛙の腹の中だが。
「割と間一髪でしたね」
「そうね。あんたにどの位フィードバック行くかわからないからただの用心だけど」
「それで、もう少し詳しく教えてくれませんか? アレの事」
「まあ、あいつらがのたうちまわる様でも見ながら暇つぶしに語りましょうかね」
クロス達の方をちらっと見て、アリスはそう呟いた。
「まず、アレに出せる命令はあんたがVOIDに出せる命令よりも更に狭いわ」
「と、言いますと?」
「『動け』と『止まれ』だけ。だから他の手札とは一緒に使えないの。共食いするから」
「ああ……だから他の手札と一緒には……」
「そ」
「なるほど。ただ……今見る限りで言えば正直そう強い様には……」
泥は触れたらアウトと見ても、蛙はそこまで強くはない。
この状況は完全に手綱を離した際にVOIDが一時的な混乱状態になったから起きた現象であり、VOIDをちゃんと使えばこの程度容易く処理出来た。
あのアリスがその他の手段とは違い正しく『手札』と呼ぶ、特別な存在。
自分と同格がこれと思うと、クィエルは少々拍子抜けしてしまっていた。
「まあ、そうね。あんたから見たらそうかもね。でも……あんたが思う程使えない訳じゃないわよ。そろそろ第二段階だし」
「第二段階ですか?」
「そ。言ったじゃない。相手に合わせて変化するって」
しばらくしてから蛙はまた元のスライムに戻り、底なし沼に溶けて消えた。
どうしてかと思うが、その理由はすぐ判明した。
空に飛ぶ天使が、一匹もいなくなっていた。
ついでに言えばVOIDの姿もどこにもない。
そうして底なし沼だった物は山の様にみるみる盛り上がっていく。
小山となった後は土色から鉛色に代わり、ぐにょぐにょと粘度の様に形を変え、沼から『城』になった。
城と呼ぶにはあまりにも小ぶりだが、石レンガ調で人工建築物の様相をするそれを表す言葉が他になかった。
「あー……何か、何となくだけどわかっちゃったかも」
メリーはぽつりと呟く。
正直わかりたくなかったが。
「何が?」
クロスの問いに、メリーは自嘲気味に答えた。
「こいつの思考パターン」
「と、言いますと?」
「まず、こいつ自身に思考とかはないと思う。生物というよりも機能、機械の類」
「ふむふむ」
「んで、その機能、ないし受けた命令は敵の殲滅。たぶん、なるべく多くだと思う」
「だから数の多いVOIDとか天使を……」
「ううん。優先度合いが高いのは数が多いからじゃない」
「数じゃない?」
「そ。狙ったのは先に処理出来そうだったから、先に処理しておきたかったから」
だから真っ先にVOIDを狙い、次を天使とした。
単純に、邪魔になるからだ。
厄介な相手を倒す時、その邪魔に。
要するに、場を整えていたという事である。
強敵であるだろうグループを相手にする、その下準備。
そうして余計なのがいなくなり下準備が終わったという事は……。
メリーには、呆れる程に相手の行動パターンが理解出来ていた。
そのパターンは、その動き方は、分割思考にて感情を取っ払い殲滅を意識した自分にあまりにも似通っていた。
誰もいない無人の城。
子供さえ入るのが無理な様に見えるかなり小柄な建築物。
その城の中から砲台が生えて、クロス達に狙いをつけて来る。
そうして大砲が放たれたと同時に、どこからともかく攻撃が襲って来た。
正面の大砲に合わせた側面からの鋭い突き。
それクロスは後ろに下がりながら避け、その襲撃者の攻撃を目視する。
その突きは剣ではなく、針。
尻尾の先端に毒針を持った、三メートル程の巨大なサソリがそこにいた。
「クロス!? 大丈夫!?」
叫ぶメディの方にもサソリが向っていた。
「こっちは大丈夫だ!」
叫び、大砲を躱し毒針の尾を切り落とす。
そうして周囲を見て、一番援護が必要そうなメディの元に向かおうとして――。
「クロス! 砲弾!」
メリーの叫びを聞き、即座に意識を背後に向ける。
不思議な事に先程通り過ぎた砲弾がこちらに戻り襲い掛かって来ていた。
速度自体は放たれた時よりも大分ゆっくりだが、代わりに鉄球にはトゲがびっしりとついていた。
避けたその一瞬――鉄球と目が合った。
「ああ……ハリセンボン的な奴なのね」
そうクロスが呟いた瞬間、トゲ付き鉄球のトゲがクロスに射出された。
最初は底なし沼と蛙。
続いて城、巨大サソリ、空を泳ぐハリセンボン。
共通項目さえもない。
正しく適当である。
「一体何ですかこれは……」
呆れ五割困惑五割でクィエルはそう呟いた。
「だから相手に合わせるのよ」
「いや、どうしてそれでハリセンボンなんです?」
「様子見でしょ。相手の動きとか攻撃方法とかに合わせてアップグレードする為の」
ちらっと、戦っている様子を見る。
最初のサソリ五匹はあっという間に返り討ちにあったのに、次に出て来たサソリは若干だが戦いになっている。
ソフィアにはヨロイの様に分厚い皮膚を持ち、メリーには薄く代わりに俊敏なとそれぞれに合わせ調整されている様だった。
「……こいつ一体何なんですか? 生物? 機械? それとも……」
「一番近いのはこれかしらね」
アリスがそう呟いた瞬間、城から何かが出て来る。
半透明で向こう側が見える赤色の巨体。
霊体の様なそれは二足歩行をする獣で大きさは大体五メートル程。
高さは城とそう大差ない位だった。
その巨大な霊体の獣は、とびかかる様ステラに襲い掛かる。
ステラは迎撃として一閃叩き込むが、手応えがない。
まるで霞の様な手応えだった。
だがその反面相手の爪は当たる様で、ステラの腕に浅い斬り傷を与えた。
肉体が本質ではないという意味では、その特性は精霊に近いと言える。
だが、精霊はこんな相手にだけ傷つけるなんて事は出来ない。
それは精霊よりも更に上の特性に見えて……。
「本当に、何ですこれ。一体何て名前なんですか?」
敢えてもったいぶっていたアリスは、ニヤついた笑みを浮かべその名を呼んだ。
「『霊的殲滅兵器、神造兵装アラミタマ』」
「めっちゃ頭悪い名前ですね」
名付け親であるアリスは割と自慢げに、何ならドヤ顔でもあったのだがその瞬間に少しだけ不機嫌となった。
ありがとうございました。




