時間はあれども手札なく
白い陶磁器のカップを片手に持ち、揺らす様にしてアリスはお茶の香りを楽しむ。
まあ、所詮恰好だけだが。
見た目だけの、総てが偽物のお茶会。
白いテーブル、白い椅子、美しい風景。
華やかさは全部紛い物。
今日のアリスは体調が悪い日である為嗅覚も味覚もなく、そもそもお茶は一般的に言えば臭いに相当する薬膳茶である。
テーブルと椅子はクィエルと座る為に用意した偽装テクスチャで、外の景色も室内にそれっぽい物を投影しただけ。
更に付け足すならば、お茶会の相手は飲食を必要としないクィエルである。
偽りのお茶会、偽りの優雅さ。
その行為の本質が世界への侮蔑であると真に理解出来るのは、きっとクィエルだけだろう。
それっぽい偽りのお茶会の中、クィエルはアリスに強く感心を覚える。
見下すつもりはないが、それでもこう言葉にする事しか出来ない。
人間とは、とても思えないと――。
外壁に美しい風景の映像を投射し、椅子と机のテクスチャを変更。
そして自分の周りには常に外の映像を監視する為映像そのものを空中に投影している。
窓枠の様な形で空に浮かべる監視映像の数は十。
どれもこれも天使や機人という機械生命体が行う様な事象である。
それを並列で全て処理しながら遊び心までも残す位に余力を持っている。
天使でなければ出来ない程の高度な演算情報処理を、文字通り片手間で行う。
とてもではないが、アリスを人間と呼ぶ事は出来そうになかった。
「これ、面白いわね」
映像の一つを見ながらアリスはぽつりと呟いた。
「どれですか?」
「Fの奴よ」
クィエルは六番目の監視映像を直接脳内に取り込み、すぐにげんなりした表情を浮かべた。
「面白いって……コメディ的な意味ですか」
その映像には、四人の変態タイツ男がVOID相手に縦横無尽に暴れまわっているなんてB級過ぎるものが映っていた。
「いや、そういう馬鹿なのはどうでも良いの。問題は彼らが使ってるものよ」
「何か変わっているのですか? 単なる魔法にしか見えませんが……」
「いえ、これ魔法じゃないわ」
「じゃあ、何なんです?」
「既存のどれにも当てはまらないから名前なんてないわね。少なくとも私は知らない。だから面白いって言ったのよ」
アリスは魔法についてのエキスパートである。
そんなアリスさえ……いや、アリスだからこそこんな発想は出来ない。
そういった非常に独自色の強い技術体系を構築していた。
「何が違うんです?」
「そうね……。あまり詳しく聞かないでね。説明するのが面倒だから。あんたが魔法について詳しくなりたいんなら、ねっちり講義してあげても良いけど……」
「そのつもりはありませんので適当で構いません」
アリスは小さく溜息を吐く。
こればかりは気持ちや適正があるからあまり言いたくないが、クィエルがその気になれば明日にも世界最強の魔法使いになれるだろう。
魔導機文明時代をベースにするその身体は魔導と機械の共存である。
そんなクィエルの魔力適正は非常に高く、内蔵出来る魔力量も大容量貯蔵タンクとか国とかが比較対象となる。
更に言えば、奪って来た天使の権能には魔法の補助となる物も多い。
それらを全て、狂った情報処理能力を持つクィエルが行えば、その時はきっとアリスさえも超える魔法使いとなるだろう。
アリスでさえ、敗北を覚悟する程の強さを身に着ける。
逆に言えば『だからこそ』クィエルはその力を手にしようとしない。
アリスの敵になる気もないし、敵と思われたくもない。
心情的にも、怖さ的にも。
「じゃあ簡潔に。普通の魔法ってのは物を買う行為、所謂売買と同じなのよ。魔力を資産とし、資産を使って新しい物を生み出す。それが魔法よ」
かなり乱暴な例えだが、アリスにとって魔法とはこれが最も近い表現となる。
魔力は貨幣。
魔法は商品。
貨幣を適切な形で適切な場に支払えば貨幣は商品に引き換えられる。
払い過ぎてもお金は戻って来ずその分無駄になり、支払いが足りないと商品は正しい形にならないかそもそも商品自体来ない。
差異は売買不成立でも貨幣が戻ってこない部分位だろう。
「はぁ。なるほど?」
それが人間的なニュアンスだからか、それとも大天才魔法使いの言葉だからか、クィエルはいまいち理解出来ずにいた。
「その解釈で言えば、こいつら買ってないのよね」
「買ってない?」
「そう。術式構成、つまり購入手続きを行ってないの。例えるなら……こいつらにとって魔力はお金じゃなくて粘土。粘土をこねくり回して道具を作ってる感じ」
爆発だったり雷だったり光の獣だったりレーザーブレードだったりと色々派手な事をしているニンジャを見ながら、アリスはそう評価した。
魔法の使用プロセスを一切行わないそれは精霊の魔力使用に良く似ている。
ただ、彼らは精霊ではなく単なる魔物でしかない。
また魔力を壁にしたり剣にしたり衝撃波にしたりする程度ならば訓練次第で誰でも行えるが、そういう原始的な魔力使用ともその術式は大きく異なる。
手で印を結ぶ事により魔力を己の中にある何かと組み合わせ、魔法に等しい現象を引き起こす。
まるで魔法そのものだが、懐の広い魔法の中にさえこれはカテゴライズされない。
無理やり言葉にするなら魔術となるだろう。
ただ、彼ら自身はその技能を忍法と呼んでいた。
「独自色が強いし才能の有無もあるけれど、それでも魔法程の才能の有無は要しない。更に言えば努力次第で誰でも行える。全くもって面白い技術体系が生まれたわね」
「それで、アリスはどうそれを利用するのですか?」
アリスにとって面白いという事は、使えるという事。
どの様にこの新技術を悪用するのかと言えば……。
「え? いや別に利用する気ないわよ? 現状劣化魔法だし。魔法ってのは研鑽の歴史よ? 古い物程磨かれる。新しい魔法なんてのはどれだけ素晴らしくても石ころでしかないわ」
「ああ。面白いってのは……普通に……」
「そ。知的好奇心が刺激されるじゃない」
「アリスにしては珍しいですね。本当に」
「その位面白いって事よ。私じゃ生み出せないし、発展もさせられない。これだけでも蓬莱を生かしておきたいって思う位に良い技術よ」
そう言葉にするアリスは、本当に楽しそうな顔をしていた。
こうしてみれば、普通の可憐な少女にしか見えない。
だがこれは全て作り物で偽りの顔。
体は病に、心は邪悪に、魂は穢れ。
アリスとはその様な存在。
そんなクィエルさえもが同情するアリスが珍しく普通な事で楽しそうにしているからそっとしておきたいのだが……。
「アリス。良いのですか? 何もしなくて」
クィエルの言葉に、アリスはぴたっと止まる。
小さく一つ、溜息を。
これが現実逃避であるという自覚もアリスにはあった。
アリスは視線を宙に浮かぶ映像からクィエルに戻し、偽りのお茶会を止めた。
草原の様な世界は機械だらけの暗い部屋に。
机と椅子は飾りッけのない無機質な物に。
そしてアリスの表情は、静かに冷たく恨みがましい物に。
「わかってるわよ。良くない事位」
アリスは憎たらしく呟き、別の映像に目を向ける。
Aの映像、最初に映した物で、最優先に映す物。
つまり……クロス達である。
足止めに成功し予想以上に侵攻は遅い。
だけど、彼らは確かに、こちらに近づきつつあった。
無駄だらけだから、アリスと正反対なのだとクィエルは思った。
彼ら一行の目的はアリスの殺害である事に違いはない。
だが、その過程で彼らは天使を出来るだけ排除し、VOIDをなるべく殲滅し、道中みかけた人々は余すところなく救おうとする。
余計な積み荷を自ら背負い鈍重になるその姿がクィエルには酷く歪に見えて、だけどその在り方はあまりにも真っすぐだった。
殺したくなる位に。
アリスの命令通り道中なるべく多くの人々がクロスの道中に重なる様調整した。
機人のルールに接触しないギリギリの範囲で街を襲い、人々を襲い、ついでに盗賊達も襲って追い込んだ。
このペースならここに到達するまでに半年……いや、一年はかかるだろう。
その間にクロノアークは滅ぼせる。
何て事はない、イージーミッションである。
そうクィエルは思っているが、アリスは違うらしい。
「アリス。質問です。本当に、このままだといけないのですか?」
「駄目ね。論外よ」
「……そうですか。アリスがそう願ってくれるのなら、私は全てのルールを無視し、私の全てを使い捨て彼らを殲滅しますが……」
クィエルの献身を聞き、アリスは苦笑いを浮かべた。
「止めて。メンヘラ染みてかなりキモイ」
「でも本心ですよ?」
「十分役に立ってるわよ。それに……」
「それに?」
「あんたに全部やらせたらあんたが裏切った時怖い」
「私が裏切ると思いますか?」
「そういうセリフは私への恨みを全て捨てて言って頂戴」
「……ふふ、アリスには敵いませんね」
そう言葉にするクィエルはどこか嬉しそうだった。
クィエルにとって敵とは、生きとし生ける者全て。
そこに例外はなく、あるのは優先順位だけ。
クロスの様に生き生きとした、活力あふれて幸せそうな奴。
アリスの様に地の底から世界を恨みながら必死に生きている奴。
比べたら、前者の方が憎いに決まっている。
アリスに対し憎しみがないとは言わないが、その憎しみはクィエルが己自身に向けている物よりも弱い位だった。
「じゃあアリス。どうするのですか?」
「……どうしようかしらね」
「アリスらしくない言葉ですね。ギブアップですか?」
「は? ぶっ殺すわよ? そんな訳ないじゃない。積極的に動くには早すぎるってだけよ」
「良かった。それでこそアリスです。で、動くには早いというのは?」
「私が手札と呼べる信頼出来る道具はたった四枚。あんた含めてね」
「ああ。前四魔将とか言ってた奴ですね。他にないんですか?」
「ないわね。道具は無数にあるけど、手札と呼べる程使えるのはあんた含めて四つだけ」
「光栄ですね。それで、手札の条件を聞いても?」
「そうね……」
アリスは考え、指を立てながら説明をする。
一つ、裏切る可能性が限りなく低い事。
二つ、使えば一定以上の成果を確実に上げる事。
三つ、勝手に動かない事。
四つ、いざと言う時切り捨てる手段がある事。
五つ、意思がある場合はクロスと迎合する可能性がない事。
これが、今アリスの手札がたった四枚しかない理由である。
当然、クィエルにさえ隠している切札も別に持っているが。
「と言う感じね、今回の状況では。だから普段ならこれ手札に入るけど、今回は……」
アリスはテーブルの上に古臭い杖を放り投げた。
「これは?」
「対国兵器」
「……これが!? こんな大した魔力も感じないスクラップみたいなのが!?」
「そ。実際に使って滅ぼしたのは盗賊団か街程度だけど、機能すれば大国であっても滅びの道に誘えるわ」
「……使わないのですか? 今回は」
「使えないのよ。効かないから。今回の奴らと相性悪い。ギリでアウラに効くかもだけど……うーん。ちょっと保留ね」
「一体どういう兵器なのですか?」
「秘めた欲望を刺激するだけの物よ。ま、説明するより使った方が早いでしょ」
アリスはクロス達が映る映像を拡大化し、杖を手に取った。
『真実の杖』
それは先史文明にてそう呼ばれていた。
そう呼ばれる様な道具として作られた物だった。
本来の用途は、その人の真実を表に出し、その人の『善悪を判断する』なんてちょっとしたチェッカーだった。
例えば、重要度合いの高い仕事を任せる場合。
例えば、結婚相手の性根を知る場合。
そういう用途で造られたのだが、上手く機能しなかった。
純粋に、失敗作であったからだ。
存在に価値がないどころか害悪であると判断され、廃棄処分された。
その廃棄を偶然免れた一本が、長い歴史の中でアリスの手に渡った。
人という生物は善悪関係なく欲望は秘めている。
むしろ、善人程迷惑をかけない様欲望をひた隠しにするだろう。
そういう隠している部分を引っぺがし、内に秘めた欲望を強く自覚させるのがこの道具の本質である。
たったそれだけの事しか出来ない。
だけど、たったそれだけの事が原因で先史文明は滅びかけた。
これの試作品を幾つか使っただけで国が三つ四つ滅んだ。
それが、その先史文明の崩壊の序曲であったと言っても過言ではないだろう。
例えば……王が自分を必死に律している場合。
例えば……王の側近が王の名誉を羨んだ場合。
例えば……ライバル軍人ばかり出世している場合。
そういう時彼らはどういう欲を秘めているだろう。
そういう欲望を表に引きずり出し、強めればどうなるだろう。
その結果、この杖は製造目的とは大きく異なり対国兵器なんて物騒な名で呼ばれる様になった。
じゃあどうしてアリスがこの国さえ滅ぼす真実の杖を手札にカウントしていないのかと言えば……一番使いたい相手に使ったらどうなるか既に予測出来ているからだ。
VOIDを剣でぶっ潰しながら、クロスは叫んだ。
何かやけにイライラして、何かやけにムカついて、そしてやけに……。
「ああくそっ! なんか知らんが急に今出来ない事がやりたくなってムズムズする!」
「出来ない事ってなーにー?」
ミーティアは猫の様に甘える感じで背中にまとわりつき、尋ねた。
「具体的に言えば料理」
「やれば良いじゃん」
「そうじゃなくて! こう……手間と時間めっちゃかかるタイプの奴!」
「例えば?」
「……カニクリームコロッケとか?」
「ああ……良いねぇ……」
「何だこの……この……すげーもやもやする! やろうと思えば皆の協力で出来るけど足を止める時間はないから我慢しないといけないし……なのに何か無性に凝った物作りたい気分なんだけど、なんだこれ! いやマジでなんだこれ!?」
「ああ……私も口が揚げ物の口になって唾液が出て来る……悲しい……。いや、普段の料理が悪い訳じゃないけど……」
「今晩は揚げ焼きにするから許してくれ。と言う訳でこの憎しみを叩きつける! うおりゃあ!」
雄たけびを上げながら戦うクロスの姿は普段とちょっと違うけれど、それでもだからどうしたという程度の差でしかない。
少なくとも、敵から精神攻撃を喰らっているなんて考えもしない程度の被害しかなかった。
「ね? 無駄でしょ?」
アリスはにこやかに、そして諦めた様子でぽいっと杖を投げた。
クロスは無駄に手間暇かかる料理が作りたくなった。
ステラは何故か突然帽子とかマフラーとか縫物がしたくなった。
メリーは自分に何かの欲が宿った事に気付き、『欲』その物を分割思考にて切り捨てた。
メディは急にパルスピカやアリアに会いたくなって若干ホームシック気味になった。
ソフィアは何時ものソフィアさんだった。
本来ならばこの程度では済まない。
そんな弱い道具ではない。
だけど……彼らは欲と向き合い欲を肯定し生きて来た。
ついでに精神変調に対し滅法強いクロスのデザイアの影響化にある。
故に、この程度でしかなかった。
「ほ、他の奴には使わないのですか?」
「例えば?」
「レンフィールド」
「あいつ口ではどうこう言っておきながら現状に満足してるから無駄よ。ちょっと無能になるかもしれないけど」
「じゃあヴァーミリオンは?」
「ヴァーミリオン? ああ、あのズボラ天使か」
アリスはアリア達が見れる映像を宙に浮かばせた。
そこに映っていたミリアは、アリアとアンジェが食事の用意をしているというのに横になり手枕をしてゴロゴロとしていた。
叱る気配もない辺りもうこれが日常なのだろう。
クィエルは言葉を失っていた。
「……天使なのに……仮にも元ナンバーズなのに……」
「まあそう言う事で、これ無駄というか……これを悪化させる為に使う? 気づかれる可能性あるこれを、現時点でこの有様のこいつに」
「……確かに、それなら他の奴に使うべきですね……」
アリスは静かに、アリア達の映像を消す。
誰かに使うとしても、この三名をターゲットにするメリットはあまり感じられなかった。
「あ、じゃあパルスピカとかどうです? 追い詰められて、欲望も隠して、それでいて崩れやすい新設の王。これ以上ない程――」
「却下よ」
「何故です?」
「あいつ、クロスの息子よ? しかもかなり濃く継承した」
「それがどうしたんです?」
「……いや、説明するのもめんどいから良いわ。却下よ。こいつにだけは何があっても使わない。眠れる獅子を目覚めさせたくないから」
「はぁ……。じゃあ……どうするんです?」
「どうしましょうかね。本当」
「このまま待つだってのももったいないですよね……うーん……」
腕を組み考え込むクィエルを見てから……アリスは小さく頷いた。
「そうね。時間ももったいないしちょっとだけ動きましょうか」
「何をするんですか?」
「そうね。……じゃ――手札を一枚切るわ」
クィエルは慌てそれを否定した。
「ま、待って下さいアリス!」
「何よ? あんたが言い出したんじゃない」
「いえ、アリスのタイミングで行うべきです! それに、たった四枚しかないのに戦力を分散するのは愚の骨頂です!」
「ああ、それなら心配いらないわ。最初からこれ他の手札と一緒に使えない奴だから」
あっけらかんと言い放った後、アリスは<手札>をさっと切って……。
「あ」
「……何ですかアリス。その『あ』は」
「いや……そのさ……今からすぐVOID撤退出来る?」
「彼らに怪しまれても良いなら」
アリスは悩んだ。
VOIDの消費を減らす為に撤退を下すべきか、相手にVOIDの背景や命令遂行能力等を悟られない為に切り捨てるか。
考えて……切り捨てる事にした。
「あちゃー。ちょっともったいない事したけど……まあ良いや。クィエル。クロス中心の半径五キロ圏内のVOIDと全リンク遮断しておいて。フィードバックがちょっと心配」
クィエルは訝し気に顔を顰めながら、言われた通りVOIDを完全フリーモードにし放置した。
「別に良いですが……大丈夫ですか? 一度切断したらこいつら死ぬまでずっと暴れますけど……」
クィエルとVOIDに主従のリンクがあったところで大した指示は出せない。
それでも手綱の様な物であり行動範囲程度は縛れていた。
完全無秩序となり手綱の放れたVOIDは無限に増え続け、下手すればアリスにまで届きうる牙なのだが……。
「構わないわ。どうせすぐ死ぬ」
そう、アリスは言い切った。
ありがとうございました。




