廃棄物であるが故に
それは、極めて純粋な破壊の力。
魔法でもなければ神の恩恵もなく、機械も魔導機文明も関わっていなければデザイアによる効果も受けていない。
だからこそ極めて純度が高く、それ故に現クロノアークにおいて最も破壊に特化した攻撃。
龍が本能ではなく習熟した技術による斬撃を放つ。
それは不条理とかあり得ないとか、そういう枕詞が付く様な事であった。
別段龍が武器を使わないという事はない。
爪は元々使っているし、剣や棒を使う龍も普通に存在する。
ただ、それらはあくまでそういう本能を持ちあわせているというだけの事。
爪や牙の一部が剣に変化したり、尾が槍に変化したり、生み出された炎や氷が武器と化したり、結局の所本人の体の一部を使っているだけ。
誇りを賭けた闘争において、自分の力以外を使うドラゴンはいない。
誇り高きドラゴンが、未熟な剣技を手にし借り物の剣で戦う。
そのあり得ない矛盾であるが故に、フィナの斬撃は常識を超えた。
未熟で未完成の少女の一撃。
それは、破壊力一点だけで見ればクロスやステラであっても追いつく事さえないだろう。
ただし、それはその技が成立していればだが……。
肩からの一閃を受け地面に倒れている彼女だが、まだかろうじて体が繋がっていた。
受けきれた訳ではない。
あれが直撃し無事でいられる生物は存在しない。
受けきれたわけではなく、彼女を斬るよりも先に剣の方が壊れただけ。
フィナの斬撃に剣が耐えられていなかった。
残念ながら、フィナが全力を出せるだけの重量を持つ剣の内で、フィナの全力を耐えきれる物はクロノアークには存在しない。
ナルアがフィナ専用武装として、フィナと相性の良い属性を持つ『石』を超重力にて圧縮を重ね頑丈さに特化させた物を用意しても、この有様であった。
「……今回だけは、これで良かったかも」
持ち手ごと砕け塵になっていく石剣を見ながら、フィナは呟いた。
「どうして?」
ナルアの質問に、フィナは少し困った顔で笑った。
「だって、最期に話す時間がなかったら、きっと後悔するから」
「同情?」
「それもあるけど、単純に、気持ちの問題」
フィナはそう言って倒れる彼女を見る。
確かに、彼女は今はまだ生きている。
だけどそれは時間の問題でしかない。
肩は潰れ消滅し、骨はどこもかしこも砕け、心臓は半壊し、血液はとめどなく外に流れ続けている。
むしろこれで死んでいない辺りで、彼女の龍としての格の高さを証明している位だった。
「ナルア。……何かない? 彼女の事がわかる何か」
ナルアは首を横に振る。
それがわかっていたらとっとと利用している。
どれだけ自分の記憶を掘り返してみても、彼女に当てはまる存在は思いつかなかった。
「ねぇ貴女。自分の事に関して何かヒントない? もしかしたら、私達の知り合いに貴女の事を知っている誰かがいるかもしれないからさ」
フィナは彼女に、まるで友達かの様に気安く尋ねてきた。
とても自分を殺す相手の言葉とは思えない程、気軽に。
それが純粋な好意であるとわかるからこそ、尚彼女は微妙な気持ちとなっていた。
とは言え、気持ちは何となく理解出来る。
龍って生物はこういう、不条理でかつ傲慢であると同時に、素直な馬鹿であるからだ。
「誰も……いない……わよ……」
体のどこからか漏れる空気の中、彼女は何とかそう言葉を紡いだ。
「いやいや。それだけ強いし可愛いからきっと知っている人いるって! 何か覚えている事とか、何かないの?」
「だか……ら、ない……って。わた……クろー……げぽっ」
血が逆流し、器官を塞いだ。
ナルアは窒息しかけている彼女の体を崩れない様ゆっくりと傾け、器官を確保する。
そして彼女の状態を注意深く観察しながら、聞いた情報を脳内で精査した。
『五龍相当のドラゴン』
『記憶を奪われ名前さえも奪われた』
『それを取り戻す為クロノアークの潜入任務に就いた』
そして最後のキーワードは、彼女が嫌そうに、消え入る声で呟いた『クローン』。
ナルアは――完全に彼女の事情を理解する。
彼女の正体から、その背景に至るまで。
理解したからこそ、これはどうあがいても誰も幸せになれないという事にも気づいてしまう。
これなら何も聞かず知ろうともせず、さっさと殺しておいた方が彼女は幸せであっただろう。
そんなナルアの顔を見て、彼女は笑った。
「知って……る、わよ。私の記憶じゃ……ないって……事……くらい……」
そう……彼女が奪われ取り戻そうとしている記憶は所詮『自分じゃない誰か』の記憶。
クローンではない彼女の『本物』の記憶である。
記憶ごと複製され奪われて、その記憶を人質の様に利用された名前なきクローン。
自分の記憶でもないのに失われた事で心に穴が開き、己の抱えている感情の正体もわからず、苦痛に塗れながらそれを求めてしまい言われた通りにするしかなかった哀れな玩具。
存在する意味も意義もなく、そして誰にとっても価値さえない破棄物。
それが、彼女の正体だった。
「ナルア。どうにか出来ない?」
フィナの言葉であっても、ナルアは首を横に振る事しか出来ない。
子供の願いは出来るだけ聞いてあげたいが、答えがない物をどうにか出来る程彼女は全能ではなかった。
そもそも、どうにかと言われてもどうしたら彼女が救われるのかナルアには皆目見当がつかなかった。
「何もないのよ。出来る事が」
「記憶を戻してあげられない?」
「だからっ! 例え記憶を戻しても、それが彼女の為とは……」
「――わかってる」
「……え?」
「わかってるよ。取り戻した物が無意味な他人の記憶だって。それでも、取り戻すべきだと思うの。憎しみも恨みも、後悔も、総て抱えて死ぬとしても……それでも……自分の気持ちだって言い切る為に、あるべき形にすべきだって」
「……普段は子供で、何も言わないのにこういう時だけすぐ決断出来るのね。フィナは」
「あうぅ……ごめん」
「怒ってる訳じゃないから謝らなくても良いわよ。……と言う訳で、間接的だけど貴女の記憶を、こっちの都合で勝手に戻すわ。恨むなら私を恨みなさい」
フィナを恨むなというナルアの言葉に彼女は何も答えない。
いや、答えるだけの体力さえ、彼女には残っていなかった。
「……時間がないわね。フィナ。ちょっと見てて」
「良いけど、ナルアはどうするの?」
「恰好つけておいてあれだけど、記憶を戻すなんてこと私には出来ないの」
「え!? じゃあどうするの?」
「それを出来るお方を連れて来るのよ。ちょっと気が重いけどね」
そう言ってから、ナルアはその場を後にした。
吸血鬼は血を操るのに長けている。
でもその一言で言っているその血とは一体何なのか。
体内に循環する液体?
いや違う、そうじゃない。
少なくとも、吸血鬼にとって『血』はもっと深く広い意味合いを持つ。
吸血鬼にとって血とは魂に繋がる尊き赤であり、命を示す情報でもある。
故に当然、血の中には自身を表す全ての情報、記録が含まれていると信じ切っている。
彼女の記憶を取り戻す術をナルアは持たない。
予想が正しければ彼女の記憶を奪ったのはアリスである。
万年に一人の英雄、人魔戦争を終結させた皇帝クロスでさえ及ばぬと言わしめる怨敵をどうにか出来ると思う程ナルアは思い上がってはいない。
例えナルアが比較的得意な魔法で記憶を消したとしても、間違いなくレジストは不可能だろう。
アリスに魔法対決をしようなんてのは天に向かって唾を吐く様な物だとナルアは理解出来ていた。
だけど、復元やレジストは出来ずとも『彼女のクローン元を知っている誰か』の記憶を『彼女に映す』事は可能である。
そうなれば、視点こそ違うものの、彼女は奪われた記憶を部分的かつ間接的に取り戻せる。
彼女の記憶の一部を再体験させる事が出来る。
それが、ナルアの考えている彼女に出来る唯一の事だった。
戻って来たナルアはそっと、壊れない様彼女にその血液を分け与えた。
銀に輝くその血液を。
本当はその血の持ち主であるメルクリウス本人に来てもらう予定であったのだが、彼女も彼女で戦う事に忙しくこうして血を幾分か分けて貰うのが精々であった。
そうしてその血液を読み解き、彼女のクローン元であろう情報を選りすぐって……彼女にそれを見せた。
メルクリウスから見た彼女の大本『アンジェ』の記憶を。
メルクリウスの部分的記憶、ナルアの知る元五龍アンジェの知識、その二つを取り込んで、彼女は自分の物でない奪われた記憶を思い出した。
かつて五龍であったが里の龍達から舐められていた。
ストレスの限界で里の民全員を皆殺しにした。
それによって五龍を剥奪され追われる身となった。
旅に出た。
追われ続けた。
その果てに、アリスに助けられた。
アリスに命の恩として数度アリスの命令に従った。
しばらくして、クロスに出会った。
龍としてではなく、旅人である事を褒めて貰った。
嬉しかった。
生まれ持っての物ではなくて、自由に生きて身に着けた自分を見てくれた事が、本当に。
そうして褒めてくれた人を、自分の英雄となれたかもしれない人を、最悪の手段を持って苦しめた。
その人の大切な誰かを拉致し、龍として最も気高く誇り高い英雄との決闘を汚した。
大好きな人同士で、無理やり殺し合いをさせるなんて方法で。
ついでに、自分も自分の意思でクロスを殺そうとした。
世界の敵となり、悪となり、やってはいけない恥知らずな事を重ねて……それなのに、恨まれずに、許されてしまった。
終わる事さえ出来なかった。
やっと、彼女は自分がずっと感じていたこの激しい衝動、正負さえ理解出来ないこの気持ちの正体を理解した。
その名は『罪悪感』。
死ぬ事さえ許されずどうやって罪を償うかずっとアンジェはそれを考えていて、そして彼女はそれを引き継いでしまっていた。
申し訳なさが胸から溢れ、やらかした相手を更に苦しめたという事実に涙が零れそうになる。
だけど同時に、疑問が解けてすっきりとした気持ちにも成れた。
知りたいという願いはこうして叶った。
自分の感情の正体がわかり、短い生の中で持つ数少ないやりたい事が解消される。
そうなると……龍というのは本当に傲慢で、我儘な生物である。
己の終わりを、意味のない物にしたくない。
己の生涯、その最後に何かを遺したいなんて追加の願いを彼女は持ってしまった。
名前さえないクローンであっても、気高き龍と最後に決闘が出来たのだ。
ならば倒した相手に財宝の一つでもくれてやりたくなるのというが龍の性である。
例え仮初の命でも、己の生を誇りたいと願っても悪くはないはずだ。
だけど、彼女には何もなかった。
勝者への財宝も、託せる力も、技も、技術も素材も……彼女には、何もなかった。
心臓か血位なら価値はあったかもしれない。
だが血は流れ落ちて尽きかけ、心臓は壊れかけ今にも時を止めようとしている。
捧げる物など、何もない。
だったらもう、やる事なんて一個しかなかった。
彼女に出来る事はもうただ一つ、『嫌がらせ』だけだった。
「ふぃ…な……ちゃん」
「は、はい!」
「ないす……ふぁい……と。かっこよかったぞ」
そういって、にこりと笑おうとするが笑う事さえ出来なかった。
「私、そっちじゃ……。そか、もう……見えないんだね」
遠くを見る彼女を見て、フィナは泣きそうになった。
「あは……は。ごめ、ね。そんな、フィナちゃんに……悪いけど、最期の、お願い」
「何でも言って」
彼女は必死に、腕を持ち上げる
血がなくて、体も寸断されかかって、何もかも失って。
それでも彼女は、氷の壁の向こう側を、しっかりと指差した。
わらわらと氷の壁にはりつく化物だらけの世界を。
「私、を……あっちに、投げ……て。出来るだけ、いそ……い……で」
目が見えず、呼吸も出来なくなってきた。
そして何より、もう痛さも苦しさも感じなかった。
もう、数分もないと自分で理解出来た。
「……ん。わかった。さよなら。貴女の事は忘れない」
彼女が何を思ってそんな願いを出したのかわからない。
だけど、フィナは迷わず彼女を投げ捨てた。
氷の向こうVOIDと死骸蔓延る腐り果てた世界。
その向こう側の空にいる彼女は、不敵に笑った。
――私を苦しめた仕返しよ、馬鹿アリス。
そんな事を考えながら、彼女は笑える程綺麗な空に向かって中指を立てる。
そのまま動きが止まりかけた壊れた心臓に、わざわざ中指を突き立てトドメを刺した。
アンジェとしての記憶を回収して、そして彼女は自分の事を正しく理解した。
アリスは自分に全く期待していなかった。
失敗前提でさえない。
失敗しても成功しても、どうでも良かったのだ。
暇つぶしと製造施設のチェックの為に造ったテスト用の廃棄物。
それを、ただ嫌がらせと時間稼ぎの為だけに敵の方に投げ込んだ。
『単なる嫌がらせ』
そこにそれ以上の理由も事情もない。
であるならば、自分にとある処置がされている事も間違いはないと彼女は気が付いた。
だから彼女の、最期の言葉はこれで決まっていた。
思い通りにいってたまるかという気持ちを込め――。
「ざまあ、みろ」
そうして彼女の心臓は止まり、連鎖し彼女にしかけられた爆弾は起爆した。
多くの化物を道連れにして。
ありがとうございました。




