廃棄物(前編)
神魔国、クロノアーク
その様に名前は変わったが、そう呼ぶ者はほとんどいない。
住民の大半は地下避難施設にいて、武器の製造修復から衣服、果てには病院まで稼働出来る施設は限界まで稼働している末期の戦時状態。
故に、国名変更の布告する余裕さえ今はなかった。
とは言え、正直言えば名前なんてどうでも良い。
パルスピカはそこまで自己顕示欲が高くない。
それでも変えたのは、そうするべき理由があったから。
パルスピカが、特別な力を持っているからである。
アークトゥルス。
それは単なる名ではなく、失われた先史文明の遺産。
その名そのものが遺産であり、形なき力。
アマリリスが人間と魔物の合いの子という数奇な運命に負けない様に探し見つけた祝福であり呪い。
その力は王の力とも墓守の力とも言われている。
だから以前、パルスピカが国王となった時も国名はアークにして、今回もクロノアークという神とアークをシンプルに組み合わせた名とした。
名前を使う事が、力を使う一種の契約であった。
その効果は、お約束を守る力。
簡単に言えば、約束をしたら嘘がつき辛くなる。
そう言えばファンシーであまり恐ろしくない力に見えるだろう。
だが、もしこの力をアウラかレンフィールドが持っていたら、魔王国の領土は二倍以上に広がっていたし、何なら人類は滅亡していた。
恐ろしくないどころか、洒落にならない最悪の力である。
アークトゥルスの祝福、それは契約順守の力。
それは嘘吐きを罰する力。
それは裏切り者をあぶり出す力。
独裁者を生み出す、禁忌。
それは死に赴く事さえ強制出来る。
悍ましく、冒涜的で、理不尽な力だった。
更に言えば、先史文明の遺産である。
それの意味するところは……この力を持つ王が滅んだという事実。
それはこの力を持ってしても……ではない。
むしろその反対であり、この力の所為でと言う方が正しい。
この力は強すぎるが故に国を亡ぼす。
あまりにも独裁者として都合が良すぎてしまうからだ。
それをパルスピカは本能的に理解しているから、多用しない。
悪質な使い方をしない程度に善良で理性的。
だが使い方がわからない程凡愚ではなくむしろ知能は高い。
理想的な王の力を持つ理想的な存在。
それがパルスピカ。
だけど、そうなったのは特別な才能があったからでもなければ特別な事情が故にでもない。
ただ、普通に愛されたから。
母アマリリスの愛が理想の王を生み出した。
罪悪感と後悔から壊れそうになりながら、自己犠牲で自分を壊しながら獣人を救いながら、それでも、アマリリスはパルスピカを全うに愛し続けた。
我が子として、幸せを願い愛しく思い続けた。
真実の愛と教育。
普通の事を、普通でない人生のアマリリスが行った。
当たり前を当たり前じゃない中で必死にやりきった。
その背をパルスピカは、まっすぐ見続けた。
だから、パルスピカは理想の王となったのだ。
それ故に、パルスピカは決して己惚れない。
自分の力や才能は全て、誰かに与えて貰った物であると常に自分を戒める。
自分という存在は誰かに作って貰ってここにあって、そしてこれからも誰かに愛されて育つ事が出来る。
人を育てられるのは人だけ。
それを知っているからパルスピカはどこまで行っても孤独な王にはならない。
だから――崩すならば周りから。
パルスピカはアウラ以上に壊す事が困難であるのだから。
彼らの敵は、パルスピカを彼ら以上に評価していた。
当然だが、パルスピカは王である。
彼が負けたら全てが終わる。
だからパルスピカにはタイガーというとっておきの護衛が用意されていた。
能力は十分ありながら、同時にパルスピカが最も信頼する兄貴。
絶対に裏切らず、そしていざという時は躊躇わず命さえも投げ捨てられる。
護衛としてこれ以上は絶対にいない。
アマリリスには雪女が護衛としてついており、マリアベルもまた狙われない様地下に避難している。
重要度の高い要人は軒並み何等かの対処を施している。
その位、侵入者が入り込むとパルスピカは、皆は想像している。
当然と言えば当然だ。
VOIDの対策に実力ある魔物は大体駆り出されている。
そんな有様な上に国の内側は非常に広い。
ただでさえ薄い守りがより薄くなる。
だから、全てを護り切る事は不可能だった。
そこは地下避難所の一つ。
およそ三十名という避難所の中でも特に小さく、そして動きが乏しい場所。
他の避難所では兵士達の慰安所になっていたり何か仕事をしていたりと活発だが、ここは違う。
牢屋と呼ぶ程悪い奴は入っていないが、誰かの為に積極的になる程善良にも気楽にもなれない。
中心都市から離れた、何でもない場所。
そこに侵入者は入り込んだ。
もしも、狙いが重鎮だったらすぐに気づく事が出来ただろう。
だが、アルパカ―での見回りさえ五時間に一度程度のこんな辺鄙な避難所でそれを言うのは酷な話だ。
なにせ何なら中にいる彼らは避難所で共に暮らしている仲間の顔さえ覚えていない。
知らない誰かが入っても気づきさえしないのだ。
だからそう……そこに入って来るなんて、誰も予測出来る訳がなかった。
「この先は避難民用の施設しかありませんよ? 侵入者さん」
彼女以外には――。
彼女、ナルアリア=アルス・スルアは高貴なる生まれである。
祖父はピュアブラッドの従者という輝かしい経歴を持ち、両親もまた大貴族として小国と呼べない程に広い領地を保有している。
ピュアブラッドという純血一族と比べるのは烏滸がましいが、それでも他の種族と比べたら十分過ぎる程高貴な身分であるだろう。
故に、姫と呼ばれる事に彼女は抵抗を覚えなかった。
高貴であるという事は気品に溢れるという事。
即ち、ノブレスオブリージュを完遂すべきと言う事である。
慌てず騒がず常に優雅であるべし。
知的であるのは当然だが、それは他者を貶すと同意義ではない。
決して他者に知恵がないと決めつけない事。
学なき者でも経験からとんでもない学びをした者は多い。
だから、馬鹿にして良いのは『学ぶ意思なき愚か者』と『獣』と『羽音の煩きトカゲ』位な物だ。
ナルアは両親からそう教わった。
実際彼女もそう思っている。
いや、思っていた。
それは、ナルアの価値観が壊れる前の話である。
ただまあ……ぶっちゃけそう重たい話ではない。
当時としてはかなり重たい話だったが、終わった後振り返ったら大した事件ではないと言い切れる。
誰も死ななかったし誰も何も失わなかったのだから。
事件の問題、その相違点となるのは三つ。
一つ目は、ナルアの両親が納める領が両親の所為でピンチになった。
それは子供から見ても両親が悪いのだが、両親は己の過ちを認めなかった。
今なら領主という地位あるが故に安易に過ちを認められなかったという政治的理由だと理解出来る。
罪悪感を覚えていなかったわけではなく、罪悪感を表に出す事が出来なかっただけ。
だがそれがわかったの事件が解決した後で、当時のナルアはそこまで頭が回らなかった。
だから、両親への信頼が揺らいでいた。
二つ目は、ナルアの住む領の感性が周りと異なっていたという事実。
ナルアは自分の領の感性は全ての吸血鬼、ひいてはピュアブラッドも合一な物と思っていた。
なのに、ピュアブラッドは他種族排斥思想を止め『名誉ピュアブラッド』なんて存在を作り出していた。
それはナルアだけでなくその領に住む皆に衝撃を与えていた。
『もしかして尊き方々はご乱心したのではないだろうか』
これは実際ナルアが聞いた言葉である。
周りのピュアブラッドへの苦言とも言える言葉によって『もしかして自分達の価値観は他の吸血鬼と違うのではないか』という考えを持つに至った。
実際は領事に価値観は違い統一された価値観なんてないのだが、当時のナルアは自分達だけが違うという疎外感を覚えていた。
そして三つ目……。
自分の性癖がショタコンであると知った瞬間である。
どれだけ恰好良い事を考えても、総てが台無しであった。
そうして領が揺らいだ大事件は、彼女最大の衝撃の事件であり彼女最大の幸福の瞬間が生み出す事となる。
かの者は現れた瞬間一つ目の問題を速やかに解決し、二つ目の排斥思想を自らの有能性を持って否定し領の空気を換えるに至った。
訪れてからほんの三日で、彼は領の空気に風穴を開け全ての問題を完璧な形で解決した。
両親が領主のまま、領民の誰も傷付く事もなく、本当に完璧な形で。
流浪の民でありながら多くの種族と共に行動していた。
あまつさえ人間という敵対種族とさえ共に居た。
そう……その存在こそが、獣人少年(重要部分)のパルスピカである。
ショタコンのナルアが、銀髪儚げでしかも知的の子犬美少年を見て何とも思わないでいられるだろうか、いやない。
しかもそれが自分の生まれ故郷の救世主である。
恋に落ちない訳がなかった。
ちょっと恋と呼ぶには汚い感情かもしれないが。
だから、ナルアの価値観が色々な意味でぶっ壊れた。
だから、領を揺るがした大事件は単なる馬鹿話で笑い話に終わった。
優秀な跡継ぎ娘を外に出す事になった両親は少しだけ悲しんだけど、その相手が名誉ピュアブラッドであり今に至っては正式なるピュアブラッドとなったクロスの息子であると知ってからは、悲しみは逆転しむしろ娘の酷過ぎる性癖を後押しするかの様に応援している。
こんなのだから、ナルアが抱えている事情は何もない。
現時点で抱えている事情だって敵対種族ドラゴンであるフィナの飼育係となった事位な物である。
そんな彼女の性質をショタコン以外で表すならば――アウラ側。
クロスにとってのメリーと言い換えても良いだろう。
パルスピカの求める真っ当では解決できない事を解決するのが彼女の領分である。
だから今回も、彼女の推測は見事的中した。
真っ当に、されたら嫌な事に対しての対策をパルスピカは行った。
一方ナルアは真逆の発想で独自に行動していた。
狙われやすい場所ではなく、狙われないであろう場所。
重鎮が全くいないそんな場所でかつ監視の目が特に薄い場所。
だからナルアは侵入者を発見出来たけれど、敵が何を狙っていたのかは知らなかった。
侵入者の外見は十代後半の細身の女性。
服装は一般的な物で武具の様な物はない。
ただ、一般人と呼ぶ事が出来ない程目つきは冷たく鋭い。
スラム育ちの様な粗暴さや悪逆さは感じないし身なりは悪くないけれど、顔に傷がある事も含め野良犬の様な雰囲気を放っていた。
何も言わず、彼女はただナルアを睨んでいた。
「……はぁ。言葉がわからない訳じゃないでしょう? それとも状況の方がわからない?」
困惑した気持ちでナルアは会話を試みる。
面倒ではある事は確かだが、我儘放題であった初期のフィナよりははるかにマシだった。
この時はまだ、ナルアは大した事じゃないと思っていた。
蛮族に雇われたか、または単なる物取り程度の可能性が高いからだ。
彼女から実戦を重ねた強者の気配もなければ強い魔力も感じない。
本当の意味で一般人である。
だから美味しいご飯と仕事を用意したら話位はしてくれるだろうなんて、本当に野良犬に餌をやる位の感覚だった。
彼がそこに現われるまでは。
「ん? 何かトラブルか?」
そう言って現れたのはヴィラという名の男。
彼自身は重要な役割はないのだが、マリアベルという特級の厄介者のストッパーでさりサポーターという最大級の苦労人でもある。
ぶっちゃけ彼がいなければマリアベルの発明の五割はこの世界に出ていない。
そういう意味で言えば彼は紛れもない重鎮であるが、自分が重要な役割を持っているという自覚を彼は持っていなかった。
彼を手にすればそれだけでマリアベルをどうにか出来るのに。
つまり、狙いやすい重鎮がこの場に現われたという事である。
ここに来る事はナルアでさえ把握していなかったのに。
ピンポイントのタイミングで侵入者が来たという事を偶然で済ませる程、ナルアは愚かではなかった。
「……強引にでも、詳しい話を聞かないといけないみたいね」
そう言ってナルアが侵入者に近づいた瞬間、彼女はナルアを睨みつけ、殺意をむき出しにした。
世の中には、自分の強さや魔力を隠す者も少なくない。
だからナルアも油断はしていなかった。
だけど……これは少々ばかり予想外だった。
侵入者が自分を隠すのを止めた瞬間、その正体が判明する。
彼女はドラゴンだった。
それも、五龍かそれに準ずる程の力を持った。
侵入者に顔面を掴まれながら、ナルアははるか後方に吹き飛ばされる。
その場から離される前に、ナルアは叫んだ。
「逃げてヴィラ! 貴方に何かあれば……」
それだけ言うのが精一杯だった。
ただ、自分に何かがあればマリアベルが暴走すると痛い程に知っている男である。
ここで逃げない程愚かではないはずだと、ナルアは信じたかった。
ありがとうございました。




