『void』後編
それは、世界を妬むロストナンバーより生み出された落とし子達。
満たせぬ魂への渇望を抱き続ける為生み出された悪意。
つまるところそれは、憎しみをレゾンデートルとする制御不能の殺戮兵器である。
名前なんて上等な物はない。
自分さえ愛せないクィエルが名前を付ける程道具に愛着を持てるわけがない。
強いて言えば――『VOID』。
名無しだと困るから、アリスはそう呼称する事に決めた。
クィエルの端末、ロストターミナル『VOID』。
それが、その名状しがたき機屍を表す言葉。
肉体スペックは中級機甲天使よりも劣る位で、その代わりに優れた量産性を持つ。
つまり、下級機甲天使の完全上位互換である。
とは言え、天使と異なり感情や知性はなく、存在するのは戦況把握、計算するだけの演算能力と、感情よりも根本にある本能的な憎しみと魂への渇望のみ。
ただ、天使と異なり飛行能力はほぼ完全にオミットされている。
魂なき己は地の底から空を見る事しか出来ない。
上に向かって憎しみを放つ事しか出来ない。
そうクィエルが考えるから、どれだけの事をしても飛行能力だけはつけられなかった。
要するに、クィエルの嫉妬と憎しみをバラまく為の端末。
それがVOIDである。
VOIDの一番の特徴は、きっと端末である事だろう。
天使の様に独立している訳ではなく、総てクィエルが一括管理している。
管理といっても自分が『親機』であるというだけで、遠隔操作出来る訳ではない。
VOIDは憎しみをバラまき連鎖させる為の、死を無限に増やし生者を根絶させる為の、単なる制御不能の自走兵器でしかない。
それでも、VOIDはクィエルと直接繋がっている。
だから……クィエルの持つ能力を全て、VOIDは受け継いでいた。
これまで上級の天使から奪って来た、その全ての能力を。
全てを受け継いだと言っても、自立思考を持たない事が大きなマイナス要素となり大半の能力が使用出来ないか意味のない物となっている。
テアテラの演算能力やミリアの製造能力といった能力がその典型であり、これらをVOIDは所有しているにも関わらず全く扱えず、一切の影響を受けない。
反面、ラストナンバーの時間停止能力は常時発動し全VOIDで機能している。
自分の周辺数十センチの時間を常時遅らせる能力。
遠隔攻撃は大きく弱体化させ、近接は攻撃力だけでなく速度まで奪う。
触れるだけで死を感染させるVOIDにとって敵速度ダウンの能力の相性が良くない訳がなかった。
他にも、タイマン強制能力も『逃げづらい』程度に弱体化しているが常時発動している。
こんな物が今世界中にばらまかれている。
悪夢以外の何物でもないだろう。
とは言え、これでもまだクロス達にとっての最悪を避けられている。
奪い損ねた上級機甲天使、スミュル・セカンドの蓄積した剣術データをクィエルがもし得ていたら、そのIFの世界は本当の最悪となっていた。
剣術データは単なる知識の研鑽であり、固有能力でない。
だからもしVOIDに引き継がれていたら、一切の劣化なく全てが受け継がれていた。
それが実現していれば本当の、比喩でも何でもない最悪である。
そうしてアリスとクィエルの共同作業によってVOIDは世界中にばらまかれたが……。
「思ったよりも上手くいってませんね」
クィエルは困った顔で呟いた。
VOIDのスペックで考えたら世界は阿鼻叫喚に陥っているはずなのに、思った以上に抵抗が強い。
VOID自体の損壊率は非常に低く、故障はあれど全機稼働している。
なにせVOIDには無上級機甲天使から奪い劣化した固有能力が、無数かつ様々な種類の再生能力が含まれている。
自然治癒から魔力を肉体に変換する力、金属吸収にパーツ製造。
一つ一つの影響は小さいがその全てが機能すれば、バラバラに壊しても再び再生する不死を擬似的に際限出来る程である。
だから損壊率は低いのだが、反面動く死体を製造した数も少ない。
野生動物も含めあまり多くの影響を与えられていない様子だった。
「そりゃそうよ。だってあんた、これまでと違って今は世界を相手にしているのだから」
アリスはぶっきらぼうにそう答える。
それは迷信に等しいが、アリスは本当にあると信じている。
例えば、抑止力。
例えば、地球そのものの意思。
例えば、人々の願い
つまるところ――『反作用』。
言葉は何でも良い。
ただ、世界を滅ぼそうとすればそのカウンターが発動し横っ面をぶん殴られる。
世界とはその様になっている。
だから上手くいかないのは当然であった。
「ああ。だから全力で潰しにいかなかったのですね」
クィエルの言葉にアリスは頷いた。
世界中にVOIDをばらまいて、世界を絶望に貶めておいて、それでも尚彼女達は手加減なんて言葉を口にする。
そう、本気になったらもっと酷い事が幾らでも出来るからだ。
例えば生産力を三倍程度まで引き上げる。
例えば、生産したVOIDを全てバッカニアに送り込み物量で文字通り圧殺する。
そう言う事も出来たが、そうしなかった。
アリスが反作用を恐れたからだ。
自分は世界の敵ではない。
ただ、クロスを殺したいだけだとアピールするかの様に。
この位が、世界が苦しみ藻掻き弱っていく位が丁度都合の良い塩梅であった。
敵を根こそぎ殺し、クロス達の足を止めるには。
「とは言え……あんたにそこまで期待はしていないけどね」
アリスはそう言葉にする。
アリスの顔は最近ずっと青ざめている。
それはクロスがこちらに近づいて来ていると知っているからだ。
転移さえ使っておらず、まだまだ距離は相当遠い。
だがそれでも、確実に、一歩ずつこちらに近づいてきている。
まるで死の様に。
それがアリスには何よりも恐ろしかった。
だけど同時に、これはチャンスでもあった。
これまでのしがらみに、因縁に全ての蹴りを付けるその……。
クロスさえ殺せば、後は何とでもなる。
最悪のファクターであるあいつの存在こそが規格外であり、それさえ消えれば後の障害などなんとでも対処出来る。
最悪、この世界からの脱出すれば良い。
過去でも未来でも、パラレルワールドでも別分岐でも、ぶっちゃけ何でも良い。
それをするだけの知識と力を、それを実行できるだけの自信をアリスは持っている。
それを今までしなかったのは極僅かなリスクがある事と、この世界が都合が良かったからと、そして何より逃げても逃げてもきっとクロスが追いかけて来るからに他ならない。
「そう言えばアリス。アリスはクローン技術やそれらに対して深い造詣があるのですよね?」
「え? まあそうね。世界一の自負あるわよ」
「流石。ではアリス。どうして敵のクローンをつくらないのですか?」
「敵を増やせと?」
クィエルはどこか自慢げな表情に変わる。
それは『これなら私でもマウントが取れるかも』という表情だとアリスは悟り、下らないと思いつつしょうがなく付き合ってあげた。
「アリス。そのままクローニングするのではなく、こちらに都合良く改良を施すのです。クローン技術ではありませんが、応用出来る一風変わった便利な知識が私にはインプットされてます。概念的な要因を一部反転させて――」
「『因子反転』でしょ? 知ってるわよ」
「……じゃあどうしてしないんですか? 絶対アリスはすると思いましたのに。悪の勇者クロードとか、偽物メリーとか」
拗ねた口調でクィエルはそう呟く。
クィエルは『クロス達は皆善なる存在で、反転すれば悪になる』なんて勘違いをしている様で、その様子が少しだけ可愛らしくて、アリスは何かイラっとした。
「あいつら誰も善じゃないのよ。むしろクロードとかクロスは反転させた方が善に寄った位よ」
敵のクローンを製造する。
そんな上手くいけば皆殺しに出来る手段をアリスが、試してみない訳がなかった。
そして、それはもう忘れたい位に確実な失敗であった。
善悪反転クロスは性格は良いけれど口先だけで他者をこき使う様なそんな善良屑になっていた。
おまけに偽物として世に放つ事さえ出来ない程似てなかった。
善悪反転ソフィアは、ただの悪女になっていた。
顔を合わせ微笑んだ瞬間アリスが殺す事を決意する位にどうしようもない毒にしかならないタイプだった。
メディールとメリーに至ってはどの様な改良を施そうと単なる凡人にしか生まれなかった。
メディールは当然と言えば当然だが、メリーは不思議と才能さえクローンには引き継がれなかった。
クロードは不安定だったが、基本的にニヒリズムというか虚無的というか……そういう性格の奴ばかりだった。
善良な性格で『僕は早く死ぬべきだ……』みたいな事を遠い目で言っていた。
悪に限りなく寄せても『世界滅びねぇかな』と呟くだけで自分からは何もしない。
どう変えようとも基本的に自分から動こうとはしなかった。
その他かつての勇者パーティーの実験を重ねて……そしてアリスは理解する。
元々クローニング技術に対して期待していなかったけれど、これは良くない。
少なくとも、あいつら勇者パーティーのクローンはこちらの敵を増やすだけのリターンゼロでリスク塗れの最悪でしかなかった。
「アリス。例えば性別因子反転という術式も……」
「やったわよ。やった上で駄目だったのよ。……ああ、でも一つだけ、面白い事があったわね」
「面白いですか? 例えば?」
「男性ソフィアは即座に自殺したりメリーは発狂したりしたけどそれはまあいつもの失敗だからどうでも良いわね。記憶引継ぎクローンなんてのは十回中一回成功で良い方なんだし。面白いってのはクロスのクローンよ」
「何があったんです?」
「生まれもしなかったわ」
「……失敗ですか?」
「単なるエラーとは違うわ。私がその程度理解出来ない様な、そんなタマに見える?」
「じゃあどうして?」
「つまり、女クロスはもういるって事よ。位相同位体がこの世界に」
「……なるほど。確かに面白いですね」
クィエルもアリスの言う事を理解する。
既に性別反転した自分、またはそれに準ずる存在がこの世界に居る。
位相同位体と呼ばれるもう一人の自分が先に存在しているから、女版クロスは生み出されなかった。
面白いところは、位相同位体と共存するのはあり得ない事だからである。
ドッペルゲンガーの呪いと言えばわかりやすいだろう。
自分と同じ存在がいたら呪われるというアレ。
そういう存在にもし出会ったらなら、即座にそれが自分と同じ存在であると理解する。
また同時に『どちらかしかこの世界には居られない』と即座に悟り互いの存在を許容しきれなくなる。
一言で表すと、殺し合わずにはいられなくなるのだ。
それなのに一緒に居るのだから、『面白い』としか表現出来ない。
それはアリスにとって珍しい、利用する事を考えない純粋な学術的興味による『面白い』であった。
「ま、どうしてそうなったかは知らないし興味もないけど、誰かはわかった。そして藪を突かない様そいつには極力触れない様にするだけよ。どうでも良いし」
アリスが本当に怖いと思っているのは、本家のクロスだけ。
クローンとか別世界の位相同位体とかコピーとか、そういう模造品は放置出来る程度には怖くなかった。
本来のこの世界のクロスだけが、アリスにとって天敵たらしめる『何か』を持っている。
そして、それが何かわからないからこそ、アリスはクロスを心の底から恐怖し嫌悪を覚えていた。
ありがとうございました。




