未熟だから 未熟だけど
決戦の日は近い。
だが、その情報は極一部の限られた者以外には秘匿された。
情報が露見しない様に……というよりは、バッカニア内部の治安の為と呼ぶ方が正しい。
その日を境に戦力が外に出ると知れば不安になる住民は増えるだろうし、見張りが減った事で馬鹿をやる奴も出て来る。
シアがいればこんな心配はいらなかっただろう。
今知っているのはクロスとステラ、メリーにアウラとレンフィールド、レティシアだけ。
だから、彼は知らなかった。
知らずただ負担だけが増え続け……そして、日に日に彼は弱っていった。
軍事的行動、その責任を取る立場なんて重圧が続く中必死に立ち向かい続けている彼。
他の誰にも出来ない偉業を、強大な重圧に耐え続け、淡々とこなしている彼。
少なくとも、周りは淡々とこなしていると見れる程度には仕事が出来ているし、それをひけらかさない程度には、彼は立派だった。
彼は間違いなく、十二分に仕事をこなしていた。
それでも、彼は現状に満足していない。
自分に不満を持っているから、苦しみ続けている。
彼がいなければ間違いなくバッカニアという国は残っていないというのに、日々犠牲者に心を痛め、兵達に死を命じながら、己の心を削っていく。
彼の名前はパルスピカ。
パルスピカ・アークトゥルス。
バッカニア軍部において総合責任者の立場におかれた男である。
その彼を、フィナと呼ばれる少女は見つめ続けていた。
一足先にモラトリアム期間を捨て少年ではなくなった彼を、役に立てない己を不甲斐なく思いながら。
無能なりに少しでも彼の役に少しでもものかと。
ストレスをぶつけてくれたら、きっと楽になれる。
殴って、叩いて、壊して貰えたら、この罪悪感も少しは心地よい物になるだろう。
劣情だったら尚嬉しい。
彼が誰にも見せられない部分を解消出来たなら、この下らない生にもきっと意味が見いだせる。
肉の塊でしかない己の存在意義を見出せる。
だが、彼はそうしない。
それを誰よりもフィナは知っていた。
彼女は……フィナはクロスを恨んだ。
どうしてパルスピカをこんな苦しみしかない場所に縛り付けるのか。
フィナはアウラを恨んだ。
どうして己の後釜なんて悍ましい仕事を押し付けたのか。
フィナはアリアさえも恨んでいる。
何故お互い高め合うなんて約束をして、競い合っているのか。
そんな事をすれば、為政者として優れているパルスピカの負担が跳ね上がる事位考えずともわかるだろう。
それでも、その内心を押し殺す。
己はパルスピカの剣であれば良い。
命じられるままに、命じられる物を殺す。
その命終えるまで、ただそれだけで良い。
それ以外の機能は何もいらない。
心さえも、不要で……。
「僕は……どうしたら……」
それは、普段のパルスピカでは絶対にあり得ない言葉だった。
パルスピカの心はもう限界が近かった。
それを知っているのは、壊れかけのフィナだけである。
この期に及んでも尚、フィナ以外の前では仮面をかぶり隠しているからだ。
逆に言えば、フィナに隠す事が出来ず無意識に泣き言を零す位あのパルスピカが追い込まれている事を意味している。
おそらく、普通の人ならとうに自殺を選んでいるだろう。
何とかしたい。
それでも、何も出来ない。
己の過去の贖罪から逃げる事しか出来ないフィナが、彼に語る言葉など持ち合わせている訳がなかった。
フィナの想像通り、パルスピカは限界に近かった。
作戦遂行による犠牲者が出る度に、思うのだ。
『お父さんだったら、きっと誰も犠牲にしなかった』
何かある度に、父親と己を比べる。
そうしていつの日からか、こう思ったのだ。
『どうして、自分はお父さんみたいになれないのだろうか』
人がどれだけ褒めてくれても、己がどれだけ完璧に仕事をこなしても、一切心に響かない。
どうしてクロスの出来る事が出来ない自分が褒めて貰えるのかわからない位だった。
そうして……クロスという憧れに囚われていたパルスピカは――ついに行きついてしまう。
「ああ、そうだ。僕が『お父さんになれば』良いんだ。僕を殺して、僕がお父さんになれば――」
「駄目!」
パンっと、乾いた音が響く。
それが、自分の頬を叩かれた時の音だと気付いたのは、数秒以上時間が経ってからだった。
「……それは、それは駄目! それだけはしたら駄目!」
涙目になりながら、フィナが大声で叫ぶ。
パルスピカが感情的なフィナを見るのは、随分と久しぶりな事だった。
茫然としながら痛みの走る頬に手を当てて、しばらくの時間差で怒りがこみあげて来る。
心に余裕がない状態で頬を叩かれた痛みが、パルスピカらしからぬ他者への攻撃性に転化して……要するに、ヒステリックな状態となっていた。
「貴女が……貴女がそれを言うのですか!? 己を殺し僕にだけ判断を委ねて来た、自らで何も変わろうとしなかった貴女が!?」
叫んだ事のない、あまりにもらしくない彼の様子を見て、フィナは一瞬たじろぐ。
だけど、引く訳にはいかなかった。
フィナは知っているから。
パルスピカという男が、どれほど偉大であるかを。
皆がクロスを一番だと思うが、そんな事はない。
暴れまわる事しか出来ない男なんか彼の足元にも及ばない。
パルスピカほど才能溢れ、優しく偉大な男はこの世界には存在しない。
クロスなんかよりも、アウラなんかよりも、何なら神様よりも、パルスピカは凄いんだ。
だからこそ、それだけは駄目だった。
「だから……だから駄目なの。私は私を殺したかった。何も考えずに、ただ命令を聞くだけになりたかった。だけど……成れないのよ! 苦しいの、悲しいの。辛いの……私は私が憎くて仕方ないのに……大嫌いな醜い私がずっと心の中から消えないの!」
それが、望んではいけない事だとわかっている。
わかっているのに、望んでしまうのだ。
自分は何も悪くないと言って貰いたい。
最強だってちやほやされたい。
そうして、あの忌々しい過去みたいに、常に肯定され自分に都合良く生きたいと。
パルスピカを殺しかけ、仲間から殺意を籠った憎悪と嘆きを向けられても、尚その性根は変わらない。
許されたい。
認められたい。
そして……『愛されたい』。
そんな己が汚くて、汚くて、最近は毎日夜寝る前に吐いている。
それでも……いや、そんな『変われない』フィナだからこそ、わかる事だった。
パルスピカは、自分とは違うと。
「貴方は私と違う。私と違って、本当に自分を殺せちゃう。貴方は『変われる』、それが出来てしまう。だから駄目! 貴方がクロスになるのだけは……」
「お父さんが二人になれば、いまこの状態だって何とか出来る! 僕じゃあ無理なんです! 僕じゃなくてあの人じゃないと――」
「クロスにだって無理だよ!」
「貴方にお父さんの何がわかるんですか!?」
「貴方が誰よりも頑張って来たって知ってるからよ!」
毎日苦しんで、藻掻いて、それでも誰も恨まずに責任を全うする。
それが出来る人が一体どの位いるのだろうか。
フィナはアウラを憎んでいる。
だが、それでも、アウラを認めてもいる。
パルスピカを選んだその目だけは、確かな物であると。
「だったら……だったらどうしたら良いんですか!? 誰にも頼れなくて……それでも追い詰められて……どうしたら……」
ぽろりと、涙が零れる。
パルスピカだけでなく、フィナの目にも。
その答えを持たない己の未熟さが、苦しかった。
「今から……とても酷い事を言います。私が言ってはいけない、最低な事を」
フィナは一歩ずつパルスピカに近づき……そして、静かに抱きしめた。
「貴方にいなくなって欲しくないです。国とか責任とか後継者とか、そういう事じゃなくて……ただ、貴方が居て欲しい」
それは、パルスピカが言って欲しくなかった言葉。
力ではなく己を認めるそんな優しい言葉は、為政者でいられなくなりそうな甘い言葉は、今だけは聞きたくなくて……。
「う……うあ……ああ……あああ……」
涙が止まらなくなって、声は抑えられなくて、そして、フィナの胸の中で大声で泣きだした。
慟哭は、二つとなる。
フィナもパルスピカの声に負けない程、泣き叫んでいた。
その慟哭はただ悲しいだけじゃなくて、まるでこれまで堪えため込んで来た物が消えて行く様な、そんなすがすがしさもあった。
奇しくも、これが答えだった。
悲しい程に、彼らは未熟である。
己の悩みに向かう力がない彼らには当然、お互いにお互いを認めさせる言葉を持たない。
だけど、お互いが欠点に対しての解決策がわからないから、これが……『一緒に嘆く』事が最適解であった。
『変わろうと無理し過ぎた』
その過ちに、彼らは同時に気付いた。
だからだろう。
しばらく泣き叫んだ後……彼らは見つめ合って、互いの『酷い面』を見て笑った。
久方ぶりに、心から笑えていた。
「鼻水酷いですよフィナ」
「うるしゃい。それならパルも隈が酷いよ。寝なさい」
「でも仕事が……」
「大人に投げれば良いのよそんなの。ほら、行ってらっしゃい」
「それなら貴女も寝た方が良いんじゃないですか? 随分と疲れが溜まってるでしょうし。主に気苦労で」
「そうかも……じゃ、一緒に寝る?」
フィナの言葉に、パルスピカは心臓が一瞬跳ねる。
だけど、その理由がわからない。
まるで刃が目前に迫った様な緊張、心の変化に。
自分自身のそういう感情に疎いパルスピカには、まだ早い感情だった。
「……自分の部屋で寝て下さい」
少しだけ早口で、パルスピカはぶっきらぼうに呟いた。
「でも、パルの方がベッド柔らかいし……駄目?」
「……今日だけですよ。もう」
しぶしぶという顔で、パルスピカは溜息を吐く。
「はーい」
そう言って、フィナは子供らしい笑顔となった。
今まで封印していた、嬉しいという気持ち。
今まで『消さなきゃ』と思っていた、楽しいという心。
それをフィナ自身が受け入れてくれた事が嬉しくて……パルスピカはつい、フィナを甘やかしていた。
だけどきっと、この感情はそれだけじゃないだろう。
それだけじゃないから、彼らは無意識に、手を繋ぎ歩いていた。
「それで、どうするんですか?」
レンフィールドはそう尋ねる。
そこには若干だが、怒りが混じってもいる様だった。
「何が?」
アウラは平然とした顔で、レンフィールドの怒りに気付きながらそう尋ね返した。
「何もしないと? 現状維持と?」
「ええ、彼が自分から言わない限りは何も」
「……こうして、仕事を投げしておいて?」
「失敗した責任は私達が取れば良いだけでしょ? 大した量でもないし」
レンフィールドの顔に、明確な怒りが現れた。
「恩人の子を潰す事が、貴女がやるべき事なのですか? 出来もしない子供を、成長させずに潰す事が貴女の統治ですか?」
アウラはきょとんとした顔の後……レンフィールドを鼻で笑った。
ようやく、見えた。
レンフィールドの無能な部分が。
自分の方が正しいと、アウラは信じれた。
「あんたさ……綺麗事言ってる割に誰も信じてないのね」
「……何を言っているんですか? 信じてなければ私はこの様に大人しくは……」
「あんたのそれは流されただけ。本質は変わってない。あんたは誰も信じていない。あんたが信じているのは『力』だけよ」
人を信じてないから、誰かが出来ると思っていないから、自分でやろうとする。
誰の事も信じていないから暴力が勝つと信じている。
だから力を求めるし、力ある者に従う。
結局のところ、『力』という即物的な目線でしか、レンフィールドは世界を知れない。
彼は世界平和という高すぎる理想を持ちながら、誰よりもその理想を叶えるに相応しくない存在であった。
「そんな事は……」
言い返そうとするが、言い返せない。
周りを信じていないという事はない。
だが、力が全てという側面を否定し辛い生き方をしてきてしまっていた。
「……そうね。もし、パルスピカが潰れて死んだら、責任取って一緒に死んであげるわ。詫びて、悔いて、そして後悔しながら。でも、そんな未来は来ないわ。絶対に」
「……まあ、貴女がそこまで言うなら……でも、実務に関しては正直……」
そう、アウラと協力しさくっと書類を片したレンフィールドは苦言を呈する。
パルスピカの悩みはまだ、その程度の事でしかなかった。
「まあ、書類のお仕事は当分私とあんたとロキがメインでやる事になるでしょうね。……アリアちゃんが出て行ったのが本当に辛いわ」
「全くです……」
「ああそうそう。一つだけ、言わせて貰うわね」
「? どうぞ」
「あんたさ、魔王向いてないわ。私以上に」
「……貴女がもう少し早く成熟して下されば、または貴女が私より先に生まれていて下されば、私はたぶん、貴女の部下として幸せになれたでしょうね」
「……気持ち悪くなる妄想は止めて頂戴。サブイボ立ったわ」
ありがとうございました。




