死の因果
バッカニアに襲い掛かる天使の大攻勢。
それは下級だけとは言え、これまでの規模を遥かに越えていた。
大軍かつ長期で、酷い時には一週間絶え間ない襲撃が続いた時さえあった位である。
だが、それははっきり言っておかしい。
天使勢力は既に死に体であり、大攻勢をかけるなんてそんな余力などある訳がない。
いや、組織崩壊前よりリソースが増えているというの余力とか以前の話である。
減少どころか大増加で、下級機甲天使の生産量は推定でも全盛期の百倍以上。
一体どうして……と言っても、理屈はそう難しい事じゃない。
クィエルは天使を喰らい、そのスペックと能力を取り込む事が出来る。
ただし取り込める能力は限りなく劣化しており、精々一割程度。
例えば、クィエルはラストナンバーを喰らった際に『時間を止める』力を会得したがそれを使っても精々『自分の周囲数十センチを若干遅くする』程度の事しか出来ない。
範囲も狭く、効果も弱い。
魂を喰らう事がクィエルの本質である以上、能力会得は副次効果でしかないからだ。
だけど、例外も存在する。
テアテラから得た高度演算能力は一割回収にも関わらず、テアテラの約八十倍に匹敵している。
何故こうなっているのかと言えば、クィエルの演算スペックが上級機甲天使どころか機人並に高い事が起因している。
能力と異なり、単純なスペックは喰らったそのままが加算され合算されている。
故にクィエルのスペックは単純にナンバーズ総てを足した物プラスアルファとなっている。
テアテラから会得した演算能力を使う対象が、ナンバーズよりも遥かに優れたスペックを持っている。
だから、たった一割でも大きな効果が得られていた。
つまり、奪った能力と相性の良い何かを『組み合わせる』事で一割という欠点をクィエルは克服する事が可能と言う事である。
だから、こうなった。
結論で言えば、ミリアの能力『機械製造王』。
クィエルはその力を十全に活用する為に、天使を生み出す製造拠点を複数個喰らい取り込んだ。
クィエルが会得した天使生産能力。
更に付け足し、魔物や人間の、それも悪と呼ばれるロクデナシ共。
彼らと手を組み、天使達は現在バッカニアを攻め続けている。
生産リソースが極めて高い為死亡してから即座に復活し再び突撃何て事さえ可能である為、移動時間を除けば下級天使はほぼ常時戦い続けられた。
精神ダメージの蓄積を除けばだが。
そうしてバッカニアを苦しめる程強烈な軍の力を得たアリスとクィエルが何をしようとしているかと言えば……ぶっちゃけ全く関係ない別の事である。
というよりも、別の事に集中する為に大攻勢を行っていると言った方が正しかった。
そもそもの話になるが、共闘はあり得なかった。
アリス達が今の天使と共に戦う事はない。
例えそれが出来ればバッカニア位は軽く滅ぼせているとしても……無能と共に戦うなんて事アリスが選択する訳がない。
それそのものが死亡リスクのある行動だからだ。
ついでに言えば、この天使大軍勢にアリスもクィエルも一切興味を持っていない。
成功すれば御の字だが全く期待しておらず、駄目で元々程度の価値しかないから失敗しても何も変わらない。
確かに、クィエルはその能力により大量に天使を大量に製造、再生を繰り返している。
だがそのリソースの消費量は精々五パーセント程度である。
バッカニアの動きを封じ込め苦しめているこの戦い……その目的は、アリスにとっては単なる『時間稼ぎ』でしかなかった。
戦いより更に大前提の話になるが、アリスの目的は別にバッカニアを潰す事でも、何なら天敵のクロスを殺す事でもない。
それは必要な事、つまり『手段』ではあるが、それそのものが『目的』とは関わらない。
極論で言うなら、クロスが二度と会えない場所に行ってくれるのならそれで何も問題はない。
二度と会えない場所に送り込んでも戻って来る確信があるからその選択が取れないというだけである。
そう、アリスの目的はずっと昔から、徹頭徹尾変わっていない。
最初から常にその為だけに行動し、その為だけに計画を立て、作戦を遂行し、その日々を生きている。
つまり……『死を超越する事』。
その為の手段が丁度、アリスの手元に転がっていた。
クィエルという名前の、超高度な演算装置が。
アリスは生きる為に、この世界のあらゆる知識、技術を取り込んでいる。
その技術水準は高いどころか世界総ての知識人を集めても尚及ばない程となっている。
単純に、必死さが違うからだ。
知識、技術を得る為ならばアリスは何でもやって来た。
無数の死病を抱えるアリスが医術を学ぶのは当然だろう。
その派生としてクローン技術や人体改造までも覚えた。
魔法はもちろん外法とも呼べる知識も取り込み、そしてそれをしっかり活用している。
過去には幾つか都市そのものを飲み込み魔力に変換した事もあった。
どうしてそこまでしたのか、何故そこまでしなければならなかったのか……。
答えは、そこまでしても尚、彼女の運命は死と隣り合わせであるからだ。
そう、アリスは普通の状態ではない。
余命なんてマイナス数百年であり常人ならばとうに死んでいる。
しかもアリスの死病は普通の病と異なり、治療する手段が存在しない。
あらゆる知識を手にして、あらゆる方法を模索して、あらゆる手段に手を出してきたけれど、それでも……アリスは延命するのが精々であった。
対処療法が効果ないのは当然、あらゆる手段の治療に効果が見られなかった。
過去に一度、己と同じ状態の病人を作り出し、そしてそいつを実験体に治療を施した事がある。
その実験体の完治には成功したのに、同じ治療を行ったアリスには変化がなかった。
例え肉体総てをクローンでコピーした物に入れ替えても、別人の肉体を奪っても、何なら一度死んで転生してもきっと無駄だろう。
試していないが、試す気がしない位にはそうだという確信があった。
『アリスの死病は、何があっても消える事ない』
それが、アリスが出した結論である。
治せないその原因がわからない。
原因がわからないから、取れる手段がない。
症状は死病だが病気と呼ぶより、そのしつこさはもはや<呪い>に近い。
アリスという世界最高の医者でありあらゆる知識を持った万能の怪物であっても、それしかわからなかった。
要するに『原因不明』であるからアリスは何も出来ずにいた。
対処する為の原因を探り続けるという無為な日々を送っていた。
だけど――今は違う。
その長年アリスを苦しめて来た『原因不明』。
それを特定する手段がアリスの手元にあった。
クィエルという、超高度の演算装置が。
技術も知識もアリスは持っている。
必要なのは、シミュレートを高速で繰り返せその結果を表示し続ける演算装置だけ。
そして演算という機能だけで言えば、暴食で喰らいまくったクィエルは天使どころか一般的な機人さえ凌駕する程となっている。
だからこれは、決して分の悪い賭けではなかった。
例えかつて機人さえもが匙を投げた症状であっても。
バッカニアが襲われ、天使が蔓延る今この間、目が完全に反れているこの間に、アリスはクィエルを利用し己を解析していた。
今だけは誰にも邪魔をさせない為に。
専用ルームを用意し、生産に使う以外のクィエルのリソース総てを費やして。
クィエルもまた、アリスの為になるならばと熱意を持ち助手として協力する。
唯一の同胞であるアリスの命に従う事こそが、彼女にとって憎しみ以外の唯一のレゾンデートルであった。
そうして――『答え』は出た。
「あ、あ……ひゃ。あは、は。あははははは…………。あははははははははははははは!」
腹の底から、アリスは嗤う。
狭い部屋で自分の声だけが反響し続け、耳に届いていた。
その様子に、クィエルは何も言えなかった。
絶望の表情に染まり切って、嗤う事しか出来なくなったアリスに、何も……。
淀んだ涙が零れる。
笑い声に水音が混じり、血が零れる。
全身の関節から紫の汁が漏れ、爪の間から白い膿が。
症状が一気に悪化する。
意思の力で抑えていた病が、体から零れていく。
理解してしまったからだ。
どうして病気を治す事が出来なかったのか。
何故自分だけこんな病気を抱えているのか。
そして……一体誰がこんな事をしているのか。
アリスは、本当の意味で己の状態を理解した。
この死病を起こしているのが、自分を死と苦痛に犯しているのが、他の誰でもなく『自分』であったという事を――。
「あはははははは! 私じゃない! 答えなんて他にある訳がないもの! そう、私は、私は私を生かす為、私は私を殺そうとする。死にたくない私を一番死に近づけていたのは、私だったって。あはははははは!」
これ程の絶望は、長い生涯でもまだたったの二度目だ。
その一度目がクロスという天敵が発生した事で、そして短期間での二度目。
説明は、そう難しい事じゃあない。
アリスは生まれた時から病に侵され、余命幾ばくもなかった。
それでもアリスが生きていたのは、必死に死に抗ったから。
特に深い事情も理由もなく、ただ<死にたくない>から出来る事総て使って、必死に、必死に。
『必死』
ただそれだけ。
常に死病に侵されながら、アリスは『必死』に生き延び続けた。
生きながら、常に『死』に触れ続けた。
結果……アリスの魂にその生き様が刻み込まれた。
その――『死』という名の生き様が。
死の概念そのものが。
それが、総ての原因。
極めた先に、概念に至る。
それはごく当たり前の事。
ステラが斬撃の概念に触れた様に。
それがアリスにとっては、『死』であっただけ。
アリスに宿った死の概念がアリス自身を殺そうと働く。
つまるところ、誰よりも生を帯びるアリスという存在に対しての自滅因子。
それが、アリスに宿った不治なる死病の正体だった。
「あはははははははは!」
笑う事しか出来ない。
己を嗤わないと耐えられない。
だってそれは……諦める以外に道がないからだ。
病気でも症状でもなく、それが平常と言う事。
病は過程に過ぎず、アリスを殺す手段が他にないから死が病という形となり体を犯しているというだけの事。
その過程の原因は<死>そのものであり、魂に刻まれた概念と言う事は、どうにも出来ないという事であった。
一応だが、机上の空論レベルで対処する方法はある。
死の概念の反対に位置する『生の概念』を持つ誰かの力を利用すれば良い。
奪っても脅しても頼んでも仲間でも何でも良い。
どんな手段であっても、その概念を持つ者を味方にすればアリスの願いは叶う。
死の病さえなければ、後は自分の手で無限の生を得る事などアリスにとっては容易い事であるからだ。
ただ、これには一つ机上の空論と呼ぶ程の問題が存在する。
存在し得ないのだ。
生の概念なんて物を持ちうる者が。
アリスの正反対と言えばクロスが最も近い。
だが、クロスに生の概念が宿る事はないとアリスは誰よりも理解している。
むしろあいつには性の概念の方が相応しい。
またはドスケベの概念が。
アリスは少しだけだが、期待していたのだ。
メディールという名のサキュバスに吸い殺されるクロスという可能性を。
サキュバスというのは一個体で小国を滅ぼす事さえあるパンデミック型の種族であり、厄災そのものである。
だけど実際はクロスの方が殺しかけたらしいと聞いて、アリスはもう笑うしかなかった。
そう、クロスは<生>ではない。
二度命を失い、何度も死に触れ、己の意思で『死の境界線』を歩んだクロスが、生の概念を得る事は絶対にない。
そして、弱者として最も生き抜いたクロスが得られないのなら、この世界でそれを手に出来る奴はいない。
だから……アリスは絶望に堕ちていた。
「アリス……」
クィエルは語る言葉を持たぬ事を悔やむ。
自分達は慰める関係でもなければ一緒に泣く関係でもない。
アリスもクィエルも、友人を求めていない。
だからこういう時どうすれば良いのか、クィエルにはわからなかった。
わかる事なんて、たった一つだけ。
「アリス。このままですとお体に障りますよ」
そう言って、クィエルは汚れた体を拭く為にマントを手渡した。
「…………」
アリスは無言のまま、泣き叫ぶのを止めクィエルが用意したマントを奪う様乱暴に受け取り羽織る。
そんな対応にも怒りもせず、クィエルは微笑んだ。
「消毒も兼ねたシャワーの用意があります。どうぞ」
「……何? 同情? 慰め?」
「いいえ。私より先にアリスが死んだら、私独りぼっちになっちゃうじゃないですか。死ぬなら私の後か一緒にお願いします」
「……最悪の本音ね。私じゃなかったら自殺してるわよ」
「面白い冗談ですね。アリスが自分で死ぬ訳ないじゃないですか」
「あんたも私に負けず劣らずクソね」
そう言って、アリスはシャワー室の方に向かった。
「これで少しでも冷静になってくれた良いのですが……いえ、なってますね。アリスですから」
クィエルはそう確信している。
人間については良くわからない。
だが、アリスの生態だけは理解出来る。
自分の後悔や慟哭で自暴自棄になる程愚かではない。
むしろ生きるという事に関しては機械以上に正確で、そしてこの世界の誰よりも誠実である。
人間めいた感情が生きるのに邪魔なら捨てる。
その位アリスがやらない訳がない。
だからシャワーから出て来たら……。
「とりあえず目先の事から進めていくわよ。私の研究はこのまま保存し現状維持として放置。リソースは生産に回して、限界一杯まで増加させなさい。もちろん天使じゃなくて、<本命>の方にね」
クィエルは全裸で若干すっきりとした顔をしているアリスの体にタオルを羽織らせ、椅子に座らせ髪をブローしだした。
「私達も動き出すという事ですね」
「は? 何悠長な事言ってんの?」
「え?」
「あんた本当に愚鈍ね。――『迎え撃つ』のよ。動き出すのはこっちじゃなくて、あっちの方」
そう、アリスは未来を推測し言葉にする。
アリスは油断しない。
アリスは敵を見くびらない。
だからこそ、その時が近いと理解出来ていた。
ありがとうございました。




