哀を知り、
瓦礫を持ち上げ、運ぶ。
瓦礫を持ち上げ、運ぶ。
瓦礫を持ち上げ、運ぶ……。
あの日からずっと、ミリアはただただそんな作業を繰り返していた。
どうしてこんな事をしているのかわからない。
やるべき事は多々ある。
天使として生きるのならこんな非合理的な事を優先しない。
そのはずなのに……彼らの顔が、クロスとアリアの顔がどうしても頭をよぎってしまって……。
これは義務ではない。
それなのに、ミリアはずっと、魔王国城下町の復旧に勤めていた。
最初戻って来た時、それはもう本当に酷い有様だった。
テアテラ騒動からのゾンビ騒動の被害は尋常で、物言わぬ人形躯に負けない程ボロボロの街並みであった。
ゾンビ映画どころかポストアポカリプスのゴーストタウンの様な有様で、天使としては酷い皮肉を味わっている様な気分だった。
そこから少しずつ、ゆるやかに復興を進めた。
人形の残骸は汚染が酷い所為か再利用出来ず、ただの邪魔ながらくたになり果てていた。
ボロボロの建物は修復するのが不可能で、一から総て作り直しとなっていた。
少しずつ、復興作業用の人形を増やした。
一日二体程の人型人形と、二日で一体の大型作業人形。
最終的には人型三十体と大型五体に、自分。
それだけが、今の微々たる資源で造れる限界であった。
復興の最中、人形や建物の残骸、その他不要な物は全て城下町の外に投げ出したから、外にゴミ山が出来てしまっていた。
申し訳ないという気持ちにはなるが、今のミリアにはどうにも出来ない。
物質万能焼却機は当然、高温ゴミ処理施設さえも作れない。
思った以上に能力の弱体化が酷かった。
だけどたぶん、その弱体化は物理的な影響だけじゃない。
ミリアは自分で気づいている。
今の自分の気持ちがどれだけふらふらしているかを。
ふらふらな気持ちのままだからきっと、魔王国城下町の復興なんて今やる必要のない事をしていた。
ちまちまちまちま毎日毎日……休んで働いてを繰り返し街を直して……。
結局元通りとなるまでに、数か月なんて時間を要した。
片付けが粗方終わって……ミリアは満足感ではなく、強い落胆を覚えた。
それでようやく、自分が贖罪と義務感だけで街を清掃していた訳じゃないと気付く。
ついぞ、<亡き友の残骸>を発見する事は出来なかった。
彼女が生きたという痕跡は、どこにも残っていなかった。
使った以上に綺麗にする。
これぞ常識でありマナー。
そんな気持ちで整えた城下町を誇らし気に見た後、ミリアは旅に出た。
二十の人形を引き連れて。
人形十と大型作業人形は自動整備機能だけつけて町に残した。
これで少なくとも、彼らが来るまで街は清潔を保てるだろう。
この程度では詫びにもならないだろうが、それでも少しだけ気が晴れた。
だから、今度こそ本当にやるべき使命に手を出そう。
『天使達に裏切りを知らせる事』
天使として最も優先すべきタスクは間違いなくこれである。
アリスが裏切り、テアテラを殺した。
その事を許すつもりはないが、これはそんな私情を挟む余地さえない。
天使として、人類を余す事なく導く完璧なる者として、正しい行いである。
まだ、ミリアは知らなかったのだ。
ナンバーズが全て屠られている事も、上級機甲天使さえほとんど残っていない事も……。
だからアリスをなんとか出来ると思っていたし……こうなる事も、ミリアは予見できなかった。
探し回って、ようやく見つけた天使の一行。
下級だけの集団だが百を超える大部隊である。
上級の誰かと繋がりがあると考えて良いだろう。
そう思って声をかけようとした瞬間……。
「いたぞ! 裏切者だ!」
そんな声と共に、ミリアは銃弾の雨に晒された。
「くひっ」
つい、笑みが零れてしまう。
我慢しないといけない事はわかっている。
だけど……しょうがないだろう。
この状況で、嗤うなという方が無理である。
「私じゃない! 信じて!」
そう叫ぶ天使に、天使部隊は射撃を繰り返す。
ヴァーミリアンという名の、元ナンバーズの上級機甲天使。
彼女は必死だった。
アリスが裏切った。
天使全体の危機だ。
テアテラ・フォースは彼女に殺された。
このままだと天使はアリスに乗っ取られる。
反撃もせず、ただ無様に逃げ纏いながら、ボロボロになりながら叫び続ける。
その滑稽な姿が、信じて貰えると思うその有様が、あまりにも愚か過ぎて、笑えた。
「くひっ」
部隊長は再び笑みを零すがすぐ我に返り、怒りの演技のまま睨みつける。
まだだ……まだネタバラしには早い。
もっとボロボロにして、もっと痛めつけて、そしてギリギリの所で……。
「煩い! 貴様の様な恥知らずの事など信じられるか!」
いかにも厳格な天使のフリをして、天使はミリアに向けライフルを放つ。
その光弾は身代わりの人形に当たり人形を砕いた。
残りの人形は後二体。
本体の負傷は軽いがノ―ダメージと言う訳でもないらしく、移動速度の低下が見える。
対してこちらは部隊損害零。
相手は、ただ逃げる事しか出来ていない。
更に都合の良い事に、友軍の合流地点まで後数キロ。
上手く誘導すれば……とても面白い物が見れる。
頭の中で楽しい未来図、その有様を思い浮かべる。
上級機甲天使なんて、しかも元ナンバーズなんてエリート様を壊す機会が来た事を、天使はアリスに感謝した。
必死だった。
ミリアはただ、伝える為に、必死であった。
だから誘導されているなんて事に気付く事もなく、そして……。
「何か面白そうな事してるじゃねーか。手はいるか?」
どこからともなく、男性の声が聞こえていた。
天使は答えた。
「いいえ。手はいらないけど、貴方の好きにして良いわ」
「……ああ。そういう……仲間じゃねーのか?」
「ええそうね。とっても大切な、高貴な天使様よ? だから良いんじゃない」
「ああ。そうだな」
そうして、ミリアの横っつらに思いっきり拳が叩き込まれた。
吹き飛び、地面に砂煙を上げながら滑り続ける。
ミリアが起き上がった時には顔に罅が入っていた。
だけどそんな事どうでも良い。
そんな事よりも……。
「なんで……なんで天使が人と協力しているのですか!?」
ミリアの叫びに、男は眉を顰めた。
「俺を人間扱いするのか? この、高貴たる龍の我を」
天使にとって総ての種族は人である。
だが確かに、彼はドラゴンと呼ばれる個体であった。
それも限りなく天上に等しい戦闘力を持った。
「ふふ……うふ、うふふふ! あははははははは! まだ気づかないなんて本当馬鹿ね!」
「な、何を……」
「あんたの事は最初から知ってるのよ! ヴァーミリアン! ついでに言うなら、アリスがやらかしてる事もね。というかあんた……知らないの? ナンバーズとかもう誰も残ってないわよ?」
「そ、そんな馬鹿な! そんな訳が……」
「まあ信じたくなら信じなくても良いわよ。どうでもね。そんな事よりも、あんたはあんたの末路を心配した方が良いわよ?」
「一体何を――」
ミリアは男に無理やり腕を掴まれ、そして――押し倒された。
「な、何を……」
ミリアは慌て覆いかぶさる男の顔を見て……嫌悪で体を震わせた。
その瞳は物を見る見下したそれで、そしてそれだけでなく劣情を向けて来る様でもあって。
要するに、男のする事は自然的な事で、天使としてはとても耐えきれない事で……恐怖で、体が竦んだ。
「あははははははは! そういう契約なのよ! 戦力として私に協力する! 代わりにはけ口を差し出す。彼は随分と悪食でね、誰それ構わずなのよ。私達天使さえも犯そうとしてきたのよ。だからまあ……助かったわ。あんたみたいなのが居てくれて。誰を差し出そうか悩んでいたところだったの!」
ミリアははっと、我に返った。
「ちょ、ちょっとまって下さい! もしかして貴女……」
「あん? 何よ? まだ何か言いたいの?」
「契約って……じゃあ、これまで彼には一体……」
「適当な村を襲って拉致して死ぬまで奉仕する様命じてきただけだけど、それがどうしたの? 集めるの大変なのよ……若すぎるとか文句言ってくるし……」
さーっと、顔を青ざめさせる。
天使は、弱き者を護る事がその使命である。
だから……もしミリアの想像通りなら……この天使はその使命さえも……。
「何を……何をしているのですか貴女は!? 誇りを忘れたのですか!?」
「はぁ? 何言ってんの? そんな建前本気にしてるの? というか、自分の事心配した方が良いんじゃない? ぷふ……。安心しなさい。ちゃんと録画しておいてあげるから」
頭が、真っ白になった。
恐怖よりも、怒りよりも、絶望が先に走った。
天使である事の誇りだけが、ミリアの最後の拠り所だった。
軸がブレ己が何であるかに苦しむ、その最後の砦こそが正しき事であった。
その砦さえも、既に失われていた。
「あん? もう抵抗しねーのか? まあ、どっちでも良いけどな。どうあろうと結果は変わらん。 総ての女は偉大なる我に傅く、ただその為だけに存在するのだから」
そう言って、目の前の男は愉しそうに嗤う。
遠くで天使も楽しそうに嗤っている。
こんな狂った世界なのに、誰もが楽しそうだった。
ミリア以外……。
何も、もう何もわからない。
ただ一つだけ分かる事は……自分を助けて来る様な存在は、もうこの世界のどこにもいないという事。
天使であるのに天使であり切れず、人を助けたくとも人の傍にも立てず。
誰かを導くアイドル?
そんな事出来る訳がない。
誰にも寄り添えない自分が。
誰にも味方が出来ないから、誰も味方でない。
もういないテアテラだけが、ミリアの味方であった。
「……せめて汚されずに、死にたかった」
ぽつりと呟くと、男は嗤う。
屈服し、苦しむ女を見る事は男にとっては極上の娯楽であった。
そうして諦め目を閉じると、瞼の裏に二つの影が。
一つは、恨みがましそうなテアテラの顔が。
そしてもう一つは、プロデューサーと呼んだ男の顔が。
だからだろうか。
我慢する事が出来なくて、その瞼から一滴の涙が零れた。
そう……彼女は誰にも助けられない。
彼女を助けようとする勢力はない。
この世界に彼女の味方はおらず、彼女自身誰にも掬いの手を求めない。
助けての一言さえも言えない。
言う資格がないと知っているからだ。
だからこそ……。
「だから、私が来ました」
その声と共に轟音が響き、体にのしかかる不快が消え、太陽から降り注ぐ光が瞼に差し込む。
そっと目を開けると……そこには、一人の女性が微笑を浮かべていた。
「どう……して……」
あっけにとられながら、ミリアはそう呟く。
「ごめんなさい。クロスさんじゃなくて」
そう言って、ソフィアは笑った。
「そうじゃなくて、どうして貴女が……」
「さて、どうしてでしょう」
ソフィアはそっとミリアに手を差し伸ばし、そのままお姫様抱っこに姿勢になり――走り出す。
誰も反応が出来ない程の、見事な逃げっぷりだった。
「に、逃げやがった! 撃て! お前ら撃て! あいつを逃がすな!」
そんな声と共に、無数の光が背後から襲い掛かって来た。
「わ、私を置いて逃げて下さい!」
ミリアの叫びを聞いて、ソフィアは微笑む。
そして……。
「絶対嫌です」
とても楽しそうに、いたずらっ子の様な声色で、彼女は優しくそ答えた。
最初は、助かったという気持ちがあった。
悔しいけれど、それは事実である。
女性に抱かれる事に安堵を覚え、だからこそ今更に体が震えて来る。
あいつに触られた腕が気持ち悪くて、切り落としたいとさえ思ってしまう。
それでも、安堵したのは最初だけ。
ミリアはまだ、自分の罪を理解出来ていなかった。
肉の焦げる匂いがするまで、その罪がどこにあるのかさえもわからなかった。
焼けこげる匂いが漂って、それがソフィアの体にエネルギー弾が直撃したからだと気付いて、ようやくミリアは助けられた事に安堵していた自分が愚かだったと気付いた。
下級とは言え天使の大軍で、しかも不思議な事に彼女達の火力は上級かそれ以上。
対してこちらは壊れかけの天使と、それを両手で優しく包むただの人。
逃げ切れる訳がない。
「わ、私を捨てて下さい! 貴女まで死にますよ!」
「嫌です」
「だったらせめて、私を捨てて戦って下さい!」
そう、それならまだ目がある。
彼女は聖女ソフィア。
優れた身体能力と強力な治癒魔法を使い熟す自己完結型の戦士。
常人ならば一瞬で蒸発させる強化ライフルでさえ普通に耐え、そして打撃が当たれば天使を確実に粉砕する。
ミリアを捨てたら、ソフィアに勝ちの目は出て、そして勝てずとも容易く逃げられる。
だけど彼女にそのつもりはない。
いや、それどころか、ソフィアは戦うつもりさえ微塵もなかった。
「嫌です」
「な、なんで……。ソフィア、貴女なら五分と言えずとも十分勝算が……」
「何故と言われましても……私は貴女を助ける為に来たのですから」
「……は? 一体、何の事を……」
「ミリアさん。貴女はどうして、私が来るまでに一機も天使を落としてないのですか?」
ニコニコしながら、だけど脂汗を噴き出しながら、ソフィアは尋ねる。
「そ、それは……」
わかっている。
あいつらは天使を裏切った。
あいつらは天使の使命さえ守っていない。
だから敵だ。
わかっているのだが……戦えなかった。
裏切者だとわかっているのに、ミリアは天使を攻撃する事が出来なかった。
だから、ソフィアも攻撃しない。
ミリアを助けるというのは、その心も含まれる。
ミリアの意向に全面的に従うと、ソフィアは最初から決めていた。
びくんと腕が震え、そして近くに高熱反応。
先程よりも酷い当たり方をしたというのは、抱かれる感触で理解出来た。
それでも、ソフィアをミリアを落とさず抱いたまま走り続ける。
天使と戦えないミリアの愚かさ、『罪』。
それさえもソフィアは抱え込んでいた。
わかった。
わかってしまった。
彼女が何をしようとしているかを。
だが、ミリアは理解したくなかった。
そんな事、されたい訳がなかった。
「止めて! もう私を捨てて逃げて!」
「嫌です。絶対に」
「貴女はクロスの大切な人よ! 私みたいな裏切者、いてもいなくても良い存在を助けて良い訳がないの! お願い! これ以上私の所為で彼が苦しむ様な事はしないで!」
ソフィアは微笑み続けた。
べちゃっと音がして、地面に大量の血が零れる。
神聖魔法の治療さえ間に合わない程に、背中にダメージが当たり続けている。
常人なら、万回単位で死んでいる。
敵はソフィアを嬲ってさえいない。
全力で撃ち続けていて、それにソフィアは抗わず、ただミリアを庇い己が身を傷つけ続けた。
「そうですね。貴女はどちらの勢力にももう肩入れできなくて、悪い言い方ですが、いてもいなくても良い存在なんですよね」
「そうよ! だから捨てて! まだ間に合う! 今ならまだ、貴女の力なら逃げる位は……」
「そう。この世界は誰も貴女を助けません。だから、一人位はいても良いじゃないですか。そんな貴女を助ける様な誰かがいても」
そう言って、ソフィアは力なく微笑んだ。
聖女ソフィア。
その名は軽い物ではない。
彼女自身己がそれに相応しいとは思った事はないし、彼女の仲間も相応しくないと思っている。
だけど、彼女は選ばれた。
慈愛の女神クロノスは、彼女を聖女として選んだ。
誰かを助ける為にその身を捧げられる人。
誰かの笑顔の為に無駄な事を行える人。
苦しむ誰かを助けたいと、つい思ってしまう人。
だからソフィアは、聖女だった。
「止めて!」
泣き叫びながら、ミリアは暴れる。
落として欲しい、捨てて欲しい。
『助けないで欲しい』
そう願っても、いやそう願うミリアだからこそ、ソフィアを呼んでしまった。
自分さえも助けようとしない彼女だからこそ、ソフィアは命を賭けてでも、助けたかった。
これはもう理屈じゃない。
誰も助けないなら、自分が助けたい。
それは愛という名の使命であった。
それから二時間……。
ミリアが叫び疲れる程の間ソフィアは弾丸の雨に晒され続けた。
一度もその手に抱いた者を落とさず、一度として足も止めず。
ただただ耐え続けながら……ソフィアは、その目的を達成する。
移動する巨大要塞。
そこに飛び乗って中に入り、ソフィアは皆に告げた。
「お願い……この子を助けてあげて。誰も味方のいない、この子を……」
そう呟き、ソフィアはうつ伏せに倒れる。
背中は焦げむき出しになった筋繊維と、白という色から遠く変色した骨が露見していた。
痛くない訳がない。
辛くない訳がない。
それでもソフィアは、どこか満足そうだった。
ミリアは本当の意味での愛を教えられた。
天使の使命により物ではなく、心から来る慈愛を。
だけどそれに返す手段を持たず、ただ、泣き叫ぶ事しか出来なかった。
ありがとうございました。




