誰よりも臆病であるが故に
上級機甲天使、その頂点を示す七つの聖名。
最も優れた能力を持つ七機にのみ与えられる特別な名誉。
その頂点の七機は既に……その全てが既にこの世界から消え失せていた。
戦力として不要となった……いや、戦力よりも餌としての価値が高くなったから、そうなった。
当初の予定通り。
アリスにとってこれは、ただ時間の問題であり予定の範疇の事でしかない、何の特別でもない事だった。
司令塔である人類救済機構さえ、アリスの手に堕ちている。
狂った過去の産物は、もはや壊れたお題目さえ唱える術を失った。
一騎当千である上級天使はクィエルの娯楽兼訓練として雑に食い散らかされつつある。
どこに逃げようと、どうしようと、彼女達に生存の道はない。
敵に殺されるか、見下していたクィエルに嬲られるか。
そして圧倒的に前者の方がマシな末路と言えるだろう。
そうして残ったのは洗脳された下級と、洗脳する必要さえない愚かで欲深い下級のみ。
要するに、天使と呼ばれる勢力をアリスは喰らい尽くしていた。
それでもアリスは満足していない。
正直に言えば、物足りなかった。
手応え的な意味だけでなく、補強戦力的な意味でも。
クィエルを飼う事が出来たのは嬉しい誤算だが、総合で見ればまだマイナスである。
だから……それの出現はアリスにとっても決して悪い事だけではなかった。
それは唐突に、本当に何の前触れもなく彼女はアリスの前に現れた。
その外見は機械が露見した女性体という限りなく天使に近かった。
ただし、従来の天使とは異なり翼を持っていなかったが。
それでも、彼女は天使であるとアリスには理解出来た。
天使以上に遊び心を感じないが、その在り方や佇まい、そして人という存在を見下した視線は天使そのものであった。
ここは天使の拠点であり限りなく高度な防衛装置が働いている。
だが、不思議な事に防衛機能は一切反応しておらず、それどころか味方信号さえ受信していない。
更に言えば、クィエルにさえも今の今まで認識されずここまで来ていた。
後、もうついでとしか言えないが、護衛役として待機していた天使が全機、バラバラ死体の様になっていた。
「あ、アリス! 敵影確認。すぐに逃げ――」
アリスはくすくすと笑った。
「良いのよクィエル。さて……お客様に一つ尋ねたいのですが、宜しいでしょうか?」
彼女は無言だったが、アリスは無視して質問を問いかけた。
「お仲間を殺して平気なんですか?」
誰とか何とか重要そうな質問ではなく、アリスはただ煽る為にそう尋ねた。
「――それが、役目だ」
「あらそう。つまんないのわね、貴女」
アリスは嘲る様に、それを嗤った。
「そもそも、お前は一体――」
口を開くクィエルを見てから、彼女は顔を顰めた。
「なんと醜い姿を……」
「そう? 私は良いと思うけど?」
アリスの言葉に彼女は最大級の嫌悪を見せる。
その位、真っ当な天使から見たら今のクィエルは異形であった。
「……私は『ラスト・ナンバー』。イレギュラーを排除する復元装置」
彼女に己を示す名前はない。
あるのはただ、役割のみ。
『ラスト・ナンバー』
それはその名の通り総てのナンバーズがいなくなった後に現わる最後のナンバー。
七機という縛りにおける八番目の存在。
その存在理由はただ一つ。
ナンバーズ総てが喪失した場合に現われ、ナンバーズが解決出来なかった問題を解決する事。
つまるところ、予備も兼ねたトラブル解決要員である。
人類救済機構は壊れている。
アリスがどうとかではなく、最初から封印処理される程度には欠陥品である。
人類を守護すると謡いながら人の発展を阻害し、挙句の果てには好まない人間を殺す。
そんな矛盾を抱える装置に意味などなかった。
だが、壊れているのはその主軸の『救済』の部分であり、それ以外の機能は魔導機文明屈指の出来であった。
天使の生成、増産から作戦遂行能力、セキュリティにリスク管理。
その中には当然、リカバリー機能も用意されている。
そのリカバリーの中で極地に当たる存在が、外付けユニットであるこのラスト・ナンバー。
洗脳対策やメインシステムの暴走対策として人類救済機構ではなく独立した命令系統を持ち、裏切った天使を殺す為天使特攻としても作られ、そして……全ての問題を解決出来るだけの単独戦闘能力を持つ。
要するに、魔導機文明が用意した『こんな事もあろうかと』システムの万能兵器が、彼女であった。
此度の彼女の役割は……アリスとクィエルを葬り人類救済機構を一端破棄し再構築。
そのその後に天使勢力を元の数に増やし再び眠りにつく。
それだけが彼女の目的であり、そしてそれ以外の全てに彼女は関心がなかった。
「……ふぅん。なるほどね」
ニヤニヤした目で彼女を見ながらアリスは呟く。
「アリス。急いで逃げて下さい! ここは私が命に代えても……」
「むしろあんたが逃げなさい。ありゃあんたじゃ勝てないわ」
「わ、私で勝てないなら尚の事アリスじゃ駄目です! そんな脆弱な体でどうするつもりですが!?」
クィエルは必死な形相で叫んだ。
別段仲良しこよしであるつもりはない。
限りなく優先順位は低いが、クィエルにとってはアリスでさえ妬むべき生者である。
だがそれでも、自分が生きアリスが死ぬという未来だけは受け入れがたい。
あまりにも情けなさすぎるからだ。
そんな事になれば、自分の滅びが下らない物となる事が容易に想像出来てしまう
アリスを見殺しにした後の終わりなんてのは、考え得る限りの中でも最低に愚かで、あまりにも下らなさすぎる。
それなら道半ばで敗北した方がまだマシだろう。
だから、アリスだけは助けたい。
そんな必死な様子のクィエルを見ても、アリスはくすくすと笑うだけだった。
「少し、調子に乗ってるわね。まあ良いわ。許してあげる。さっさと来なさい。ラストちゃん」
アリスはクィエルから距離を取りそう彼女に告げながらちょいちょいと挑発という名前の手招きを行った。
「私のどこが調子に乗っていると?」
「ん? ああ。あんたじゃなくてそれはクィエル宛てよ。ちょっと力付けた位で私にマウント取って来るから。ほれ、良いからさっさと来なさいって。それとも口だけ?」
アリスの言葉を聞いて、彼女は即座に襲い掛かる。
手甲からロングソードクラスの金属ブレードが生え、そのまま突進しアリスの傍に。
ここまでは、シンプル過ぎる動きだった。
限りなく高性能な物理ブレードと、剣狂いのセカンド以上の瞬発力というカタログスペックごり押し戦法だが、それでも動きそのものはシンプルでしかない。
そして彼女がアリスを間合いに捉えた瞬間――時間が止まった。
比喩でも何でもない。
彼女、ラストナンバーの固有能力は『時間停止』である。
総ての天使を倒す為、あらゆる障害を越える為、彼女はその役割の為に、彼女はその力を手にしている。
現世界でも不可能な、その禁忌の力を。
だが――。
「い、いない……だと……どこだ!? どこに行った!?」
時間停止を解除し、彼女は慄く。
そこに居たはずの彼女が、時間を止めた時には既に煙の様に消えていた。
彼女はアリスの姿を探し……そして部屋の隅の、十メートル以上離れた場所に立っていたるのを発見した。
「……ふぅん。随分と変わった空間転移……いえ。それにしては早すぎるし驚き方がおかしい。……ああ、もしかして貴女……へぇ。そんな面白い事出来るの……。ちょっと興味出て来たわ」
アリスは今までの無感情が嘘の様に愉しそうな顔となっていた。
「な、なんでそんな場所に。そ、それこそ人間に転移など出来る訳が……」
転移阻害はナンバーズの能力である為、喰らい尽くされた現状では転移阻害が発動している区域は非常に少ない。
だが、この場所は、アリスがいるこの場所だけはどこよりも強く転移阻害が働いている。
従来の天使勢力本拠地である事に加え、ラストナンバーも転移阻害を発動しているからだ。
その状況化で空間転移魔法を発動させる事など出来る訳がない。
それこそ、この場で転移出来る者など転移特化能力を持つ天使位で……。
「そうか。貴様かクィエル。貴様が奪った仲間の力を使い手助けを……」
クィエルは必死に、ぶんぶんと手を横に振った。
「な、何もしてませんよ! というか何も出来ませんよあの一瞬じゃ!?」
「……なら、どうして……どうして貴様が転移を出来る。アリス!?」
叫び声を聞いて、溜飲が下がった様な楽し気な顔でうんうんとアリスは頷く。
少しだけ気分が良かったのと、クィエルにお灸をすえる意味も兼ねて、答え合わせをしてあげた。
「どうしてもなにも、この程度出来ない訳ないじゃない。天使如きが私に勝てると思ってるの?」
「――わからん。一体それは……どういう意味だ?」
「私はどっちでも良いわよ? 転移阻害の網をすり抜けて転移魔法を使っても、魔法という枠組み以外での転移でも、どっちでも。何なら力技で転移阻害破ってみせましょうか?」
「お前は……お前は何を言っているんだ? 一体……お前は……」
「クィエルも誤解してるみたいだから教えておいてあげる。私、あんたらよりも強いの。誰よりも強いと言っても別に良いかもしれないわね」
恥ずかし気もなく、アリスはそう口にした。
そう――それは、とても単純な事。
アリスは単純に強い。
だから今日まで生き続けられた。
死という絶対者に逆らい続けながらでも……いや、死の運命に逆らえる程度には、アリスは力を持っている。
強くなる為に努力する。
それが普通の『人』である。
だが、アリスは違った。
アリスには選択肢がなく、ただ強くなるしかなかった。
努力とかそういう目的さえ関係なく、そうでなければ生きられなかった。
邪道に手を染めねば生は紡げず、邪道に堕ちる程に敵は増え生き辛くなって……それでも尚、その細い道を執念のみで潜り抜けて来た。
だから、アリスに至っては逆となる。
今日まで生きているという事そのものが、誰よりも強いという証明であった。
「ああ、もしかしてカタログスペック低いし天使にへりくだってたから弱いと思ってた? あははははは。正しい実力を読ませる訳ないじゃん。実力が露見すればそれだけで不利になるし。本当……簡単だよね皆。何も考えてないんじゃない? 病弱なふりしてたら勝手に虚弱体質だと思ってくれて本当楽ちん。いや虚弱なのは事実だけどさ」
いつもよりも饒舌に、機嫌良くアリスは言葉を交えて行く。
とても楽しかった。
クィエルの茫然とする顔を見るのが、ラストナンバーなんて名を持つ『粋って出て来た馬鹿』の役割を潰すのが。
「……そんな訳がありません。貴女の身体能力は精々下級天使程度で……」
微笑みながら、アリスは言葉を挟み込む。
「あんたの時間停止――範囲は大体二、三メートルって所ね」
ラストは息を飲んだ……。
その動作一つで、アリスは自分の推測に確信を持つ。
「人間に等しい感情を造ったが故に、人間と同様の弱点を背負う。何とも下らないわね本当……あんた造った奴馬鹿じゃない」
そう言ってアリスは、ぱちんと指を弾き魔法を行使する。
小さな、小石程度の炎の玉がラストナンバーにゆっくりと飛来してきた。
それを見て、ラストナンバーは困惑を覚える。
ほとんど感じない程薄い魔力に大した事のない熱量。
そんな物では自分は当然下級天使さえ……いや、ただの人間さえ倒せない。
これは、比喩表現ではなく本当にキャンプの火種にしか使えない。
どうしてこんな弱い魔法をこのタイミングで……。
ただただ彼女は困惑する。
防御もせず攻撃もせず、答えの出ない問いに考え続けて……。
ラストナンバーが硬直しているその間にゆったりと移動する火球はその腕に触れ――上腕部がごっそりと抉れて消えた。
直後に、視界の大量の極大のダメージによる損失表記が走った。
「な、何だこれは……どういう事だ!?」
確かに、触れるまでは大した事のない魔法のはずだった。
だが、触れた時には魔導クラスの魔力を感知していた。
対魔障壁を軽々打ち破り、魔法耐性を持つ装甲を容易く喪失させる程の、人間に出せるとは思えない程の超火力魔法。
あの火種一つで、隕石と同等かそれ以上であった。
「だから言ってるじゃん。実力読ませる訳がないって」
そう言ってから、再び指をぱちんと弾く。
無言かつ単純動作の簡略魔法行使。
それによって現れたのは再びあの極小の、何の強みも感じない火球。
最上級天使の抵抗さえも軽く貫く、極大魔法。
ただし今度は……それがラストナンバーの周りにぎっしりと、数千という数で取り囲んでいた。
それはさながら火で出来た鳥かごの様で……。
「さあさあどうぞお好きに時間を止めて頂戴な。いやー時間停止を観測出来るなんて良い機会ね本当」
そう言って、アリスはくすくすと笑う。
クィエルは今更に、アリスの本質を思い出す。
自分が『逃げろ』なんて言う必要は、全くなかった。
もし本当に不味い状況だったなら自分が何か言う前にアリスはとうに逃げている。
自分を見捨てても、総ての損失をかなぐり捨ててでも、プライドも尊厳も総て投げ売ってでも。
アリスには、そういう生き様しかない。
だから今回逃げなかったという事は『逃げる必要さえなかった』のだ。
それはつまるところ、今の自分よりも強いラストナンバー相手であっても、一ミリたりとも死ぬ可能性がないという、ただそれだけの事でしかなかった。
「き、きゃあああああああああああああ!」
全身炎で覆われ、苦しみと痛みから悶え暴れる彼女の姿は、まるで激しいダンスを踊っているかの様だった。
「あら、随分と少女らしい、可愛らしい悲鳴ね」
足が墨となって崩れ落ち、倒れじたばたと虫の様に暴れる彼女をアリスは見下ろす。
これだけ強い相手でも、彼女にとっては娯楽でしかなかった。
「……アリス。一つだけ教えて下さい。そんなに強いならば、クロスだろうと簡単に殺せるのでは?」
その言葉を聞いて、アリスは非常に不機嫌そうな表情となった。
「楽しい時間に最低な名前出さないでよ。……まあ良いわ。説明しておいた方が良い事だし。そうね……確かに、あんたの思う通り、容易く殺せるでしょうね。これよりクロスは弱いもの。例え今この瞬間何倍に強くなってもね」
「だったら何故……」
「勝率は限りなく百パーセント。だけど、限りなくであって絶対じゃない。そして零じゃない限り、あいつはそれを引き当てる。そういう奴なのよ。それが戦わない理由。クロスだけじゃない。イレギュラーの可能性がある奴らとは私は極力戦わないわ。だってねクィエル。『1%の敗北』ってのは要するに、千回やればほぼ確実に一回は負けるって事なのよ?」
「……これだけの相手を圧倒しておいて?」
「だってこいつ相手なら負ける可能性微塵もないもの。もう聞こえてないでしょうから教えてあげる。こいつの欠点。要するにさ、こいつら常に最適解の行動、最善の選択、最高の能力発揮しか出来ないの」
「それのどこに欠点が……」
「出せる実力にムラがないのよ。同じ行動を取ったら必ず同じ事が起きる。だから戦いでイレギュラーが起きないし先の予測もしやすい。その上実力関係なく結果が容易く確定する。勝ちでも、負けでも。それがあんたら機械共の弱点よ。覚えておきなさい」
「……ええ。覚えておきます」
「あら? やけに素直ね。ちょっとお灸をすえ過ぎたかしら? まあどうでも良いけど。さ、クィエル。最後の晩餐よ。召し上がりなさい。ちょっとばかりウェルダンだけど、悪食のあんたにゃ関係ないでしょ」
そう言って、アリスはくすりと笑って、その人型だったとは思えない虫の息の何かを魔法で宙に浮かし、ぽいっとクィエルの方に投げつける。
クィエルの腹部から獣の頭部が現れ、消し炭の様なその残骸を、その獣は喰らった。
一回り……いや、三回り程、クィエルの全性能が向上する。
その様子を見て、アリスは嗤った。
嬉しい誤算だった。
これまでの計画で、アリスは致命的な失敗を一つだけ犯している。
頂点の七、ナンバーズのコンプリートをスミュル・セカンドをロストしてしまった事により失敗した事である。
七つの喇叭を揃えた時のみに、その計画の発動は許可される。
だが、ここで補欠ナンバーが出てくれてスミュルの代価となり、七つ総てをクィエルがその身にてそろえる事に成功した。
ミスを完全に帳消しにした。
その上、実力も大きく向上したなんておまけもついて。
ラストナンバー。
彼女は餌は餌でも、アリスにとって非常に都合の良い、極上の餌だった。
「もう少ししたら、私でも怪しくなるかもね。あんたの強さだと」
そう言われても、クィエルは全くそう感じない。
例え自分が機人と同等の戦力を持ったとしても、アリスにはきっと勝てない。
それが自然の摂理であるとしかもう思えなくなっていた。
「貴女、化物ですね。同類と思ってたけど違うみたいです。私なんて単なる紛い物だった」
「今更気づいたの。馬鹿ね。本当。でも、そういう所が可愛いわ」
アリスは嗤う。
クィエルはアリスが自分を対等に扱わない理由を理解した。
傍若無人なのだと思ったけどそうではなく、純粋に、実力が違い過ぎた。
「まあ、紛い物は紛い物らしく、出来る事をして好感度を稼ぎましょう。さあアリス。どうぞ私を使って下さい」
実際は演算回路として使われるだけなのに、クィエルはわざとらしく、さっきの仕返しも兼ねて娼婦っぽく色気を出してそう口にした。
「零点ね。艶が足りないわ。あと本気ならもっと嗜虐心がそそられる感じでお願い。私、弱い者いじめが趣味だから」
アリスのそれが本気なのか冗談なのかわからず、クィエルは何も言えなかった。
ありがとうございました。




