繋がれた鳥の行く末
ミリアが目を覚ました時、己の状況が最悪に近い事を即座に理解した。
ノイズだらけの視界に放置せざるを得ない程の圧倒的な数の故障報告警報。
だがそれ以前に、何かがまとわりついていて身体が動かない。
恐らくベッドの上であろう場所で、確認出来ないから確証はないが天使でさえ動けない程完全に拘束されていた。
更に付け足すなら、原始的な様で未来的で魔法なのか電気なのかよくわからない、天使が見てもまるで意味がわからない不気味な機械だらけの部屋の中、自分もそんな不思議マシーンとチューブで繋がれているのだから最悪と言って良いはずである。
何とか体をねじって首を動かし、横に目を向ける。
そこには、不気味マシーンと向き合い、明らかに天使の体から取り出したであろう身体の一部をにやけ笑いを浮かべながらいじくり回しているマリアベルの姿があった。
天使界隈にて怪談の様に語られる、悪名高い狂気のマッドサイエンティスト、マリアベル。
死さえも凌辱する女、尊厳という概念さえ知らない狂人。
そう語り継がれているとは言え、ミリアはそういう噂を信じない。
天使が話を盛る何てことは何時もの事だし、天使という存在は自分の敵に関してはどんな罵詈雑言を浴びせても良いと思っているフシさえあるからだ。
そうして噂を信じず自分の目で見て……時には、噂が正しい事もあるなんてちょっと後悔を覚えていた。
火のない所に煙はなんとやらと言う様に、噂となるには一定の理由があるという事でもあった。
だから、どうやら自分は、死よりも辛い目にこれから遭うのだろう。
そんな絶望的な気持ちでマリアベルを見ていると、マリアベルが視線に気づきミリアの方に目を向けて来た。
「あら起きたの。良かったわね」
「……良かった?」
「ええ、このまま起きないかもって最近は思ってたから。ま、ちょっと待ってて。立ち合いに誰か呼ばないとその拘束解けないから」
そう言ってから、マリアベルはとことこと外に出ていった。
「……あれ?」
思ったよりもあっさりしていた上に拘束具まで解けるという状況にマリアベルは少しだけ混乱を覚える。
完全に、酷い目に遭う流れだと思っていた。
信じるべきという気持ちが再び湧いて来たが、未だここは恐ろしいという気持ちも消えない。
二つの気持ちが心の中でせめぎ合っていた。
個人的には、信じたい。
人を信じる事こそが天使であるはずだからだ。
ただ、この状態になるまでに凄く酷い目に遭った様な気がするのだ。
具体的に言えばいきなり刃物でぶっ刺されたあげく電撃責めを喰らった様な……。
いまいち信じ切れない自分を嫌悪すべきか、自分のこの恐怖を正しい物と受け取るべきか。
ミリアはその狭間に悩む事で、再びマリアベルが戻って来るまでの時間を潰した。
「起きたのね。良かった」
入って来てからそう言葉にし、優しい笑みを浮かべるステラがミリアには慈愛の女神か何かに見えた。
敵相手に本当の意味で無事を喜べるなんてのはそうないだろう。
「そうですね。本当に良かったです」
アリアもそう言葉にする。
その目には涙が浮かんでいた。
その後にマリアベルが戻って来て、部屋のドアを閉めた。
「さて、それじゃあ拘束具を外すけど……一応聞いとくわね。暴れるつもりとか逃げるつもりとかない?」
「ありません。そこまで恥知らずではありませんから。ですがその前に、一つ尋ねても良いかしら?」
「どうぞどうぞ」
「どうして、彼女達はボロボロなんですか?」
ミリアはそう言って、ステラとアリアの方を見た。
彼女達はどちらも、ボロボロという形容詞が付く様な有様だった。
重症を負っている様には見えないが、軽い負傷やら汚れやら服の破れやらで、女性として見たら割かし悲惨な事となっている。
もう少し身だしなみに気を使ったらいいのではないだろうかとミリアすら思う位だった。
「んー……少し長い話になるし、貴女の体を診断しながらで良い?」
「ええもちろん」
マリアベルはミリアに近づき、拘束具を外さないまま肉体の最終チェックに入った。
「んー……まず話の前にちょっとしたすり合わせをするけど、貴女結構長い事寝てたのよね」
すぐさまミリアは各種サーチを走らせ、周辺地域の気温、湿度、天候等のデータを取り込み、今現在の日時を逆算してみて……。
「三か月以上も経ってる……」
「そうなのよね。すぐに目覚めると思ったのに……人間だったらリハビリ必須だけど大丈夫そう?」
「それはもちろん」
「それなら良かった」
その言葉の後、マリアベルはバッカニアの現状を話し出した。
それは本来なら国家機密なのだが、マリアベルはあらゆる意味でアンタッチャブルであった。
状況は単純で、ミリアが来る少し前から襲撃が激化したというだけである。
ボロボロなのはその襲撃の対処に手いっぱいであり、身だしなみを整える時間もそうないからだった。
それはただ単に天使がこれまで以上に大量に来る様になったという訳ではなく、動き方の変化による物が大きい。
やる事に遠慮がなくなったという方が表現的には正しいかもしれない。
例えば、中級機甲天使を突撃させて自爆させたりとか、下級機甲天使がわざと撤退し追撃してきた兵を罠にかけたり。
そういったこれまで行わなかった、行って欲しくないとバッカニアがずっと思っていた行動を、天使は取る様になった。
明らかに動きが軍のそれである。
それはつまり人間を対等と見て戦術を組む様になったという事で、明らかに天使の集団意識らしからぬ行動であった。
いや、それ以前に……。
「そんな急に戦力が増えるなんて……おかしい」
ぽつりと、ミリアは呟く。
そう、眠りにつく前の段階でナンバーズは欠け、上級は半減し、下級は生産が追い付かない状態であった。
バッカニア勢力は戦力を拡張しうる中、天使勢力は三割以上の戦力は消失した。
それはほとんどほぼ負けが決まっている状況である。
少なくとも、作戦部外者であるミリアには敗戦処理が必要だとみていた。
そこから一気にバッカニアを追い込むまでの戦力を補充するというのは、正直どう考えてもあり得ない。
例え未使用の製造ユニットが三つ四つ見つかったとしても無理だろう。
「……はい。チェック終わり。右腕の違和感とかある?」
マリアベルのその言葉で、ミリアは自分の腕が喰われたという事実を思い出す。
その位、接続された腕に違和感がなかった。
「いいえ。素晴らしい腕前ですね。参考までに、一体どの様な手段を使ったのか尋ねても?」
右手をグーパーと動かしながら、本心で関心しながらそう尋ねた。
「あー……むしろこっちが聞きたいんだけど……何か自動治癒とかそういう能力ある?」
「ある程度の修復はありますが欠損を修復する程では」
「そうなんだ。……うん。適当に繋げて見たら繋がったんだよね。腕だけ。何か思い当たる事ない?」
これは、マリアベルにしては非常に珍しい事で、患者の事を気遣い遠慮した物言いである。
実際は『勝手にくっついた』と呼ぶ以外にない様な、不可思議な現象が起きていた。
うにょうにょと金属が液化しながらくっつき手の大きさが代わり適応していくその有様は、マリアベルでさえちょっと不気味に感じる位のえぐい光景であった。
「それはあの子が……いえ、何でもありません」
言いかけた言葉を飲み込み、ミリアは首を横に振る。
一瞬、本当に一瞬だが、あまりにもらしくない事を考えた自分を嘲笑する。
非科学的で、天使らしからぬ、あり得ない事をどうして考えたのかさえわからなかった。
「そう。ま、そういう感じで話戻すけど、今ウチ割と追い詰められてるのよね。負けないけどしんどいみたいな感じ。っと、はい終わり」
マリアベルは複数ある拘束具のロックを解除しミリアを自由にした。
ミリアはベッドから静かに立ち上がり、マリアベルに深く頭を下げる。
「感謝を。当然、お二人にも」
「ううん。それは良いよ。クロスの望みだし」
ステラはそう言葉にする。
実際、クロスが助けたかったから助けただけでありあまり大きな感謝をされたら罪悪感を覚えてしまう。
だから、適当な位で丁度良かった。
「本当――彼は凄く……困った人ですね」
「うん。困った人。だけど大好きな人だよ。皆がね」
ステラの言葉に合わせアリアはぶんぶんと首を何度も縦に振る。
その様子はどこか犬の様だった。
「……それで、私はどうしたら良い? 先に言っておくけどなか――」
「――仲間にはならないでしょ。わかってる。こちらとしては貴女個人との休戦協定を延長……というか結び直しがお互いに都合が良いと思うけどどう?」
ステラの言葉にミリアは目を丸くし驚く。
仲間にならないけどすぐには敵対せず、その内戦うなんて玉虫色の回答。
それは、ミリアにとって理想とも言える程都合の良い展開であった。
「……それは、誰が考えたシナリオ?」
「クロスだよ。トップが会談で決めた事だから、その通りで良いなら今この場で締結出来る。逆に休戦より上や下にしたいならすぐには決められないかな。ぶっちゃけ休戦協定を結ぶって決まってる感じ」
「そう。流石としか言えないわね。それで構わない……いえ、文句なしよ。私の我儘を聞いてくれて感謝すると伝えておいて頂戴」
ミリアはそう言ってから、小さく溜息を吐いた。
我ながら何と度し難い我儘を押し付けているのだろうか。
もうここまで来ればクロスの味方になる位しても良いというのに、天使としてしか生きられない自分が酷く醜い様に感じた。
人間側に付くという事はあり得ない。
この身が天使であるからだ。
だからといって、このまま天使勢力に戻るという事もまたミリアには出来ない。
親友が罠にかけられて殺された。
恨みを捨てたとして考えても、今の天使勢力が真っ当な状態とは考えられない。
そもそもの話だが、その天使の裏切りで死にかけた中で助けて貰った恩がある。
それを無視し人と戦う事を許容する程、ミリアは醜くなれない。
そてはミリアの考える天使像とあまりにもかけ離れている。
バッカニアと戦う事も出来ないが、天使として戦う事も出来ない。
そんな宙ぶらりんな状態を完全に見抜き、都合良い状態にしてくれた事。
それがクロスの想いであるという事位は、ミリアにも理解出来ていた。
翌日、ミリアはバッカニアを出て行った。
もう少しゆっくりすれば、せめてクロスが戻るまでに待って別れを言ったらと言われたが、そうもいかなかった。
ステラやアリアはそうじゃないが、それ以外は自分を歓迎していないとわかるからだ。
ステラ達が来た時にも、部屋の外には大勢の兵が待ち構えていた。
天使である自分を恐れてやマリアベル達重鎮を心配してというだけではない。
彼らの中には、明確な恨みを持っていた者もいた。
天使の攻撃が激化したという事は、それだけ犠牲が出たという事でもある。
だとしたら、天使である自分が恨まれるのは正しい事であり、そんな自分がバッカニアにいて良い事などある訳がない。
それがわかるから、ミリアは少しでも早くバッカニアの外に出たかった。
クロスと最後に会いたいという気持ちがなかった訳でもないが、それ以上に、彼ら『人』に迷惑をかけたくないという気持ちが強かった。
「……ステータスチェック。……可動してるのが奇跡ね」
自分の状態を見てミリアはそう言葉を漏らす。
マリアベルの修繕は決して悪い物ではなく、むしろ人にしては天使の肉体を理解し過ぎている位だ。
これはマリアベルの所為ではなく、ただ純粋に死にかけた後遺症が大きすぎるだけ。
肉体性能は全盛期と比べて三割。
魔力関連に異常があり常時魔力漏れによるロスが発生。
どこかで数時間程稼働を止め魔力補充しないと動かなくなるだろう。
つまり、人間で言う睡眠が必要な状態である。
被害は肉体の損傷による物だけではない。
ミリアは立ち止まり、地面に手を当てる。
ミリアの字である『機械製造王』、その能力はサーチ、製造、維持の三つに分類される。
その三工程全てが、激しく劣化していた。
今までなら地中含め半径数百メートル範囲をサーチ出来たが今は地中は全く判別出来ず範囲に数メートル程度。
製造は速度があり得ない程に遅くなっている。
製作難度が高い物程速度が低下する為、中級機甲天使の様な物を作る事は現時点の状況だと事実上不可能であると思って良い。
最後に維持。
数万の人形を並列管理出来たが今はその半分も無理だろう。
劣化の原因は不明。
肉体の欠損程度では変わる事のない固有能力が大幅に劣化していた。
まるで誰かに情報以外の大切な何かを簒奪された様な、そんな喪失感がミリアの中にあった。
「……それでも、死ぬよりはマシよね。私は生き残ったんだから」
そう呟き、ミリアは瞳を閉じる。
瞼の裏の暗闇の中には、テアテラの姿が宿っていた。
目を覚ましてからずっとである。
ずっと、テアテラが瞼の裏に焼き付いていた。
おそらく、これは物理的なエラーではなく精神的なエラーによる物だろう。
そうミリアは自己判断をしている。
責める様なジト目で見つめるテアテラは、まるで『どうして生きているんだ?』と言ってる様だからだ。
テアテラなら、そんな事は言わない。
だから、それが責めて欲しい自分の心が生み出した偽物であるとミリアは理解出来ていた。
いや、もしかしたらそうではなく、これは死ぬ事が恐ろしいと感じてしまったから、死の象徴である彼女が見えているのかもしれない。
「あるいは、その両方か……」
とは言え、どうでも良い事である。
人間と違ってその程度で死ぬ事はないし、この程度の不幸で死ぬ事など許されない。
まだ、ミリアは死ぬ訳にはいかなかった。
明らかにおかしい今の天使勢力を調査し、おかしなところを修正する事。
そして天使勢力が真っ当になった後人間達に恩義を返し、真っ当な天使としてバッカニアに正々堂々と戦いを挑む。
そこまでしない限り、死ぬ事さえも許されない。
それが生き残った者としての役目であるのだから。
そしてもし……もし許されるのなら……。
「もう一度、生きている内にライブを開きたいな。誰も見てくれなくても良いから、無観客でも、何の設備もなくても良いから、プロデューサーと一緒に……」
それを映像として残せば、もうそれで良い。
身体が欠損し、能力が劣化し、天使としても曖昧となった。
そんな不完全となったからこそ、アイドルとしての頂点を望む事など出来る訳がなく、だからこそ、今の自分をただ遺したい。
それがミリアの今考える、願いという名の夢だった。
ミリアは静かに地面に手を当て、能力を作動する。
大幅に劣化し弱体化している。
それでも、結局のところ使い方次第である。
力任せが出来ないからと言って決して弱い力ではないという事は、持ち主のミリアが一番良く理解出来ていた。
「……『製造』」
その言葉と共に、三メートル程の鉛色の巨大な鳥が生成される。
その鳥はミリアを乗せると、己の色を空と同色に調整し空に羽ばたいていった。
ありがとうございました。




