エゴ
出会った時――彼女は一つ、小さな嘘を吐いた。
「失礼ですが、貴女の名前を教えて頂けるでしょうか? どうにも上手く同期が取れない様で……」
おどおどとした態度でそう尋ねて来た後輩のテアテラに、彼女は答える。
「ヴァーミリアン・フォース」
「――登録完了。お手間をおかけしました」
そう言って、テアテラは深く頭を下げた。
それは、本当に小さな嘘だった。
彼女の本当の名前は『ヴァーミリオン』。
自分の名前は嫌いで、だけど嘘を付く度胸もなくて、そして中途半端に誤魔化した名前となった。
わざわざネットワークの同期に謎の誤作動を起こし名前が表示されない様にしているから、時折他の天使がこうしてミリアを尋ねに来ていた。
その名前を聞いてテアテラは……。
「ヴァーミリアン様、素敵な名前ですね!」
そう言って、テアテラははにかむ様に微笑んだ。
ちょっとだけ嘘が入った嫌いな名前を、『素敵な名前』だと呼んでくれた。
頂点の七である一機の『四』ではなく、名前の方を。
だからだろう。
少しだけ、嘘を付く罪悪感が薄れた様な気がした。
「ありがとう。でも、あまり好きじゃない名前だから、ミリアって呼んでくれたら嬉しい」
そう呟くと、テアテラは……。
「何を言っているんですかヴァーミリアン様!? 頂いた偉大なるお名前にそんな事を! 不敬ですよヴァーミリアン様!」
目を見開き、わざとらしく繰り返すテアテラを見て、ミリアは理解した。
『あ、これ苦手なタイプだ』と――。
「そう……苦手だった。……私はテアテラが苦手だった。なのに、それなのに……」
クロスに抱えられながら、ミリアはそうずっと自問自答を繰り返す。
生体反応はとうに消え、既に数時間飛びっぱなしであの場所から大分離れて……。
それでも、ミリアはテアテラの事をずっと、ぶつぶつと呟き続けていた。
苦手だった。
なのに、なんでこんなに胸が苦しいのか……。
「苦手でも、好きだった。そう言う事だろ」
「……矛盾している」
「してないよ。好きってのはそういうもんさ」
「…………わからない。私には、それは理解出来ない。だけど……」
「だけど?」
「だったら尚の事、悲しい。……私は、テアテラの事を何もわかってあげられなかった。苦手だからというだけで、遠ざけてしまって……」
「……そんな事ないさ。沢山わかっていたから、苦手だったんだよ。それでも好きだった。ただそれだけの話さ」
「……ごめん。ごめんなさい。テアテラ……。もっとちゃんと、貴女と向き合ってあげたかった。例え嫌いになったとしても、もっとちゃんと――」
そう最期に呟いた後、ミリアは急に意識を落とした。
「……親友を失ったんだ。倒れるのも無理はないか」
そう言ってクロスが悲しそうに笑って――。
「違いますお父様! この反応は……」
アリアの叫びで、クロスはいかに自分が腑抜けていた事に気が付く。
そう、知っていたはずなのだ。
命を賭してそれを教えて貰っていたはずだった。
タイガーは生ける屍にただ触れられただけでその部位を切り落とした。
そうしなければ、今頃はタイガーもあれらの同類となっていた。
そんな生ける屍の親玉みたいな奴に、ミリアは腕を食いちぎられている。
感染被害がない訳がなかった。
初めてそれを見た時、アリスでさえも感嘆の声をあげた。
神々しさすらも持ち合わせていて、この世界に君臨した存在として、限りなく完成に近い様にさえ感じた。
ただ、天使のお気に入りの部品をもいで繋いで合わせた玩具だというのに。
肉体を奪われた事へのコンプレックスと魂を失い求めるこの慟哭。
それらをぶつけ作ったクィエルの肉体は、傑作と呼ぶに相応しい物であった。
例えるならば、女神の彫像。
天使よりも人に近く、人よりも理想に近い。
この不完全な世界に存在する訳がない矛盾。
芸術家が生涯を賭けて創造した一枚の絵画の中にいる美の様な、そんな美しさをその肉体は秘めていた。
とは言え、美しいのはただ上手に造ったというだけでなくクィエルという存在も大きな影響を与えている。
つまるところ、今のクィエルは限りなく天使の完成形に等しい。
まあ、当然と言えば当然だろう。
これまで嗜虐し、弄び、喰らって来た天使の分だけ、彼女の性能は向上するのだから。
また、彼女は既に失敗した一機を除くナンバーズ総てを喰らっている。
膨大な情報量を持つ彼女は天使という器からは外れ、『擬似機人』や作り物の神』と呼ぶに相応しい存在となっていた。
更にもう一つ、彼女の美しさには理由がある。
クィエルのその求めても求め切れない慟哭、魂を失った嘆き。
彼女は、世界そのものを恨んでいる。
世界に存在する総てが歪んでいる様にしか感じられず、彼女は乾いた砂漠の中に住む魚の様に藻掻き苦しみ続けている。
故に、その性根は腐り切っている。
だからこそ、彼女は美しかった。
憎悪を越え、虚無を越え、それは混沌と呼ぶに相応しい。
総てを滅ぼさんとするその在り方は、邪悪なる神々の様。
つまるところ、クィエルは生物では行きつかない極地に辿り着いてしまっていた。
存在してはならないが故の魅力が溢れ出る程に。
「おはよう。それともハッピーバースデーの方が良い?」
当然だが、その言葉は純粋な嫌味である。
生まれた事が幸せだなんて発想は、彼女達にはないのだから。
ニヤニヤ顔のアリスと対面し、クィエルはアリスの方に近寄り、妖艶な顔でアリスの顔を優しく、柔らかく、そっと撫でた。
「どちらでも構いませんよ、アリス。……ふふ……」
「何? そっちのケでもあるの? 悪いけど今日の調子じゃ付き合えないわよ」
「調子よかったら付き合って貰えるのです?」
「ええもちろん。その程度で情に絆されてくれる都合良いし。まあ、あんたはそう変わらないだろうけど……、私に従うご褒美って事で」
「なるほど。アリスはアリスですね」
「何よそれ」
「そういうところですよ。ご安心下さい。私に性欲はありませんから。ただ……時折、触れる事を許して貰えたら嬉しいですね」
「何で?」
「触感でアリスを感じたいんですよ。この世界で唯一、私と同類の貴女を……」
「そう。その気持ちはわからないけど、その程度は許してあげるわよ。私が貴女を使い潰すまでの間にはね」
その言葉を聞いてクィエルはきょとんとした後我慢出来ず、くすくすと楽し気に笑った。
クィエルは自分が化物になったという自覚がある。
これは天使とかもうそういう存在ではなく、まごう事なき世界の敵だ。
いや、世界総てを相手にしても殺しきる自信さえある。
そんな自分を、使い潰す事が彼女の中では確定しているらしい。
一体アリスの目には敵がどう映っているのだろうか。
とは言え、それならそれでクィエルにとっては割かし好ましい状況ではある。
使い潰せるというのなら、是非そうして貰いたい。
最後の最後まで世界に唾を吐き、呪詛をまき散らし、苦しめるだけ苦しみ呪いながら死んでいく。
ああ――それはきっと悪くない終わり方だ。
世界を滅ぼした後アリスを殺し緩やかに自害するよりはよほど。
こんな色のない世界でもきっと、その時だけは……色鮮やかに見えるだろう。
アリスの手によって、苦しむ世界の絶叫を聞きながら逝けるだろう。
それはとても、素敵な事だ。
「それでクィエル。テアテラの能力はどの位使えそう? 高次元演算能力は結構期待してるんだけど」
「え? ああ……そうですね……大体、八十位ですか?」
「本来なら精々一、二割でしょ? 八割なんて随分と高いわね?」
「いえ、そうではなくテアテラ換算八十機分の並列演算が可能です」
アリスは口を開けわざとらしく驚いた演技を見せた。
「あらまあ。なんでそんな事に?」
「単純な処理能力だから固有能力ではなくスペックでのエミュレートで幾らでも代用が効くんです」
「じゃあもしかして、テアテラ生かしてたの無駄だった? 馬鹿女飼うの正直うざかったんだけど……」
「いえ、簒奪したスキルによっての効率化の影響は大きいですよ。一割でもあれば十分使える類の能力だったというだけで」
「それなら良かったわ。逆に心配事ってない?」
「一つあります。テアテラからの合計吸収量が『98%』なんですよね」
「……二パーセントどこ行ったの?」
「わかりません。それが心配事です」
一瞬だけ、アリスは眉を顰めた。
そういうイレギュラーがアリスは一番嫌いだった。
「その僅かなリソースで生きてる可能性は?」
「それだけは絶対ありえません。皆無です。人間で言えば指先が残ったとかそういう感じですから。喰らった時に確実に殺しました。何か感情がうっとおしかったのでそれだけは処理しましたが」
「処理って言うと……」
「感情、記憶のデータをリセットしてリソースに戻しました。もう忘れましたが、何か気持ち悪かったのだけは覚えてます」
「まあ、世界の敵からすれば真面目な天使ちゃんの思想はそうなるでしょうね」
「かもしれません。……まあ、心配というよりも魚の小骨が程に引っかかった程度の気持ちなのでどうでも良い事ですが。迷うだけ馬鹿馬鹿しい事ですね」
「そんなどうでも良い事相談するな面倒臭い」
「アリスが心配事って言ったからですよ」
「ふん。……んで、あっちの天使はどうだったのよ?」
「へ? ……ああ、あっちですか。まあ……全部合計して一割位は取り込めましたよ。固有能力もほんの僅か位は」
「思ったよりも取れてるわね。良くやったわ」
「あら。お叱りが来ると思ったのに……」
「あの状況でそれだけ出来りゃあ大した物じゃない」
「ですか? 時間差で化物になってロストするから能力喰らう機会失って私としてはかなりショックなのですけど……思った以上に有能な力でしたし。ナンバーズ相当を喰らう最後の機会だったのに……」
そう呟き残念がるクィエルに対し、アリスは馬鹿にした様な目を向けていた。
まるで『お前はまだ何も理解出来ないんだな』と言っている様な、そんな侮辱的な目を。
最短で走って来た。
休みもせず、一週間でクロスとアリアはバッカニアまで戻った。
それでも、戻ったその時にはミリアの様子は息も絶え絶えと言う様な有様だった。
死の気配が、あまりにも濃厚だった。
それは命の灯が小さくなる様な終わりを迎える感じではなく、憎悪をまき散らす存在になり果てる様な気配である。
彼女に残された時間はもうほとんど残っていない。
だけど、クロスにもアリアにも、どうする事も出来なかった。
背負うミリアは意識が全くないままはぁはぁと息を切らし、背中が火傷しそうなんて明らかに異常な発熱をしている。
まだ、まだ背中にいるのはミリアだとわかる。
わかるが……何時までミリアでいられるかはわからなかった。
バッカニアの姿が、蠢く黒い巨城が見える。
そこで、クロスは足を止めた。
「お父様? あの、中には……」
不安そうな表情でアリアがクロスに眼を向ける。
どこかばつの悪そうな表情で、アリアは理解した。
考えてみれば、当然の事だろう。
生ける屍となりかけている存在を、バッカニアの中に入れる訳にはいかないなんてのは。
アリアはそう思っているが、実はそれ以前の問題でもある。
ミリアはクロスにとって担当アイドルかもしれないが、バッカニア勢力から見れば天使という敵である。
むしろ敵と思わない方がミリアに失礼である。
だから、例えこんな状態であってもミリアをバッカニアの中に入れる訳にはいかない。
中に入れたからと言ってどうにか出来るという物でもないのだが、それでもそこは譲れない一線であった。
クロスは静かに、決意を固めた。
「……せめて、最期位は俺の手で……」
「らしくないよー」
そんな決意とは真逆の、ゆるゆるとした声が少し離れた場所から聞こえて来た。
気楽で楽しそうな、何時もの声が。
その声の主が誰かなんてのは、考える必要もない。
愛しい彼女達の声を聞いてわからないなんて訳がなかった。
「メリー。外に出て良いのかい?」
呼ばれたメリーは「にゃはは」と笑った後……ずーんと小さく落ち込んだ。
「後でお医者さん方にめっちゃ叱られる」
「それはまた……」
実の事を言えば、医者達に説教されるのではなく、シアに説教されない事の方がメリーには辛い。
説教出来ない状態である今のシアの事を考える事は、人でなしのメリーにも辛い現実である。
それを思い出させるから医者に叱られたくないというのがメリーの偽らざる本音だった。
「まあ私が怒られる事なんてのは後で良いの。それよりさ、事情は大体わかってるよ」
「……は? どうして?」
「ま、それも後で話すわ。時間の猶予もないし。それよりクロス。そんならしくない諦めた言葉じゃなくて、もっと別の言葉を聞かせてよ。私は……私達はその為にいるんだから」
そうメリーが言った後で、クロスは気付く。
その背後に、ステラとエリーも待っていた。
「……これさ、無駄な事だってわかってるんだ。そもそも敵だし。無駄っていうか駄目な事だね」
「そういう情勢とか戦況とかはどうでも良いわ。どうしたいかだけ、おせーて」
「……助けたいって言ったら、怒るかな?」
「私達は怒らないわ。クロスの我儘で怒る様な嫁ーズはいないわ。……たぶん。若干シア辺りは怪しいけど……それ以外は絶対怒らない」
「あはは……。そか。……そうだったね。俺、愛されてるもんな」
「ええそうよ。私達にこれでもかと愛されてるわ。クロスが私達を愛してくれたから。だからさ、教えてよ。貴方の口から」
「……ミリアを助けたい。頼む。手を貸してくれ」
背負い動けないクロスの代わりに、アリアが必死に頭を下げる。
エリーは下げるアリアの頭を優しく撫でる。
そこにいる彼女達は皆、微笑んでいた。
確かに、ここにいる皆にとって天使である彼女は敵である。
だが、メリー、ステラ、エリーにとって彼女を助けるなんて行動は、最初から予定調和でしかなかった。
どうしてかとか聞かれたら、正直わからない。
誰もその現象がどうしてなのか説明が付かなかった。
聖女であるソフィアでさえも。
ただ、何があったかの説明だけならば、簡単である。
意識のないはずのシアがいきなり目覚め、女神クロノスの声で神託を下しだした。
あらゆる意味で意味はわからないが、その神託によって、ステラ達はクロスの事情を知った。
複雑な事情故に理解しきれず、またクロノス自身も理解に及ばない部分が多いから詳しい事は説明出来ていない為、テアテラとの争いや頭部の化物の情報は伝わっていない。
ただ、最も重要な二つだけは彼女達は理解出来る位深く伝わっている。
最重要パーソンがミリアという名の天使……ではなく『可愛らしい女性』であるという事。
そしてクロスが『助けたい』と願ったという事。
その二つだけわかれば、後の事情は後日で良い。
やるべき事なんて決まり切っている。
彼女達は己が人として失格であると知っている。
だからこそ、その軸は絶対にブレない。
例え世界が敵になろうとも、例え総てに恨まれようとも、クロスを優先する。
あの日、クロスただ独りを犠牲にして世界が平和になったあの後悔を、彼女達は二度と忘れない。
自分だけが生き延びてしまった事を、最も生きて欲しかった人を犠牲にして生きた惰性の日々を、もう二度と送らない。
あの日々の延長上の今日を生きる彼女達に迷いはない。
例え敵であろうとも、ミリアは必ず助け出す。
そうクロスが願ったのなら、それだけが彼女達嫁ーズの真実であった。
例え現在、これまでの規模でない程の襲撃にバッカニアが見舞われていたとしても、その真実に変更はなかった。
現在、どうしてバッカニア周辺が平和なのかと言えば……戦線を押し広げているからである。
メルクリウスが、ソフィアが、メディールが襲い来る天使総てを払いのけている。
ただクロスの為に、クロスの願いを叶える為だけに。
後ついでに嫁ーズ戦友が増える事を期待して。
レイアは可愛い子なら私も助けたいという建前を立てながら兄の助けとなる為に、アウラとラグナはこれまでの恩返しの為に。
ついでにレンフィールドもアウラに言葉通り文字通り、本当にケツを蹴っ飛ばされて外に出て戦っていた。
そうして完全なる安全圏を今作っていた。
敵であるミリアを助ける為だけに。
国家運営という在り方で見れば、全くもって矛盾であり、全くもって無駄な事である。
この為に相当のリソースが失われているし、この無茶の所為でどこかでかならずガタが来るだろう。
それでも、こうなってしまった。
こうなってしまうのだ。
クロスという相応しくない統治者がトップに立っている限り。
そしてそれでも良いという人が大勢いる所為で。
今直接ミリアを見て、ステラは少しだけ疑問に思う。
小柄で愛らしく感じる容姿と少しだけ目立つ服装。
天使特有の美しさと同時に幼さも残すその姿は、正直に言えばクロスの好みとは思えない。
ぶっちゃけると、若干自分と似ている。
もっとはっきり言うと、容姿に幼さが残っているタイプの可愛らしい感じ。
もしかしてクロスは趣旨替えしたのか。
自分やメリーの愛され方に加えアウラと親しく、そして続いてミリアである。
――ないすばでー派ではなくなったのかな。
クロード時代散々聞かされた性癖と一致しないそれに少し疑問を覚えた後、とりあえず考える事を後回しにした。
今この場にステラ、メリー、エリーが居るのにはちゃんと意味がある。
彼女達だけが、今のミリアを救う可能性があった。
「ん、クロス。貸して」
その言葉を意味を即座に理解し、クロスは自分とステラの間にある共有をより深い場所まで沈めた。
例えば、技術や経験。
これはクロスとステラの間では常時共有している。
それが百パーセント活用出来るかはともかく、無駄になるという事はない。
逆に、ステラの心臓やクロスのトレイターの様な物はオンリーワンであり共有の対象とならずその能力を使う事は叶わない。
そんな『出来る』と『出来ない』以外にもう一つ、特殊な状況が存在する。
オンリーワンであるけれど共有出来る物。
どちらかしか使えないけれど相手に使わせる事が出来る力である。
例えばミーティアの召喚権がそれに当たる。
普段は使用者が定まっているが、お互い認めたら使用権を譲る事が出来る。
そしてクロスは今、ステラが自分の何かを望んでいると理解し自分の持ちうる総てをステラに渡せる状態とした。
何をするかわからないし何を欲しているのかも知らない。
だが、ステラになら総てを差し出す事が出来る。
そう、信頼して。
そしてステラはその信頼に応え、クロスにとって最も重要な物の一つを選択する。
それは……『絆』。
クロスという男との想いと願い、鼓動を繋ぐ線。
その絆を、ステラは横から借り受けた。
相手は――エリー。
こうして、クロスとエリーとの繋がりはステラとエリーに移行する。
今すぐでも契約が可能な程深く、彼女達は繋がり合った。
本来ならば、そんな事は許されない。
だが、それは事前にエリーも認めた事であった。
ステラとエリーは互いを見つめ合い頷いて……そして絆を通じ視界を共有した。
ステラの目に吐きそうな程膨大な情報が流れ込む。
世界に流れる魔力の動き、生物が持つ魔力の波長とその色。
精霊でしか知る事の出来ない不可視の世界をステラは受け入れ、飲み込み……そして精霊の瞳にて、ミリアを見つめる。
そう、これが最低限必要な事だった。
ステラがエリーの見ている世界を受け入れる事。
それが、ミリアを救う為の最重要であり前提であった。
適正が高いのは本来医療に向くシアの方だが、神託の後に再び意識を閉ざしたから次点でエリーとなった。
エリーの視界には、ミリアという存在の半分が既に喰われ、死に変貌しているとはっきり見えていた。
外見で変わらずとも、それは理解出来る。
それは間違いなく、感染する死であった。
間違いなく絶望的だ。
そう……普通ならば。
ステラは当たり前の様に剣を抜き、構える。
それでも、誰も何も言わない。
緊張し、冷汗を掻くステラを前にしても、クロスもアリアも信頼しか向けない。
それが精霊の力でわかってしまったステラは、より強いプレッシャーに晒された。
それしか手段はない。
ステラに出来なければ他に出来る物はいないのは間違いなが、それをステラが出来るかどうかはまた別の話だった。
ステラの剣は技術とはもはや呼べる物ではない。
それは事象であり現象。
概念の押し付け、または部分的世界改変と呼ぶ領域にある。
とは言え、大層な言葉の割にその本質は変わらない。
ステラに出来る事なんて、ただ『斬る』事だけである。
静かに、無音のまま刃が振り下ろされる。
医者が使うメスの様に正確に、料理人の振る包丁の様に素早く。
誰かを斬るのではなく救う為の剣だからだろうか。
そんな、不思議な印象の斬撃が、ミリアを通過する。
不思議な事に、完全に切断されているはずなのにミリアの体には傷一つ付いていない。
ステラは、ミリアの死に汚染された部位だけを切り殺していた。
認識さえ出来たら、殺す対象を選ぶ事が出来る位には、ステラの斬撃は概念と化していた。
ミリアの放熱が止まり、呼吸が落ち着く。
それにクロスがほっとしたのは一瞬だけの事で、すぐに不味いという事に気が付いた。
今度はその逆に一気に生命活動が低下したからだ。
そりゃあそうだ。
肉体の半分を突然失った事になるのだから。
天使である為通常ならば問題ないのだが、肉体の高度汚染という致命的なまでに弱った状態の中で、概念的な斬撃で部位を殺されたそのダメージは決して軽い物ではなかった。
とは言え……最も危険な山場を越えた事だけは間違いないが。
緊張が過ぎたからか、ステラは腰を抜かしその場にぺたりと座り込んだ。
クロスが助けたかった人が、八割以上の確立で死ぬ状態で、助けられるのが自分だけ。
緊張しない訳がない。
今更一気に汗が噴き出してきて、膝が笑い出す。
あのステラが剣をぽろっと落としたのだからよほどの事だったと今更にクロスも理解出来た。
とは言え……それでもステラはやり遂げた。
今にも吐きそうになっているけれど、助ける為の道を舗装してみせたのだ。
「メリー。後は……」
座り込むステラの頭を、メリーはうりうりと撫でまわした。
「まかせんしゃい。良く頑張ったねステラ。クロス、見ての通りめっちゃ頑張ったんだから後で沢山甘やかしてあげてよ」
そう言って笑って、メリーはミリアの前に立つ。
次は、自分の番で――。
「あよいしょー!」
メリーは武雷を力任せにミリアにぶっ刺した。
さっきまでの丁寧な段取りは何だったのかと言わんばかりに乱暴で、何も考えない一撃だった。
クロスは目を丸くした。
アリアも目を丸くした。
ついでにステラも目を丸くしていた。
助けられる事は知っていた。
だが、どうするかまではステラも知らなかった。
「そんで、さあ蘇るのだー!」
まるでマッドサイエンティストかの様に叫びながら、メリーは武雷の力を発動させる。
つまり、電気の力を。
「あばばばばばばばばば!」
ミリアは全身をがたがた震わせながら叫んでいた。
それが絶叫なのか反射なのかさえわからない。
一つだけ言える事は、とてもアイドルらしからぬ顔であるという事だけだった。
メリーはミリアを絶対に動けないとわかる位ぐるぐるの簀巻きにし、そしてずるずると引きずりだした。
もちろん、武雷はぶっ刺さったままだし雷は流れっ放しのまま。
酷いと叫ぶ事さえ忘れ茫然とする位に、混沌とした見た目をしていた。
「んじゃ私このままマリアベルに引き渡して来るから。ちゃおー」
そう言って、メリーは何でもないかの様にミリアを運んでいって……残った皆が、茫然としたまま取り残されていた。
真夜中にて運ばれていくそのミリアの姿は……大層キラキラと輝いていた――。
ありがとうございました。




