天使の正しさ、天使の愚かさ(前編)
アウラフィールが魔物を統治していたその証、王であった証明である元魔王国城下町……。
そこは天使によって支配されていた。
まあ支配と堅苦しく言っているが、そこを占拠する天使ミリアは特別何か悪い事をするまでもなく、ただアイドル活動の箱として使っているだけだが。
そういう訳で今日も今日とてミリアはアイドルとしての在り方を示す為、来訪してきたファン一号であるアリアの為に、しっかりアンコールまで答えライブを完璧な形で終わらせてみせた。
ライブが終わったというのに会場は明るく眩しく騒がしいまま。
先程までミリアが居た場所に向かいアリアはサイリウム片手にぐるぐる回し、ぴょんこぴょんこと飛び跳ね歓喜を顕わにしていた。
今彼女は映像化した今日のライブ映像の総集編を見ていた。
ついさっき終わったばかりのライブのダイジェストを他の人形達と共に飛んだり跳ねたり踊ったりして喜び見ていた。
クロスは遠くでベンチに座り、感心した様子でその光景を見つめる。
そのダイジェスト映像も、一緒に喜ぶ人形も、総てライブの主であるアイドル『ミリア』がたった独りのファンの為に行った事である。
ただ独りの為にそこまで用意するのはプロ根性以外の何物もないだろう。
「流石だな」
独り言の様に、クロスがぽつりと呟くと、どこからともかく声が帰って来た。
「そうでもないわ。私は当然の事しかしていないもの」
そう言ってミリアは答え、当たり前の様にクロスの隣に座った。
クロスはミリアの顔色を伺う様目を向ける。
無表情だけど、じっとこっちを見て来るミリアの圧に負け、静かに目線を正面に戻した。
それからしばらく、大体五分位だろうか。
娘のはしゃぐ姿を見ている最中、ミリアが突然話し出した。
「それで、何か悩みがあるんでしょ? プロデューサー。言ってみなさい」
「……俺そんなにわかりやすい?」
「さあ? でも、プロデューサーの変化に気付かない程私は愚鈍のつもりはないわ」
クロスはその返事に小さな苦笑で返す。
――俺も君がクールビューティーの演技をしてる事気付いてるって言ったら怒るかなぁ。
おそらくそれが彼女のアイドルらしさという物なのだろう。
クロスにはさっぱり理解出来なかった。
たぶんきっと、元々の素の性格の方が、ずっと魅力的だから。
気遣い、寄り添い、相談を受け持つ。
クロスはミリアを『随分と天使らしくないなぁ……』と思うが、きっとそれを言うのは失礼になるだろうと思って飲み込んでおいた。
「……ん。そうだね。……じゃあ、一つ相談しても良いかな?」
「ええ。ある意味それが私達の本来の姿だし、構わないわ。アイドル天使として貴方の悩みを導いてあげましょう」
「ありがとう。……もしかしたら、ミリアには悲しい事かもしれないけど、天使を一機、殺したんだ」
「わざわざ気に掛けるって事は、相当に格の高い天使だったの?」
「ああ。スミュルって名前の――どうしたミリア?」
目をまん丸にして表情が固まって、あまりにもアイドルらしくない表情にクロスは戸惑う。
ミリアは純粋に、頭が真っ白になる程の驚愕を覚えていた。
「……もしかして、知り合いだったか?」
罪悪感を抱えながらクロスが尋ねると、ミリアはぶんぶんと激しく首を横に振った。
「まさか! そんな訳ないわ。あれと知り合いなんて悍ましい……。単に顔見知りってだけで何の感情もないわ。ただ……良く殺せたわね。あの剣キチを」
「剣キチ?」
「そこはどうでも良いわ。それで、何が言いたいの? 殺し合いをしているのだから、お互い様な話であって別に悩む様な事じゃないと思うけど?」
「殺さない道はなかったのかなって思ってな」
「……何故?」
「分かり合えた気がしたんだ。いや、確かにわかりあったんだ。剣を通じてだけど、あの時彼女と――何その表情?」
再び驚愕のまま硬直するミリアを見てクロスは尋ねた。
「……あのイカレ剣狂いのとんでも天使と……わかり……あえた? ごめんなさい。どうやら私と貴方の間では分かり合うという言葉の意味さえ異なるみたいね。異文化コミュニケーションだわ」
「うん。ミリアちゃんがスミュルに対してどう思っているのか良くわかった」
「何を置いても剣の事、剣がなければ生きる意味なし。剣を持てば理解出来る。だからお前も剣を持て。私の中の彼女は他者が理解出来る精神性をしていなかったし、それ以前に他者を理解しようという気持ちさえアレには欠如していたわ」
「まあ……うん。とりあえず置いておいて」
「ええ、そうね。それで、勘違いと思うけどわかり敢えて、どうだったの?」
「……仲間にならなくてもさ、殺さない道はなかったかなって今更に思ってしまってな」
「………………」
「スミュルと……いや、天使と分かり合う事は出来ると思うんだ。もちろん天使にもよるけど、それでも……スミュルとはたぶん、殺さずに何とか出来た道はあったはずだ。はずなんだ……」
そう呟くクロスの言葉から、ミリアは強い後悔を感じられた。
クロスが言い終わってから、ミリアはゆっくりとクロスの言葉を振り返る。
随分とらしくないが、おそらく気持ちが弱っているからの発想だろう。
まあ、元々今天使である自分のプロデューサーをやって娘まで連れて来る位の破天荒な男である。
彼は元々、人と天使を区別していなかった。
ミリアはゆっくりゆっくり考えて……そして、言うべき事を定めた。
「アイドルじゃなくて、天使として貴方に伝えるわ。クロス。……貴方は何もかもを勘違いしている」
「……何もかも?」
「ええ。分かり合えるとかそれ以前の話よ。確かに、人と天使が共存する未来はあるわ。だけど、貴方と天使が共存する未来はない。それは天使としての絶対よ」
「……だけどさ、俺とミリアは共に居られてるよ?」
「今だけよ。その時が来れば私はプロデューサーであっても、貴方を殺すわ。もちろん、卑怯な手段はとらない。ちゃんと休戦協定を終わらせた上で、正々堂々と戦いを挑むわ」
ミリアははっきりそう断言した。
ミリアとしてはそのつもりはなく、むしろクロスに対し相当の好意を抱いている。
求めている能力を持ち、指導出来るクロスは彼女にとって唯一無二の理解者だ。
だがそれでも、ミリアとクロスが永劫この関係を続ける事は出来ない。
それが天使という存在だからだ。
それだけは――変えられない事実であった。
「……そうか。ミリアでさえ、期間限定の夢か」
「良い表現ね。そう、これは私にとっても期間限定である夢の様な時間なの。貴方が人類に対しての害であると判断された以上、天使である私は貴方を見逃せないわ。私でさえそうなのだから、スミュルが見逃す訳がない。悪いけど、貴方の気持ちなんて最初から何も関係がないの」
「……ありがとう」
「何故、お礼が出るの?」
「だから悲しまないで。そう聞こえたからさ」
「――変な人ね、プロデューサー」
「だから俺は君のプロデューサーをやっているんだよ」
「……失礼な」
クロスはくすりと笑う。
今だけだとしても、未来で戦うとしても、それでも、クロスは今の関係が嫌いではなかった。
いや、近い未来戦いあう事が決まっている相手との『今』だけだからこそ、クロスは少しでもミリアと分かり合いたいと考えた。
例え殺し合うとしても、その方がきっと良いはずだ。
「それで、俺達の限定期間ってのは後どの位残ってるの?」
「わからないわ。全然命令来ないし。命令来ても最上位権限でない限り無視するつもりだし」
というよりも既に無視しまくっている。
ミリアが聞いた命令は直接アリスから受けた『魔王城並びに城下町を確保ししばらくそのまま維持せよ』という物だけで、それ以外の他の天使からの要請、命令は全て無視し続けていた。
「……え? 何で?」
「主戦派の意見に私賛同していないからよ。早い話が私は今の状況に否定派だから。だから、こんな場所で放置されてるの」
「まあ、そうだな。ミリアを見たら天使の中でも変わり者であるってわかるわな」
「失礼な。というか、そもそもの話だけど」
「うん」
「戦いを望むのって、天使らしくないじゃない?」
当たり前の様にそう言うミリアに対し、クロスはきょとんと間抜け面を見せる。
そしてその後、クロスは大きな声で笑い出した。
「ぶわはははははは! いや、そりゃそうだ! あはははははははははは」
「……失礼な」
再び、ミリアはそう呟く。
ただ今度は少しだけ拗ねた表情で。
色々複雑な事を言っているが、ミリアの本筋は何も変わっていない。
アイドルらしいかどうか。
本当にそれだけで物事を判断しているし、それがミリアにとって最も大切な事。
薄っぺらく見えるかもしれないが、それは陳腐に見える程ミリアにとって大切だという事でもあって、そして陳腐故に物事の真理を正しく突いて来る。
まあ要するに……。
「ミリアは本当に可愛いな」
そう言ってクロスが笑うと、ミリアは無表情のまま、ドヤ顔っぽい表情になった。
「当然よ。だって私は世界一のアイドルだもの」
正直、相談相手としてあまり適していなかったという気が今更にクロスに宿る。
なにせミリアなのだから。
ただそれでも、重たい気持ちが軽くなった事に加えて、後悔さえも薄くなっていて、若干悔しいけれど、天使らしくない適切じゃない助言だったけど……クロスにとっては最高の助言だった。
「さあプロデューサー。悩んでいる暇はないわ。次のイベントの企画を考えましょう。ファンサの為ライブ以外にも色々イベントを――」
突然、ミリアは口を噤んだ。
「どうしたミリア?」
クロスはミリアの方に目を向ける。
ミリアはクロスに返事をせず、虚空の方に目を向けていた。
その数秒後……光の薄い薄暗闇、ミリアが見つめていた虚空から、突如として美しい女性が姿を現した。
高身長で大人しそうな容姿。
だけどどこか我が強そうにも見える。
クロスはその女性の事を知らないが、どういう所属なのかは理解出来た。
あり得ない程の、スミュルに匹敵する程の威圧感に加え翼を持つ女性となれば、わからない訳がなかった。
女性はどこか怒気が籠った目をクロスに向けたその後、ミリアを睨みつけた。
「貴女は一体何をしているのですか?」
女性は、ミリアに向けそう叫んだ。
遠隔操作である為、姿形はまるで違う。
だけど、ミリアは彼女が誰なのかすぐに理解出来た。
『テアテラ・フォース』
始まりの七の一機。
ミリアが持っていた四番目の名を引き継いだ優秀な上級機甲天使。
そして、ミリアにとって数少ない友と言える存在……。
ミリアがかつて天使達でどういう存在であったかと言えば、今と何も変わらない。
自分をアイドルと呼び、天使とはアイドルであるべきだと主張し、若干の顰蹙と多大な無関心を買っていた。
要するに、ちょっと痛い子扱いである。
派閥争いが過激な天使内で自分の派閥を作らず、どこにも属さず。
始まりの七にまでなっても、それは変わらなかった。
権力争いが起きている事を知っていても、ミリアはそれから距離を取り続けた。
しかも彼女は思った事を何でも口にする。
正しいと思ったらどの様な理屈も無視し、それを行って来た。
そしてそういった意見はほぼ必ず、主軸である人間管理過激派とは対立するような意見であった。
『人間は愚かであるから徹底的な管理をすべき』
それが天使の多数の声。
『愚かであるからこそ、成長を促す為自主性に任せるべき』
ミリアははっきりと、そう意見し続けた。
みだりにかかわるべきではない。
機人がそうである事にも理由はあるはずだから、慎重に調べるべきだ。
同じ意見の天使は少数程いたが、ミリア程はっきり意見する天使は誰もいなかった。
『数を減らし管理すべき』
『反対する。そもそも、人を数として見るのは管理者として誤りでしかない』
『命令を下しそれだけに従う事、つまり天使に従う事こそが人の幸せ』
『正しい。だからこそ人が天使に従いたくなる様にならなければならない。だからお前もアイドルになれ』
ミリアの言葉の大半が主軸派閥の……いや、天使の総意の反対意見であった。
だから、彼女は疎まれて、その果てが永久凍結であった。
派閥を持たない彼女に発言力などある訳がなかった。
そんな彼女を救ったのが、四番目の名を受け継いだテアテラである。
テアテラにとってミリアは変わり者で我儘で、手のかかる存在。
だけど同時に、親友でもあった。
テアテラはミリアと異なり多数派で極めて一般的な思想の天使であるものの、あまり天使の輪の中に入り込めない、馴染めない少々の変わり者であった。
お互い輪から外れていたからという事もあるだろう。
彼女達は主義主張を越え友情が成立していた。
テアテラは何度も何度も手を差し伸べて来た。
友だからこそ、妥協して生きろと助言して来た。
それをミリアは無下にして、結局永久凍結されてしまった。
それでも尚テアテラは手を差し伸べ続けて、(彼女目線では)信頼出来るアリスに頼り復活させた。
そんな彼女からまともな連絡がなくて、心配になってミリアの元に向かってみて、……そこでテアテラが見たのは……敵となれ合っている姿だった。
しかも、アリスにとって最大の怨敵であるクロスと、半機人という天使からしてみれば最も許せない存在のヴィクトアリアという個体と。
それは常にミリアを贔屓目に見るテアテラであっても、裏切りにしか見えない事であった。
「テアテラ。どうしてここに……」
「どうしてではありません! ヴァーミリアン! 貴方は天使を裏切ったのですか? 馬鹿だ馬鹿だと思っていましたがそんなに……」
「裏切ってない」
むすっとした顔で、ミリアはそう口にする。
裏切者扱いも嫌だが、それ以上に自分の本当の名前を口に出される事が嫌だった。
「ではそこにいる人間共はどういう事ですか!? 裏切者でないというのなら何故生かしたままにしているのです!?」
「彼らとは休戦関係にある。これはこの土地を持つ私の正当な権利で……」
「そんな事はどうでも良いんです! 本当に天使での居場所がなくなりますよ!?」
ミリアはテアテラに冷たい目を送る。
確かに、彼女達は友達と呼べる関係だろう。
だが、その温度差は同じではない。
テアテラにとってミリアは『手のかかる我儘で、だけど大切な友達』だが、ミリアにとってテアテラは『小うるさいけど他よりマシな天使』という程度に過ぎない。
確かにテアテラはお節介焼きで優しいが、それ以上に彼女は空気が読めていないからだ。
アリスを優しく正しい素晴らしい人間と評価するその人を見る目のなさ。
ミリアの為にしょうがなく世話をしてあげているという傲慢な考え方。
悪意はないけれど、押しつけがましい上に相手の話を聞かない。
良くも悪くもテアテラの考え方は天使らしい天使である。
同時に、寂しがりという天使らしくない側面も持つが。
そんな彼女だから、かつてミリアから『アイドルらしさこそ天使らしさ』という考え方をしているんだと聞いても、『下らないサブカルにハマった馬鹿な子』と蔑んだ。
その上、いかに天使とは崇高でその考えが下らない物かを淡々と説教したりもしている。
その説教の日から、ミリアの中でテアテラの価値が暴落したという事にさえ気づかずに。
ミリアは小さく溜息を吐いた。
嫌いじゃないけど、うっとおしい。
それが今の正直な感想であった。
ぶっちゃけ天使でなければミリアはクロスとアリアの方を優先したい。
クロスは優秀なプロデューサー兼作曲家兼その他諸々と指導されがいが十二分にあるし、アリアは特別なファーストファンである。
アイドルとして見れば彼らは間違いなく特別だ。
それになにより、彼らは自分を否定しなかった。
クロスはアイドルという文化を理解出来ないけれど、自分がそうなりたいのだと言えば否定せず協力してくれた。
アリアはアイドル文化を理解していて、その上でファンになってくれた。
歌声を褒めてくれた。
ミリアにとってみれば、この二人はこれまで生きて来たどの時間よりも充実した時間を作ってくれた、素敵な『人間』だった。
それでも、ミリアが人間側に付くという選択を選ぶ事はない。
ミリアは天使である事に誰よりも誇りを持っているからだ。
誇り高いからこそ、人を導く為アイドルになると考えた位に。
まあ『正しき天使とはアイドルである』なんてそんな考えをした天使は後にも先にも彼女だけで、それが正しいかどうかはまた別の話だが。
ありがとうございました。




