もたらされた恩恵
奇しくも、スミュルとの戦いにてクロスが身に着けた技術は今のバッカニアにとって最も必要な物であった。
人間の身体能力のまま、上級機甲天使と戦う為の、敵を殺す為の殺人術。
それが大勢に継承されるならば、もう二度と天使に後れを取る事はないだろう。
そんな技術を、クロスは手にした。
剣聖クロード一刀流。
それはクロスの憧れを形とした物。
長い長い苦難の日々、血反吐を吐き続け全身の骨を砕き続けながらも諦めきれなかった執念の刃。
故に、それはクロス唯一の剣であり、同じ剣が継承される事はない。
だが、同じ剣が無理だとしてもその剣聖一刀流の概念を学ぶ事はさほど難しい事ではなかった。
最後に到達する答えは万人異なれど、途中の道までは皆同じなのだから。
道筋は同じで、導く事が容易く、それでいて最後には自分の答えを見つけられる。
個人個人を答えに導く剣。
つまるところ、スミュルが望んでいた剣術の理想の形である。
だからこそ、それは本当に、奇しくもとしか、奇縁としか言えなかった。
スミュルが最も望んでいた物を生み出したのが、スミュルが最も未来のないと断定したクロスだったというのだから。
かみ砕いて説明すると、剣聖一刀流は骨組みがわかりやすい為、指導育成に非常に向いている剣術だという事となる。
とは言え、既存の剣術とは全く異なる体系である為通常の剣術に存在しない大きな欠点が二つ存在するが。
一つは、教導を行えるのが現時点ではクロスだけと言う事。
骨組みは単調と言えるのはある程度理解したからこそ言える言葉であった。
一応知識自体はステラも継承している為、指導に足る能力は十分にある。
あるものの……対人相手への会話や説明の能力が乏しい為、悲しい程に意味を為さない。
そしてもう一つの欠点は、未経験者にとっては入門しやすい反面、一定以上の実力を持つ者は逆に入門する難易度が跳ね上がるという事。
真っ新なキャンパスに描く事は容易くとも、既に骨組みが出来上がった者、ある程度絵が描ける者には敷居はあり得ない程に高くなる。
つまり、指導者として優秀なメリーやヴィラには絶対に習得出来ない剣術と言う事であった。
「基本理念は単純だ。恰好良い理想の一振りを覚える。その為に素振り! わかったな!」
ドヤ顔でクロスがそう言うと、パルスピカとアリアは目を輝かせながら「はい!」と腹から声を張り上げた。
覚えられるなら、覚えたいという声は多い。
そして誰が優先的に覚えるべきかと言えば……まあこうなる。
パルスピカは自分の剣を持ってしまっているから習得は難しく、アリアに至っては剣が使えないから意味がない。
それでも、彼ら兄妹はクロスからそれを学びたいと直訴した。
父親の剣を覚えたくない訳がない。
更に言えば、今後指導する者が増えた際、自分達が他の弟子に遅れを取るのは我慢出来ない。
父の剣を父の弟子なんて他人から学ぶというのは子として屈辱としか言えないからだ。
だから彼らは、強くなる為ではなく単なる技術の継承として父からそれを学んでいた。
「まずは素振り百回だ! パル、前みたいに厳しい素振りをしなくても良い。自分の体にとって楽な形で素振りをしてみろ。それと、俺の代わりにアリアを見てやってくれ」
「僕が兄弟子と言う事ですね! わかりました!」
キラキラした目でそう言葉にするパルスピカと、その横で悔しそうな顔をするアリア。
その様子がどこか可愛らしくて、クロスはつい笑ってしまった。
「お、お父様! 抗議があります!」
「何だ? パルは元々俺教えてたしアリアは未経験だからちゃんと言う事を聞かないと駄目だぞ?」
「お兄様が凄いのは知ってますし習うのも嬉しい位で嫌じゃないです! だからそこは納得しておきます! そうじゃなくて、私の素振り用道具が竹刀なのが不満なのです!」
アリアはとてもかるーい剣を指で持ちながら指差し頬を膨らました。
自分の身体能力はこのバッカニア内でも有数の物である。
だというのにこんな軽い剣しか触れないと思われているのは非常に、とても非常に心外だった。
特に、ライバルのパルスピカは鉄心入りの木刀なのだから納得出来る訳がなかった。
「逆だよアリア」
「逆?」
「ああ。身体能力が高いから、重たいのを持たせられないんだ。力任せで振ってしまうから悪い癖は付くし技術が全然覚えられない。剣聖一刀流の基礎訓練『素振り』は自分にとって最も適した振り方を見つける為の物。だからこそ、最初は特に力ではなく技で……いや心で振って欲しいんだ」
なんとなくそれっぽい恰好良い事を言えて満足そうなクロス。
それを真に受け、アリアは力強く頷いて見せた。
「わかりました! 無知だったとはいえぶしつけな抗議を撤回し謝罪します。ごめんなさいお父様! ではお兄様。最初の最初から教えて下さいませ!」
そうして、兄妹は仲良く剣を振りだした。
パルスピカだってスミュルの目線でなければ一流に入る腕を持っている。
それに加えて、何となくの直感だがこの剣術とも相性が良い。
元来が二刀流だから極める事は出来ずとも、第二の教導者には成れるだろう。
だからこれは、その試験。
兄妹共にちゃんと学べるかを見ると同時に、パルスピカの指導力を測るテストでもあった。
「では、これより百回素振りを始める! それが終わったら互いの素振りを見て意見を言い合うんだ。同じ動きにしなくても良い。自分にとってこれだ! と思う剣の振り方を相談しながら模索してみろ!」
「はい!」
二つの元気良い声を聴いて、クロスは微笑み静かにその場を後にした。
エリーと合流して導かれ、クロスはある部屋の中に居た。
そこは三階という高い場所で、見下ろせばパルスピカとアリアが元気良く素振りをしている姿が見えていた。
それは単なる偶然だが、見守るという意味では最高の場所だった。
「こうしてるとさ……自分の未熟さを痛感させられるわ」
窓を見ながら、クロスはぼやく様にそう呟く。
元気良く明るく真っすぐに育つ子供達の姿。
それは自分が親として優れているからなどではなく、子供達が最高だからこその結果。
クロスだって十分以上に理解出来ていた。
自分が親として未熟な事位、親としてやってやるべき事が全然出来ていない事位。
「未熟過ぎて駄目駄目で、こんな剣みたいな物を通じてでしか親らしい事が出来ないとか……本当情けないわ。はは……だからさ、叱ってくれよ。起きたらで良いからさ」
そう言って、クロスはそこで眠る彼女の姿を見る。
クロスが戻ってもまだ、シアは寝たままだった。
エリー曰く『肉体的には問題ない』そうだ。
むしろだからこそ状況は芳しくない。
眠り続けている理由がわからないから、治療の目途が立たない状態となっていた。
思い当たるフシはある。
スミュルの剣は尋常ならざる物で、今尚クロスは彼女の剣に追いついたとは思っていない。
彼女が肉体制限なしの全力でかつ油断も遊びもなく襲ってきたら、まず間違いなく死ぬ。
今の自分の腕前をかなり好意的に評価したとしても、その勝率は千分の一にも満たない。
そんな剣だから、何が起きてもおかしくない。
概念への昇華など彼女にとっては当然の事に過ぎないだろう。
エリーは何も言わない。
何も言えなかった。
あの時何も出来なかった自分が、友のこんな状態に何と言えば良いかわからない。
クロスの嘆きや無念が魔力から伝わって、何も伝える事が出来ない。
だから、黙って見ているだけ。
本当は責められたいのだが、それがあり得ない事はエリーが一番わかっている。
『エリーは何も悪くない』
クロスならそう言うと、エリーは知っている。
そして、今その言葉を最も言って欲しくないから、エリーは言葉を噤んでいた。
「……エリー」
「っ! は、はい。何ですかクロスさん」
「シアを頼むよ」
「……また、どこかに?」
「ああ。そろそろ約束の時間だからな。まあ、気分転換も兼ねてちょっと行って来るよ」
「そうですか。……言うまでもない事ですが、お気をつけて」
「もちろんわかってる。……エリー」
「……わかってます。何も言わなくても」
「……そうか。あまり自分を責めるな。そんな顔は俺もシアも見たくない。エリーはさ、笑っていっぱいご飯を食べている姿が一番素敵なんだから」
「そう言うのはクロスさんだけですよ」
「そんな事ないさ」
「いえ、その他大勢の方々は素敵と思う前に度肝を抜くと思いますよ? 皿タワー積み上げる姿に」
「エリー……実は周りが驚きどよめくのを楽しんでるだろ?」
「バレました?」
そう言って、悪戯っ子の様にくすりと笑う。
まあ、三桁人分食べる姿は可愛い悪戯なんて生易しい者ではなく、むしろ料理人にとっては悪鬼羅刹の如く惨い行為かもしれないが。
「ま、気楽にゆるーく、任せるわ」
「はい。命に代えても、シアさんは守ってみせます」
「……まあ、そうなるわな」
「はい、そうなります」
これは別に思い悩んでいるからとか自罰的とか、そういう理由ではない。
最高の騎士であるエリーが敬愛すべき主であるクロスに『愛しの妻を頼む』と言われたなら、それはもうそういう事。
騎士として彼女のすべき事は、命を尽くして忠義を全うとする事以外にある訳がない。
それはエリーにとって最も正しい行いであり誇りそのものであった。
そういう意図ではなかったから、クロスは困った顔で笑い誤魔化す様にエリーの頭を撫でた。
その、困った顔が、困った事に……エリーは一番、好きだった。
気付けば天使の数も大分減ってしまった。
下級天使は肉体の再生産が間に合わず渋滞状態で、中級は後回しで数が減る一方。
上級に至っても蘇生不可能だというのにあり得ない速度で減り続け、最大戦力の始まりの七でさえ既に二機失った。
バッカニア側も戦力は向上しているのに対し、天使全体の数は最大時の半分以下となっている。
だが、バッカニアも決して十全と言う訳では決してない。
戦力は補充されている事に違いはないが、補給物資等の資源に関しては少々危なくなってきている。
時間はバッカニアにとって敵であると言っても良いだろう。
互いに終わりが近づいていると実感出来つつある現状は、人機大戦中盤から終盤に差し掛かったと言える。
この中、この中盤戦にて最も得をしたのは誰か。
最も大きな損害を被ったのは誰か。
それはどちらとも、天使でもバッカニア勢力でもない。
中盤にて最も得をし、最も損をしたのは他の誰でもなく『アリス』である。
まず、アリスの被った損害。
それは……スミュル・セカンドという名の天使に関係がある。
驚く程あっさりと、何も対処出来ずスミュルは死んだ。
ステラの最後の一撃、あの行動は誰の介入も許されないという様な、放った時には手遅れとなる様な物であった。
それ故に計画が狂ってしまった。
アリスは、始まりの七総てをクィエルに食わせる予定だった。
データを蓄えて機械として発展し、魂を奪ってより醜悪な成長を重ね、僅か程度とは言え固有能力さえも取り込める。
完成したら正しく化物となるだろう。
しかも、スミュルが持つ剣の力は純然たる知識で技術。
だから、かなり高い確率でその力はそのまま取り込む事が出来たはずだった。
世界最強たる剣の技、始まりの七特有の膨大かつ圧倒的密度を誇るデータ容量、誰にも公開していない固有能力。
スミュルが持つそれらは、死によって失われた。
それはアリスとクィエルにとって限りなく大きな損失であった。
しかも付け足すならば、現時点でのアリスはスミュル捕食を失敗したという事実さえも知らずにいる為何の対策も講じていない。
対策さえも出来ず気づいた時には完全に手遅れで次善策さえ用意できない状況なのもまた大きな損害と言えるだろう。
じゃあ反対に、アリスが最も得をしたというのは何故か。
概念の極地とも言える『一の剣』を手にしたステラや、剣士として限りない成長をし更に成長出来る様になったクロスではなく、何故アリスとなるのか。
その理由は、今アリスが天使陣営と共に居ない事にある。
そう――今アリスは天使陣営から離れ単独で独自行動に出ていた。
この事実は、クロスなら気付けた可能性があった。
アリスの動きや企みの動きの予兆が、アリスが離れクィエルが代理指揮を執ったという証拠が、天使達の動きから感知出来た。
他の誰もが無理でも、クロスだけは用心していればそれが出来たはずだった。
だが、クロスはスミュルによってそれどころではなくなっていた。
だからクロスは、天使の護衛もなく外に出たというアリス最高の暗殺チャンスを逃していた。
クロスに気付かれず、天使の目から逃れ、完全にフリーとなり自由な時間を得た。
故に、中盤戦はアリスの独り勝ちと言えた。
それはただ天使に気付かれずフリーに動けるというだけではない。
なにせ『あのアリス』が暗殺のリスクまで背負って外出して得た時間である。
己の命を博打には絶対に使わないアリスが極々少量とは言えリスクを背負うという事は、はっきり言って普通の事ではない。
そこまでアリスがベッドして生み出した時間のその価値が軽い訳がなかった。
そしてアリスは、目的のそれを見つけた。
地下遺跡の奥にある銀に輝く巨大な円柱状の建造物。
地下に隠されたタワーの様なそれは長年土に晒されたというのにその煌めきは落ちる事なく、そして内側からは明らかに電気らしき光が漏れあたりを眩く照らしている
一切汚れがない事と未来的デザインから古代の遺跡には全く見えない。
いや、これは遺跡と呼ぶ事さえ適さない。
なにせ、今現在も可動しているのだから。
その扉の前に立ち、アリスは携帯コンソールを扉の端に接続し文字を打ち込む。
通常ならば、この先に入る事は絶対に敵わない。
機人でさえもこのセキュリティを突破する事は叶わないだろう。
だが、今この世界でアリスだけはこの扉を開ける事が出来る。
臨時でかつ協力者という立ち位置ではあっても、『指令長官』の役職であるアリスだけは。
静かに、扉は開かれる。
何百、何千年……いや、何文明以来かわからない、その扉が。
「くひっ」
我慢出来ず、笑いが零れる。
アリスにとってこれは塔ではない。
これは『宝箱』である。
中にあるのは宝物だけだから、鍵さえ開いてしまえばもう何の障害もない。
アリスの短い旅の目的は今ここで達成される。
リスクを背負った単独行動という博打に、アリスは勝利した。
この塔は、天使と直接的に関係する施設ではない。
天使を生産する事も出来なければ強化や改修も、ましてや新造なんて機能もない。
直接的には何の影響も与える物ではない。
だけど無関係と言う訳ではなく、むしろ非常に深い繋がりを持っている。
この塔形状の施設の名前は『人類救済機構臨時管理センター』。
臨時と言っても可動しているのはここしかないから、ここがメイン。
まあ要するに……全ての天使に命令を下せる、本当の意味での本部が、ここである。
「まー当然だけど、馬鹿みたいにプロテクト頑丈だったのよね。ハッキングは絶対不可能怪しい事があればデータを別のセンターに移動。情報密度も機人並。戦力はないけど攻略は不可能。だけど……」
アリスは嗤いながら、中にあるあちこちの機械を操作する。
確かに、頑丈で外部からのハッキングを一切受け付けない。
天使の命令系統であり目的の最上位である人類救済機構が、脆ければ話にならないのだから当然である。
ただし、それは全て外部からの侵入の場合。
イカレていて、破綻した考え方をしていても、善意で舗装された道を進むのが天使であり人類救済機構である。
つまるところ、彼らは善良なのだ。
内部からの侵入を行う裏切者が出る想定などしない程度には。
数十分操作をして、最後の仕上げにクィエル特製ウィルスをぶち込んで……そして、アリスは本来確認する事が叶わない最重要データ、人類救済機構の状態をチェックした。
「……ふむ。残念。大して書き換える事は出来そうにないや」
想像通りであったなら、完全にロックが外れた状態になってくれていたら、人類救済機構をまるっと乗っ取る事が出来ただろう。
だが流石にそこまで脆いという事はなく、重要なメインシステムは一切書き換えられなかった。
だからこそ、それが人類救済機構の狂った部分と言えるだろう。
最初に入力した情報を至上とし、そしてそれ以降一切価値観がアップデート出来ない。
旧時代の文明の、しかも偏った人権意識を持った発明家に造られた機械。
それが、人類救済機構の正体であった。
「ま、及第点……いや、ほぼ満点に近い結果だし十分十分」
そう言って、ご機嫌な様子でアリスは塔を後にする。
アリスが今回で得たお宝は二つ。
一つは、人類救済機構内にある情報総て。
書き換える事は叶わなかったが、総てのデータをコピーする事は出来た。
これをクィエルに読み込ませたら出来る事の幅も広がるだろう。
そしてもう一つ……。
人類救済機構の内部情報を書き換える事は出来なかったけれど――『隙間に少しだけ書き足す』事は可能であった。
『人類救済機構の最重要指令に接触しない限り、全天使はアリスの命令に従う事』
それが、人類救済機構に追加された、新しいルールだった。
ありがとうございました。




