頂の世界(後編)
爆発にも似た衝撃の後に砂煙が舞い散って、過ぎ去った後、世界は一変する。
大地に亀裂が生じ、へこみ、めり込み、当たり一面が巨大な陥没地帯となっていた。
おおよそ数十メートル範囲のクレーターが生み出される程に、クロスの一撃は重たい物であった。
そりゃあそうだ。
クロスは部分的に、この惑星の重さを借り受けたのだから。
裏足と地面が溶接されたかの様に固定され己自身は不動となり、剣そのものは巨大建造物を圧縮したような超重量となる。
もしも、持っている剣がトレイターでなければ、その自重でガラスの様に砕けていただろう。
負傷と疲労から肩で息をしながら、それでもクロスは尚油断しない。
手応えはあった。
押しつぶし砕いた感触がトレイター越しに確かに感じていた。
そんな極限の状態で意識さえ途切れ途切れであっても、クロスは残心を切らしていない。
油断していないとか常在戦場の構えとか、そういう事ではない。
単純に、確信を持っていた。
相手はまだ戦う力を残していると。
それはスミュルにとって、初めての敗北だった。
戦闘継続は可能であっても、剣を折られ人間ならば確実に死んでいるだけのダメージを負った時点で、それは自ら課したルール内での敗北に間違いはない。
負ける事自体は初めてではない。
だが、対等な剣での勝負で負ける事は初めての事だった。
スミュルにとって剣とは、かつての屈辱を忘れない為の儀式。
失われた愛すべき文明と民の嘆きを後世に伝え同じ運命に辿らせない為の知恵。
だからスミュルにとって剣とは、教える物であった。
教えるという事は、立場が上と言う事。
それが当たり前だった。
それを当然と思って生きていた。
だけど、その当然は覆される。
格下の相手に、何故か敗北した。
まだ体は動く。
戦う事は出来る。
それでも尚、心は敗北を認めてしまっていた。
自分は剣での戦いで、正々堂々たる試合で負けたと。
天使としての自分は、正しき者として生きる導く者としては、素直に敗北を受け入れろと言っている。
ルールの範囲内での敗北に違いはない。
だけど、剣士としての心がそれを受け止めきれずにいた。
卑怯な手段を使われた。
こっちは本気じゃなかった。
星の力を借りるなんてのは恥ずべき反則だ。
自分でもわかっている。
卑怯な事はなく、正しい決闘だった。
こっちは剣士として、本当の意味で本気であったし、何なら最後の一撃は天使としての身体能力を用いても同じ結果となっただろう。
そもそも、星の力を借りたと言ってもそれを行ったのは間違いなく剣を使った技術であった。
それが信仰の力や祈りの力、魔法やその他不思議な何かだったとしても、枠組みは剣技。
間違いなく剣での技術、確かに技として確立していた。
であるならば、何ら否定する要素にはならない。
そう、負けたのだ。
剣士として、しかも自分が真似出来ない技術を使われて。
わかっている。
敗北を否定する事は出来ない。
それがわかっているのに、心が暴れ狂っている。
悔しさを認めず、相手を非難し事実を受け入れないという事がどれほど醜悪で恥ずべき事か、どれだけ人間らしい醜い行動かわかっている。
わかっているのに、二つの相反する心の間でスミュルは揺れ動いていた。
――私は天使だ。冷静に、機械の様に判断しろ。どうするべきか、どうすれば良いか……。
必死に自制し、スミュルは思考を張り巡らせる。
剣士として、人類の未来を慈しむ天使として、自分がどの様な選択肢を取れば良いのかを。
情ではなく、実利のみを追求し、あるべき形をあるべき物とする為に……。
最後の最後まで、スミュルは気付けなかった。
敗北を認めない自分がいる事には気づけていても、その根本にある感情が何なのかを。
本当に認めなければいけない感情は悔しさなんかではなく、『恐怖』であった事に。
そうして、極めて理性的なつもりで考察したスミュルは、一つの解決策に到達する。
クロスを殺す最も簡単な方法。
即ち、ステラを殺すという事に。
砕けた両足をぶらぶらさせ、片翼となったフライトユニットで低空飛行し自分の方に来るスミュルの姿を見て、ステラはやはりと思った。
殺しやすい方から殺す。
それはまあ利に叶っている行動だろう。
だがそれは、逆に言えばその行動こそがクロスに屈服した証でもあった。
敗北を内心で認め、しかも再度クロスに挑む勇気がない。
普段負け慣れていないからこそ、敗北の悔しさと死への恐怖が入り交じり、怖気づいてしまったのだ。
普段人間と自分達は違うと思い込んでいるからこその弊害とも言える。
嬉しいと思うのが五割に、寂しいと感じるのが五割。
それがステラの偽らざる気持ちだった。
先程の戦いにステラは介入出来なかった。
本物の剣士と剣士の戦い。
それは、あまりにも遠すぎる光景だった。
確かに、クロスとステラは互いに多くの物を共有出来る。
また同時に、自分が戦う訳ではなく外から見る分には、クロスとスミュル互いの動きを見る事も叶う。
だけど、それでも、クロスが手にした力をステラが使う事は出来ない。
クロスの力は憧れの派生である。
出会ったからずっと憧れ、それを真似し追い求め、気が狂う程の修練の末に憧れを形にした、クロスだけの剣。
込めた祈りと掛けた時間が、足掻いた過去が、力へと至った。
いや、もっと根本的な部分でステラはそれを使えない。
知識として得られても、ステラには決して理解出来ない内容であるからだ。
クロスは、勇者クロードの背中に憧れている。
その憧れを、理想を現実世界に具現化させた物がクロスの剣技であり、クロスを剣士として完成に導いた。
そんなクロスが心の底から憧れる勇者クロードを、ステラは嫌悪している。
憧れる事などある訳がない。
むしろ、それが虚構の存在だと誰よりも知っていて、そしてかつてのクロードの実力なんてとうの昔に抜いている。
だから、憧れるクロスの気持ちが絶対に理解出来ず、それ故に同じ技量があろうとも、クロスの力を共有しようとも、その剣術をステラは使えない。
クロスの様子をちらっと見て、ステラは微笑んだ。
スミュルがステラを狙うという事を予想もしていなかったらしく、真っ青な顔で取り乱している。
自分の命の事ではなく、ステラの命をただ心配して。
今回の出来事は、かつての仲間の誰に聞いても喜ばしい事というだろう。
なにせ、あの自分の身が引き裂かれるより何倍も見ていて苦しかったクロスの修練の日々が、己の肉体を塵の様に扱って、拷問さえも生ぬるい凄惨たる修行が、無駄などではなかったのだ。
むしろ、あれが正解であり誰にも到達出来なかった領域にクロスを押し上げた。
クロスの努力が本当の意味で形になったのだ。
嬉しくない訳がない。
だけど同時に……ステラは寂しさを覚えていた。
その差が、あまりにも大きすぎて、追いつけなくて。
「ああ、これか。これが……クロスが私に感じていた劣等感か……」
そう呟き、ステラは苦笑する。
――なるほど、これは確かに……苦しい物だ。
残り数メートル程で、スミュルは剣を構えた。
フライトユニットでの高速移動と持ち前の圧倒的剣技で、後残り一秒にも満たない時間でその刃は到達する。
その時、この命も失われるだろう。
それでもステラは冷静だった。
恐ろしい程に。
一流とスミュルは言っているが、それはまごう事なき『頂』である。
剣の道の頂点に等しい世界、そこにクロスが到達したという事実を情報共有によりステラは理解している。
頂点ではなくまだ登りつめる要素がある為一流と呼ぶ方が正しいのだろうが、到達した者の少なさを考えたら頂の方がやはり相応しく感じる。
自分がそれを使えずとも、どういう世界なのか、どうしたら到達した事になるのか、そういった情報だけはクロスの感覚と知識を共有して知る事だけは出来ていた。
そうして、新しい世界を見て、ステラはようやく自分の本質に気が付く。
剣技でならどの様な物でも一目見たら真似出来る圧倒的才能。
剣の天才。
努力など必要なく、努力すればするだけ力が得られる。
そう思われていたし、思っていた。
実際かつての名前の時はそれが真実だった。
だけど違った。
下の世界から見たらそれは事実だが上の世界から見たら、ステラは決して『剣の天才』ではない。
むしろステラの本質は、その逆でさえあった。
今日まで藻掻いて付け焼刃の様な訓練を重ね、らしくない努力を必死にして、そしてクロスが答えを導き出したのに自分は届かなくて……。
だからこそ、ステラは己の事実に至る。
「私って、不器用だったんだね」
そう――ステラの本質はそれ。
スミュルの言う論外というのはそう言う事。
要するに、『驚異的な深みのある早熟型』というのがステラの本質である。
世界一の剣士に努力なくなれる程深い実力を持った早熟型。
だがそれは単に早熟というだけであり、努力で追いつけない領域と言う事ではなく、そして努力なくては一流に到達する事もない。
頂に登る事を目的とするならば、ちょっと足が速い程度の差でしかなかった。
更に言うなら、才能が高すぎて努力の効率が非常に悪い。
これはむしろ欠点と言える。
故に、クロスの様に複数の技をマスターし己だけの専用流派を生み出す事などステラには絶対に出来ない。
剣士としての頂の世界。
そこにステラが到達する事はない。
ステラは、クロスと同じ世界を見る事はない。
それは器用貧乏でさえない。
ただの、不器用。
上の世界から見たら、ステラは単なる不器用でしかなかった。
スミュルの刃が、ステラに襲い掛かる。
とびかかる形で、絶対に殺すという殺意を込めて。
もはやなりふり構わない天使の身体能力を使った全力の斬撃。
渾身の、世界さえも裂きかねない斬撃を放った瞬間――その刃が到達する前に、スミュルの意識は途切れた。
そして、その意識が戻る事はもう二度とない。
スミュルがステラにとびかかったかと思うとそのまま素通りし、交差し、ステラの背後で転がる様に地面にダイブし、ゴロゴロと転がった後倒れ込んで、そのまま起き上がらなかった。
何が起きたのか、それを認識出来た者はいない。
それを受けたスミュルは当然、見ていたクロスも、アリスの命令で覗き見していたクィエルでさえも。
どんなセンサーも、どれほどの経験も、目視にさえ至らない。
誰も、それを見る事が出来なかった。
ステラは不器用である。
だから、たった一つしか出来ない。
たった一つで、とても単純な物。
技など上手く使えず、ましてや居合とかカウンターとかそんな器用な事も出来ない。
何も考えずただ『斬る』事しか、不器用なステラには出来なかった。
全を一とするクロスとは、完全に発想が真逆。
全を捨て一を拾う。
ステラの剣はそういう物。
剣の道どころか剣とさえ呼べない単なる斬撃だけが、不器用なステラが極められる唯一であった。
故に、その斬撃は認識されない。
言葉とするなら、無拍子となるだろう。
だけど、ミスディレクションといった騙し技や、脳の認識のタイムラグを利用した観察眼という紛い物ではない。
それは本質そのものであるが故に真へと至り、結果的にセンサーの類程度では認識出来なくなったというだけ。
剣術どころか技でさえない、単なる事象。
だから、言葉にするなら恐ろしい程陳腐な物となる。
『極地――真・無拍子』
それだけが、不器用なステラの使えるたった一つ。
スミュルは己の命が絶たれたという事さえ気づかなかっただろう。
それが幸運な事かどうか、ステラにはわからないが。
「どうやら、強敵様のおかげでお互い成長出来たみたいだな」
そう言って、クロスは笑った。
「私、まだクロスの隣に居るのかな?」
「むしろ二歩位先にいるんじゃない?」
「そう……かな? そうは思えないんだけど……」
「そうだよ。とは言え、お互いまだまだ強くなれそうだけどな。……ヴィラの気持ちが少しだけわかったわ。彼女を殺したくなかったって気持ちが」
「でも、殺すしかなかった。クロスを殺す為に、私を狙った彼女はもう単なる負け犬の敗北者の盗賊崩れだった」
「はは……ぼろくそに言うね」
「言うよ。最後の最後に自分まで裏切ったんだから」
「そか……。……ん、何にせよ助かった……って言い方はちょっと変だけど、ありがと」
「ううん。大丈夫。ねぇ。クロス」
「ん?」
「あの……いや、やっぱり何でもないよ」
そう言って、ステラは笑って誤魔化す。
貴方はもう、憧れを追う者ではなく憧れられる側だよ。
そう、伝えてあげたかった。
皆がクロスを愛して、憧れて、皆がクロスに期待するこの世界は、少し昔のあのモノクロの世界と違って、とても優しいから。
だけど、ステラには言えなかった。
ステラだけは、言える訳がなかった。
紛い物の勇者に対する憧れが、どれほど重いかが伝わっているステラには。
自分がこれほどまでにクロスを縛り付けていると知ったステラがそんな事言って良い訳がなかった。
だから、今は祈る事しか出来なかった。
何時の日か、偽りの勇者の呪縛を越え堂々とその背を皆に見せられる様にと、ただ、願う事しか……。
ありがとうございました。




