頂の世界(前編)
対等に、まるで語る様に剣を交えられる様になった。
スミュルが見ていた世界、彼女曰くの『一流』の世界に踏み込んで、クロスはつくづく思い知らされる。
今の自分に、勝ち目なんてまるでないという事実に。
どうしてもこうしても、今の自分はあくまで一流に踏み込んだだけであるからだ。
例えそれが『頂』であったとしても、入門しただけとそこで極め続けた者の差は決して軽くない。
先に到達したスミュルがもっと先にいる事は当然であり、そしてここから先は一足飛びに強くなれる様な物でもない。
更に言えば、スミュルは未だ自分を縛りながら戦っている。
身体能力を人間程度に抑え、使う技術も剣技に携わる物のみ。
もしクロスが全能力を解放し戦えば、スミュルは天使の身体能力でこれまでの技量を使った斬撃を放って来るだろう。
剣での試合ではなく、一方的な惨殺空間へと早変わりだ。
そうなればもうどうしようもないから、それだけは防がなければならない。
だから今のまま戦うしかないのだが、互角に見えるだけでその差は最低でも弟子と師程度の差がある。
まあ、これまでが羽虫と象であったからマシにはなっているが。
だから先人でかつ圧倒的格上であるスミュルを倒すには、二つの条件を満たさなければならなかった。
一つは、攻撃を当てる為『相手の善意に付け込む』事。
そしてもう一つは、相手を『一撃で破壊する』程の威力ある技を放つ事。
前者は、正直に言えば簡単である。
なにせ今までずっとしてきた事である。
それと同じ事をすれば良いだけだ。
この剣縛りでさえ、相手の善意に付け込んだ形であるのだから。
「さて……それじゃあ、そろそろ本気を出すか」
若干わざとらしく、クロスはそう口にしてみせた。
「おや、これまでも本気だった様に思えますけど?」
「それは否定しない。ただ……切札ってのがありましてね。まあ、奥義って奴なんですけど」
スミュルは目を丸くする。
奥義とはつまり、流派を極めた先にある物。
流派の中にある技を全てマスターし、それらの技総てからあらゆる物を継承した最後の技。
もしそんな物があるとするならば、確かに、それは『本気を出す』という事に値するだろう。
「ええ、良いでしょう。受けましょう、貴方の本気を。それが虚言出ない事を祈ります」
どこか楽しそうに、スミュルは呟く。
その気持ちをクロスは理解出来た。
自分と同じステージに立つ人さえ、ほとんどいなかったであろうスミュルの孤独と、それ故に久方ぶりの相手に対しての歓喜が。
それらを利用する自分に嫌悪を覚える位、スミュルの気持ちがクロスには理解出来ていた。
奥義。
それは文字通りの最奥であり、極めた証。
その流派を、剣術を、使い手自身の人生を、魂を。
つまり、生き様そのものを具現化した物である。
クロスの剣技はあの日の背中、偉大なる勇者である以上クロードを踏襲した物となるのは当然だろう。
ではクロードの背中を見つめここまで到達したクロスが、その憧れを己の技とし流派にしたクロスが導き出した奥義、即ち答えは一体何になるか。
それは、全を一とする事にある。
クロスが剣聖クロード一刀流として取り込んだ総ての技。
それら総てのいいとこどりをする事こそが答えだった。
始まりは、ただ剣を振るだけ。
基本の形は剛なる剣であり、力こそが答えだった。
クロードの剣術に複雑な物は何もない。
剛剣を学び、縦に剣を振り続け、そうして様々な技へと昇華される。
基礎たる剛剣より派生した技その総ての特徴を再踏襲し、新たに生み出されるのは……始まりの形。
流転し、回帰し、総てはその為に。
『基礎こそが奥義』
クロードの剣技は、ずっとそうであった。
だからこそ――クロスの奥義も、その形は極一般的な、単なる振り下ろしであった。
スミュルは静かに、クロスの構えを見つめる。
極めて自然体で、だが同時に
事前に怯える程恐ろしい物ではない。
だが、何の準備もなく受け止める程弱い一撃ではないとも察していた。
百……いや、千位だろうか。
おそらく、クロスが流派と化した際に使える剣技はその位。
歩法や呼吸、その他相性の良い技術も含めたら万行くかもしれない。
クロスという男の道のりはそれだけ過酷な物であり、そしてその過酷である程その仮定で生まれる剣も深く、重くなる。
その総てを一つに終結するのだから、弱い訳がなかった。
「つくづく惜しい……」
内心が、口から零れる。
クロスが強ければ強い程、クロスを殺さなければいけなくなる。
何故なら、彼の強さはあらゆる意味で彼だけの物だからだ。
彼が一般的な道のりで剣を極め、一般的な流れで強くなっていれば……スミュルは彼に総てを託した。
だが、そうじゃない。
あまりにも強い光にその全身と心を焼かれ続けながら、拷問の様な訓練に身を委ね続けたクロスの剣を真似出来る者はいない。
同じ剣を遺せないという時点で、クロスのそれは流派として失格であると言えた。
その総てを共有するステラにさえそれは物真似程度で止まり、そして今のこのクロスの新設流派に至っては真似さえも出来ないだろう。
あれは、あの戦い方は、クロスの憧れそのものを具現化した剣術なのだから。
スミュルの考え事の最中、クロスの刃が静かに振り下ろされる。
鋭く、重く、それでいてただまっすぐな剣。
剣術家として、これを避ける事は出来ないと思ってしまう程に、その剣には深い祈りが込められていた。
剣術と呼ぶよりも祈祷と呼ぶ方が近い位に。
王道に焼かれ、己の不足に嘆き、邪道を越え修羅を越え地獄に身をやつし、その上で得られぬ慟哭を飲み込み生み出されたのが、正なる剣。
それは、どの様な剣よりも、どんな聖よりも正しい様に、スミュルには見えた。
だからこそ、スミュルの返答はたった一つ。
奥義には奥義で答える。
スミュルは剣を構えたまま、寝かせる様、横に倒す。
相手が縦の剣だから、横で合わせる。
スミュルはクロスと異なり奥義を無数に持っている。
スミュルの武器は天使特有の演算能力とそれ故に出来る休眠状態中のシミュレートにある。
つまるところ、人が歴史を紡ぐだけの時間、ずっとその事だけを考え続けたという事。
クロス流に言うならば……スミュルは誰よりも、剣を愛していた。
『エンジェルリフト』
それが、その奥義の名前。
重力の影響を最小限にする事で機動力を稼ぎ、上からの剣を叩き崩す。
つまり、天使ならではの事象を全て数式で演算する力を応用したカウンター技である。
短く腹から力を出した声と共に、クロスの剣が振り下ろされる。
それにリズムを合わせ、スミュルは腰に力を入れ剣を横に振る。
奥義と奥義、力と技、魂と知識。
互いの胸に秘めた物が形となって剣に込められ、そしてぶつかりあいその答えは――。
金属が弾ける様なの音と共に、スミュルの剣が砕けた。
互いに到達した者同士の一撃であるが故に……その差は技術ではなく、道具で現れた。
それは、クロスを愛し、クロスの為だけに存在するトレイターと量産物の剣の差だった。
だが――。
クロスの体に、斜めの剣筋が入り血が滲んでいた。
「これは――」
口から血を零しながら、クロスは今の状況を考える。
どうして、どこで攻撃されたのか、クロスは理解出来なかった。
「引き分けですか。流石ですね」
そう言ってスミュルはどこから調達したのか再び剣を握り構えていた。
何て事はない――足りていなかったのだ。
トレイターのおかげでギリギリ相打ちという形になっただけで、もしトレイターでなく単なる魔剣程度であれば、クロスの体は二分割されていた。
とは言え腐っても奥義。
相打ちとなって相殺された余波でさえクロスの体に深い傷を与える程の威力があり、そして何等かの概念が込められたその斬撃は、吸血鬼の力でも治癒しきれずにいた。
――不味い、不味い……不味い不味い不味い不味い不味い……。
クロスはパニックになりそうな自分を必死に抑え込む。
自分の奥義が、総てを出しても尚届かなかった。
その上決して軽くない負傷をして次の一撃は先には絶対及ばない。
基礎こそ奥義である特性上クロスの奥義は疲労は少なく連発も叶う。
だがそれでも、重症に等しいダメージを負えばどうしようもなかった。
いや、やせ我慢をすれば先の一撃に等しい力は出せるだろう。
だがそれでも、先の一撃に『等しい』のが限界である。
そして、打ち負けたに等しい一撃を放ったところでどうしようもない。
初見であの結果だったのなら、次はもっと容易く対処される。
状況は――詰み。
「違う! まだ、まだだ! まだ何かあるはずだ」
折れそうな自分を鼓舞する為、クロスは叫ぶ。
ただ、クロスが気持ちを落ち着かせるのを待つ程スミュルはクロスに対し情を持っていなかった。
「戦場にて気を反らすな!」
そう言いながら、今度はスミュルが剣を振ろ降ろす。
同じ目線にまで成長したからか、その一撃が奥義に等しいと本能的に理解する。
そして慌てて剣を振り上げてから……その行動が間違いであったと自分の失態に気付く。
今日までずっと踏み外していなかった、ギリギリの死線――。
その先に、クロスは立ってしまっていた。
クロスの剣をスミュルは受け止められるが、スミュルの剣をクロスは受け止めきれない。
――防げる訳がないのだから、逃げなければいけなかった。
わかったところで、既に行動が終わっている。
今更動きを変える事は出来ない。
必死に、必死に考える。
この後に及んでまだどうすれば勝てるかを。
クロスは自分が死ぬ事よりも、ただ負けない事を必死に考えていた。
――何か、何かあるはずだ。俺にだけあって、あいつにない何かが……まだ……。
遠くから、ステラの叫び声が聞こえる。
必死に、自分の名前を呼んでいる、その声を。
そうしてようやく、本当の意味でクロスは我に帰った。
自分が死ねばステラも死ぬという当たり前の事さえクロスは忘れてしまっていた。
「死んで……死んでたまるかあああああああああ!」
そうしてスミュルの剣を受け止めた瞬間――二センチ程靴が地面にめり込んだ。
同時に負荷の激しい脛辺りの骨が折れて再生してを繰り返している。
腕ではなく、体全身に負荷が回っている。
まるで重力総てが何倍にもなったかの様に。
そうして強く強く大地に押し付けられ圧死しそうになって――。
「あっ、そか。まだあったわ」
クロスは自分の道の、もう一つの支えを思い出した――。
圧死しそうであったクロスの動きが、ぴたりと止まった。
スミュルの剣が、まるで固定されたかの様にそれ以上下に下がらなくなっていた。
「な、何が……」
完全に拮抗しているかの様な手応えに、いや超巨大な何かを相手にしている感覚、スミュルは困惑する。
圧死させるどころか剣が全く進まない。
いいや、それどころか逆に押し返されていた。
押し込まれ、そして逆転し今度は自分が押し込まれる。
鍔迫り合いは力と技術両方が必要である。
そしてスミュルの技術にクロスはまるで及んでいない。
だから通常ならばスミュルが鍔迫り合いで負ける事はないというのに……今スミュルは、完全にクロスに押し込まれ、自分が圧殺されそうになっていた。
「な、何故だ。何だこの力は!? 人が出せる力ではない! こんなの、こんなのまるで……」
まるでこの星そのものを相手にしている様だと思って、そしてスミュルは気付いた。
クロスが何等かの方法で、この星の力を借りていると。
いや、そこまで大した物ではない。
星そのものの質量であったのなら、スミュルは一瞬で圧死している。
強いて言えば、その重量を部分的に借り受けたという風な印象があった。
それでも、人が手にする力にしてはあまりにも遠く、奇跡と呼ぶ様な術である事に違いはないが。
クロスが思い出したのは、自分の旅路での事である。
理想の仲間と共に旅をしてきて、そしてそれを見守ってくれていた存在がいた。
即ち――女神クロノス。
クロスは女神が自分達を見守り、慈しみ、愛してくれていると知っている。
だからこそクロスは熱心に祈る事を当たり前とし、信仰を持ち続けた。
ソフィアとクロスだけは、本当の意味でクロノスに祈りを捧げていた。
その祈りの気持ちだけは、信仰だけは、自分だけの物。
スミュルにない力であると気付き、頼った。
クロスにとって神とは世界そのものであり、この大地と女神は同一なる物として教えられそれを信じ切っている。
だから、クロスにとってこれは特別な事ではなかった。
母なる大地が力を貸してくれる事というのは。
クロスの剣は、勇者に憧れそうなりたいという願いの剣技である。
クロノスは、クロスがずっと足掻き藻掻き、憧れ慟哭していた事を知っている。
勇者と深い繋がりのある力を得たクロスに、クロノスが力を貸さない訳がない。
そして、勇者の剣に焦がれるその剣技と女神の相性が、悪いなんて事ある訳がなかった。
剣聖一刀流裏奥義、『地星斬』。
もしも名付けるなら、きっとそうなるだろう。
クロスは渾身の力を籠め、スミュルを地面に叩きつけた。
ありがとうございました。




