スミュル・セカンド4
二対一でかつ身体能力を制限しながら。
それでも尚、圧倒的な実力をスミュルは見せていた。
手を抜いてはいない
だが、クロス達の行動を一々評価し改善点を告げる程度の余裕がまだ彼女にはあった。
何故ここまで圧倒的な実力差が出るのか。
クロスもステラもその理屈を理解する事が出来なかった。
相手の攻撃は鋭く激しい。
これまでのどんな剣士さえ比べる事が出来ない程に圧倒的だ。
それでいて、恐ろしい事に相手のその理自体は理解出来る範疇であった。
スミュルの剣は良くも悪くも基本に忠実で、そして剣術という技術の域を超えていない。
逆に言えば、使っている技術は単なる剣術だけなのに、一振りで八斬撃とか未来予測レベルの先読みとか、指先だけで全力の斬撃を弾いたりとか、そういう事をしでかすから恐ろしかった。
それは、その理が理解出来るのなら、ただの子供でさえ同じ事が出来るという事なのだから。
既に状況は追い込まれている。
相手の動きは一切読めず、こちらの手の内がガリガリと暴かれていって、取れる手段の残りもそう多くない。
戦いにさえなっていない。
相手が剣に縛られて戦ってくれているから何とかまだ生きているというだけ。
本当に絶望的で、そして極限の状態だった。
今現在は、スミュルからしてみればもうすぐ勝利という終わりを迎えるという状況のはずである。
なのに、彼女は今そんな事を考えていない。
むしろ脅威を覚えていた。
――急激に成長している?
スミュルはクロスの動きを見ながら、そう感じていた。
ステラの方に変化はない。
相変わらず恐るべき才能『しか』なくて、嫌悪しかでて来ない。
だが、クロスの方は違う。
剣を交える度に確実に、それも大きく成長していた。
所作一つ一つが洗練され、技が鋭く無駄が省かれていく。
成長と言っても、それ自体は、はっきり言って意味のない事である。
成長係数は高いが、それでもまだ全然実力差を埋める様な物ではないからだ。
例えこのまま成長し続けたとしても、追いつくのに千年はかかるだろう。
だが、数か月、時には数年かかる技の練度上げを僅か一瞬で、それも何度も繰り返しているその姿は剣を教え導く者として無関心ではいられなかった。
スミュルの力の正体は何の深い理由も特別な事情もなく、答えは明確過ぎる程にシンプルな物である。
『スミュル・セカンドは、誰よりも剣に触れてきた』
上級機甲天使特有の能力でもなければ自分をそれ用に改造した訳でもない。
本当に、ただ剣と関わり続けて来たというだけ。
高度な演算が行える天使の頭脳にて、常に剣だけの事を考え続け、そして実際可動している時には、剣を振り続けてきた。
純粋に磨き上げた技術の結晶で、ステラさえも到達し得ない極地に至った。
だからこそ、純粋に彼女は強いのだ。
そんな剣の頂点に達したスミュルはクロスの変化をじっくりと、もう少し丁寧に観察していく。
そしてその変化の理由を理解した。
これもまた特別な事をしている訳ではない。
ただ、過去の経験と今の経験を鑑みて無駄を省き続けているだけだった。
簡単に無駄を省くというが、それは才能ある熟練剣士が一つの技を何年もかけて行う様な事である。
普通の人が簡単に出来る事ではない。
それを容易く行えるという事は、それだけクロスに剣士としての長い下積みと経験があったという証拠に他ならなかった。
藻掻き、苦しみ抜いたかつての時間が、死後悠久の時を超え、クロスの剣をより正解に近づけた。
「……本当に、もっと早く貴方にも出会いたかったですね。そうすれば、きっとこうはならなかったでしょう」
つい、スミュルはそう呟いてしまう。
彼が人間で魔王討伐の旅に出た時、その時の彼に会えていれば、きっと彼を立派な剣士に出来た。
剣筋を見れば、彼がどれだけ渇望を抱えて生きて来たか理解出来る。
その渇望を自分ならば叶えられた。
世界最強の剣士さえも超える力を、授けられた。
だが、総ては『たられば』の話。
剣士ではない道に走ってしまったクロスに伝えられる事はもうない。
沁みついた技が歪みすぎて、手札を増やし過ぎて、彼が剣士として一流になる事はもうないのだから。
クロスの振り下ろしに対し、振り上げでカウンターを取りスミュルは一歩後ろに下がる。
距離を取る為ではなく、技を出す為に。
剣を鞘に納めるのではなく、上から重ねる様に置き、そして横に思いっきり一閃を放った。
斬撃が遠心力で広がったかの様に伸びる。
明らかに間合いの外、スミュルとの距離は五メートル程はあったはずなのに、クロスとステラは揃って剣をはじかれ地面に腰を落とした。
二人同時に胴体を真っ二つにするつもりだったのに、剣で防がれ揃って生きられた。
それだけの技量が彼らにあるからこそ、スミュルはそれを摘む事に惜しささえ感じていた。
彼らが一流になる事はない。
クロスは『余計な物を抱え過ぎている』。
ステラは『才能以外総てが足りていない』。
後者は性格である以上最初からどうしようもなかった。
だが、前者は違う。
歪む前であれば、彼こそがこの世界に剣を伝える伝道者として相応しかった。
本当に、スミュルは惜しいと感じていた。
つい、伝える必要もない、傷口に塩を塗る様な事を口に出してしまう程に。
「クロス、何故貴方が一流になれないか、教えましょう。貴方は余計な技術を持ちすぎたからです。何故流派なる物が存在するか、何故我流では先がないのか。理由は単純で、人という存在は導き手なしで道を進む事が困難な生物だからです。流派とはつまり道標。道標があるからこそ、人は迷わず道を究められるのです」
剣の道とは道が付く通り、旅路である。
そこに到達するには険しい道のりが続き、あらゆる困難が待っている。
だからこそ、地図が必要なのだ。
その地図こそが、流派であり武術であり先人。
道を示す歴史に従う事。
それこそが、最短なのだ。
確かに、一流になる道は一つではない。
だが、『流派を極める』事が最も可能性の高い手段である事もまた明確な事実であった。
「つまり……貴方は学び過ぎたのです。一つではなく無数の流派を自分の限界点まで学んでしまい、剣以外の技術さえ蓄え過ぎ、そして自分に適さない技すら努力を重ね過ぎて不可能なはずなのに習得してしまった。その所為で、貴方本来の剣は幻と化し、死にました。貴方の剣は『鈍』となったのです」
教えた者は、善意で教えたという事はわかっている。
クロス自身がどれだけ苦しく険しい事を重ねたかもわかっている。
戦ったのだから、その生き様がどれ程過酷で、そしてどれほど力を渇望したかわかる。
それでも、はっきり言わなければいけなかった。
それが、単なる徒労であったと。
「……感傷に耽るなんて、らしくないですね。これで終わりです」
スミュルは静かに、座り込むクロスの目の前で、断罪の刃を振り下ろした。
断罪の刃が降りた時、既にクロスの意識はほとんど途切れかかっていた。
ただでさ圧倒的格上との戦闘なのに食らいつこうと必死に、何年もかかる技の洗練を秒で行い続けたのだ。
脳に栄養は足りず、肺に酸素さえない。
疲労困憊の極地である。
もう完全に、総てを絞り出していた。
元々クロスに才能はない。
その才能は借り物であり、そして借り物の最強の才能を全力で扱っても全く追いつけなかった。
だから、既に限界を何度も超え意識が明滅しているクロスには、スミュルがぶつぶつ言っていた言葉のほとんどを聞き取れていない。
何か叱られているのかなぁなんて、他人事の様に見ていた。
唯一、聞き取れた単語が『流派』と『道標』であった。
スミュルは剣に関しては嘘は絶対に言わない。
それは必要な事であり『答え』である。
スミュルの反応や途中の評価に正直に従って、それで技を洗練させてきた。
スミュルはクロスの成長速度に疑問に思っていたが、原因はそのスミュル自身にもあった。
剣で相手する時は、例え誰であれ相手を少しでも成長させようとする。
それはスミュルにとっての本能であった。
そうしてかつてのクロスの足掻いた歴史と、先人であるスミュルの指導によって成長を重ね、それ故に戦闘どころではない疲労で体が震える程の状態となっていた。
そうして、クロスはとぎれとぎれの意識の中で、考えた。
――俺の流派って……何だ?
沢山剣術は学んだ。
メリーから教われる物はもう際限なく教えて貰った。
だけどそのどれかを主軸に置いている訳でもないし、そもそもの話だがクロスは田舎村出身である。
我流がその大本と言えるだろうが、今は我流でさえない。
だから答えは『なし』になる。
適当に我流で覚え、そこからクロードの剣を真似、メリーに技術としての剣技を学んだ。
――じゃあ、俺の剣って道標とか、目指すべき先って、ないの?
クロスはそんな疑問をぽっと思いつき、そして鼻で笑った。
――そんな訳ないじゃん。
曖昧な意識のまま、だけど確信を持って。
クロスは今までの自分が、『1ピース失ったパズル』であった事に気付いた。
そりゃあ、人間時代どれだけ努力しても弱いに決まっている。
完成の形に限りなく違いけれど、絶対に完成しない未完の芸術なのだから。
だからどれだけ努力しても成長出来なかったのだ。
スミュルの言うステージに立つ為に、極める為に必要な物。
一流となる条件。
険しい旅路を支える地図で、そして道標となる羅針盤。
その答えを、クロスは最初から知っていた。
失くした訳ではなかったのだ。
パズルのピースは、最初から、持っていた。
大切にし過ぎて持っている事を忘れてしまう位、ずっとその手に強く握りしめて、離さなかった。
憧れは、最初から胸の中に。
振り下ろされる断罪の刃。
それをクロスは座り込んだまま見つめ、静かにトレイターを握る片手を振り上げる。
そうして、片手でクロスはスミュルの両手を込めた渾身の一撃を受け流した。
「そんな、馬鹿な……」
スミュルの声は、半分は驚愕だが半分は期待であった。
そう、そんな訳がない。
クロスがここから立ち直る事など、ある訳がないのだ。
良く、努力なんて無駄だとか才能が全てとか、そんな声はある。
だが、逆なのだ。
才能があろうとなかろうと、努力しなければ一流になる事はない。
努力こそが近道で、努力を重ねる事こそが正解の唯一の道。
だからこそ、一瞬で強くなるなんて絶対にあり得ないのだ。
積み重ねる事こそが、最短の道なのだから。
「……今さ、ようやくわかったわ。全然強くなれなくて苦しかったあの日々。仲間と対等になれなくて、足掻き続けたあの時間。あれが、俺の最短だったんだな」
人間の時の、あの苦しい時間。
あれは無駄なんかじゃあなかった。
あの足掻いてきた無駄こそが、あの血反吐を吐いた日々こそが、唯一クロスが持つ本物の時間だった。
むしろ、魔物となってからの方が回り道だったと言える。
剣を極める為に必要な事は、相棒であるトレイターと協力し合う事でも、ステラの力を借りる事でもなく、ましてや色々な力や魔力を併用する事でもない。
剣の道を究めるのに必要なのは、あくまで剣を振る技術のみ。
そしてそれに最も必要なのは……剣を振る根本の理由。
だから、答えは最初からそこにあったのだ。
憧れという答えが。
「一体何を……」
スミュルは呟きながらも剣を構える。
知能回路はそれを拒否しているが、剣を愛した肉体がそれを認識している。
そんな訳がない。
そんな事あって良い訳がない。
だが、自分の剣が、それを正解と伝えている。
クロスが、一流の域に入ったと。
一流になる為の条件は一つではなく、その道は無数に存在する。
例えば……。
『流派を極める事』
『極めた先人が長い時間をかけ導く事』
『一つの技のみを執念を込め追及する事』
これらは後者になる程難しくなり、現実的なのが一番上の流派を極めるになる。
それさえも独りの人生で成し得ない事だから、技術の継承こそが最短なのだ。
だが、クロスはそのどれでもない。
スミュルはクロスが何をしたか理解している。
理解しているからこそ、未だその結果を受け入れられずにいた。
踏み込みながらのクロスの一閃を、スミュルは避ける事が叶わない。
油断した状態で避けられる様な温い一撃をクロスはもう二度と放たないと、スミュルは確信出来てしまっていた。
横に避けながら、剣で斬撃をいなす。
直後に、クロスの追撃が襲い掛かってきた。
一、二、三、四、五、六、七、八……。
合わせ、十六。
十六もの連続の斬撃、その全てが、これまでのどの攻撃よりも重たかった。
「ちっ。やっぱり駄目か」
とりあえず出来そうな大技をぶっ放した後、クロスはそう呟く。
剣を理解した自覚はあるが、それでもまだスミュルの底が見えていなかった。
十六連の斬撃を防ぎ、それでスミュルはようやく確信に至る。
クロスが行った事は、取捨選択。
簡単に言えば、多すぎた手札の整理である。
自分が覚えた膨大な情報にて自分に相性が良い技を残し、それ以外をすっぱり捨てていく。
覚える為にどれだけ苦労した技でも、血反吐を吐いてようやく覚えた仲間との絆の技でも、何も関係なくすっぱりと。
そして得意な技だけを厳選し、それらを更に使いやすい形に精練し、足運びや連携と絡められる様構築していく。
技を他の技術と絡めていき、あらゆる状況に対応出来る戦術へと昇華させる。
要するに、零から作ってしまったのだ。
クロスは今この瞬間に『流派を作り出す』という回答に辿り着いていた。
いや、それはもはや流派ですらない。
クロスは『自分だけの剣術』を編み出した。
そんな事、出来る訳がない。
正しい技一つ作るのだって何十年もかかってようやくというのが凡人の限界で、そしてクロスはまごう事なき凡人である。
秀才ではあるが天才には決して及ばない。
ましてやステラの様な化物にはとても。
だからこそ、流派を生み出す事が一朝一夕でない事はスミュルが一番理解している。
自分にしか出来ない剣術なんてのはもはや夢のまた夢だ。
だけど、クロスはそれをやってのけた。
天使でさえも出来ない事を、今この場で。
「一体貴方は、どんな答えを見つけたのですか?」
「んなもん簡単だろ? 最初の憧れだよ」
「……理解出来ません。ですが、剣は嘘を付かない。きっとそうなのでしょう」
スミュルは静かに微笑み、そうして剣を構える。
今までの様な物真似に近い構えではなく、どこか独特の構えを。
それが本来のスミュルの構えであると、その風格と威圧感からクロスは理解出来た。
「弐真柔征流剣術並びに烈風シェフィル拳闘術複合。流派『天剣』。たった二人しか使い手のいない、滅びゆく剣です。貴方のそれには何か、名はありますか?」
「……んーそうだな……強いて言えば……」
「強いて言えば?」
「――『剣聖一刀流』だ」
それが憧れの剣である以上、その名前は彼を使うのが当然であると言える。
真なる勇者……剣聖クロード、彼の名を。
「良い名ですね。では……次はこちらで、貴方の答えを語って下さい」
スミュルはとんとんと、軽く剣を動かした。
「語ったらさ、誰も死なないって、そんな道はあるかい?」
「ありませんよ? 最初からそんな物は」
「だよな。……悪いな。余計な事を聞いた」
そう言って苦笑した後、クロスはその、憧れの剣を振るった。
どうして、こんなに剣に取りつかれているのか。
苦しかった時はいつも思っていたし、苦しくない魔物時代でさえも時折そう思考する事があった。
別に剣でなくても構わないのに、手札は無数にあるのに、どうして剣なのだろうか。
とは言え、そんなの最初から決まっている。
ダチの隣に立つ為とか、強くなりたいとか、色々と理由はあったが全部後付けで、それは本当にクロスの底にある物ではない。
クロスの底にある感情は、純粋な憧れ。
つまり……恰好良かったのだ。
クロードと言う名の勇者が、その剣が、心が焦がれ燃える位に。
だから、クロスの剣は今日ようやく、形となった。
流派を作ったというよりも、クロスの考える理想がどうするかを考えていたら自然と流派になったというのが正解だろう。
即ち、剣聖クロードならばどうするか。
クロスにとって最高の勇者である憧れの相手、クロードならきっとこうしただろうという考え方を最優先とし、それに適したか適さないかで使う技を再構築した。
ただし、これはあくまでクロスの憧れであり実物のクロードとは全く異なる。
そもそもの話だが、本当のクロードなら、とうの昔にクロスは追い抜いている。
だから、クロスの剣の主軸は『本物のクロード』ではなく『クロスの想像する憧れのクロード』であった。
その憧れを形としたクロスと、圧倒的上位者スミュル。
そんな超常の戦いを、ステラは静かに見守る。
既に参加出来なくなって、外からしか見れなくなった激しい剣戟の嵐を。
「……私はそんなに凄くないよ」
ステラは静かに、辛そうに呟く。
憧れの憧れ、最強無敵の絶対勇者クロード。
クロスの剣にはそんなあり得ない物があり得ない程に溢れている。
一目でそうだとわかる位強く、光が描かれている。
「……また、置いて行かれたなぁ」
あらゆる物を共有するステラとクロスだが、今のクロスの剣は絶対に真似出来ない。
それがクロスの憧れから構築された剣である以上、それはクロスだけが使える物。
知識も技術も気持ちも伝わる。
それでも、知る事が出来るのはそんな表面だけ。
本質が理解出来ないから、ステラは三流以下でしかない。
そもそもの話だが、もしクロスの憧れ総てを理解出来たとしても、ステラにだけはその剣は真似出来ないだろう。
実物のクロードが紛い物で偽物であると誰よりも知っているステラだけは。
だからこそ、今度はステラの番。
ステラが、クロスに憧れる番だった。
ありがとうございました。




