ありきたりだからこそ、避けられない運命
不幸か幸せかを決めるのは他の誰かではなく、自分自身である。
他者からの評価という意味のないものを除き、自分で自分を判断する。
その意味でいうならば、玉藍と呼ばれる女性は決して不幸な生涯を送ってはいない。
彼女がまだ別の名前で呼ばれていた頃、幼かった頃の彼女はこの硬玉屋に入り、芸者として翡翠の名を受けそこで時に芸を、時に体を売り生活をしていた。
それを翡翠は不幸に思った事は一度もない。
男性を悦ばせる事、誰かを喜ばせる事、誰かの疲れを癒す事が、それらは彼女にとって望むべくものであった。
だが、翡翠はともかく周りの者はどうだっただろうか。
この硬玉屋に入った芸者に自由はなく、嫌な目に遭う事も決してすくなくない。
それはつまり、ここにいる芸者が不幸であるという事。
幸せを他者に配る者が、不幸であっていいはずがない。
だからこそ、翡翠は現状を何とかしたかった。
幸か不幸か、翡翠は本当に多才であった。
誰かを喜ばせる才能が、芸を磨くという事の本当の意味を誰かに伝える才能が。
そんな才能があった翡翠は回りの芸者達に色々と指導した。
不幸にならない方法、不幸に思わない方法。
そういう精神的な物から、芸を身に付ける楽しさ、芸を身に付ける意味。
そういう実践的な物まで。
そんな事を繰り返し、長い長い……気の遠くなる様な長い歳月を翡翠はかけ、現状を改善していった。
少しでも不幸な存在を減らす為、そしてそれこそがこの硬玉屋に来る客がより喜ぶと信じて。
その成果は確かに出た。
男性を癒すという名目でただ劣情を満たす為だった硬玉屋は、そういう事抜きでも男性が満足する様な、本当の意味での慰安施設へと変貌した。
芸者も安く体を売らず、自らを高め高く自分を売る。
時に拒絶する事もあるが、その仕草、その立ち振る舞い、その気品、その芸により、男性も納得するしかなくなった。
むしろじらされるからこそ、より芸者に夢中になり、より金を多く落とし芸者の事を考える様になった。
それが、翡翠の教えたかった本当の芸だった。
そういう風に変わると自然と芸者と客、両方に余裕が生まれ……気づけば今の様な形の硬玉屋になって……そして気付けば、何故か翡翠が硬玉屋の主となり『玉藍』という名前となっていた。
何てことはない。
人気がありすぎて、指導が上手すぎたのだ。
そんな、ここまでの生き様を、玉藍は一切不幸だと思っていない。
むしろ彼女は同情されると、本当に怒るだろう。
それ位、彼女は真剣に、必死に楽しく生きて来ていた。
現状は本心から納得した事であり、そして本心から満足した事でもある。
クロスは彼女が不幸により望まず体を売っていたと考えているがそんな事はなく、そう考えるのは彼女への侮辱でしかなかった。
むしろ、玉藍が辛いと感じる様になったのはこの後の事、誰の目から見ても彼女が素晴らしく立派であると思われる様になってからが始まりとなる。
硬玉屋という芸者の店は玉藍の指導の元、周囲の店とは大きな隔たりが出来、最高峰と呼ばれる程に成長していた。
玉藍には誰かを喜ばせる事以外にも、店一つ位なら運営出来るだけの能力があった。
それはお客様と話をする為に付けた話術、お客様の中に頭の良い方にも嫌な思いをさせない様に身に付けた知性。
誰かを癒す副産物ではあるが、玉藍は確かに店長としての能力を身に付けていた。
硬玉屋は留まる事なく成長し、東国に硬玉屋ありと言われる程有名になっていた。
丁度その頃、その東国ではある重大な転換期が差し迫っていた。
東国は日に日に、外国に対しての影響力を失いつつあった。
特に理由はない。
強いて言うなら、周辺地区の勢力が増してきている事位だろう。
ただ、元々不穏で狙われやすい地区である中で、影響力が減るというのは、最悪に等しい。
このままでは、何時まで国が残せるかわからなかった。
だからこそ、東国の為政者達は早々に諦めを付け、名前を捨ててでも、国を失くしてでも、多くの国民を守る選択を選んだ。
魔王国に編入し保護してもらうという選択を。
今より数代前の魔王は東国の編入を快く受け入れた。
直接の支配でなく、間接の支配。
食料を上納する代わりに一部戦力の供給という上下のある属国という間柄に近い契約だが、それでも、魔王国としては一つでも敵が少なくなり、従う国が増え、また生産量が増える事を喜んだ。
国という単位でのその大事件、東国は崩壊し、そして蓬莱の里となり果てた。
その結果、里内で何が起きたのかと言えば……責任の押し付け合いである。
東国は四方八方から別々の襲撃者が現れる程狙われる地。
そこを、ずっと自分達だけで守って来たのは間違いない。
だから門番にしろ、国民にしろ、それ相応の自負を持っていた。
そんな中で、もう無理だからと魔王国に編入したのだ。
国内のあっちこっちで燃え上がる様に非難の声が上がるのも仕方がない話だろう。
今まで何不自由なく暮らして来た者は現場の者を責め、今までずっと守って来た自負のある者は国を捨てる選択を取った上層部を恨み、上層部はどうにもならない中で喚く民に怒り……。
誰が悪い訳でもないにもかかわらず、その選択により蓬莱は荒れ、場合によっては分裂する程の騒動となった。
そこから、右往左往と責任の押し付け合いやら責任の取り合いやら足の引っ張り合いやら、また現場の指揮権の問題やらととにかくごっちゃごっちゃとしてしまい、国としての体を取れるかどうかの瀬戸際という程に……混乱に混乱を極めた。
その果てに生まれた答え、救いの手、それが……蓬莱の里の新生里長、玉藍である。
蓬莱が分裂する瀬戸際に代表者を決めろという魔王国からの通達。
そこで出た結論が彼女、硬玉屋の店主玉藍だった。
その選択は、今まで国を指揮していた者は当然国を守護する現場の者も、そもそもの話玉藍自身すら望んでいなかった。
だが、蓬莱にいる本来の指導者達には最初の選択の責任と度重なる足の引っ張り合いで既に求心力はなくなっていた。
誰が悪いのかわからないまま荒れていく蓬莱の里は民達を疑心暗鬼に陥らせ、そしてそれ故に、その決断が下る。
玉藍になら自分達を率いる資格があると、他の誰でもなく民達が決断を示した。
とは言え、これはただ人気があるからという理由だけでなはなく、あらゆる視点から見ても決してあり得ない選択ではなかった。
男性だけでなく女性からも人気がある事や、知性が高いという事もあるが、一番の理由は彼女が硬玉屋の店主であるという事実。
それが非常に重要な事で、同時に、それに尽きる話でもある。
つまり、嫌らしい話だが、硬玉屋は既に、蓬莱の中で最も多くの銭が集まる場所となっていた。
銭があれば、飢えない。
銭があれば、自分達だけでも戦える。
銭があれば、最悪金で解決出来る。
それは決して間違いではない考え方だろう。
とは言え、もし彼女が指導者として、代表として不適格な性格をしていたり能力不足だったりするなら、彼女が長になる事はなかった。
玉藍は彼女を長にすまいとする当時の長達の妨害に遭いながら一切の反撃をせず、真っ向勝負のみで自分の知性を証明しきった。
下手くそなりに、初心者なりに、既存の長達の誰よりも、真摯に政治に取り組み……その結果、悲しい事に最も政治に強いのは玉藍という結論となった。
能力があり、人気があり、銭がある。
それだけあれば、今までと比べても遜色なく、里長として十分過ぎた。
確かに、彼女は不幸ではなかった。
生まれてから彼女は自分を不幸だと思った事さえなく、そしてこれからも自分の生き方に不幸な要素があったと思う事はないだろう。
だが、それでも……彼女には、硬玉屋玉藍には、蓬莱の里全てを受け持つというのは、終わりに向かいつつある里を救うには実力がいささか足りていなかった。
それを彼女が不幸と思う事はないのだが……彼女が本当の意味では笑えなくなる程度には、彼女は追い込まれていた。
「……んで、これどういう事なんだ? 別に問題ない様に見えるが」
そう、クロスは玉藍の提示した資料、年間収支報告書を読みエリーに尋ねた。
クロスはそういった国家単位の帳簿を見てわかる程の能力がある訳ではない。
ただ、結論だけを見て、その結果の年間最終収支が十分黒になっている事を見て問題はないだろうと考える程度の頭は持っていた。
「ええそうですね。このままでも問題はないですね。ええ、このままならですが」
そう、エリーは回りくどく少々嫌味っぽい言い方で呟いた。
「つまり?」
「徐々にですが、確実に、一定量ずつ税収が下がっているんですよ。……具体的に言うなら、十年から二十年後位に赤字になる位のペースで」
その言葉に、玉藍は空虚な笑みで頷いた。
この国の危機は、別にどこかの襲撃に負けそうとか敵対する存在の脅威とか、魔王国に問題視されてるとか、そういう話ではない。
もっと単純で、もっとわかりやすくて、そしてだからこそ、解決策が限りなく乏しい問題。
玉藍の悩みの種、蓬莱の里はここ数十年、金銭難に陥っていた。
原因は、蓬莱の里の生産物の価値の低下。
つまり蓬莱の里の外の問題。
里の外の価値が上がり、価値ある物が里内に入ってしまっている事。
だからこそ、対処方法は存在していなかった。
いや、対処方法自体は存在し、またその対処を必死に玉藍はこなし続けている。
商品を守り、外部の物に多少の関税をかけ、同時に経済を停滞させない。
むしろ玉藍がここ数百年ずっとただその対処を行い続けたからこそ、この程度で済んでいた。
本来なら、この里はもう形すら残っていないだろう。
だからこそ、玉藍を責める事は出来ない。
もし他の誰であっても、この結末は間違いなく避けられなかった。
ぽりぽりと後頭部を掻き、クロスは渋い顔を見せる。
出来る事なら何でも助けたかった。
それこそ、二度目の自分で良かったら命を賭けるなんて選択すら行っただろう。
だけど、残念な事にこれはそういう話ではない。
悲しい程にクロスがどうにか出来る領分の外の話であり、また同時にクロスが理解出来ない領域の話でもあった。
「エリー。単刀直入に聞くけど、どうにか出来る?」
その言葉に、エリーは顔を曇らせる。
それは是か否かそういう話ではなく、玉藍が何を思ってクロスに託したのか、その真意を理解してしまったからだ。
「そもそもですけど、翡翠さ……玉藍様はクロスさんがこれをどうにか出来ると思ってませんよ。ただ、クロスさんに引導を渡して貰いたいだけです」
「……どういう事だ?」
「今は魔王国の属国扱いとなってますが、この情勢、この金銭収支を魔王様が見たら、自立した状態でいる事は不可能と判断します。その結果、魔王国は蓬莱の里を完全に取り込む様動くでしょう」
「……そうすれば、救われるのか?」
「ええ。救われるでしょうね。でも、それを玉藍様は望んでいません。ただ、その選択しか残っていないから選ぶだけで」
「……どうしてだ?」
「蓬莱の里という国扱いではなく里扱いになってでも、この地方の独自文化を残してきた。それが、まるまる消える可能性があるからです。例えそうでなくても、魔王国からの強い影響を受けるのは間違いありません。確かに、そうなれば民は皆生きますしここも豊かになるでしょう。でも、それはここが残るという事ではありません。むしろ逆に、完全に滅ぶという事です」
「アウラに頼めば……」
「アウラ様にクロスさんの都合で魔王国に損させろって言うんですか? 一部の民達の為に他全ての民に我慢を強いろと言うんですか?」
クロスは押し黙る事しか出来なかった。
クロスには何がどういう事なのか、良くわからない。
だが、今回の件で言えばアウラは玉藍から見たら良くない相手であり、またその名代である自分は余計な事をしたのだという事位は、頭の悪いクロスでもエリーがわざと強めに教えてくれたおかげで理解出来た。
「俺は……」
「クロス様。悩まなくて良いんですよ」
そう言って、玉藍は笑った。
「ええ。もう、無理ですから。それに、これ以上遅くなって、価値が下がって身売りすると、本当に皆が不幸にしかなりません。今ならまだ、マシなんです。……クロスさんのお陰で、決心が付きました」
そんな言葉を放つ玉藍の笑顔。
それは、どう見ても納得した様な顔ではなかった。
世の中には、どうしようもない事がある。
そんな事、力のなかったクロスには痛い程わかっている。
それでも、やはり……どうにかしたかった。
今までどうしようもないそれをどうにか出来た事は一度もないけど……それでも……。
クロスはイライラした様子で乱暴に自分の頭を掻き、盛大に、溜息を吐いた。
ありがとうございました。




