勇者が人でいられたその理由
勇者。
人類の救世主であるその称号は、その名前は決して軽いものではない。
そんな重責にしかならない名前だが、今代の勇者、クロード・ヴァン・ブレイブ・ディルシールはその称号を受け取るに相応しい人物であると皆が思っていた。
そもそも、魔王を打ち倒し国王となり、使命を終えた今ですら常に民を守り続けているのだ。
実績だけで言えば間違いなく歴代の勇者どころか有史以来の人類で最も偉大なる男である。
その本心は別にして、行った業績だけでならクロードは間違いなく、頂点にいる。
とは言え、そのクロードも常に無敗という訳ではなかった。
勝負は時の運でもあり負ける事もある。
ついでに言えば、賭け事や遊びの勝負などもあるのだから負けない訳がない。
合計して両手で足りる程度の数ではあるが、それでもクロードは確かに負けの経験があった。
とは言え、そのほとんどがリベンジに成功していたり勝ち以上に意味のある負けだったりわざとだったりと本当の意味での負けではない。
クロードが本当の意味で、心の底から屈服する形で負けた事は、その生涯でたった一度だけだった。
勇者達四人が新しい仲間としてクロスを引き入れ、半年程が経過した。
四人にとってクロスは心の支柱という意味だけでなく、実際非常に有用な人物だった。
まず、料理において信用が出来る。
それだけで常に毒殺に怯える四人にとって大きな意味があるが、決してそれだけではない。
ちょっとした依頼や困っている人を見つける事、また酒場等庶民的な場での情報収集はちょっとした冒険者以上にこなしてくれた。
普通の冒険者パーティーなら引っ張りだこになるだろうと思われる程度には、クロスは彼らの役に立ち、四人にとってクロスはあらゆる意味でかけがえのない仲間となっていた。
出来る事を探そうとし、時に失敗するが常に全力で四人のサポートをしようとし、特にクロードの手伝いを積極的にこなす。
醜い大人達を見続けた四人にとってクロスは心のオアシスそのものだった。
とは言え、全く不満がない訳ではない。
特にその時は、四人が揃って非常に大きな不満を感じていた。
不満というよりも、それだけはやめてほしいと願っていたという方が正しいだろう。
それはオーバーワークという言葉すらぬるい程のトレーニングについて。
クロスは四人との実力の差を感じ、毎日きついトレーニングを自分に課している。
それこそ、四人が拷問かと思うレベルの内容で。
それは無駄どころか逆効果でしかない。
とは言え、普通の方法どころかどの様な方法を行ってもクロスが四人に追いつく事はない。
それだけ四人とクロスとの間には才能という隔たりがあった。
だからこそ、四人はあまり強く言えないが、クロスにそんなトレーニングを止めて欲しかった。
何かあったら自分達全員で守れば良いんだから。
彼らがクロスに求めているのは強くなる事ではない。
そう思いながら――。
夕食時、五人は野宿のテント生活を送っていた。
と言っても、特別便利な道具類に優秀な魔法使い。
野外だからと困る事など何一つない野宿生活ではあるが。
そんな中の夕食時、クロードはクロスに話しかけた。
「クロス。ちょっと良いか?」
「なんだ? お代わりか?」
そう言葉にするクロスにクロードは首を横に振った。
「いや。ちょっとな……」
「なんだ? 思う事があるなら何でも言ってくれ。出来る事は直すからさ」
そう、四人に追いつく事に必死なクロスが言葉にする。
それを聞いてソフィア、メディール、メリーの三人は悲しそうな顔を浮かべた。
「……無理しなくて、良いんだ」
そう、クロードは言葉にした。
「無理って、何だ?」
自覚がないクロスの言葉にあっけに取られる四人。
それでも、四人は、クロードは本当にクロスの事が心配だから懇願する様クロスに語り掛けた。
「戦いは俺達が、いや、俺がする。自分でいうのもアレだが俺は人類最強だ。だから……無理に戦う必要はないんだ」
そんな願う様なクロードの言葉に……クロスはキレた。
「は? なんだそりゃ。クロード……お前……それをわかってて言ってるのか? おい! ふざけるなよ!?」
胸倉をつかむクロス。
それに、全員が硬直した。
半年間、クロスが不満を露わにする事は有っても怒り狂った事はなかった。
そのクロスがこんなに怒りを露わにする事は、四人にとって完全に想定外だった。
「でも……それじゃクロスが……」
メリーが助け船を出す様そう言葉にする。
それでも、クロスはその言葉を受け入れなかった。
「お前らもかよ……。何で……」
そう言って三人に対し悲しそうな目をした後、顔を真っ赤にしクロスは走って行く。
追いかけないといけないのに、あまりの衝撃で誰も追いかける事が出来なかった。
そこから十分。
沈黙の後、メリーがぽつりと呟いた。
「そうだよね。強くなりたいよね。ずっと気にしてたもんね。私達との差」
「……言い方が、悪かったな……」
クロードは少しだけ冷静になり、そう反省出来た。
強くなろうと努力する人に、強さに憧れる人に、戦うなってのは侮辱以外の何物でもない。
そりゃ怒ってしょうがないだろう。
「普段ならお前の事ぼろくそに叩くだろう。だけど……今回は皆が同罪だ。誰も何も言えん」
メディールの言葉にソフィアとメリーも頷いた。
「だけど、もし今回の事でクロスがパーティーを離脱したら私はお前を呪い殺す」
メディールははっきりと、恨みを持ってそう言葉にした。
「安心しろ。その時はそんな手間かけさせん。とっとと自殺する」
というよりも、もうクロスがいない事に耐えられない。
そうクロードは確信していた。
精神的という意味でなら、この半年で四人はもう完全にクロスに依存しきっていた。
特別ではなく、普通で、そして人扱いをしてくれるクロスに、四人が抗う事など出来る訳がなかった。
「……ソフィア。探してきてくれる?」
そんなメリーの言葉に、三人は驚きの表情を見せた。
「え? 別に構いませんが……あの……」
その戸惑いの理由は単純。
誰もがクロスとの接点を求めチャンスを狙っている。
だからこそその絶好の機会を他人に回し要請するなんて、今までのメリーでは考えられない事だった。
「言いたい事はわかるわよ。私だって行けるなら行きたいし慰めたい。だけど……今回はソフィアが適切でしょ」
「……だな。俺もそう思う。やらかした俺が言うのも何だが」
クロードの言葉にメディールも同意し、ソフィアは頷いてぺこりと頭を下げクロスの元に向かった。
ソフィアが戻って来たのは三十分後。
そして戻ってきて早々、ソフィアは泣き出した。
お淑やかで、聖女とも呼ばれるソフィアらしからぬ激しい号泣。
立ったまま、後先考えず、まるで子供の様にわんわん泣いた。
三人に何があったかも答えず、質問を全て無視し、ただただ泣き続けた。
そして泣き止んだ後、最初の一声が……。
「私達は、彼に報い足りていませんでした……」
「ソフィア。それはどういう――」
クロードの言葉に首を横に振り、そして、ソフィアはクロードの方をじっと見つめた。
「しばらく……二週間位でしょうか。私とクロスさんは別行動を取ります」
「は? そんな事認める訳が――」
クロスは全員の支柱である。
それを抜け駆けの様な事誰も許す訳がない。
だからこそメリーは怒りを見せながらそう言葉にするのだが……。
「貴方がたが認めるとかそんな事はどうでも良いです。もう決まった事ですし、クロスさんが決めた事です」
そう言って立ち去ろうとするソフィアを、メディールは止めた。
「あんたの欲望にクロスを巻き込――」
「私の個人的感情など微塵もありません。そんな無駄な事に費やして良い程、あの人の時間は安くないんです」
そう、言葉にするソフィア。
そんな行動をする様なタイプでもなければ、誰かにきつく言うタイプでもない。
だから皆驚きを見せ、その隙に、ソフィアはクロスの元に向かった。
「……はは、勇者がなんて無様なんだろうか。……くそがっ!」
クロードは自分に対しての怒りに身を委ね、木を蹴飛ばす。
しっかりと根の張った大木に大きな穴が開いた。
この力の所為でクロスを傷つけた事を考えると、クロードは自分の事が今より一層嫌いになっていた。
クロスとソフィアがいなくなってから一週間。
残された三人は特に何もせず、ただ無意味に時間を浪費していた。
別行動を取ると言ったという事は戻ってくるという事。
ならば三人には待つ以外の選択肢はない。
というよりも、待つ以外の何もやる気にならなかった。
クロスがいないという前に戻っただけなのに、三人は完全なる無気力で目的を失っていた。
そんな時、クロードのいるテントに控えめな声が響いた。
「勇者様。よろしいでしょうか?」
その声はソフィアの声だった。
クロードは慌てて体を起こし入口を開けた。
ソフィアを歓迎してではない。
ソフィアがここに居るという事はクロスもいると思ったからだ。
「ソフィア! クロスは……」
「……あちらでお待ちです。……勇者様。お願いですから、せめてあの方の意思を踏みにじるのだけは……それだけは……」
唇を噛み、泣き顔を隠そうともせず、ソフィアはそう言葉にする。
許嫁に近い関係だが、それでもクロードはソフィアのこういう生の感情をほとんど見た事がない。
いつだって取り繕った聖母の様な笑みだけだった。
「……当然だ。だがもしもの時は……」
「わかりました。私が勇者様を、クロード様を殺します」
「頼んだ。メディールにはああいったがいざと言う時どうなるかわからないからな」
そう言葉にし、クロードはクロスの元に向かった。
テント横にある開かれた空間。
過去何かあったのか、木々が円形に切り開かれた森の中にある小さな平地。
そこの中央に、クロスは立っていた。
この一週間も今までと同じ様に、いや今まで以上に過酷なトレーニングをしたらしくボロボロな姿で。
そして、睨みつける様な瞳をクロードに向けて。
嫌われるのは辛い。
そう思った事なんて、クロードには初めての事だった。
だけど、同時に嬉しくもあった。
クロスの特別になれた様な気がして。
自分の様な化物が、人であるクロスに崇め奉られず、尊敬されず、ちゃんと見て貰えた様な気がして。
「クロス……。すまない。君の誇りを傷つけた。何て詫びれば良いかわからないが――」
言い切る前に、クロードは自分の頬に熱い物が当たった事に気が付く。
それがクロスの拳だと気付いたのは、地面に尻もちをついてからだった。
全力全開の拳。
クロスの怒りをその身に受けたにもかかわらず、傷一つ付かない体。
クロードはそれに気づきどうしようもない絶望感を覚えた。
クロスの怒りを受け止める事すら出来ない自分の体に、どうしようもない怒りを覚えた。
だがそれ以上に、クロスは怒っていた。
「俺はな、てめぇのそういう所が一番気に入らないんだよ! 俺の誇りだぁ? んなもんどうだって良い! てめぇはいつだって人を見下しやがって」
鼻息荒くのクロスの言葉。
それにクロードは何も言い返せない。
見下しているつもりはない。
だが、クロードが人類その物よりも上にいるという事実は確かである。
実際、人類全てがクロードに立ち向かってもクロードが勝つ。
そういう風に、クロードは人類によって生み出されたからだ。
「立て! てめぇはそんなに弱い訳がないだろうが!?」
その言葉に、クロードは立ち上がる。
少しでもクロスの怒りを収める為に、クロスの思い通りになる様にする為に。
その実力差と、人間離れした心の所為でクロスが喧嘩を売っているのだという事すら気が付かないまま―――
クロスは何度もクロードを殴りつけた。
何度も、何度も、何度も、何度も。
一切抵抗せず、クロードはただ殴られた。
だけど、クロードには傷一つ付いていない。
傷付くのは、クロスの拳だけ。
それは悲しい程に、ただの独りよがりでしかなかった。
「剣を抜いてくれ。それなら俺に傷位なら付けられる」
クロードはクロスにそう提案した。
きっとクロスは自分を恨んでいる。
嫌っている。
憎んでいる。
だから傷つけたいのだと考えて。
そんな訳ない事位、知っているはずなのに。
「拳じゃなきゃ意味がないんだよ!」
クロスは叫びながら、クロードの横っ面を思いっきりぶん殴る。
今までより大振りで、今まで以上に真剣に。
痛くない。
そのはずなのに……殴られた頬は熱く、何故か痛かった。
「ああそうだな。てめぇはそういう奴だ。何だって一人で出来て、何だって独りでこなせて……。そういう所が……大嫌いなんだよ!」
その言葉は、拳よりもよほど痛かった。
だけど、何か違う。
クロスが自分を妬み嫌っているのだと思っていた。
だけど、それが違う事だけは今のクロードでも理解出来た。
クロードは勇者である。
それは肉体という意味だけでなく、精神という意味でも特別な事を意味する。
人を越えた人。
所謂超人。
その為ある意味においてなら、たった一人の種族であると言い換えても良い。
だから、人間がクロードに勝てないのはある意味自然の摂理でもあった。
拳が傷だらけになり、殴られる度に全身に血が付着する。
肉は裂け、骨は折れ。
ボロボロという言葉以外では表せられないクロスの拳。
それは当然といえば当然である。
外見こそただの人だが実体でいえば別物で、それは鉄を殴っているに等しい。
そんなクロードを全力で何度も殴りつけているのだ。
拳が砕けない訳がなかった。
だから止めてくれ。
俺は死んでも良い。
自殺したって、殺されたって、拷問されたって良い。
だから、もう止めてくれ。
俺の所為で傷付かないでくれ。
そう言葉にしたかったのだが、クロードには何も言えない。
口が震え、言葉に出来ない。
何故言葉に出来ないのか、クロードは自分の事ながら理解出来なかった。
「俺だってわかってる。そういう風にしちまったのは人間で、そしてお前はそれをこなせるだけの力があって。一人で何でも出来る様になってしまったって事位……俺だってわかってる!」
「そんな事、ない。俺は、皆に頼って……」
クロスは拳をぴたりと止めた。
「本当にか?」
その言葉に、クロードは頷こうとする。
だけど、頷けなかった。
嘘を付きたくなかった。
「それ……は……」
「……わかってる。クロード。お前が悪い訳じゃない事位は。だけどな、出来てしまうんだからそうなるよな」
それにクロードは何も言い返せない。
そう、出来てしまうのだ。
魔法は使えないが、きっと必要になれば覚えるだろう。
治療の力も、盗賊の腕も、料理の技術も。
きっと必要になれば出来る様になるだろう。
だからこその勇者。
だからこその超人。
人類が受けし神の祝福を一点に集めた存在。
だからこそ、クロードは何度も神を呪った。
「でもな、それとこれとは話が違う。お前も、あいつらも、何もわかっちゃいねぇ!」
クロスはクロードの胸倉をつかみ上げ、全力で睨みつけた。
「一人で出来るってのと、一人でやるってのは全く違う! クロードの何でもかんでも勝手に背負い込む……そういう所が嫌いなんだよ!」
「クロス。君は……」
「わかってるんだよ俺だって! お前が頼れない程俺が弱い事位! だけど、ああだけどな、それでも諦める訳にはいかないんだよ! お前が一人で戦ったなら、お前が一人で人間皆背負って戦ったら、誰がお前を背負うんだよ!? 誰がお前の背中を守るんだよ!?」
吼える様な叫び。
それは、怒りでも恨みでも妬みでもなく、ただ友人を想うだけの、ただ友人を想うからこその、人としての怒りの叫びだった。
「ソフィア、メディール、メリー! お前らもだ! クロードが何でも出来て、背負い込んで、それで見て見ぬふりしてんじゃねぇ! 仲間だろうが。お前らは俺と違って力もあって……それでどうしてクロードがこんなに頑張らないといけないんだよ!」
クロードの手が足りない時は他の人が動く。
それがいつもの形。
勇者が指揮を取り、現場で動き、事件を解決する。
時々の手助け。
それが仲間の仕事。
それが当然だと、三人は思っていた。
そもそもの話、彼らの間に友情など微塵もない。
だからこそ、この形にクロスが憤りを覚えているなんて事すら気づかなかった。
彼らは誰も気づかなかった。
どうしてクロスが必死に出来る事を探そうとしていたのかを。
どうして失敗しても勇者の真似事をしようとしたのかも。
どうして、毎回必死に料理を作っていたのかも。
どうしてここまで、クロスが怒っているのかも。
彼ら四人は今まで、知る事もしようとしていなかった。
「俺は絶対に諦めない。俺は絶対強くなる……。お前らが無駄と言おうと何と言おうと……。他の誰でもなく……お前の隣にいる為に、俺は強くなるんだよ!」
魂からの叫びと共に繰り出される、クロスの拳。
それは、本当に、痛かった。
仲間達が見ている前でも涙を流し、立ち上がる事すら出来ず、慟哭するほど、痛かった。
胸が熱かった。
想いが、心地よかった。
その想いを受け止めたその時、クロードは超人ではなくなった。
超人であった心は砕け、傷付き涙を流し、一人では決して生きられないただの人に戻ってしまった。
勇者が本当の意味で、ただの人に負けたのは、生涯でこの時だけだった。
それから、ちょっとだけだが五人の関係は変わった。
残念ながらクロスが実力で追いつく事は生涯なかった。
諦めなかった。
強くなり続けた。
無為に体を傷付けず、適切な訓練を行い、知識を増やしていった。
それでも、差は広がるだけだった。
だけど……だけども、あの時以来クロードは仲間達に頼るようになった。
背の荷物を任せる様になった。
そして、辛い時はクロスに愚痴をこぼす様になった。
隣に並ぶという約束は生涯叶えられなかったが、それでもクロスは概ね満足な人生だった。
ありがとうございました。




