お父さんと一緒
数百年という年齢を、子供のまま生きたローザ。
祖父祖母が死に、親が死に。
それでもまだ、ローザは子供のままだった。
気づけば時間に取り残されていたのだが、それに気づいたのは独りとなってから。
あまりにも、遅すぎた。
村民皆が自分よりも年齢が下になり、村民からは敬意と忌避を持って距離を置かれる。
仲間ではあったが、親しくはなかった。
そんな関係の村民と共に逃走生活を続け、ローザの心は変化を見せる。
それは決して成長ではない。
子供の心にもかかわらず誰かに甘えてはいけないなんて考えが、成長のはずがない。
時間と共に心が成長し、心だけでも成熟していれば良かったのだが、ローザの心の変化はそれではない。
時間は彼女を甘やかしてはくれず、彼女を甘やかす存在から置き去りにさせ、彼女は子供のまま、社会の厳しさを学んだ。
故に、彼女は甘える事が許されない子供となってしまっていた。
だからこそ、この結果は当然と言えるだろう。
ピュアブラッドの一体、元魔王、赤薔薇園の主、ヴァレリア・ガーデン。
そんな頂上に等しい彼ヴァールの膝の上に、ローザは座っていた。
甘える様彼に抱き着きながら。
ローザは年齢以外、外見も心も子供のままである。
その子供が今までずっと甘えられなかったのだ。
甘えられる相手が出来たら甘え尽くすのは当然の結果だろう。
そのヴァールもまた、彼女とは違うが孤独を恐れている。
仲間を失う事を恐れている。
仲間を、同族を心から愛している。
だからこそ、ローザのこの行動に心から喜び鼻から感情が溢れそうになるのを抑えていた。
ヴァールは心底嬉しそうな顔で、なすがままとなっていた。
「えへへー。お父さーん」
そう言葉にしながらすりすりとローザは顔をヴァールの胸元にこすりつける。
それに対し、嬉しそうながらも困惑しながらヴァールはこちら側に顔を向けた。
「わ、私はどうしたら良いのでしょうか?」
「頭でも撫でたら良いんじゃない」
クロスがそう返すとヴァールは戸惑いながらも胸元にいる少女の黒い髪に手を触れる。
その行動を受け、嬉しそうにするローザを見てヴァールは安堵と嬉しさから笑みを零した。
「おお。流石万物の真理を読み取る賢者様。貴方に最大級の感謝を」
「……今まで色々な理由で賢者と言われて来たけど、そんな理由で賢者呼ばわりされたのは流石に初めてだわ」
悲しむよりも、嫌がるよりも、呆れた気持ちでクロスはそう言葉にした。
とは言え、そんな娘の頭を撫でるなんて当たり前の行動すら出て来ない程、ヴァールが緊張しているのだろうと察する事は出来た。
それほど、ローザを大切に思っているのだと。
だからこそ、クロスをはじめその場にいる皆がヴァールとローザの様子をただただ見守っていた。
ローザが父親成分をしっかり補給し、自分の席に戻ってからようやく今後の話し合いが始まった。
ヴァールは少し寂しそうな顔をしていたが、それは皆スルーした。
「それで、貴女は今後どうしたいですか?」
そうヴァールに言われ、ローザは迷わず答えた。
「お父さんと一緒にいたい」
ずきゅーんと胸を撃ち抜かれた様な顔でヴァールは快諾した。
「もちろんです。ええ、永遠に一緒にいましょう」
長命種による永遠という非常に重たい言葉。
それにローザは嬉しそうに微笑んだ。
「ですが……一つ、よろしいでしょうか?」
何かの条件と思い、ヴァールの言葉にローザは真剣な様子で頷いた。
「もっと我儘を言ってください。我慢しないで、他にも沢山、希望や夢、望みを伝えて下さい。私に、父親として貴女に何かをする権利をどうか私に」
ローザは驚いた後、不安そうに呟いた。
「本当に……我儘を言って良いの?」
「ええもちろん。それが親の務めですから」
「いや違うぞ。甘やかすのが親の仕事じゃねーぞ。それはむしろおじいちゃんおばあちゃんの仕事だぞ」
そんなクロスの突っ込みはヴァールもローザもスルーした。
ローザは少し考え、そしておずおずと言葉を紡いだ。
「私、お父さんの子供でいたいけど、まだここにもいたい。もっと美味しい物を食べたいし贅沢もしてみたいし……何より、もっと色々な物が見てみたい」
「ええ。他には?」
一切否定せず受け入れるヴァールの言葉を聞き、ローザは欲望を吐き出した。
魔王城という最上級の生活を堪能し、偶に元の村を見に行って皆を助け、ついでに城下町で色々探して色々買って。
とにかく遊び尽くしたいという欲求が、ローザの口から湯水の様に溢れていた。
全部遊んで、堪能して、そして満足したら今度はヴァールの屋敷で暮らしたい。
そう、ローザはヴァールに告げた。
ヴァールはちらっとアウラの方に目を向けた。
「何を用意すれば、我が愛しい娘を預かっていただけるでしょうか?」
「何も用意しなくて構いません。ピュアブラッドの方の要請であるなら歴代魔王と同じく喜んで受けさせて頂きましょう」
そう言葉にし、アウラは微笑んだ。
内心恩を売れるなんて黒い事を考えながら。
「ありがとう。貴女に感謝を」
そう言葉にし、ヴァールはアウラに深く頭を下げた。
「いえ。ついでに義務教育もこちらで行いましょう。これより生きていくのにきっと役に立ちますので」
「わかりました。ではお願い――」
「勉強嫌」
ローザの一言で、場がぴたりと固まった。
「……いえ。ローザさん。貴女は教育を受ける機会がなかったからそれを――」
「でも、お勉強なんでしょ? 長く生きたし知ってるわよ」
「……ですが、ローザさんは村の外での暮らしはなかったはず。きっと必要になりますか――」
「いーやー。お父さん。別に勉強しなくて良いでしょ?」
この場が一番権力が高いであろう人物に頼るローザ。
ヴァールは困った顔を浮かべ、アウラの方を見た。
アウラも困った顔を浮かべていた。
「ヴァール。甘やかすだけじゃ親にゃなれねーぞ」
クロスは苦笑しながら一言、ぽつりと呟いた。
ヴァールとアウラはそれに少しだけ驚いた顔を浮かべる。
その後少し考え込み、ヴァールはローザの方を真面目な顔で見つめた。
「ローザ。君の将来に絶対役に立つ。だから魔王様の元で学ぶんだ」
それに対し、ローザはむっとした顔をした。
これからは何でも思いどおりになると思っていた。
だけど、そうはならなかった。
それがローザには、子供の心には受け入れにくかった。
そう思ったのだろう。
「嫌! どうして? 何でそんな事しないといけないの!?」
そう言って駄々っ子になり、だんだんとテーブルを叩くローザ。
理屈になってない。
それはただの、本当の意味でのわがまま。
確かに、ローザの心は未だ子供のままだった。
困った顔をするヴァール。
おろおろするアウラ。
その様子をクロスとエリーは、敢えてのほほんと見つめていた。
子供が我儘を言うなんて当たり前。
親になると言ったのならそれ位は受け入れないといけない。
だからクロスは敢えて黙っており、そのクロスの様子から問題ないとエリーは判断した。
「……クロスさんって結構子供慣れしてますね」
エリーは暴れているお子様を気にもせずそう呟いた。
「ん? まあ、田舎村暮らしだからそれなりにガキンチョとは交流あったし、そもそも勇者時代には孤児院渡り歩いたし。何より俺ほんの最近まで幼稚園児だったんだぜ?」
「あー。そりゃそうですね。ただ……この状況を何とか出来るならそろそろ何とかしてあげません? アウラ様は泣きそうな顔になってますしヴァール様も綺麗な顔が台無しになる程滝の様な汗を流してますし」
「……子供を見るんだからこの位乗りきれ……と言いたいところだが、まあ初回だし良いか」
そう呟き、クロスはがたっとわざとらしく音を立て、椅子から立ち上がる。
それに合わせて、アウラ、ローザ、ヴァールは騒ぐのを止めクロスに意識を向けた。
「ローザ。美味い物は好きか?」
「え? あ、うん。そりゃ」
「だよな。特にここの飯は最高級だ。そりゃ美味いよな」
「うん! アイスクリームとか本当に最高だった!」
そう言葉にし、ローザは微笑んだ。
「だろうだろう。だけどさ、他にも美味い物食いたいよな? 高い物だけじゃなくて安くて美味い物だってある」
「へー。そうなんだ。でもやっぱり高い方が……」
「アイスは外でも買えるぞ?」
ローザはぴくりと耳を動かした。
「炎天下の中、すぐに溶ける冷たいアイスを口に頬張る。それもまた乙な物だ……。自分で買って自分で食べるアイス。……良いぞー」
「……おおー」
そう言葉にし、ローザはじゅるりと涎を垂らした。
「興味あるだろ?」
「うん。興味あるある!」
ワクワクとした様子、子供らしい様子。
それを見て、クロスは微笑んだ。
「だけどローザはまだ自分では買えませーん!」
「えー!? なんでよ!?」
「お勉強してないから。物の買い方、お金の払い方。それもまた勉強です! 外にも町を歩いたり他の子と遊んだり、そういう事もお勉強です」
「……えー」
露骨にローザは嫌そうな顔をした。
「逆に言えば、アイスを食べるお勉強もあるという事です」
「……まじで?」
「まじです」
そう言ってクロスはローザを見つめる。
ローザはクロスの目を見た後、ぱーっとわかりやすい露骨な笑顔を浮かべ、呟いた。
「お勉強も、偶には良いよね! 私ちゃんとお勉強するね!」
手の平ぐるんぐるんのローザの言葉を聞き、アウラは盛大に溜息を吐きヴァールは安堵の息を漏らした。
「ヴァール。経験してない俺が言うのもアレだが、親の責任って、重いぞ?」
ニヤニヤしながらであっても、心の底からの本気の言葉。
それにヴァールは苦笑いを浮かべながら頷いた。
「ええ。その深く重たい助言、ありがたく受け取りましょう。全く……これだけ長く生きてもまだまだ出来ない事の方が多い。……ああ、私はまだ、生きられそうです」
そう言葉にし、ヴァールはニコニコするローザの方を見つめた。
これからきっと、彼女に相当苦労をかけさせられるのだろう。
そう思うと、ヴァールはまた明日からも毎日が楽しくなりそうだ。
そんな希望に満ちた夜明けを感じられるだろうと、久方ぶりに思えた。
その日の夜、クロスは久方ぶりの自分の部屋に入り、ベッドにごろんと転がった。
「あー……やっぱここ寝心地良いわ。これ買ったら幾ら位するだろうなぁ」
そう、ベッドをぽんぽん叩きながら呟く。
そのタイミングで、ノックの音をクロスは耳にした。
「何と言うか……この俺がノックの音で誰かわかるなんてなぁ。開いてるぞ」
そうクロスが答えるとクロスの予想通り、メルクリウスが姿を見せた。
「邪魔するぞご主人。どうだ? 何か困った事はないか?」
そう言葉にし、メルクリウスはまとめ上げる様長い銀髪を手で靡かせた。
「綺麗だねぇその髪。ああ、特に何もない。気にしてくれてありがとな」
「うむ。世辞も不満がない事も受け入れよう。それとだが、今朝方のアレは上手い事やったな。参考までにどういう理屈で何をしたのか聞いても良いだろうか?」
「アレって?」
「ローザ様に対しての行動だ。閣下もヴァレリア様も共に苦心していたのにご主人はあっさりとローザ様の意見を変えさせたじゃないか。今後の為に教えてもらいたいものだ」
「ああ。子供ってのはな、正論や理詰めで言ってもあまり効果がないんだ。ついでに言えば優しい言い回しであっても間違いを指摘する事も逆効果になりやすい。そういう時は嫌がっている事を忘れる様別の事や楽しい事に気持ちを向けさせるのが一番だ。……というのが、表向き、嘘ではないが今回の場合は建前で方便だな」
「ほぅ。表向きと。つまり何か裏があったのか?」
「……誰にも言わないって約束出来るか?」
「誓おう」
その言葉に頷き、クロスは苦笑いを浮かべた。
「ぶっちゃけるとな、アレローザは嫌がるフリをしていただけだ」
「ほぅ。どういう事だ?」
「そもそもの話、ローザは子供だが数百年も生きて来た。それも一人でだ。我儘は言うがダダを捏ねる事の無意味さ位理解している」
「つまり?」
「ま、簡単に言うとだ、困らせたかったんだよ。お父さんを」
そう言ってクロスは微笑んだ。
同じ種族として迎えてくれた。
親子となる事を認めて貰えた。
大切にしてくれると約束してくれた。
だけど、それでも、ローザは不安だった。
親子としての血の繋がりがないという一点で、ローザはその気持ちを拭いきれなった。
「人間でも、魔物でも、同じみたいだな。不安になると子供がわざと嫌がる我儘を言って注意を引こうとするのは」
「……ほう。それが事実だと仮定しよう。その上で二つ程質問があるのだが良いだろうか?」
「ああ」
「まず一点。どうしてご主人はそれがわかったんだ?」
「孤児院を巡っていた時にな、そういう子は決して少なくなかった。わざと友達や養父に暴力を振るったり、暴言を吐いたりして親代わりの人達を困らせりする子ってのは」
「なるほど。過去の経験からか。じゃあ次。それならどうしてご主人の言葉で大人しくなったんだ?」
「父親が心配そうな顔をしてくれた時点で、気にかけてくれた時点で実はある程度満足してたんだよ。だけど我儘という振り上げた手の降ろし所が分からなくなって困ってた。だから俺の行動は手を下ろすきっかけに過ぎなかったってこった」
「なるほど。合点がいった。あいにく経験不足でそれが正しいか正しくないかはわからん。だが、ご主人は子供の機微に聡いという事は理解出来た」
「ま、俺だって正解なんざわからん。子供って言ったって皆違うからな。今回はわかりやすかっただけだ」
「……ローザ様をわかりやすいと言葉に出来るなら大多数の子供が何とかなるであろう。まあ良い。疑問も解けたし本題の明日の予定について話したいのだが良いだろうか?」
その言葉にクロスが頷くと、明日、この魔王城を出発する事についての説明をメルクリウスは始めた。
ありがとうございました。




