いつだって、誰だって、それには勝てない
ついに、ローザは知ってしまった。
自分の想像力なんてたかが知れており、現実って奴はそんなちっぽけなものなど遥かに超えていると。
そして、そんな現実の中には、どうしたって逆らう事が出来ない存在がいるという事を。
熱く焼ける様な痛みを受けるとしても、それを止める事は出来ない。
こんな物……勝てる訳がない。
そんな事を至極真面目に考えながら、ローザは必死にスープと格闘していた。
熱い。
ただただ純粋に熱い。
だけど、ふーふーと冷ます時間すらもったいない。
だからローザは口の中を火傷しそうになりながらも、一心不乱にスプーンを口に運んだ。
ごろごろの野菜を貪り、ずずずと音をたててすすり。
少々以上にマナーの悪い状況なのだが、それを咎める者はいない。
いずれ改める必要はあるだろうが、それは決して今ではないだろう。
何年生きようとも、ローザはまだ子供なのだから。
そんな気持ちで、同席するクロス、アウラ、エリーはローザに暖かい瞳を向けていた。
「……くっ。こんな美味しい物がこの世にあったなんて……というか具が多すぎてスープに見えないわ! これは……盛り合わせ? または野菜煮? でもお肉も入ってるし何だろ?」
そんな言葉を放つローザにアウラはくすりと微笑んだ。
「まるで舐めたみたいに綺麗になりましたね。お代わりはどうですか?」
「え? 良いの?」
「はいもちろん。ただ……」
「ただ何? 食べ過ぎると駄目って奴? それとも働かざる者なんとやら? 何でもするわよ? このスープの為なら」
「いえ。駄目ではないですし好きに食べて下さって構いません。当然、何も要求はないです。ただ……まだまだ他に食べる物がありますからお腹は残しておいてくださいね」
「……え? 他にもご飯あるの? ……まじで?」
その言葉に合わせて、メイド達がそっとローザの前にパンを置いた。
柔らかくて、温かい白いパン。
それはローザの知るパンとはあらゆる意味で異なっていた。
「……泣きそう」
そう言いながらローザはそのパンを両手に持ち、思いっきり噛みついた。
我慢出来なかった。
ほろり……とローザは涙を流す。
悲しいから涙を流した訳ではない。
過去が辛かったとか、何か悲しい事情とか、そういった複雑で切ない涙では決して来ない。
この涙は、ただ美味しいから流した涙。
美味しいという純粋な理由だけで、ローザは泣いていた。
「急に食べると胃がびっくりすると思い消化に優しい夕食にしましたが……この様子ならもう少しちゃんとして良かったですかね」
食後、アウラはローザの様子を見ながらそう呟いた。
スープは二杯、パンは四つ。
ただしサラダは一皿だけ。
残す事こそなかったものの、サラダは余りお気に召さなかったらしい。
「クロスさんエリーさんもすいません。特に男の方には少々物足りなかったと思います」
そんなアウラの言葉にクロスは首を横に振った。
「いや。偶にはこういうのも良いさ。それに……むしろいつもよりも良い物を用意したんじゃないのか?」
その言葉にアウラは少しだけ驚いた。
「わかりますか?」
「ああ。何となくだけどな」
実際その通りでクロスが魔王城で食べていた食事よりもグレードは高い。
それこそ、そのまま晩餐会に出せるというレベルの食材を用意していた。
特にパンに使った小麦粉とバターはそれこそ魔王という地位を用いてもこれ以上はすぐには無理という限界ギリギリまで金とコネを使った。
せめてこれくらいは食べて欲しい。
そうローザに思ったアウラからの願いによって。
「まあ明日の夕食はもう少しちゃんとした物を用意しますので」
そうアウラはクロスに優しく微笑みかけた。
「いや。俺らは明日の早朝には出るから気にしないでくれ。なあエリー」
「はい。明日から蓬莱に向かうという魔王様の命をこなそうと思います」
そう二人は言葉にした。
「まあまあ。戦闘もあったみたいですしお疲れでしょう。もう数日位ゆっくりと……」
「仕事を残してゆっくりするのって性に合わないんだよ。それに冒険もしてみたいし、なあエリー」
そうクロスがにこやかに言葉にするとエリーはくすりと微笑んだ。
「クロスさんらしいですね」
「落ち着きがない性格ですまんな」
「いえいえ。従者としては主の望みを従い付いて行くだけです。どうぞお心のままに」
その言葉にクロスは微笑み、そして頷いた。
「………………」
ニコニコしたまま無言になるアウラ。
そしてしばらくすると……。
「ごめんなさい出来たら明日までここに居てください」
深く深く、アウラは頭を下げた。
「……え? どゆこと? 何か用事?」
クロスの言葉にアウラは、ぽつりと呟いた。
「その……さっき連絡出したばかりなのですが……もう連絡が帰ってきまして……明日の内には一名いらっしゃるそうなので……」
「誰が?」
「ローザさんに会いに……ピュアブラッドの方が……」
「はいクロスさん。気にせず明日出ましょう」
エリーは迷わずそう言葉にした。
「エリーさん。貴女ならわかるでしょう!? クロスさんがいる場合といない場合の差が!」
「わかった上でそう判断しましたけど!」
「私魔王ですよ!? 一番偉いんですよ!?」
「私はクロスさんの騎士ですので」
そう言って、二人はあーだこーだと言い争いを始めた。
クロス自身を置き去りにして。
「それで……どういう事?」
そうクロスが言葉にすると、二人は説明を始めた。
「要するにアレです。クロスさんにピュアブラッドの方の相手をしてもらいたいと」
「……え? どして俺? 礼儀作法とかわからんぞ?」
そう言ってクロスは首を傾げた。
「その……私、ピュアブラッドの方ってどうも苦手でして……」
アウラは困り顔でそう言葉にした。
「……んー。とは言え俺の所為で失礼があったらそれもそれでまずいしなぁ……」
「大丈夫です。私が隣にいますし責任を押し付けるつもりはありません。ただ、直接助けた方と言う事でクロスさんがお話をしてくれたらそれで良いんです」
そう、アウラは熱意を持ってクロスに請う。
クロスにとってそんなアウラを見るのは初めての事だった。
「本当に苦手なんだな。そんな気難しいのか?」
「……普段ならとても……。ただ、今回は間違いなく優しい対応のはずです。ローザさんのお迎えなのでとてもご機嫌でしょうし」
「それでも、アウラは苦手なんだな」
「恥ずかしながら」
申し訳なさそうにアウラはそう呟いた。
「……エリー。それで良い?」
その言葉にエリーは微笑み頷いた。
「クロスさんがそう望むのなら。ですけど、政治にかかわる事ですので少し面倒になるかもしれませんよ?」
「ま、散々助けてもらったからな。これ位の恩返しは当たり前だわ」
そう言ってクロスが微笑むと、アウラは心底安心したらしく安堵の息を吐いた。
「ねえねえ。デザートまだ? 待ちくたびれたんだけどー」
そんなローザの声に三人は会話から食事に意識を戻した。
「ごめんなさい。すいません。お願いします」
そのアウラの声に合わせ、メイド達は頷きデザートを取りに厨房に向かった。
「……魔王様、これ、クロスさんからの貸しですからね」
ぽつりとエリーがそう呟くと、アウラはこくりと頷いた。
クロスにしっかりした従者が付いて安心するという気持ちと、少しだけ扱いにくくなる事に対して面倒と思う気持ちを持って。
「ほわーっ!」
そんな奇声を上げ、ローザは目をまんまるにした。
デザートに出て来たのは、何てことはないただのアイス。
まっしろでまあるい、バニラ味のアイス。
確かに魔王城で出て来るだけあってそれは非常に良い物で、空気の割合を増やして非常に柔らかく、それでいてふわふわな食感に出した美味しいアイスではあるが、それでも決して感動を覚える様なものではない。
だけど、初めてアイスを見たローザにとってそれは今日のどの食べ物よりも新しくて、素晴らしくて、ふわりと解けて雫を作りながら輝くアイスは宝石の様に映っていた。
「……私が生まれた意味って……この為に有ったんだなぁ」
そんな、何かを悟ったかのような至福の表情のローザ。
そしてスプーンを動かしアイスを食べる度に、同じ様に天上にも上りそうな晴れやかな顔を浮かべた。
その表情はクロスにとって、まっすぐ直視するには眩しすぎた。
「……重たいなぁ」
「ん? クロスさん何か言いましたか?」
エリーの言葉にクロスは微笑み、首を横に振った。
「いいや別に。たださ、子供が幸せだとこっちも嬉しいって思ってな」
「そうですねぇ。とは言え、ローザさんは私達よりも遥かに年上ですけどね」
「それでも、子供は子供だ。笑うのが仕事で、楽しむのが仕事で、そしてそれを守るのが俺達の仕事。だろ?」
それを守る事がクロスには当たり前で、そしてそれが今まで出来なかったからこうして今、ローザはアイス一つに感動を覚えている。
ずっとそうだった。
誰かを守る事が、力のないクロスには重圧で常にその重さに溺れそうになっていた。
だけど、その重みを邪魔だと感じた事や捨てようと思った事は今まで一度もなかった。
「アウラ。同じ種族の元に行ったらローザ……さんは幸せになるんだよな?」
「わかりませんがまあ間違いないでしょう。びっくりする位同一種族に甘いので。子供であるという事を踏まえると甘やかしすぎて困る位です」
「ま、それ位なら良いんじゃないか。これまで十分辛い生活だったらしいしそれ位で丁度良いさ」
「……そう、かもしれませんね」
そうアウラは言葉にし微笑んだ。
「お代わり!」
空になった器をアウラに向けるローザ。
それにアウラはにっこりと微笑んだ。
「お腹が痛くなるから駄目です」
その返しに、ローザはしゅんと捨てられた子犬の様な顔をする。
「うん。……わかった。……我慢、するね……」
それは見る者の罪悪感をかきたてるに十分な顔で、見ている方の心にダメージが行く様な顔だった。
ぐっと我慢をしたのだが、結局こらえ切れず、アウラは諦めた。
「……半分、だけですよ」
そう言って、アウラは自分の分のアイスを半分、ローザの器に移し替えた。
「やったやった! ありがとうございます魔王様!」
そう言って嬉しそうに微笑み、満面の笑みでローザはアイスにスプーンを突き刺した。
「……わかっているんですけど……それでもアレには勝てませんって……」
そう言ってアウラは苦笑いを浮かべた。
さっきのはローザがこちらに対して情で訴える為の作戦、作った表情、つまり八割以上演技である。
ローザからはアイスを貰う為に何でもするという気持ちがアウラだけでなくクロスやエリーにすら透けて見えていた。
だけど、それがわかっていたとしても……それでもアウラはその表情に勝てない。
いや、その表情に勝てる者などこの中には誰もいなかっただろう。
「ま、子供は最強だからな」
そんなクロスの言葉に同意する様に、アウラは小さく溜息を吐いた。
ありがとうございました。




