見えていなかった広い世界
歩き続け、とうとう背後から王都の姿が影も形も消えた。
同時に、周囲からは建物が一欠片も見えなくなった。
見渡す限り平原か荒野、または山。
周囲を見ても誰の姿も気配もない。
代わりに、空には巨大な鳥が多く飛び回っている。
そんな景色を、クロスとエリーは見ていた。
「……とは言え、地図もコンパスもあるし道もはっきりしてる。初めての道でもこれなら迷う事はないかな」
そんな独り言をクロスは呟いた。
「はー。本当に旅行慣れしているんですね」
エリーのそんな声にクロスは後ろを振り向いた。
「そうか?」
「はい。だって魔王様から頼まれてからまだ二時間も経ってないのに出発してもうここまで来たんですから」
「今から急げば夜までに次の街に行けると思ったからな。こういうのは思い立ったがって奴だ。……もしかして馬車に乗った方が良かったか? この位の距離ならと思って予算けちったんだけど……。そうだよな、最悪野宿になるかもしれないし……すまん」
「いえいえ。文句もありませんし野宿でも大丈夫です。騎士でもありますけど兵士としての訓練も一通り受けてますから多少の事は自分で何とかなります」
「……料理出来ないのに?」
エリーはそっと顔を反らした。
「……ま、一人旅は寂しかったし付いてきてくれただけで嬉しい位だ。ありがとなエリー」
「従者ですから。そもそもの話、私が付いて行かないとクロスさん遠方に出かけられませんよ?」
「え!? なんで!?」
「だってクロスさん義務教育まだ終わっていないじゃないですか。私みたいな保護責任者兼指導役と一緒じゃなければ遠出は出来ませんよ? 長期間教育を受けられない状況になる事は国が認めていないんですから」
「と言う事は……もしかして俺移動先でも勉強しないといけないのか」
「場合によれば馬車等の移動中でもですね。ノルマありますから」
その言葉にクロスは小さく溜息を吐き、自分の片角を触り空を見る。
空は晴れ晴れとして透き通る様に青かった。
「ところでさエリー。この依頼ってさ……俺の気のせいじゃなかったらさ……」
「はい」
「これ、めっちゃ楽だよな?」
「そうですね」
「というかさ、これ……ほとんど俺への慰安に近いよな」
「ですね。きっと楽しい旅になるでしょう」
「良いのかな本当に……」
「良いんじゃないですかね? 誰かがやらないといけない事であるのは間違いないですし」
そうエリーに言われても納得出来ず、クロスは首を傾げた。
アウラから依頼を受けた事により、クロスという存在は正式にアウラフィール陣営に入った事となった。
クロスとしては最初からそのつもりだったが他の誰でもなくアウラ自身が納得していなかったのだが、エリーの手遅れと言う言葉とクロスが仕事を出来ないという状況となった事により、しぶしぶ自分の陣営であるという事を受け入れた。
その最初の一歩でもあるクロスに任せる仕事についてなのだが、これについてアウラは意外な程難航した。
というのも、ヘタな依頼を回してしまうとクロスがやっかみを買ってしまう事に繋がりかねないからだ。
割の良い仕事を与えれば贔屓していると言われ、誰でも出来る仕事を与えれば仕事を取られたと言われ。
そんな未来が透けて見える。
逆に難しく割の良くない仕事でもクロスなら受けるだろうが、今度は周りから嫌な仕事を皆がクロスに押し付けだすだろう。
周囲との関係を調整しつつ、クロスがこなせる様な依頼。
そう考えると選べる仕事は非常に少ないと言わざるを得なかった。
誰でも出来る仕事でなく、尚且つクロスが受けても贔屓していると言われない様な仕事。
その実力が周知されたならまだ話は変わるのだが、今この状態では……。
そう考えた後、アウラはある事に気が付いた。
なんだ、あるじゃないか。
非常に割が良くて、誰かがやらないといけない仕事だけど誰でも出来る訳ではなく、それでいて間違いなくクロス向きな仕事が。
そう思い、アウラは迷わずその仕事を二つ、クロスに依頼した。
自分の名代となる依頼を。
「それでは確認しますね。今回のクロスさんの依頼は魔王の代行、名代となって遠方にある二つの街を調べ、同時にそこの責任者と連絡を取るというものです。ですがこれはほとんど建前に近く……」
「ああ。わかってる。要するにただの顔合わせみたいなものだろう。アウラ本人じゃなくても問題ない位の」
「それどころか仕事にかこつけた観光に等しいですね。二つの都市はどちらも平和で規模の大きな場所ですので。むしろどっちも問題がなく平穏その物過ぎてアウラ様は後回しにせざるを得なかった位です」
そう、仕事内容は文句なしにただの観光だった。
その地方の雰囲気を楽しみ、それをお偉いさんに伝えて、会いましたという証明書を持ち帰る。
ただそれだけの仕事。
とは言え、付き合いという意味で言うならこれも立派な仕事であり、特別な地位を持った者以外が出来ない仕事でもある。
それこそ、賢者という特別な称号を授かる位の名声を持ち、尚且つ魔王アウラに近い存在。
そんな存在位しか出来ない様な、特別な仕事ではあった。
「なるほどねぇ。んで、これから行くその二カ所について何か情報あるか?」
「はい。最初に向かうのは『蓬莱』という魔王国内のある地方でして、単一種ではありませんが似た様な趣向、生活をしていた魔物を集めた場所らしいです。二つ目に向かう場所は魔王国外の吸血鬼領ですね」
魔物の世界には数多くの魔物が存在し、その種類は非常に多い。
そしてそれだけ多くの種族が存在しているという事は、それだけ生活環境が異なるという事でもある。
だからこそ、すみ分けとして独自の文化を持つ地方が魔王国内には非常に多く、蓬莱もその一つだった。
「これから行く蓬莱ってのはどんな場所なんだ?」
クロスの言葉にアウラはガイドブックを取り出した。
「……えっとですね、文化形成が非常に独特な事が特徴らしいです」
「例えば?」
「そうですねぇ……あんまり情報ないですけど……竹細工と酒が特産として人気があるとか」
「ほほー。酒か。良いね」
「蓬莱で酒と言えばその地元の酒だけを意味するそうです。なので注文の時は気を付けましょう。もちろんそのお酒以外にもちゃんとワインとか他のお酒もあるみたいですよ。蓬莱のワインは甘い物が多いそうです」
「ほうほうほうほう。……甘いワインってのも気になるね」
「ちなみに米とか豆とかをこよなく愛しているそうです」
クロスは上がっていたテンションが露骨に下がった様な表情になった。
「……うーん。米って知らないけど植物だろ? んで豆かぁ。じゃあ食事はあまり期待出来そうにないな」
「いえ、そうでもないみたいですよ」
「豆なのに?」
「とても美味しいそうです」
「食いごたえがないものはあまり好きじゃないんだよなぁ……。まあ、期待しないでおくか」
「私は逆に期待しておきますね。美味しいという評判はあるみたいですし」
「そか。他に情報はあるか?」
「そうですねぇ。種族としては獣人や鬼が多いみたいです。鬼と言ってもまあ比較的温厚みたいですから……喧嘩に気を付ける位で良いでしょう」
「ほーん。そいや俺も鬼だけどそういうのはないなぁ」
そうクロスは呟き鬼の証拠である片角を触った。
鬼と言えば血の気が多い。
それは魔物人間両方の共通認識と言って良い程の常識だった。
「まあクロスさんはネクロニア、半分鬼程度ですから。血が薄くなると鬼は一気にマイルドな性格になるそうです。それに混血が進んだ今純粋な鬼の血を持っている人は少ないので昔程荒々しくはないですね」
「ほほー。そういう事もあるのか。……っと、ちょっとゆっくりし過ぎたな。もう少し早く歩こう。出来たら最初の夜位宿に泊まりたい」
そんなクロスの言葉にエリーは頷き、二人は急ぎ目に足を進めた。
そこから二時間程、軽い雑談程度の会話だけで歩き続け……途中クロスは急に真面目な表情となった。
「クロスさん。どうかしまし……」
そこまで言ってエリーも気が付いた。
目的地に関係のない方角から登る、真っ黒い煙に。
その量は料理とか実験とか狼煙とか、そういう次元ではない。
これだけかけ離れた場所から確認出来る程のその規模は、どう考えても火事だった。
「一体何が……」
そう呟き、エリーはその方角に手を向け、その方角から魔力を通じ情報を読み取った。
「どうやら多人数同士で、争いをしているみたいです。何かの抗争?」
その言葉にクロスは首を横に振った。
「いや。たぶんだが違う。死ぬ程懐かしくて、そして腹立たしい雰囲気が漂ってやがる。なあ、武器がぶつかり合う音は聞こえるか?」
「……いえ。たぶん、聞こえないです」
「残念だが正解だろう。これは一方的な蹂躙の、弱者を貪る畜生共の気配だ」
そう言葉にし、迷わずクロスはその方向に足を進めた。
馬鹿にする様な笑い声と、知っている人の悲鳴が耳にこびりついて離れない。
鉄臭い匂いと焦げ臭い匂いが、鼻に今でも残っている。
嫌で嫌でしょうがなくて、苦しくて仕方ないのに、それでも少年は必死に足を動かした。
逃げる為に。
焼けた村から、誰かが追いかけてきている。
それが怖くて、足が竦みそうになりながらも少年は立ち止まらず走り続けた。
追いつかれないのがいたぶられているだけだとわからずに。
大切な家族の事も、友達の事も、もう何も考えられない。
何が怖いのか分からない程の恐怖で頭の中が一杯になって、そしてその恐怖から必死に逃げ続ける。
それでも怖いのはずっと追ってきて、自分の中でも膨れ上がって。
もう何が何だか少年にはわからなくなっていた。
走って、走って、走って、走って。
無我夢中で走り続け、息もあがりふらふらになり、走る事すら出来なくなって……。
それでも、少年は這いずる様に足を前に出し続けた。
どうしてこんなに頑張れているのか、自分でも少年はわかっていない。
恐怖に塗りつぶされても尚、母が少年を助ける為の方便である『誰かを呼んできて』という言葉を、少年は実行し続けているなんて、少年自身ですらわかっていなかった。
そして少年は遠くからこちらに向かって走ってくる姿を目にする。
もしかして襲って来た奴の仲間かもしれない。
そう一瞬思ったが、その考えを少年は振り払った。
諦めるよりも、少年はギリギリまで足掻く道を選んだ。
膝が笑い、震えながら、少年は前のめりに倒れ込む。
それを知らない男性が受け止めてくれたのを確認した少年は、残された力全てを使い果たす様に、一言だけ呟いた。
「お母さんを助けて……」
たったそれだけ。
それだけ言葉にして、少年は疲れ果て意識を失った。
クロスは震えていた。
見知らぬ少年を抱きしめながら、震え、言葉を絞り出した。
「平和じゃ、ないのかよ。もっと……。これじゃまるで、人間の世界みたいじゃ……」
アウラの統治する魔王の国は、人間の常識を持ったクロスからすれば理想の王国だった。
強い軍隊を持ち、強い指導者に従い、それでいて、民は自由で好きに生きられ、幸せに笑っていられる。
弾圧もなく、迫害もなく、そんな理想的な世界。
それがアウラの元だけであるという事など考えもせず、一部の例外を除けば魔王国は平和なんだと、クロスは思い込んでいた。
アウラの手の長さにだって限界がある事なんて、有能であれば何でも出来ると思い込んでいた無能なクロスには考える事すらなかった。
「クロスさん。今代の魔王アウラ様は歴代の中でも極めて有数の統治をしておられます。それでも、魔王国の統治範囲は魔物の世界のおよそ三十パーセントに過ぎません。残りは全て、バラバラなんです」
クロスは知らなかった。
種族が異なる分、魔物の方が人間よりも争いが多いという事を。
そして、それが人間に負けた理由の一つだという事を。
「おやぁ。サボろうと思って追いかけるフリしてたけど……まあ良い土産が出て来たな。おいお前ら! 今すぐ両手を挙げろ! ……いやまて、女の方は良い。代わりにストリップでも披露してもらおうか」
そんな声を、クロスは聞いた。
子供の様な骨格をして、汚い布を身に巻いた生物。
二足歩行でありながら肌の色が人間とは異なり、見た目だけならゴブリンをよりおぞましくした様な姿をしていた。
そのゴブリンらしき魔物と種族こそ異なるが、同じ様な存在をクロスは人間の世界で、国内で幾度となく見てきた。
それは盗賊団、強盗団、または略奪者と言われる者。
目の前の魔物からは人間の時見たそいつらと同じ様、楽をする為だけに、己の欲望の為だけに弱者を襲うというそんな汚い性根が透けて見えていた。
クロスはそっと腕に抱いた魔物を地面に寝かせ、そのまま立ち上がり、それを見てエリーが剣に手をかけ、一歩前に出た。
「エリー。殺すな」
予想外の言葉に、少しだけ怒りを覚えエリーはクロスの方に目を向けた。
「どうしてですか? 私は、こいつらの所業を見逃す訳には……」
「殺すな。貴重な情報源だ」
その呟くクロスの瞳は、何時もと異なり冷たく、研ぎ澄まされた刃の様だった。
そう、クロスはこういう展開には慣れていた。
人間であった頃に、幾度となく人間の醜い部分を見続けて来ていたのだから。
だからこそ、こういう時に慌てないで冷静に行動出来るというのは本当に頼りになる。
それが、エリーはとても悲しかった。
ありがとうございました。




