馬鹿で助かったという失礼極まりない話
早朝より、アウラは政務室にて頭を抱えていた。
と言うよりも、常日頃から難解かつ膨大な仕事を抱えているアウラの場合頭を抱えていない日の方が少なかった。
本来の魔王とは力を見せつけ恐怖で国を仕切るものである。
少なくとも、歴代魔王の大多数はそうしてきていた。
だがアウラは武力を誇示していない。
前魔王時代なら四将軍に入る位の戦闘能力しかアウラは持ち合わせてはいない。
決して弱いという訳ではなく、国でも十指に入る程度の実力は持ち合わせている。
だが、魔王としてはワーストに等しいだろう。
その代わり、アウラには卓越した政治能力と誰にも真似出来ない程底意地の悪い謀略という二つの力を持ち合わせていた。
故にアウラは魔王となった。
使える物を全て使い、醜い同じ穴の狢である狡猾な連中を妨害し、真っ当な武力を持ち合わせた魔王候補を蹴落とし、殺してきて。
そんな性格の悪さと政治的恐怖により君臨するアウラだが本人の性格自体は善良であり、誰かが悲しむ事を嫌がる程度には真っ当な性根をしている。
だからこそ、魔王という好き勝手していい身分でありながら魔王は自ら政治に忙殺されるという道を選択した。
だから常日頃から忙しいのだが……今日この時だけは本来の仕事ではなく、イレギュラーな問題で頭を抱えていた。
早朝より届けられた資料を見て、本来行う予定だった朝の業務を後回しにしてそれを読み耽る。
その資料に書かれた事は見れば見る程デタラメで、それでいて今この状況が綱渡りを繰り返した先にある奇跡なのだと理解出来る。
そんな内容だった。
「どう伝えましょう……。クロスさん自身の事ですから伝えない訳にはいかないですが……」
そう呟くと同時にノックの音が響き、そのまま扉が開かれた。
「邪魔するぞラフィール」
そう言って父であるグリュールがアウラに姿を見せた。
「あらお父さん。どうかしました?」
「お客さんだよ」
「……私が直々に会う必要のあるお方ですか?」
仕事で忙しいだけでなく、魔王という立場である為そうそう誰かと会う事はない。
少なくとも、アポなしで会う相手というのはよほどの相手かよほどの事情でない限りはなかった。
「別に会わなくても先方は気にもしないだろう」
そう、アウラが言葉の裏まで読むとわかっているからグリュールは言葉にする。
会わなくてもあっちは気にしない。
それは逆に言えば、アウラの方が会わないと気にする様な相手という意味の言葉。
その意味を考え、アウラはそれが誰なのか即座に理解した。
「クロスさんですか。ああ。まだどう伝えれば良いか決めかねていたのに……」
アウラは手元の資料……検査にて判明したクロスの特異性についてを見ながらそう嘆いた。
「ま、好きに伝えれば良いさ。彼なら気にもせんさ」
そう言ってグリュールは友となったクロスについて評価してみせた。
クロスが従者であるエリーと共に客間にて待つ事数分……。
弱弱しいノックの音と共にアウラが姿を見せる。
「お待たせしました……」
そう言って現れるアウラの顔には、どこか疲れが残っていた。
「もしかして忙しかったか? だったらすまん」
「いえ。今日は大丈夫です。ただ忙しい時は来れない事もある事をお許し下さい」
「そりゃそうだ忙しいよな魔王だし。悪かった」
「いえ、気にしないで下さい。それで、何かトラブルでもありましたか?」
昨日の今日で流石に出戻りしてきたとは思えず、アウラはそう訊ねた。
「あー。そうだな。とりあえず本題の前に大切な事を一つ。昨日からこの子は『リベル』でなく『エリー』と言う事になった」
クロスはエリーの方を向きそう呟く。
エリーはどこか誇らし気な表情で、アウラに深く頭を下げた。
「あら。良い名前じゃないですか。良かったですねエリーさん」
そう言ってアウラはにっこりと微笑んだ。
自分が裏切り者だからリベルだと名乗っていた事とその晴れやかな表情はまるで別人の様で、アウラは本心からエリーを祝福していた。
自分の頃にそうなってくれたらという小さな嫉妬心を棚上げして。
「んで本題なんだが……仕事下さい」
そう言ってぺこりとクロスは頭を下げた。
「え? へ? は、はい?」
流石のアウラもその問いは想定しておらず、少しだけ戸惑ってみせた。
「クロスさん。ちゃんと事情を説明しませんと……」
エリーは苦笑しながらそう呟き、そして一つ咳払いをして主の代わりにエリーが簡素に説明した。
「早朝より役場に向かい冒険者希望願書を取りに行きました」
エリーの言葉にアウラは相槌として頷いた。
「そして、それがこちらです」
そう言ってその願書の中にある応募用紙をアウラに見せ、そして大切な所を指差して見せた。
魔物の世界では人間の時の様に酒場に行って簡単な手続きをしたら即冒険者という訳にはいかない。
行政に届け出を出して、冒険者としての認定試験を受けて、そこでようやく冒険者志望になれる。
更にその後、ギルドや企業等どこかに属してからようやく冒険者と認められる。
条件等は決して難しい訳ではなく、所属も選ばなければすぐに見つかる。
その代わり、かなり複雑で多くのルールが付けられていた。
そしてエリーが指差した部分、ルールの一つには、こんな一文が書かれていた。
『最低一年の義務教育を終えている事』
その一文を目にし、あまりにも初歩的なミスをしていた事に気づいたアウラはクロスに心の底から謝罪の意図を込め、ゆっくりと、深く頭を下げた。
「まことに申し訳ありませんでした」
「え? ガチ謝罪? そんな大した事!?」
出会った時の様に今にも土下座しような雰囲気のアウラに驚きクロスはつい叫んでいた。
「クロスさんが冒険者になりたいって知っていたのに……。はい。特例でクロスさんは大丈夫な様申請を出しておきます。ですから――」
「待って下さい」
エリーが言葉を遮るのを聞き、アウラはエリーの次の言葉が出るのを待った。
「今特例条件を出してしまうとクロスさん悪目立ちしてしまいます。ただでさえ目立ちやすい特徴を多く持ってますし」
悪目立ちをしたという意味において他の追随を許さないエリーの言葉には恐ろしい程の説得力が含まれていた。
「……一理ありますね。冒険者の中には粗暴な人も多くいますし」
「力でねじ伏せるというのもまあ良いのですが、それはクロスさんの望む部分ではないと思うんです」
「ではエリーさんはどうすれば良いと思いますか?」
「はい。もういっその事魔王様の所属としてクロスさんが直接仕事をした方が良いと思うんですよ。残り約十一か月。クロスさんが正式に冒険者になれるまでの期間限定で」
「それは……でも……」
それはつまり、クロスが正式に魔王陣営に見られるという事を、いや魔王陣営に入る事を意味していた。
「はい。魔王様がクロスさんを所属に引き入れたくないのもその理由も存じております。ですが、ぶっちゃけて良いですか?」
「ええ。どうぞ……」
「もう手遅れですよ?」
その言葉を認める様に、アウラは盛大に溜息を吐いた。
アウラがクロスを自陣営に引き込みたくない理由、それは単純にいつまで自分の地位が安泰かわからないからだ。
今日明日で地位を失うという訳では決してないし、出来るならいつまでも魔王でいるつもりではある。
だが、いつまでも自分が頂点に居られるなんて考えは所謂妄想でしかない。
だからいつ自分が墜ちてもクロスを巻き込まず平穏無事で暮らして欲しいという意味で現魔王アウラフィール陣営から遠ざけたかったのだが……そう、既に手遅れとしか言い様がない。
それこそ、クロスがアウラの愛人であるという噂すら流れている位にはアウラとクロスの関係が良好であると魔王の座を狙う者達から知られていた。
「ええ。諦めるには良いタイミングかもしれませんね。クロスさんを放っておくのは不味い事もわかりましたし……」
そう言って再度溜息を吐き、アウラは諦めた様に一枚の紙をテーブルに置いた。
それをクロスは首を傾げながら手に取り、そして再度首を傾げた。
「全くわからん。エリー。これ何が書いてあるんだ?」
そう言われエリーも見てみるが、専門学的すぎて良くわからず首を横に振って紙をテーブルの元の位置に戻した。
「確認します。私から依頼を受ければ正式に私の陣営であると表明する事になりますが、それでよろ――」
「元からそのつもりだ。アウラに何かあれば助けるし、アウラに戦ってくれと言われたら俺は戦う。最初から俺はアウラの部下みたいなもんだ。嫌な命令は聞かない不良部下だけどな」
そう言ってクロスはドヤ顔で笑う。
それを見て、アウラはくすくすと笑った。
「クロスさんらしいですね」
「だろ?」
そうクロスが答えると二人はきょとんとした顔で見つめ合い、再度笑った。
紅茶と茶菓子を飲んで一回話と気持ちをリセットし、アウラは先程の紙の事を説明しだした。
「魔法使いは階級でわけられている。という話は前ホワイトリリィさんから聞きましたけど覚えてますか?」
「おう。聞いた事は覚えてるぞ。内容は忘れたけど」
あっけらかんとそう言い放つクロスにアウラは苦笑いを浮かべ、さらさらと紙に書いてクロスに見せた。
ファーストステージ:リアクト
1プライマー
2シーカー(探究者)リサーチャー(研究者)エクスプローラー(探究者、求道者)等
3メイガス
「これがファーストステージの内容。深淵の初歩、九つの階層の上三つとなります。さて、クロスさんは今どこにいるでしょうか?」
「あん? 何の勉強もしてないんだからまだ初歩にすら入っていないだろ?」
魔法使いとは学び繰り返し神秘に触れる事で成長する。
その最初の入門ですら才能なき身では狭い門である。
だからこそ魔法使いの皆がその深淵を目指し叡智を蓄え、より深淵の階層に足を踏み込んでいく。
叡智どころか社会常識すら欠損したクロスでは到底理解出来る訳がなく、入り込む事の出来ない領域である。
だが……。
アウラはそっと、第三階級のメイガスを指差した。
「既に、クロスさんはここの階層に至っています」
その言葉にクロスは理解出来ず首を傾げ、エリーは何となく納得した様な表情を浮かべた。
「……どゆこと?」
「クロスさん。魔力を今この場で生成出来ます?」
「え? ちょっと待ってくれ」
そう言ってクロスは立ち上がって、前の感覚を思い出し、再現してみせた。
青い炎を作る様な、情熱を燃やし理性で制御しきる様な……。
熱い心ごと冷たい世界を作る様な感覚で怒りを燃やし、自らの体に血液以外の何かを流し巡らせる。
小さな片角はそれに呼応して少しだけ大きくなり、全身に万能感が流れる。
少しだけ自信ないが、これで良いだろう。
そう思い、クロスはちらっとアウラの方を見る。
アウラは頷いた。
「もう良いですよ。……それが、第三階級の証、魔法使いと呼ばれる者の証です。本来なら研鑽の末にある一種の到達点なのですが……」
「……どうして俺は出来るんだ?」
「色々と推測は出来るんです。前世の記憶が完全にある事、一度亡くなっている事、自分の才能を極限まで磨いた事……。色々と思い当たるのですが……推測で楽観視するわけにはいきません。ですので、調べてみました。それがこの結果です」
そう言った後、アウラはその紙の説明を始めた。
その紙に書かれている事を要約するとこうなっていた。
『クロスの肉体は魔法を行使するのに最適化されている』
生まれた瞬間から第三階級メイガスだという魔法が非常に得意な種族も魔物の中には確かにいる。
だが、本来のクロスの種族であるネクロニアはそういう魔法が全てという極端な種族ではない。
魔法に対してそこそこの能力を持ちながら身体能力も高く人間と同様の骨格を持つ。
そういった器用で便利なのがネクロニア本来の身体データである。
だが、クロスの体は錬金術で呼ばれる『完璧な形』に匹敵する程バランスが良く作られ、それ自体が一種の魔法に等しいと呼べる程に調整を受けていた。
「と言う様な事が、クロスさんが魔法に目覚めた事により判明しました」
「なるほど。……どうしてその様な肉体を持ったのかわかりますか?」
エリーの言葉にアウラは顎に手を当て考える様な仕草をして見せる。
その間、クロスは頭が悪いなりに自分の体が凄いという事実だけを理解し、キラキラした瞳でアウラの話に理解出来ないなりに真剣に耳を傾けていた。
「推測は出来ます。先代の本来の目的を考えれば」
「本来の目的とは?」
「実はもう一つ、魔法においてクロスさんが異常な部分があるんですよ。クロスさんはあらゆる種類の魔法に親和性があるんです」
魔法には大きなカテゴリー的種類があり、そして魔法と一言に言っても、そのカテゴリーは本当に多い。
炎しか使えない突出的な魔法や何でも出来るけど発動に時間がかかる儀式的な魔法、オーソドックスで教科書に出来そうなシンプルな術式を用いる物や術式が他者から全く理解出来ない複雑でかつ不気味な物。
更には自分の為に生み出した専用魔法や何となくで魔法を使う場合。
術式を組み、それを発動するという本来の魔法のギミックすらも無視する様なおかしな魔法すらも存在する。
それほどに、魔法とは自由なものだった。
そしてその魔法全てを覚える事は不可能な事である。
誰がどの魔法を覚えられるかは、覚える者の親和性により決定付けられるからだ。
どの魔法が得意で苦手か、そして幾つの魔法の種類を覚えられるか。
それは才能によって決まる事なのだが、大体が自分の好みの魔法が覚えられる様になっている。
苦手な魔法に才能があるという事は、魔法の世界ではあり得ない。
それが魔法の才能、親和性と呼ばれる物である。
そう、本来扱える魔法は自身の気質、親和性によって変化し偏る。
食べ物や趣味、恋愛対象の好み。
そういった内容と同じ位、魔法は自身の趣向が重視される。
だが、クロスが覚えられる魔法にはその偏りが一切ない。
全てが均一、百がない代わりに全てに五十を持っているという状態。
あらゆる魔法に対して強い親和性を持たない代わりに、あらゆる魔法に親和性を発揮する。
それはつまり、クロスはこの世界で唯一、全ての魔法を習得しうる可能性を持っているという荒唐無稽な内容を示していた。
「そんな事……」
あり得ない、とエリーは言いたかったが、あのアウラが言っているのだから間違いのない事であるのは確かである。
アウラという、魔法使いの上澄み、スペシャリストの発言なのだから。
それでも、にわかには信じられなかった。
そんな存在がいる事も、そんな存在を作る事が出来る事も。
アウラが真剣な口調をして話している為、エリーもアウラ同様この事実の大きさを理解した。
一流の魔法使いでも使用するカテゴリーは一つが普通であり、精々二つ三つ程度。
最上位に位置するアウラですら五十程度のカテゴリー分しか魔法を行使出来ない。
それを大きく上回る、全ての魔法の才。
それは新しい魔法が生まれる度に習得し、無限に強くなれるという事。
そして魔法という面に置いて誰にも負けないという事を意味している。
事実上の最上位、それはもはや魔物ですらない。
ただの兵器である。
その事実がどれほど重いものなのか、エリーは理解出来た。
一方クロスは良くわかっておらず、とりあえず自分が魔法方面に凄いという事実だけを理解し嬉しそうにしていた。
「良いじゃん。……何か沢山の魔法を使えるってかっこいいじゃん」
キラキラと子供みたいになり、そう呟くクロス。
それをアウラは悲しそうな瞳で見つめる。
その瞳は……どちらかと言えば同情に等しかった。
クロスは大切な事を忘れていた。
魔法には親和性と同様にもう一つ、とても大切な物があるという事を……。
「その……クロスさん。とりあえずこれを見てください……」
そう言ってアウラが用意した新しい紙を見つめ、クロスは顔を顰めた。
「何だその数字がびっっっっっっっしり書き込まれた紙は。見ていて眩暈がするんだが」
「ビナリウスマジックという魔法の呪文内容です。コードを二進数に変換し文字数を伸ばす代わりに単調でわかりやすくしたものですが……クロスさん。これを学ぶ気はありますか?」
「無理。あるないじゃなくて無理」
そう答えるクロスを見て、エリーはとても大切な事に気づく。
そう、本来それは勇者が魔物と転生した後の為に用意された特殊な肉体。
全ての魔法を覚えられる肉体を生かす為には凡庸ならざる知性と記憶力、そして限りない戦闘センスが必要である。
つまり……アウラが言おうとしている事は……。
「すいませんぶっちゃけます。魔法って勉強漬けで茨の様な大変な道ですけど……それだけ沢山のお勉強、クロスさん出来ます?」
「す、数字とか難しい話がなければ……」
「数字を省いた魔法って余計難しいですよ? 数字の部分を別の方法で再現しなければならないので」
「……あ、暗記……も俺苦手だったな」
「むしろ親和性が高い魔法がないという事は……得意な魔法を探すのが難しいという事で……その……」
アウラの言いたい事を、クロスもようやく理解した。
もし勇者が転生していれば、それは大量殺戮兵器としか言えない様とんでもない存在となっただろう。
それこそ、ドラゴンの群れすらも軽く凌駕し殲滅するような化物として。
だが、ここにいるのはクロスである。
勉強嫌いで、頭の悪い……。
結果だけで言うならば……先代魔王最後の企みである破壊兵器の生誕を阻止したのは紛れもない事実である為、これ自体は偉業と呼んでも良い程の事だった。
クロスの能力不足で肉体の才能を扱えないという悲しい現実から目を逸らせば。
極まった親和性を持たない上に控えめな表現で頭の悪いクロスが魔法を使うのには、相当以上の苦労と努力、そして魔法その物を深く学ぶ必要があるという事を意味していた。
それこそ、クロスの能力ではたった一つのカテゴリーに集中しても尚足りない位には……。
「アウラ様……魔法が……使いたいです……」
捨てられた子犬の様な目でそう呟くクロスに、アウラは苦笑いを浮かべた。
「一種類の魔法をしっかり悩んで選んで、その後ゆっくり、頑張りましょう。無理ではないはずなので。私も教えられる事は教えますから」
その言葉に、こくんとクロスは頷いて答えた。
ありがとうございました。




