裏切りの騎士の終わり
一階は四つの個室に二つの大部屋。
大部屋の一つはキッチン込みで、もう一つは暖炉付き。
二階は六つの個室に一つの大部屋。
一階二階両方に小さいながらも風呂が備え付けられている。
それに加えて地下もあり、そちらは食料と酒関連の保存庫となっていた。
セラーとキッチンは個人所有にしては非常に大きく、それに加えてこの部屋数。
これならこのまま宿屋が始められると考える程度にはその建物は色々と揃っていた。
部屋に備えられた家具や道具、屋根裏や家の周り等まだ確認しきれていない部分は残るものの、大まかな部分の確認を終えた後二人は各自寝室を決め、個室に荷物を放り込みキッチンの備え付けられた部屋に集まった。
「はいどうぞ」
そう言葉にしてからリベルはクロスのテーブル前にそっと紅茶とクッキーを置く。
「ありがとう。リベルも一緒に飲もう」
斜め後ろでトレーを持ち待機をするリベルを見て苦笑いを浮かべながらクロスは呟いた。
それでは騎士というよりメイドの様だったからだ。
「わかりました。では失礼しますね」
そう言葉にしてから微笑み、言われるままに正面に座って自分に紅茶を淹れ、リベルはゆっくりとカップを持ち上げ紅茶を口に含む。
その様子に、ついクロスは見惚れてしまっていた。
騎士を自称するからかリベルは普段鎧姿なのだが、今は普段と違い完全に私服である。
可愛らしいミニスカートとシャツというシンプルな服装で、それでいてちゃんとお洒落だと感じる位には服選びのセンスが良い。
そもそも素体であるリベル自身がおそろしく美人であるのだから大体何を着ても似合ってしまう。
更に今までの様にクロスを毛嫌いしていた険しい表情もなく、穏やかで警戒心を解いた姿をゆっくり見るのは初めてなのだから、見惚れてしまうのも仕方がないだろう。
「クロスさん。どうかしましたか?」
そう呼びかけられ、我に返りクロスは呟いた。
「あーいや。……こう見ると前のアレも悪くなかったなぁって」
今の優しい表情も可愛らしいが、前の侮蔑をして見下すような嘲笑もあれはあれで彼女らしくて味があった。
そんな事をクロスが考えているなんてわかるわけもなく、リベルは言葉の意味がわからず首を傾げた。
「いや。何でもないさ」
「? そうですか。えと、とりあえずハーヴェスター印のお酒は全てセラーに入れておきました。夕飯の時飲みたいのでお付き合いいただけます?」
「もちろん喜んで。美人の晩酌のお誘いを断る男はいないさ。ああ、夕飯と言えば肝心の食事はどうしようか?」
「どうしましょう? クロスさんって料理とか得意でしたよね?」
「まあ……うん。得意なんだけど……」
「だけど?」
「こう……所詮人間料理でなぁ……。こっちきてちょっと自信なくしたって感じ」
そう言ってクロスは苦笑いを浮かべた。
人間であった時、勇者の旅のお供をしていた時、旅での料理を担当するのはクロスだった。
これは下男とかそう言う話ではなく、一番役に立てていないからせめて雑用位はしたいというクロスの希望によるものである。
だからこそ、せめて美味しい物を作りたいという事でそれなりに以上に工夫を重ねてきたため料理についてはまあそれなりだが、確かに自信はあった。
あったのだが……食事のレベルが人間世界と魔物世界では根本的に違いすぎてあまり意味がない。
クロスの前までの料理を作ってもおそらく魔物世界では下手が頑張って作った位のレベルでしかないだろう。
「では学び直すというのはどうでしょう? 技術が問題ないのでしたら知識を集めたら作れる様になるんじゃないでしょうか。料理の本とか買って」
「……え? 料理の本とかあるの?」
「ええ。レシピと材料と共に作り方が記された本が。まあ当たり外れはありますが」
「なるほど。それならちょっと錆落としも兼ねて頑張ってみるのも良いな。だけどさ、そんな便利な物があると言う事はこっちだと誰でも料理が得意なのかな?」
「まさかまさか。全く出来ない方もいますよ。そもそも両手がないどころか固形の方もいますし。やっぱり料理は二足直立の人間体に近い方がやりやすいみたいです」
「ほーん。なるほどねぇ。と言っても今日今勉強して夕飯に備えるってのはちょっと不安だな。今日はどこかで食べない?」
「いえ。そういう事でしたら今日は私が用意しますよ」
「お? それは助かる。任せるわ」
「ええ。任せて下さい」
そう言ってリベルは優しく微笑んだ。
「代わりと言っては何ですが、クロスさんに一つお願いをしてもよろしいですか? 魔王様にも急ぐ様言われていまして」
「ん? 何?」
「私の呼び名についてです」
「ああ。そうだったな」
クロスはその言葉の意味を理解し頷いた。
リベルの名前は本名ではなく裏切りの騎士という忌み名をリベル自身が揶揄して付けた名前である。
それを今まで変えなかったのはリベルが自分を隠す為、そして大きく偽る為だった。
だがその必要がなくなった今、リベル自身名前なんてどうでも良いとさえ考えていた。
アウラからしてみれば部下にいつまでも嫌味の様な名前を使われるのは好まないし、クロスもまた女の子に自分を卑下する名前なんて使って欲しくない。
そんな理由でリベルの呼び名を変更する事が正式に決定し、その命名権が新たな主人であるクロスに与えられた。
クロスの趣味嗜好の為リベルはフレンドリーに接しているが、リベルはクロスに対し忠義を持っていた。
それこそ、名前どころか命を賭けるに値すると考える程度には。
「……なあ。今更だがどうして俺なんだ? リベルが本気で付いてきてくれた事は理解している。だけど、いまいちその理由がわからないんだ」
そう、クロスは言葉にした。
誰かから敬意を払われる事にも尊敬を受ける事にもクロスは慣れていない。
魔物世界においての自分の立ち位置には今でも違和感を覚える位だ。
そんな中で、リベルは他の人達の様な敬意ではなくそれ以上の気持ちを込め、自分を最上の主と選んでくれた。
その理由が、クロスは知りたかった。
「……そう、ですね。理解してもらえるかわかりませんが……頑張って説明してみますね。少し恥ずかしいですけど」
そう言って照れ笑いを浮かべた後、一旦咳払いをしリベルは話しだした。
「私は昔、自分が何でも出来ると思いあがっていました。その自信を叩き潰し私を地に叩き落としたのが魔王様です。その時、私には何も残っていませんでした。魔王様の陣営に来た私は本当に空っぽだったんです。だから……だから地位が欲しかった。立場が欲しかった。名誉が欲しかった。誰かの上に立てば自分の価値を自分で認められるって思ってましたから」
他の誰でもなく、自分が自分を認められる様に。
だが、それは逆に今の自分を認めていないという事に他ならない。
現にその頃リベルは自分の事を好きではいなかった。
「そんな価値観しかなかった。そんな価値観にしか縋れなかったのが私です。でも、その価値観もまた壊されました。地位や立場が嫌いという訳でもない、ただの俗に染まった男性によって」
そう言って、リベルはクロスの方を見つめた。
「俗に染まった……。うん、言い得て妙だな、俺らしい。どうして俺が賢者と呼ばれるか未だにわからん」
「私はわかりますよ。だって、私に功績を譲ってきたじゃないですか」
少しだけ怒った様子で、リベルはそう言葉にした。
確かに、それはありがたい事ではあった。
あったのだが、リベルにとってあまりに衝撃が強すぎた。
地位の意味もわかっている。
誰かに認められたいという欲求もあれば一般的な嗜好も持ち合わせている。
ちやほやもされたいし美味しい物も食べたい、可愛い子を侍らせたい。
そんな欲求を持ちながら、その欲求の元である功績をあっさりと、気軽に手放す。
クロスは最上位の勲章が貰えるという功績を辞退ではなくそのまま投げ捨てたのだ。
どうしてそんな事が出来たのか。
それは、要するに、クロスの世界が地位や名誉に縛られておらず非常に広い事を意味している。
誰でもそれに執着し視野が狭くなるという大きく暴れ狂う欲望であっても、クロスはそれに囚われない。
かといって大きな欲望を捨てられる様な聖者という訳でもない。
欲望をありのまま受け入れ、その上でそれを抑える事が出来ている。
欲望を大切にして生き、いざ不要となれば欲望を捨てまた拾い直す事も出来る。
そんな視野の広さは、懐の広さは一種の悟りと言い換えても良いだろう。
「ですから。クロスさんのその心の在り方は私には持てない物だとわかった時に自分の価値観ではこれから生きていけないと理解して、そしてこの方に付いて行こうって思ったんです」
己の矮小さに、リベルは耐えきれなかった。
自分が嫉妬する、最も妬む存在の心の自由さにリベルが大切にしていた物は壊れた。
クロスが特別という訳ではない。
自己犠牲に生きている訳でもなく、私利私欲を全て捨てた歯車でもない。
ちょっと自分に正直で、わかりやすい男性。
クロスは普通でしかない。
だけど、クロスはどんな時でも普通でいられる。
それこそ、人間から魔物になり果ててすらクロスはクロスのままだ。
それは、特別を求めてきたリベルにとって考える事すら出来ない程の境地だった。
「……うーん。少しだけならわかるかも」
「そうなのですか? 正直自分ですら良くわからない感情ですので上手く伝えられた気はしないんですけど」
「ああ。だけど、自分では出来ない事をする誰かを尊敬するってのはわかるからさ。俺もさ、アウラの夢になら命を賭けても良いって考えてるし」
そう言ってクロスはにかっと笑ってみせた。
「魔王様の、夢ですか?」
「人間を滅ぼすのでも距離を遠ざけるのでもなく、ほどほどの適切な距離感で付き合いたいんだってさ」
その言葉にリベルは口をあんぐり開け驚きを表した。
「……いえ。でもそれは……とても難しいんじゃあ……」
不可能という言葉を飲み込み、リベルはそう返した。
「ああ。難しいだろうね。生き方が違う。種族が違う。考え方が違う。そもそも、今争っていないがそれも休戦状態に過ぎず基本的にお互い殺し合っている関係だ。だからこそ、その夢って凄いと思わないか?」
キラキラとした瞳で、純粋にその幻想を信じている。
そんなクロスを見て、リベルは困った様な顔で笑った。
「私はその夢を信じる事は出来ませんね。そんな事が出来るなんて思う事すら出来ません」
「そか。ま、そりゃそうだよな。アウラですら何千年かけての夢って言ってたし」
「ですが、魔王様の夢を信じるクロスさんのお手伝い位なら私でも出来ます。どうか騎士として剣として、盾としてお使い下さい」
「……そか。ありがとう。嬉しいよ」
「いえいえ」
リベルはニコリと微笑み小さく会釈をした。
冷めた紅茶を口に運び、一息ついてクロスは質問を改めた。
「それで、どんな呼び名が良いんだ? 何か希望があるなら」
「何でも良いですよ。ポチとかチビとかみたいなあだ名でも騎士とか従者とかの呼び名でもそれこそ本名でも」
「そか。……ん? ちょっとまって本名って……あれ? リベルって名前……」
本名どころか種族すら隠し生きているはずのリベルから信じられない言葉が聞こえ、クロスはそう尋ね直した。
「価値観壊れてもうどうでも良いかなーって。という訳でして……改めて自己紹介して良いですか? 本名で」
いたずらをする前の子供みたいな顔でそう尋ねるリベルを見て、クロスは苦笑いをしながら頷いた。
「ああ。頼むよ俺の騎士様」
その言葉に頷き、リベルは立ち上がり仰々しく頭を下げた。
「了解です閣下。では……私の名前はエレオノール。生まれは少々特殊でして現在ファミリーネームはありません。必要な時は育ての親のファミリーネームであるマスティックを名乗ってます」
「……生まれが特殊って言うと、ああいや、悪い。言わなくても良い」
慌ててそう言い含めるクロスを見て彼女はにこりと微笑んだ。
「クロスさんの思う様な悲しい事は何もありませんよ。種族的な特徴でそうなっているだけでして、実際産みの親とも育ての親とも仲は良いです。……ここ数年程不貞腐れてたので気まずくて会ってませんけど」
「そか。んじゃ会いに行かないとな。それで、何の種族なのか教えてもらって良い?」
擬態していても一目で大体の魔物を見抜けるクロスだが、彼女の場合はさっぱりわからない。
魔力の操作を覚えてから何となく彼女の魔力が清浄的で綺麗だなとは感じるのが精々だった。
そんなクロスの様子を見て彼女は微笑み、そしてふわりと宙に浮いた。
魔法を使った訳でもなく、まるでそれが当たり前であるかのように。
そんな彼女の足元は、薄い緑色に輝いていた。
それはどこか幻想的で神々しくて。
まるで彼女がこの世界の存在ではない様で……。
そんな彼女はいたずらっ子の様な笑顔のまま、クロスに尋ねた。
「精霊、という種族をご存知でしょうか?」
その言葉は知っているのは当然として、驚かそうという意図が大いに読み取れた。
精霊、エレメンタル。
そう呼ばれる種族は昔からおり、それこそ長い魔物の歴史においても古代的な種族と言っても良い。
その代わり絶対数が少ない上に個人主義で各個体ごとに分散する特性を持っている。
種族的に言えば希少というだけでなく非常に強力であり、魔力が擬体化した存在とも言われる程魔力と相性が良い。
また肉体に対する依存度が少なく魔力さえ持ち合わせていれば肉体が幾ら欠損しても死ぬ事がない。
半面魔力がそのまま燃料であり栄養でもある為魔力が切れれば何もする事が出来なくなる。
そして精霊の最も有名な特徴は、土地と契約をする事が出来るというものだ。
古代的な種族でありながら吸血鬼等と異なり派閥を作れない為政治的な影響力は限りなく低い。
その代わりに地方に根付くという意味での影響力を精霊は持っている。
精霊が根付いた土地は魔力が豊富となり、動植物に恵まれ病気となる者が減るからだ。
だからこそ、精霊という種族は希少であり貴重であり、同時に為政者達に狙われやすい。
そういう理由があって種族を隠していたという部分も僅かではあるが確かな事実だった。
「我を崇めよ。……なんちゃって」
そう言葉にし、彼女は宙に浮いて精霊アピールを取りやめた。
ふふんと自慢げで、誇らし気な態度のまま。
それを見て、クロスはそっとテーブルを立ち上がった。
認めて貰える。
ちやほやしてもらえる。
そんな欲求を持っているのはクロスだけではなく誰でも持っており、当然それはリベルにもある。
それが自らの主ならより一層だ。
貴方の騎士はこんな凄い種族なんだよ。
そう言いたい気持ちを胸に誇らし気な彼女。
そんな彼女を見て……クロスはそっと地面に伏せ頭を床に叩きつける。
それは――見事としか言いようがない程綺麗な土下座だった。
「……あ、あれ?」
ちょっと予定と違うクロスの行動に、彼女は驚き首を傾げた。
彼女は知らなかった。
精霊という種族は、魔物と知られず人間の世界にもいるという事を。
そして、人間の世界で精霊は大変尊い存在として扱われ大切にされ別の呼ばれ方をされているという事を。
「土地神様とは知らずに大変ご無礼を働きましたー。へへー!」
そう言って頭を地にこすりつけるクロス。
予定外な方向性での持ち上げられ方に彼女は大いに戸惑った。
『流石だな。精霊が俺の騎士なんて俺も誇り高い』
それ位の言葉を変えて貰いたかっただけなのだが……現実はまさかの土下座である。
まさか立場が逆転するほど持ち上げられるとは思いもしなかった。
「クロスさん落ち着いて! 別にそんな仰々しい程じゃあ……」
「いえいえ土地神様に無礼を働いたとなると村で袋叩きじゃすみません。どうか平にご容赦を。ご容赦を!」
そう言って一向に頭を上げようとせず、クロスは平伏し続ける。
「ですから。そうではなくて……」
そう彼女が何を言っても、クロスは彼女を崇め奉るだけ。
そこから『精霊は神様ではなく魔物の一種である』という常識をクロスに理解させる為、彼女は実に一時間もの時間を費やすハメになった。
ありがとうございました。




