新しい家、新しい生活、新しい日々
「付いて行かなくて良かったんですか?」
政務室にて、アウラは仕事を手伝ってくれているメイドのメルクリウスにそう声をかけた。
「何の話でしょうか?」
「クロスさんにですよ。確かにそういう約束でしたけど……本当にクロスさんが気に入ったならリベルの様にクロスさんの元に行っても構いませんよ?」
アウラの言いたい事を理解し、メルクリウスは表情一つ変えずそっと首を横に振った。
「そのつもりはありません。私は閣下の、ひいては魔王城のメイドとして、己の職務をその時まで全うするつもりですから」
「後悔しませんか? 私としてはメルクリウスの希望を叶えたいのですけど……」
「逆に尋ねますが、閣下はどうしてそこまで私をクロスの元に行かせようと?」
「え? いや……こう……クロスさんの事気に入っていたように見えましたし……」
「そうですね。あの我欲と力への執着が見え隠れする戦い方を確かに私は好ましく感じています」
「では付いて行っても……」
「閣下。私がいくら気に入ったからと言って……私を奪い掻っ攫おうとすらしない弱い男に媚を売り尻尾を振る私だとお思いですか?」
「うーん。とは言え……誰にも尻尾を振っていなかったリベルの様な事もあるし……」
「彼女は良いのです。ドラゴンではないのですから。ですが、私は誇り高き龍です」
「……それで、自分で納得しているなら構いません。いらぬお節介をしてしまいましたね」
「構いません。それに、あ奴には何か困った事があれば私に訊ねる様言ってありますし本当に必要となるなら閣下に相談する様言いつけておりますからご安心を」
「……つまり、私はお前に興味ないけど興味あるならお前は私を求めても良いぞ的なツンデレムーブ?」
「申し訳ないですが閣下が何をおっしゃいたいのか理解に苦しみます」
素知らぬ顔でそう言葉にするメルクリウスにアウラは苦笑いを浮かべた。
この魔物の世界には、幾つか言い伝えが残っている。
それは先人の知恵であったり予言であったり、はたまた適当な戯言や言葉遊びであったり。
そんな言い伝えの一つに、この様な言葉が残されている。
ドラゴンと吸血鬼と雪女と『マジン』には手を出すな。
誰でも知っているちょっとした言葉である。
ただ……その言葉だけが独り歩きしてしまいどうしてそういった内容なのかを理解している者はあまりいない。
これの手を出すなというのは暴力的な意味でなく、悲しい事に恋愛的な意味の方である。
この四種族の女性は遥か大昔から言い伝えられ今まで語り継がれる程に、面倒なのだ。
その片鱗を、その言葉が正しい物だのだという事を、アウラはメルクリウスの面倒極まりない対応から理解出来た。
これでまだ恋心に目覚めておらずちょっと気に入った玩具程度の気持ちなのだが、もし恋でもしたら酷く面倒な事になるだろう。
今からその事を考えアウラは溜息を吐きたくなる気持ちをぐっと抑えた。
「それに、最後の餞別は済ませました。これで生涯の別れとなってもまあ後悔はないでしょう」
「最後の餞別って言うと、あのお家の事ですか?」
「ええ。それです」
「んー。私が選ぶよりも大分小さい家だったけど……あれで良かったんです?」
アウラの言葉にメルクリウスは何と言えば良いか言葉に詰まった様な露骨な顔となっていた。
「……気にしませんから好きに言って下さい」
「では失礼します。閣下の用意した住居はどれも度を越えていました。個人用住居に屋敷を与えても困るだけですよ閣下」
「え? ちゃんと掃除用のメイドや調理用のメイドも用意するつもりでしたのに?」
「メイドが必要な家を用意した時点で……申し訳ないですが論外です」
「……あれー?」
「それに、あの男はそういう支援は好みません」
「そか。まあクロスさんが苦しまずに暮らせるなら別に良いんです」
「それは大丈夫です。用意した拠点も二人暮らしどころかもうそれなりに番の数を増やしても十分に暮らせるだけの広さはありますから」
「そかそか。……リベルとクロスさん二人っきりになるけど良いんです?」
「何がでしょうか?」
「……ううん。気にしないなら良いんです」
「はい。一応クロス好みの茶葉の銘柄や気に入った菓子の購入先などはリベルに伝えてありますし心配事は何もありません」
その言葉にアウラは眩暈の様な物を感じた。
『ねぇこれ私が変なの!? さっきからのろけにも似た愛情を感じるんだけど! でも何か執着は感じないんだけど。これどういう事!?』
そう叫びたくなる気持ちを、アウラは必死に抑えた。
「……メルクリウスはクロスさんに何か要求はないんですか?」
あれもこれもとクロスの為に用意したメルクリウスの献身を見て、愛情に感じたアウラはそう訊ねてみた。
「はて? 要求ですか?」
「ええ。ずっと彼のメイドとして勤めて、彼に思う事はないんです? こうして欲しいとかこうなって欲しかったとか」
その言葉を聞き、今まで一切変えなかったメルクリウスの表情が恐ろしく艶のあるものに変わった。
妖艶とも感じる色気と共に、背筋が冷たくなる様な雰囲気。
その発情にも似たどす赤い感情を、アウラは知っていた。
ドラゴン特有の情熱である。
ドラゴンは本能で己を屈服させる者を求めている。
それもただ強いだけではなく、自分好みの英雄を。
男女の好みの様に、求める英雄は千差万別ドラゴンによって異なる。
だが、多くのドラゴンは強い種族ではなく、矮小で弱い種族の者を気に入りやすい。
ドラゴンの様な生まれながらの圧倒的強者でなく、種族的には弱者でありながらも黄金の精神を持ち諦めず、小さな体で細い糸を通す様な道のりで己を打ち倒す。
そういった相手が好みであるドラゴンは非常に多かった。
そして、どうやらメルクリウスの英雄願望には幸か不幸かクロスという存在は実力以外合格点を貰っているらしい。
おそらくだが、どれだけ弱くても諦めず力を渇望する事と勇者の仲間であり続けた事がメルクリウスの好みの部分にはまったのだろう。
「言い伝えってのは馬鹿に出来ないなぁ」
アウラはそう呟き、小さく溜息を吐いた。
「ああ、そうでした。それで思い出したのですが閣下。週末お休みを頂けませんか?」
「ん? ええ、別に構いませんよ。ですがどうかしましたか? 里帰りには早いと思いますが」
「いえ。クロスがもう一度バイクに乗りたいというので後ろに乗せてどこかに出かけようかと――」
「ねぇやっぱり恋愛感情ありますよねそれ!? というか思った以上に親しくなってません!?」
「ただの友情とバイクを好む仲間としてですけど? 閣下……。すぐそうやって恋愛に結びつけるのはいかがなものかと……」
「あれ? これ私がおかしいの? もしかしてお父様に思考汚染された? いやいや……」
自問自答を重ねるアウラをしょうがないなぁといった様子で窘めるメルクリウス。
それに納得いかない表情を浮かべながら、アウラは今日も魔王業に精を出していた。
魔王城に歩いて二十分、首都の表通りまでは歩いて三十分。
そんな立地にある大きな建物。
周囲にはこれ以外建物らしい建物はなく、建物傍には大きな畑を内包した庭があり、建物の背後には木々豊かな小さな山林が見えている。
自然溢れる長閑な風景の場所でありながらも、交通の利便性は非常に高い。
そんな素晴らしい場所。
それを見て、クロスは少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「これさ……買ったら幾らとかそういう次元の話じゃなくて……一般では絶対に買えない家だよな」
首都という賑やかで栄えた場所に近いのに静かで大きな畑を内包した庭付き一軒家。
しかもそこそこ以上に豪勢な建造物。
それはどう考えても王族とかその辺りの方御用達の別荘として用意したものだった。
「気にしなくて良いと思いますよ? これでもかなり抑えて選んだみたいですし」
後ろから付いて来るリベルの言葉にクロスは困った顔を浮かべた。
「これで抑え目なの? 俺どんなVIP待遇なの? おかしくね?」
「希少な異名を持つ魔王討伐者。先代魔王の犠牲者であり被害者。良い意味でも悪い意味でもVIP待遇にせざるを得ないと思いますよ?」
「……そういうもんかねぇ。んで、これで抑え目ってどういう事なんだ?」
「メルクリウス様に感謝しましょう。ただそれだけです」
そう言ってリベルは困った顔で微笑んだ。
もしメルクリウスがこの建物を用意していなければ、貴族が暮らしてそうな大豪邸か軍事拠点の様な城の主になる予定だったとはクロスは思いもしないだろう。
魔王であるアウラとそこそこ付き合いのあるリベルだが、まさかあそこまでアウラが過保護だとは知らなかった。
それは孫を甘やかすおじいちゃんクラスの甘やかしだった。
「……って事はこれメルクリウスが用意してくれたのか」
「はい。冒険者になるなら仲間が住み込みになる事を想定した方が良いですしそうでないにしてもクロスさんがどんな職業を選んだとしても上手く行く様に……とお考えになってこれを選んだそうです」
「……何かこそばゆいな。いやメルクリウスの気持ちが愛情じゃあない事はわかってるけど……こう……こんなに思って貰えるってのは……嬉しいけど何か気恥ずかしい」
「おや。珍しく照れていますね」
そう言ってリベルはニヤニヤとした視線をクロスに向けた。
「うるせー。さて、とりあえず入るか」
クロスは話を強引に途切れさせる為に歩いて自宅の様子を見つめた。
底から見ると横に広い二階立てのコテージタイプ。
小さな三階と窓が見えはするが、それが個室にならない程の大きさしかない。
おそらくそこは屋根裏なのだろう。
壁は白を基調とした大人しい色合いとなっており、それに合わせて屋根はグレーというシックな色合い。
変な派手さがないが、だからこそデザインの秀逸さを伺う事が出来る。
やはりこの建造物はかなりの腕をした大工が担当したらしく、相当以上に値が張る物だろう。
そうクロスが思い直すには十分な作りをした外装をしていた。
「あ、煙突がありますね。という事は暖炉もありそうですね」
そうリベルはワクワクとした様子で言葉にした。
「……んー。なあリベル。この辺りって冬は冷え込む感じか?」
「まあ寒くはありますよ雪も降りますし。暖房が欲しいと思う程度には間違いなく寒いです」
「そうか。ならありがたい話だ。っと、ずっとこうやって見てるのも楽しいが時間がなくなってしまう。色々やる事あるし。さっさと入ってしまおうかリベル」
「はいクロスさん」
リベルは頷きクロスの後ろをついて歩いた。
目の前にある格調高い装飾が施された木製の玄関扉をクロスは見つめ、そしてその手で扉の取っ手を掴み、開い――。
ガチャガチャ。
そんな音だけが響き、扉は主の入室を拒否した。
「あ。鍵受け取ってますよ?」
そう言ってリベルはクロスに金属製の鍵を手渡した。
「……良かった。鍵がなかったら恥ずかしい事に魔王城にリターンしなければならなかった」
「メルクリウス様がそんなミスする訳ないじゃないですかー」
「それもそうだ」
リベルの言葉に頷き、そっと鍵穴にその鍵を差し込む。
カチャンと甲高い金属音が響いた後、クロスは再度扉に手を触れ、そっとその扉を開いた。
「……ただいま、で良いかな」
そう言って、クロスは自分の家に一歩足を踏み入れた。
「じゃあ私も、ただいまです」
後に続いてリベルが入るのを見て、クロスはにこりと微笑んだ。
「おかえり。さて、とりあえずお互いの寝室を決めて荷物を放り込もう。その後適当に探索して何があるか確認しようぜ」
「了解です」
そう答え、二人は別々にこれから暮らす建物を見て回りだした。
ありがとうございました。
そしてお待たせして申し訳ありませんでした。
待っていて下さった方(がいると良いなぁ)お待たせしました。
これから二話相当が始まります。
本来なら短縮に圧縮を重ねて三十万程度で終わる予定の内容だったのですが思った以上に評価を頂けたので完結までそこそこ程度には長くなると思います。
それでもよろしければ、是非最後までお付き合いして下さいませ。
誰かが見てそして楽しんでくれている。
その思えるお陰で、私は途中で心折れず最後まで書き続ける事が出来ます。




