祝いの日(後編)
クロスは大分慣れてかなり気楽に暮らせる様にはなったが、それでもここは魔王の拠点である魔王城そのものであり、荘厳かつ厳格な雰囲気は至る所で漂い続けている。
そんな場に、その女性はあらゆる意味でとても相応しい恰好をしていた。
まず目を引くのは服装。
服……というか若干際どめのビキニはもはや半裸に近い。
男性でありそういう事が大好きなクロスであっても、ここでその恰好は大丈夫かという気持ちになる。
それでも……綺麗な金髪とか整った顔とか、そんなものは一切入ってこず、どうしてもハリのある美しい体に目が行ってしまうのは男の性であろう。
次点で気になるのは、両手に抱えられた三メートルを超える魚。
良く扉を通れたなと感心するその巨大な魚は、まるで今にも動きそう……というか若干尻尾が動いている。
どうやら獲れたて新鮮らしい。
アウラとグリュールのどこか達観した様な乾いた表情と、それに対比するかのように満面の笑みの女性。
これらを踏まえ過去アウラとグリュールから聞いた話を考えると、この人物がどう言った立ち位置の存在なのかクロスは理解する事が出来た。
「あー。その、紹介しますね。こちらは私の母の――」
そうアウラが言葉にするのを、女性は見事に遮った。
「ねえねえ! もしかしてこれお見合い? お見合いなの? 私のラッフィーちゃんのアオハルなの? まあ素敵! それともメルちゃんの彼氏紹介! どっちでも面白いじゃない! それとも三角関係なの!? そうよね恋は戦争だものね! ああどっちに味方をしたら良いのかしら……。いえこういうのは本人の気持ち次第よね! どうなのそこは!?」
大きな魚を頭上でぷるんぷるん動かしながら、楽しそうに女性は言葉を囀り続けた。
その女性のテンションが上がる毎に、アウラの瞳から徐々に光が消え失せていき……クロスはいたたまれない気持ちとなった。
「フィリア。落ち着きなさい。彼はどちらでもないから。……まだね」
そうグリュールが言葉にすると、フィリアと呼ばれた女性は目を光らせた。
「そうなの。『まだ』ね。素敵じゃない。それで、誰かその素敵な若い……あら本当に若いのね。その若い男性を私に紹介してくださいな」
フィリアの言葉にアウラは苦笑いを浮かべながら頷いた。
「こちらはお母様のフィリア・ラウル。見ての通り……自由な方です」
「ご紹介されましたラッフィーちゃんのママのフィリアです。義理のお母さんになるかどうかは君しだいかな」
そう言ってフィリアはキリっとした顔でウィンクをしてみせた。
珍しく、クロスは困った笑いを浮かべていた。
「それで……こちらはクロスさん。先代魔王の犠牲になった人、と言えば良いですね」
「そう……貴方がそうなのね」
そう呟き、フィリアは少しだけ悲しそうな顔を浮かべた。
「きっとラフィールがしっかりと謝罪をしたと思うし貴方から謝罪を望む雰囲気を感じないのでそれは言いません。代わりに私はこう言いましょう。この愛しき魔物の世界にようこそ。一緒に世界をエンジョイして行きましょう! 楽しめないなら私が楽しませてあげる!」
そう言って、フィリアはクロスに手を差し出す。
その手をクロスは握った。
「宜しくお願いします。と言っても、もう十二分に楽しんでますよ」
「それなら良かったわ。それで……これはとーてーも、大切な事なんだけど、クロス君的にはどっちが好みなの? お姉さん気になっちゃうわ! ああ私は駄目よ? ダーリンのものなんだから」
そう言ってフィリアがくねくねと体を捻った。
「はっはっは。何かすまんねクロス殿」
グリュールの目もまた、アウラ同様どこか虚ろな物となっていた。
「とりあえず……お母様は服を着ましょう」
「クロス君が答えてくれなきゃヤ!」
アウラとグリュールの瞳は冷たい物となり、そして申し訳なさそうにクロスの方に向けられた。
「……俺、欲張りなんでどっちもすげー好きですよ。可愛いアウラも綺麗なメルクリウスも」
きりっとした顔でそう答えるクロスを見て、何故かフィリアはほほーと感嘆の声を上げ人差し指と親指の間に顎を乗せしたり顔となった。
「つまり……ハーレム志望ね」
「夢はでっかくいきたいんで」
「良いじゃない。と言いたいところだけど……なかなかに難しい話よねぇ。んじゃ約束通り着替えてくるかららっふぃーちゃんはこのお魚調理しといて。何となく蒸したらおいしそうな気がするからよろ」
そう言ってテーブルの上にびたーんと魚を投げ、すいーっと部屋の奥に移動していった。
「……破天荒な嫁で、すまん」
背を丸め小さくなってグリュールはそう呟いた。
「他人事なら面白いで済むんですけど……はは……。それじゃあ調理をしてきます」
アウラは乾いた笑みを浮かべた後ぺこりと頭を下げ、魔法の力で魚を浮かせ調理場に移動していった。
「良かったなご主人。閣下自らの手料理が食べられるぞ。閣下は料理が得意でいらっしゃるからな」
メルクリウスは冗談でも空気を入れ替える為でもなく、本気でそう言葉にしているのだとクロスは理解出来た。
「俺、自分が変な奴だと思ってたけど……うん……うん……。俺は普通だったな」
「いや、それはない」
メルクリウスはクロスの言葉にそう呟き返した。
再び現れたフィリアは煌びやかなドレスを身に纏い、貴族らしい風格を身に宿している。
それを見たクロスの最初の感想は、安堵だった。
これでまた変な恰好だったらどう反応すれば良いかわかったものじゃない。
ただし……一つだけこれはこれで気になる事が出来た。
フィリアの頭に、獣の耳が生えている事だ。
さっきまではなかったから訊ねたいと思う気持ちもあるが……同時にデリケートな問題なのかもしれないから訊ねにくい。
そういった事を少し考え、敢えてクロスは訊ねてみる事に決めた。
「フィリア様。あの……」
「フィリアで良いわよクロス君。何ならお義母様でも――」
アウラがそっとハリセンを取り出したのを見てフィリアは自分の口元で人差し指を交差させバッテンマークを作った。
「ではフィリアさん。その耳は一体……」
「これ? 可愛いでしょ?」
そう言ってフィリアは耳をピコピコと動かした。
「まあ……可愛いですねぇ」
その言葉にフィリアはにまーっと笑った。
「そうよねー。可愛いよねー」
「いや……あの、フィリアさんは獣人なんですか?」
「え? ううん。これ動く飾り」
あっけらかんとフィリアはそう言い放った。
「クロスさん。母の行動を気にしてたらキリがないですよ」
そう言葉にし、アウラは苦笑いを浮かべながら大きな皿をテーブルに置く。
その上にはさきほどの魚が一匹、ほかほかと湯気を放ちながら横たわっていた。
「さて、食べましょうかダーリン」
その言葉に頷き、グリュールは手をパンパンと叩いた。
「すまんが全員分の白ワインを頼む。奥の良い奴を持ってきておくれ」
「きゃー。流石ダーリンわかってるー」
そう言ってフィリアはグリュールにぺたーっとくっつき頬をこすりつける。
グリュールの方も照れてはいるがまんざらでもなさそうだった。
「仲良くて良いね」
「娘としては他所様の前では勘弁してほしいですけどね」
アウラはクロスの言葉にそう返し苦笑いを浮かべた。
アウラの用意した蒸し魚に舌鼓を打ち、グリュールの用意した酒を堪能し、皆で雑談を交えて交流を深めて数十分。
特に酒効果でクロスとグリュールが妙に打ち解けた。
そして酒も大分進み皆のテンションが少し落ち着いた頃、グリュールはクロスに話しかけた。
「さて、少々真面目な事を尋ねようか。クロス。君はこれからどうするつもりかね?」
ワインくるくるーと上機嫌で、それでいて真面目な雰囲気で。
そんなグリュールの言葉にクロスは少し考えた。
「そうだな……俺としちゃそこそこ自由で浪漫ある冒険者稼業に精を出したいと考えてるけど……まずは外で暮らしながらだな。施されてばかりで悪いとは思うが変に意地張って迷惑もかけたくないし」
「なるほど。そういう支援を受けるという事は、ここを出ていくという事か」
「ああ。少しずつだけど独立しないとって思っていたしな」
その言葉に、フィリアは驚きの声を上げた。
「え!? クロス君出ていっちゃうの? せっかく仲良くなれたのに」
「いや、流石にずっとここにお世話になるのは……」
「えー。ずっとお世話になれば良いじゃない。何ならアウラと結婚して魔王様になっても良いのよ?」
その言葉に、クロスとアウラ同時に困った顔をした。
「私としてもそれは望むところだが……婿殿は困るであろうな」
「婿殿言うなしグリュン」
「ははは。老い先短い戯言だ。許してくれ」
そう言ってグリュールは楽し気に笑った後グラスを傾けて一口酒を流し込み、そしてぽつりと呟いた。
「いやまあ私不老だから老い先短いも何もなかったりするけど」
「おいコラ」
クロスは少しだけしんみりした気持ちをぶち壊す一言に突っ込みをいれた。
「ちなみにこんなナリですけど実は私の方が年上の姉さん女房でーす」
そうフィリアが言葉にした後、いえーいと夫婦は手をパンと叩きあった。
「……うちの酔っ払い夫婦が申し訳ございません」
この場で、というよりもこの世界で最も尊き存在のはずである魔王が小さくなって恥ずかしそうに呟いた。
「まあ仲が良くて良いじゃない。そんでグリュン、俺の今後がどうかしたか?」
「うむ。まあただの確認でもある。メルクリウス。そなたはどうするのだ?」
皆と違い途中からビンでラッパ飲みをする様になったメルクリウスはグリュールの声に反応しビンをそっと置いた。
「私がどうかしましたか?」
「クロスが外に出るという事だがお主はどうするのだ?」
「ご主人のメイドをしてはいますが私は元々閣下に従う者。閣下の客人の世話は受け持ちますがそこまで。つまり、ご主人が出ていくという事は元通り閣下のメイドに戻るという事ですね」
その横でクロスも頷いた。
「未練とかないのか?」
「全く」
淡々と、事実だけを述べるメルクリウスの言葉にグリュールはつまらなそうな表情を浮かべた。
「……うん。グリュン、あんたとフィリアさん良く似てるわ。ついでにアウラも」
「え!? 私そんなに破天荒ですか!?」
がたっと席を立ち、不服そうにアウラはそう言葉にした。
「この前ラフィーというお転婆娘がいてだな……」
アウラはそっと顔を逸らした。
「ま、用意された住居に住んで用意された金使って暮らすんだから独立とはとても言えないけどな。だからもうしばらくは色々とアウラの世話になるよ」
「そうしてください。ついでに言いますとこの部屋は開けておきますから、いつでも遊びに来てくださいね」
「うむ。こちらに来るならまたご主人のメイドとして働いてやるのも吝かではないぞ」
何故か自信満々にメルクリウスがそう答えラッパ飲みで酒を喉に流し込む。
傾けてわずか数秒で大きなビンが空になるその様子は、蛇が卵を丸のみするのに似ていた。
「うむ。まあ色々と大変であろう。何かあれば是非私にも声をかけてくれ。老骨で良ければ手を貸そう」
グリュールはクロスに友として、そう言葉をかけた。
「頼むよ。酒が飲みたくなった時とかな」
「それはそれは……何という大事件であろうか。だが任せてくれ。何時でも駆け付け酒席を用意しようではないか」
そう言った後二人は同時にグラスを空にし、お互いのグラスに酒を注ぎ再度飲み干し、そして顔を見合わせゲラゲラと大笑いをしてみせた。
アウラは盛大に、わざとらしく、嫌味を混ぜて溜息を吐いた。
アウラが先に戻って休むと言い出した辺りで、クロスはついでに酒の席を抜けた。
酔いが予想以上に回ったというのも確かに理由の一つだが、どちらかと言うとこれ以上酔いたくない気分というのが本音だった。
恐ろしいと感じる程に美味い酒の味がこれ以上酔うと飛んでしまいそうになる。
むしろ今日に限ってで言えば、酔いではなく味の余韻の方を堪能したかった。
それでも酒が美味すぎたからか、思った以上に流し込んでいてまっすぐ歩くのがしんどい程酔っている事に気づいたクロスは近場である二階ベランダに移動し、酔い冷ましとしてベンチに腰を掛けた。
涼しい風が火照った体に心地よく、このまま寝てしまいたい気持ちになる程には快適な環境。
穏やかで、緩やかで、それでいて寂しくない。
このまま歌でも歌おうかと思う程に楽しい気分となってくるのだからどうやら想像以上に酔っているらしい。
「ご主人。そのにやけ面を人に晒すのはオススメせんぞ。気が抜ける」
そんな言葉が聞こえ、クロスは入口の扉に目を向ける。
そこにはメルクリウスが立っていた。
「ありゃ。メルクリウスどしたー?」
「どうしたも何も、私はまだご主人のメイドだぞ?」
そう言って、メルクリウスはグラスをクロスに差し出した。
「……酒?」
「水だ馬鹿者」
「そか。あんがとな」
そう言葉にし、クロスはその水を一気に喉に流し込む。
火照った喉に冷たい液体が流れ込む。
それだけで、得も言われぬ喜びを体は感じた。
「っぷぁー。何で冷たいだけでただの水でも美味いんだろうな」
「さてな。私は酒だけあれば良いからそこはわからん」
そう言葉にし、メルクリウスはクロスの横にどかっと尊大な態度で座る。
クロスも遠慮せず、同じ様に大きくベンチを使い空を見つめた。
「あー……空は変わってないな」
「……昔と比べてか?」
「うん。昔と比べて。俺は環境も体も、何もかも変わったのに、空は相変わらず綺麗だよ」
「……それでも、変わらぬものもある。ご主人の心とかな」
「それも変わっていると思うぞ。体に引っ張られるというかさ……」
「……悩んでいるのか?」
「……どうだろうな。わからん。ただ、変わるのが怖いとは思ってないな」
「そうか。……ま、短い付き合いの私感だが、軸の部分は昔からぶれていない様に思うぞ。お前はお前、クロスという存在の軸は変わっていない。昔のご主人を知らぬが、まあ間違っていないだろう」
「そか。……そうかもな。そんな気はする」
そう言った後クロスは黙り込んで空に顔を向け、それに合わせてメルクリウスも空を見上げた。
そのまるで落ちて来そうな星空は、背筋が冷たくなる位に綺麗だった。
「もうすぐ、私はご主人のメイドでなくなる」
「……そだな」
「惜しいと感じるか?」
「……正直に言えば、ちょっと」
「……私が欲しいか?」
「欲しくないとは口が裂けても言えない程には魅力的だと思うぞ」
「……そう思うなら……ま、少し位は期待しておこう。最初から言っているが、私が欲しければ強くなってくれ。そして……私を倒し私の英雄になってくれ」
「……あー。それも良いな。だけど……いつになる事やら。メルクリウスは……たぶん俺が思うよりもずっと強いだろ?」
「うむ。きっとご主人が思う何倍も強いだろう」
「なら、待っていてくれとは言えないな。俺が強くなって挑もうと思った時メルクリウスがフリーだったら、その時改めて挑戦させてくれ」
「そうだな。私も良い番が見つかるかもしれんし確約は出来ないが、まあ多少は待ってやろう」
そう言葉にした後、メルクリウスはクロスの肩にぽんと頭を乗せた。
「いつか……もしその時がくれば、私を本気にさせてくれ。私の英雄とご主人を呼ばせてくれ」
透き通る様な白い肌からこそわかる、普段と違う朱に染まった頬。
それを見て、やる気にならない程クロスは高尚な精神を持ち合わせてはいなかった。
「あー……強くなる理由がまた一つ増えたな」
自分の事ながら本当現金な奴だ。
そう思いながらクロスは星空と、風と、銀色の髪をした小さな頭の感触を楽しんだ。
ありがとうございました。
申し訳ありませんがもう片方の連載の山場を越えるまで少し休みます。
大体一週間位になると思いますがご了承下さい。




