祝いの日(前編)
人間であった頃、クロスは勇者の仲間として旅をしていた。
と言っても、仕事内容は主に雑用であったため、下男や召使いに近かったかもしれない。
だが、それでも確かにクロスは勇者の仲間だった。
クロスも彼らの仲間でいたいと願ったし、彼らも皆、クロスを仲間であり大切な人であると認識していた。
彼らはどこに行っても、勇者として正しく行動し、正しく問題を解決し続け旅を続けた。
だからどこであっても大体は勇者達が旅立つのを惜しまれ引き留められた。
だが、それは勇者に対してであり、クロスその人の旅立ちを、クロスと別れるのを惜しんだ人はほとんどいない。
クロス本人との別れを泣く程惜しまれたのなんて、これまででたった二度だけである。
一度目は勇者達と離れ離れになる時。
仲間達は皆、大して役に立てなかったにもかかわらず本気でクロスとの別れを惜しんでくれた。
その事を、クロスが忘れる事はない。
勇者の身代わりとなれ、勇者の為に役に立てた。
仲間達の為に何かする事が出来たあの別れ、クロスが生涯忘れる事はない。
そして二度目は――今日この日。
あの時とは違うけれど、それでもクロスはあの時以上に別れを惜しまれ涙を流されていた。
小さな子供達に……。
クロスが幼稚園に入園して一月が経過した。
本来の魔物なら一度入園、入学したなら同じ場所で一年間過ごすのが義務教育のルールである。
魔物の生態、常識、また地方の掟等によって学び始める時期はそれぞれ多種多様。
だから同じ義務教育でも受けるべき期間は個別に異なる。
精神年齢の高いクロスであるなら本来は高年齢向けの学園、並びに戦闘か何かの専門研究施設に向かうのが正しいのだ……魔物の常識を欠片も知らなかった為幼稚園にしか入れなかったが。
ただ、流石に成熟した男性を幼稚園に放り込むというのは酷すぎるという事で、アウラは何とか調整をして幼稚園入園期間を一月で済む様に調整した。
何が言いたいかと言えば……要するに、今日で一月経過した。
彼らとの、別れの時である。
特例の為卒園式などもなく、門の前でのお別れである。
そのお別れの為に、お友達と担任は姿を見せていた。
いつもぼーっとしているスライムのマモル。
常日頃から体の七割以上を固定せずどろーっとしているのはちゃんとした人型をするのがだるいから。
だが、今日だけはいつもと違い足元以外完璧に人間の少年らしい本来の姿を見せ、いつもの惚け顔でなくしっかりと表情に力が入っている。
最後だから。
それがわかっているからこそ、マモルはいつもしない背伸びをして恰好付けていた。
同級生であり先生でもあったクロスに心配をさせない為に。
ドラゴンに属するイナはその種族に反して人見知りをする性格である。
だからクロスの正体を知った時心の底から怯えた。
仲良くなれた今でもおどおどとしてあまり話しかけてこないのだが、それでもその瞳はクロスに対して友情と尊敬が混じる様になった為心配はしていない。
ちなみに今の瞳には、少しの寂しさとクロスに対して卒園してもがんばってねという優しい応援が映っていた。
妖樹族であるアップルはクロスとの別れに対し特に表情も態度も変化がない。
ただ、バケット一杯のりんごをクロスに手渡した辺り全く関心がないという訳でもないだろう。
問題は残った二名。
コウモリ族のエンフとゴーレム族のギタンだが……一言で表すなら大泣きである。
二人して涙と鼻水塗れでクロスにしがみ付いていた。
ギタンは色々とあって……というよりもエンフの事が好きでクロスを毛嫌いしていたが気づけばこの中では一番親しくなり、ギタンはクロスにいつもべったりだった。
エンフに関してはもう言いようがない程シンプル。
よくある初恋。
ちょっと恰好良い大人のお兄さんというのはエンフにとってとても輝いて見えて、だからこそいつまでも一緒にいられると思っていたから唐突の別れに悲しんだ。
ちなみに……ギタンはエンフに告白したが普通に振られた。
ゴーレムも同級生も趣味じゃないという理由で。
そしてエンフもクロスに振られた。
外見が子供過ぎてそういう対象に見れないという理由で。
「まあこうなりますよねぇ……馴染みましたもんねクロスさん」
そう言ってタキナはニコニコと優しく微笑んだ。
「ええおかげ様で。まあ丁度良かったは良かったかもしれません。確かに寂しくはなりますが……あんまり長居すると俺が原因で面倒事に巻き込んでしまいそうですし」
クロスが元人間である事、賢者である事、揃って問題となる可能性が出て来る。
だからクロスは彼らを巻き込みたくはないと考えそう言葉にした。
「むしろ幼稚園側の面倒事に相当巻き込んだと思いますけど?」
その言葉にクロスは苦笑いを浮かべた。
機械狂信者の拉致やホワイトリリィのデモ活動、それ以外にも幼稚園は地味に騒動が起きていた。
魔王の権力争いに巻き込まれ、また園児達の父母関係に巻き込まれ……。
一月であったがそれなりに面倒事は多かった。
一月魔物について学んだからわかる事もある。
このクラスは、明らかに面倒事を詰め込んだクラスである。
やる気のないがやけに能力の高いスライムのマモル。
戦力以外にも土地柄的に利便性の高い金属製ゴーレムのギタン。
吸血鬼から派生した為色々面倒事のあるコウモリ族のエンフ。
外見年齢がやけに高い妖樹族のアップル。
そして極めつけは、ドラゴンであるイナ。
本来ドラゴンは成熟するまでドラゴン単独の里で生活をし、義務教育もドラゴン専属なのもある。
むしろドラゴンの場合は義務教育を無視するケースも少なくない。
力ある種族だからこそ、法というルールを力でねじ伏せてくる。
その辺りの事を考えると、イナという少女は間違いなく何らかの事情持ちである。
と言っても、クロスが何かするつもりはない。
アウラが彼ら子供達の為に何もしていないとは思っていないからだ。
「まあ、俺が巻き込まれた分この子らのデコイになれたんだからそれはオーケーオーケー」
そう言ってクロスは笑ってウィンクした。
「ま、そういう方ですからクロスさんはクロスさんなんですよねー」
そう言いながらタキナは寂しそうに微笑み、クロスから離れようとしないエンフとギタンを優しく抱き抱えた。
「どうぞ行って下さいまし」
「……悪いな。楽しかったぞチビ共! またどこかで会おう!」
そう言ってクロスは振り向き、大量の林檎が入ったカゴを抱え片腕を高く上げて門を抜けていった。
遠慮なしに、全力で腹から声を出しエンフとギタンが泣き叫ぶ声を背にして。
「せんせー……」
アップルがぽつりと呟き、タキナの袖を引っ張った。
「ん? どうしたの?」
「せんせー……は、泣かなくて良いの?」
「え? 先生は別に……」
「でも……エンフちゃんと……一緒……」
タキナの足元にしがみ付き悲しそうに泣くエンフとタキナを見比べ、アップルはそう言葉にした。
それを見たタキナは苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「私のはエンフちゃんと違うよ……」
そう、一生懸命好意をぶつけ、ちゃんと告白までしたエンフとは、勇気を出したエンフと自分を一緒にしてはいけない。
クロスの事は決して嫌いではなく、むしろ好意を持っていた。
そして告白とまではいかなくとも、何かアクションを仕掛けるチャンスも十分にあった。
だけど……タキナは何もしなかった。
勝手に自分の中で壁を作ってしまった。
後から理由を付けて、動かない理由を付けて。
要するに、その程度の気持ちでしかなかったからだ。
「……ま、失恋という意味じゃなくて諦めたという意味では同じかもしれないかなぁ」
そう言ってタキナは寂しく微笑んだ。
自分の心が勝手に諦めて納得していた。
そんな自分に何とも言えない空しさと悲しさをタキナは覚えた。
「終わってないもん! 私はまだクロスの事諦めてないもん!」
そんな声が、足元から聞こえた。
タキナはエンフの方に目を向ける。
涙をぽろぽろと零すその瞳は悔しそうで。
それでも、タキナと違いエンフの瞳は諦めていない。
子供特有の夢想と切り捨てるにはその瞳は力強くて……タキナはエンフの頭を優しく撫でた。
「そうだね。とっても綺麗になって、クロスさんに会いに行ってあげて」
タキナの優し気な声色に、エンフはこくんと首を動かし、もう一度、声を上げてギタンと共に泣いた。
夜――。
それは、たった数週間の我慢でしかない。
何十年と耐えて来たクロスの、ほんのわずか数週間。
それでも、その数週間の間、ずっとこの時を恋い焦がれていたのは確かである。
テーブルに用意されたグラスをメイドが手に持ち、そっと赤い液体を注ぎ元の場所に戻す。
その時、目が合ったメイドはにこりとクロスに微笑みかけ、クロスもつられて笑顔となった。
「ご主人。でれーっとするな。私の主ともあろうものが」
いつものメイド服でなく、白いドレスを身に纏うメルクリウスがジト目でそう呟いた。
「すまん。何かメイドさんにちやほやされるってのは新鮮で」
「ほう? いつも良くしてやっている私では不満だと?」
「いやそうじゃなくてメルクリウスに世話され慣れ過ぎて他のメイドが新鮮に見えて……」
「ふむ……。まあそう言う事なら納得しておこう。今日は特別な日だしな。……今日程ご主人が主で良かったと思った日はないぞ。本当に……本当に……」
そう、うっとりとした表情でメルクリウスは言葉にする。
普段では絶対にしない表情。
逆に言えば、そんな表情をメルクリウスがする位、メルクリウスにとって今日という日は特別だった。
この、ハーヴェスターの用意した酒が飲める日というのは……。
「別にクロス殿が望むなら毎晩晩酌に出す位構わんぞ?」
くるくると楽しそうにワインを転がしグリュールはそう言葉にする。
それはクロスを気に入っているというだけでなく、自分が飲みたいという酒飲みの本能が大きく混じっていた。
「……今、私の中でご主人に対する殺意が目覚めた」
「えぇ……」
「もちろん、クロス殿のメイドであるメルクリウスも一緒で構わんぞ?」
「と思ったが気のせいだった。ご主人に仕えられて私は幸せだ」
「……お前、結構現金なんだな」
ジト目でクロスはメルクリウスを見つめた。
「龍という生き物は欲に忠実な生物なんだ。勉強になったなご主人」
「ああ。全くだ」
そう言ってクロスは溜息を吐いた。
「さて、それはそろそろ始めようじゃないか」
そう言葉にし、グリュールはグラスを持ち上げる。
それに合わせてクロス、メルクリウスの二人もグラスを持ち上げ、グリュールは柔らかい笑みを浮かべた。
「では、クロス殿の卒園、特訓の完了、成熟期迎え、そもそも生誕……まあその他諸々色々と適当に合わせて、クロス殿の歓迎を祝い……共に乾杯をしよう」
そんなグリュールの適当な言葉に合わせ、三人は高くにグラスを天にかざした。
久方ぶりの……十年ぶり以上の酒。
それもハーヴェスターなんて大層な名前を持った人物の酒である。
楽しみにしない訳がなかった。
グラスに輝く赤い液体。
ただの葡萄酒のはずなのに……それは宝石よりも輝いて見え口の中に唾が溢れる。
ふらふらと吸い寄せられる様にグラスはクロスの口元に移動し、そしてクロスはその液体を一気に流し込む――。
世界が、一瞬静止した様な感覚をクロスは味わった。
自分の中の時が止まり、また動き出した様な……別の世界を見た様な……。
そう思う程に、その酒の味は鮮烈だった。
「さてクロス殿。私が栽培し私が作ったワインの味はどうかな? それなりの物だという自負はあるが」
自信を隠そうともせずグリュールはそう言葉にした。
「ハーヴェスターのワインがそこそこ程度であるならこの世界にあるワインの大半は駄作となってしまいます」
空のグラスを手に多幸感あふれる笑みを浮かべメルクリウスはそう言葉にした。
「喜んでもらえるというのは嬉しい事だ。それで、クロス殿はどうかね?」
クロスはまっすぐと空になったグラスを見つめながら、ぽつりぽつりと呟いた。
「……俺、本当に美味い酒ってのは美味いとか不味いとか感じる前に、生きているって……そんな生を実感できる物だと思っているんです」
「ふむ。なかなかに味わい深い言葉だ。覚えておこう。それで、クロス殿は今、生きているかな?」
「……俺は今、この瞬間に生まれた様な気がしています。この酒に巡り合う為に……」
「この酒に出会う為に生まれたか……。製作者としてこれ以上ないほどの賛辞であるな。今日の主賓はクロス殿だ。しっかりと、今までの分を取り戻すつもりで生を実感してくれ。在庫の心配などせずにな」
その言葉に合わせてメイドが二人のグラスにワインを注ぎ直した。
「もちろん、私に付き合ってワインを飲む必要もない。好きな酒があるなら是非教えて欲しい。すぐに持ってこさせよう。なに、クロス殿の知る酒なら大体の用意はあるぞ?」
「……では、もう少しワインを貰った後に別のも貰いましょう。それと……厚かましいお願いなのですが……」
「珍しい。何かなクロス殿。遠慮なく言ってくだされ」
「リベルにも何かお土産を用意したいのですが……」
別の用事でこの場にこれなかったリベルの事を考えクロスはそう言葉にした。
「……ふむ。樽であれば足りるかな?」
「樽?」
「ああ。ワイン樽を三つ四つ位なら……」
「え……えぇ……いやビン一本位で……」
「その程度というのはもてなす者として少々不服を感じるな。二人の分も含めて二、三十本程ビンを見繕い後でクロス殿の部屋に届けせてよう。それで良いかな?」
「ありがとう。これで憂いなく飲める。次はエールを頼もうか。あ、もしかしてエールみたいな安酒はない?」
そう言ってクロスはワインを一気に喉に流し込んだ。
「クロス殿。他の事に対してなら私はただのしなびたおいぼれだが……こと酒に関してなら未だ第一人者であるという自負はあるぞ? その言葉、挑発と受け取ろう。安酒がないという意味でも、エールが安酒しかないという意味でも」
グリュールは不敵に笑った後、ぱちんと指を鳴らした。
それに合わせてどこからともなくメイドがずらっと立ち並び、全員がそれぞれ異なるエールのビンを手に持っていた。
「さてクロス殿。利き酒の準備は出来ているかね? それとも、私と飲み比べするかね? 私はどちらでも構わんぞ?」
クロスは自分が挑発された事に気づき、ニヤリと笑った。
「上等だ……ぶっちゃけた話俺酒にそんな強い訳じゃないけど……勝負してやるぜ」
「良い啖呵だクロス殿。では、端から順に――」
すぱーん。
そんな小気味よい音と同時に、グリュールの脳天にハリセンが叩きこまれる。
すぱーん。
間髪入れず、二発目が叩きこまれた。
その叩き込んだ女性、魔王様ことアウラは威圧的な笑みを浮かべながらグリュールを睨みつけていた。
「お父様? 過度な飲酒は厳禁だと言いましたよね? 医者に怒られたのはつい数年前の話ですよ?」
「いや。今日はその……クロス殿の祝いだから……」
すぱーん。
遠慮なしの三発目。
グリュールの脳天に星が飛んだ。
「お父様は一本だけ、クロスさんは二本だけです。お父様のはその一番濃い奴を。クロスさんは……それとそれを渡してあげてください」
そうアウラはメイドに指示を飛ばした。
「あの……私のメイドなんだが……」
「お父様が自分の飲むお酒を一本だけに絞れる訳ないでしょう」
「ぐぅの音も出ぬな」
グリュールはそう言って苦笑いを浮かべた。
「クロスさん。エールの飲み比べとして二本だけ許可しました。クロスさんも飲み過ぎないで下さいね? 法律で飲む事が許されただけでまだどの位飲めるのかわからないんですから。それと悪酔い対策におつまみも一緒に食べて下さい。用意しましたから」
そう言ってアウラは手に持った大皿を三人の前に置いた。
大皿の上にはチーズやクラッカー、野菜スティック等酒のつまみになりそうな物が綺麗に並べられていた。
「これ……アウラがわざわざ自分で用意してくれたのか?」
「はい。お父様もクロスさんもこの時を楽しみにしていましたので」
ニコニコ顔のアウラの言葉に少しだけクロスは照れ、曖昧な笑みのままぺこりとお辞儀をした。
「すまんのラフィール。ありがとう。せっかくだから一緒に飲まないか?」
グリュールの言葉にアウラは少しだけ考え、そしてそっとグリュールに近い席に着いた。
「一杯だけお付き合いしましょう。クロスさんのお祝いですから」
そう言ってアウラはクロスににっこりと微笑みかけた。
「それじゃ。ラフィールも入ったし乾杯から入ろうか。何か良い乾杯の音頭はないかねクロス殿?」
「え、俺?」
「そりゃ、主賓じゃからの。良い言葉を頼むぞ」
「んー。じゃ、何が起きるかわからない楽しい明日に……ってのはどう?」
「良いんじゃないですかね。クロスさんらしくて」
アウラがそう答えるとグリュールとメルクリウスも頷き、クロスが音頭を取るのを待った。
「それじゃ、何が起きるか分からない、愛しくも楽しい明日に――」
そんなクロスの言葉を遮って、ドーンと大きな音が部屋入り口辺りから響く。
その直後、蹴り破る様な力で扉が開かれた。
「ただいまー! 宴会と聞いて帰って来たわよ!」
そう、自らの体よりも大きな巨大な魚を掲げるビキニ姿の美女が、そこに立っていた。
ありがとうございました。




