去りすぎた過去を取り戻す様に
夢の中で見ている今の映像には、確かに覚えがあった。
それは本当に大した記憶ではなくてどうでも良い事だったのだが、それでも間違いなくその映像はクロス・ヴィッシュが勇者と共に在った時に経験した事である。
『恥ずかしくないのかねぇ』
『どうしてあんなのが紛れ込んでいるのか』
『あれならうちの息子の方がよほどマシなのに……』
そんなひそひそ話は、全てクロスに向けられて発される言葉。
明らかに実力の劣ったクロスに向けて放たれる悪意。
街でも村でも、平民からでも貴族からでも、何なら王族からすらも言われ続けてきたそんな言葉。
それに対して、クロードは、かつての仲間達は皆本気で怒ってくれた。
場合によっては勇者の強権を行使してそいつらの家壊して財産強奪しようなんて勇者らしからぬ冗談をクロードが言った程……。
それ位皆怒ってくれて、その事がクロスは嬉しかった。
それは……確かに過去のクロスが経験した記憶である。
だが、今感じているこの感情は、間違いなく、当時経験していない感情だった。
その蔭口を叩く人達に怒りを覚えたなんて事はあり得ない。
同時のクロスは間違いなく、怒っていなかった。
にもかかわらず、何故か今のクロスは怒りに心が震えていた。
怒る訳がない。
何故ならば、全て事実なのだから。
事実を言われて怒る程、クロスは恥知らずではなかったはずである。
実力不足なのも、勇者の仲間に相応しくないのも、全て全て悲しい程に正しい事実。
だから彼らの怒りや愚痴、嘆きは間違いなく正当な物だった。
それに納得こそすれど怒る様な事はない。
ならば……何故今自分は怒っているのだろうか。
疑問に思いながらその記憶を繰り返し眺めていると、ふとある事実に気が付いた。
夢の中で、自分以外にもこの映像を誰かが見ていた。
自分の傍にいるのに普段は見えない存在。
自分と共にあるはずなのに、顔を合わせる事はない相手。
この映像を見ているその誰か……それは自分だった。
自分のすぐ隣に鏡でしか見る事のないもう一人の自分がいる事にクロスは気が付いた。
そっと、クロスは自分のおでこに手を当てる。
そこにはあるはずの片角がない。
良く良く考えたら当たり前だろう。
まだ数日、数週間程度しか生きていないネクロニアと、四十年近く生きて来たヴィッシュでは後者の方が印象に残っているに決まっている。
だから今の自分であるクロス・ヴィッシュが、もう一人の自分であるクロス・ネクロニアと共にこの夢を見ている……というのが今の状況なのだろう。
そう考えると……この怒りの理由も想像が付く。
この怒りは自分の持っていた怒りではなく、新しい自分であるクロス・ネクロニアとしての怒りだと。
どうして自分が蔑まれなくてはならないのか。
クロード達は認めてくれた、仲間として受け入れてくれた。
それを外部の恥知らずが好き勝手言いやがって。
目の前にいるクロス・ネクロニアはそう言葉にしていると思う程には怒りに満ちた表情をしていた。
「……そうだよなぁ。俺の所為でお前もこんな事言われるもんなぁ。すまんなあ才能ある俺」
そう言ってクロスは苦笑いを浮かべた。
クロス・ネクロニアはそんなクロスの方をじっと見つめた。
『どうしてお前は怒らないのか』
憤怒と共にそう語っている様だった。
人を怒れ。
お前をないがしろにした人に復讐をしろ。
お前には、魔王を倒すだけ倒させて閉じ込められ一人で孤独死させられたお前には人類に対し復讐をする資格が、権利がある。
そう、クロス・ネクロニアは今のクロスに訴えてきた。
言葉ではなく、魂で強く。
「……悪いな。気持ちは嬉しいがそんなつもりはないんだ。本心からな」
『どうして?』
言葉ならざる意思がクロスに伝えられる。
その意思に対して……クロスは少し悩み、そして答えた。
「高潔な勇者の仲間だったから恥ずかしい事は出来ないとか、悪い人以外もいたとか、色々と理由はある。あるけど……一番は勿体ないからかな?」
『もったい、ない?』
「ああ! せっかく二度目の人生を……いや人じゃないけど生を受けたんだ。それなら楽しまないと損だろ? 違うか自分?」
その言葉に、クロス・ネクロニアは答えない。
相変わらず憤怒の表情を見せているが、それでもクロス・ネクロニアは何も言わなかった。
「俺と一緒に楽しもうぜ? 可愛い子とおしゃべりして、美味いもん食って、ちやほやされて。体動かして、強くなって……そんで最後には心から楽しかったって思える様な生き方しようぜ兄弟」
そう言って、クロスは心から笑って見せた。
そこで、夢は終わってしまった。
一つだけ、クロスは目覚めた事を後悔した。
もう一人の自分の答えが聞けないまま目を覚ましてしまった事。
そこだけを悔やみ、クロスは自分の右腕を空にかざし手を開いた。
「ま、怒るより笑う方が楽しいから大丈夫だろ」
そう言ってクロスは微笑み、そして自分の片角を触る。
そこにはクロス・ネクロニアの小さな片角が確かに存在していた。
「ご主人、起きてるか?」
ドアの前からメルクリウスのそんな声が聞こえ、クロスはベッドから体を起こした。
十分以上前から起きてはいたのだが、やはり目覚めは美女の声で起きたい。
そんな事を考えクロスはさっきまでベッドでごろごろしていた。
「ああ。起きてるよ」
そう言ってクロスはベッドから起き、小さなテーブルの付いた椅子の前に移動する。
それに合わせて、クロスの部屋にメルクリウスと、その後ろに付いた銀の鎧を身に纏った金髪の女性が入室してきた。
「おはようご主人」
「おはようございます閣下」
二人がそう言葉にした後、メルクリウスはそっとクロスのテーブルにコーヒーを用意した。
「おはよう二人共。今日の朝食はどこに行けば良いかな?」
そう言ってクロスはコーヒーを口に含んだ。
そのコーヒーは思ったよりも苦みが強く、半ば眠っていた脳が無理やりたたき起こされる様な感覚を味わった。
「今日は私達だけだが食堂の方に準備がある。ビュッフェスタイルだ。これならご主人は私達とも一緒に食事が取れるぞ。メイドと一緒なんて嫌だと言うなら今から変更するが?」
「まさか。美人との食事の機会を逃すなんてもったいない事俺にはとても出来ない」
「そういうと思っていたさご主人なら。まあ確かに私達の容姿は優れているであろう。なあリベル」
メルクリウスに話しかけられ、リベルは若干緊張した様子で微笑んだ。
「それなりにとは思いますが私なんてメルクリウス様に比べたらそんな……」
「謙遜は悪くないが怯えを含めたそのおべっかは少々不快に感じるぞ。少なくとも今の立場は同等なのだ。それなりの態度をしてもらいたい」
「すいません。気を付けましょう。ただ、女としてメルクリウス様の髪に憧れがあるのは事実です。綺麗な長い銀髪は心から羨ましいと」
「うむ。素直な賛辞は受け付けよう。だがリベルの金髪も綺麗だと思うぞ」
「ありがとうございます」
そう言ってリベルは嬉しそうに微笑みぺこりと頭を下げた。
「うんうん。女の子同士のそういう会話って何か良いよねー」
そう言ってコーヒーをずずずとすすって、そして一息ほうっと付き、コーヒーをテーブルに置いてクロスはそっと二人の方を見る。
そして……。
「なんでリベルが俺の部屋にいんの?」
とても今更な事を、クロスは口に出した。
「どうしてとは閣下。私が閣下の騎士だからですよ」
リベルはドヤ顔でそう答えるが、その間の記憶が一切ない。
そもそも閣下である魔王アウラはここには当然いない。
前日、何となく怒らせた様な気がして謝った方が良いかなーとか悩んでいて、それで今日になって朝唐突のこれである。
正直理解が追い付いていなかった。
「……メルクリウス。どういう事?」
「どう、とはどういう意味だご主人」
「いや、メルクリウスともあろうメイドが主の許可なしに部外者を入れる訳がない。つまりリベルは部外者ではないという事なのだろうが……正直良くわからん」
「ふむ。何を言っているのだご主人。リベルはご主人の騎士ではないか。これがメイドであるなら血で血を洗うポジション争いをするところであったのだが……まあ騎士なら私は構わん。むしろハクが付いて良かったなご主人」
「……俺の騎士? いやリベルはアウラのというか魔王様の騎士じゃ。つか俺騎士とか持てる様な身分でもないし……ってああ、そう言う事か……」
そう呟き、クロスは盛大にわざとらしく溜息を吐いた。
リベルの表情がいつもと違う楽し気な笑顔で、メルクリウスはいつも通りの挑発的な笑み。
それに加えてリベルの表情には珍しくいたずらっ子の様な雰囲気も混じっている。
つまり……二人してクロスをからかっているという事である。
それに気づいたクロスは自然と苦笑いとなり溜息が零れていた。
「リベルがそういう冗談を言うのとは思わなかったよ。確かに驚かされた。メルクリウスもそれに乗るなんて珍しいね」
そんな、余裕ぶった態度のクロスにリベルはさっきよりも楽し気に、そして意地悪そうに微笑む。
その直後クロスの目前まで移動して背筋を伸ばし直立し……、その後に跪き――クロスに剣を捧げた。
「私に閣下の剣となる名誉を、閣下の騎士となる名誉をお授け下さい。私は我が魂に賭けて、閣下に永遠の忠誠を捧げる事をここに誓いましょう」
それは冗談でして良い事ではない。
それは、冗談などで行って良い様な物では決してない。
その所作、その在り方、その瞳。
全てが真実であると物語っている。
リベルという存在は、心の底よりクロスに敬意を払い、騎士となりたいと魂で訴えて来ている。
今までそんな前兆なかった。
ずっと嫌われていたのは間違いのない事実だろう。
だからどうしてこんな事になったのかわからない。
わからないのだが……一つだけ確かな事がある。
頬が熱い。
メルクリウスの小馬鹿にする視線が痛い。
どうやら、自分は照れているらしい。
そうクロスは気が付きそっとそっぽを向いた。
「あー。うん。ほ、保留で」
「別に良いですけどぶっちゃけ結果変わりませんよ閣下。魔王様の命令ですし」
「はぁ!? ああいや、そう言う事なら俺の方から撤回してもらう様頼むよ。嫌な事はしなくて――」
「いやいやしてる様に見えましたか閣下?」
リベルは未だかつてない程圧倒的な威圧を、メルクリウスがほぉと感嘆の声を漏らす程の威圧をクロスにぶちかまし叩きつけた。
「ごめんなさいもうしわけありませんすいませんでした」
「……私から、魔王様にお願いしたんです。まあ確かに疑う気持ちもわかります。ですが、この気持ちだけは……確かなものです。私の世界を壊し、翼を見せてくれた閣下に忠誠を誓う。それが私の心からの本心です」
そう、ぽつりぽつりとリベルは呟いた。
「ありがとう。その気持ちはとても嬉しい。だけどさ……俺はそんな上等な存在じゃあない。中途半端で……そして……騎士様を持てる様な立派でもない。だから……」
そう言って悲しそうな顔をするクロスにリベルは……。
「あ。そんな事はわかってます。大丈夫ですよ閣下がどんな人柄でもどんなちゃらんぽらんでもかまいませんから」
「……あれー。そこはそんな事ないとか言う場面じゃない?」
「んー、じゃあ閣下に対して嘘を付きたくないとかそんなニュアンスな感じで」
「……何かリベル。変わったというかゆるーくなったね」
「偉大なる魔王様の騎士からまあそんな感じーの閣下の騎士に変わりましたので」
「しれっと……ぐぬぬ」
そんな悔しそうなクロスを見て、リベルはくすくすと優しく微笑んだ。
「ご主人。とっとと朝食に行くぞ。私は腹が減った」
メルクリウスはそう敬意の欠片も見せずそんな事を言葉にした。
「だけどさ、俺に騎士なんて――」
「ではご主人。私と二人で朝食を食べるのと、そこのリベルを含めて三名での朝食。どっちがご主人は好む? もちろん、今後も含めてだ」
メルクリウスはクロスの事をかなり理解している。
その理解力は前世を除けば間違いなく一番だろう。
だからこそ、その問いに対するクロスの答えなど聞くまでもない。
「……あー、そだな。美味しい飯を美女と一緒に食えるならまあ断る必要はないか。何か割と友人付き合いしてくれてるし。リベル、これ以上深くは尋ねない。だからこれだけ最後に聞くよ。俺なんかで良いんだな?」
「はい。閣下でなければならないんです」
「……やっべ何か胸がキュンって来る」
「え? ……気持ち悪」
「……ひっどいなおい! ああ、だけど一つだけお願いがあるわ」
「何です? 体を差し出せと言われても従いますよ? 死ぬ程嫌ですけど。死ぬ程嫌ですけど!」
「……二度も繰り返さんで良いし嫌な事は言わん。閣下は止めてくれ。据わりが悪すぎる」
そういって困った顔をして頬を掻くクロスに、リベルは満面の笑みで頷いた。
「ではこれからはクロスさんと。クロスさん。これから末永くお傍に付き従わせて頂きますね!」
「……本当に変わったねリベル」
「悪くなりました?」
「――まさか。良い笑顔する様になったじゃん。前より全然可愛い」
その言葉にリベルは困った顔で微笑んだ。
「いちゃつくのは後にして飯に行くぞご主人」
「あーはいはい。案内よろしく」
そうクロスが言葉にして、クロスとリベルはメルクリウスの後ろに付き部屋の外に出た。
ありがとうございました。
一応ここから第二話的な感じです。
一話がえらい長くなりましたことを今更お詫び申し上げます。




