月の子供達(後編)
リリィに案内され塔の様な建造物の奥に向かいながらクロスとラフィーは楽し気に会話を交わしていた。
「魔法協会って位だし……中ではきっとすげー雰囲気で何かやってんのかな。皆ローブを着ていて水晶玉を持ってぶつぶつ呟いて。それで邪魔したらキッと睨まれる様な感じの」
そうクロスはふわっとしたイメージを言葉にした。
「いや魔法協会と言ってもピンキリだし。私としましてはー大きな天体望遠鏡なんて珍しいものがあるんだし……皆が星とか星座とか天体について語っているのかなーって。天体良いよねーみたいな感じで」
そうラフィーが言葉にすると、クロスはなるほどなーと頷いた。
「あはは……期待させて悪いのですがたぶん普通ですよーっと。着きました。ここです」
期待させない様にそう呟いた後、リリィは扉を開く。
その先には二、三十人位の集団が何らかの作業を行っていた。
年齢層はバラバラで、外見での判断なら一桁後半から老人までの老若男女と幅広い。
それでも、過半数は二十代に見える外見をしていた。
全体の半数程はテーブルに置かれた紙に文字を書いたり本を読んだりと一人で研究の様な事を行っており、もう半分程は三人から五人位で集まり議論を進めている。
ただ、その様子は全体的にふわっとしており、どこかにこやかな様子で集団の方に至ってはカップ片手に楽しく談笑。
それはもはやお茶会である。
「ね? 気軽な感じでしょ?」
そうリリィは言葉にして微笑んだ。
「……んー。あっちの人は断片を読み取ろうとしてるのかな。あっちは……何してるかわからないけどたぶん天体の研究かな。うーん。全体的に魔法よりも天体に寄ってる人が多い様に見えるねー」
ラフィーはきょろきょろしながらそう読み取り言葉にした。
「やっぱり一目でわかるもんなんですね」
リリィがそう言葉にするとラフィーはこくんと頷いた。
「大体はね。でも見てもさっぱりな人達もいるよ。魔法についてならそれなりに理解出来るけど専門外だったら私もさっぱりだし。……ところでクロスはさっきから静かだけど、どうしたの?」
ラフィーは首を傾げながら神妙な顔のクロスにそう尋ねる。
それに対しクロスは……。
「いや……うん。あっちの奥の双子かな。ピンク色の髪の。あの二人が俺的に一番好――」
すぱーん。
ラフィーはにこやかな笑顔で、クロスの頭を紙の束で叩いた。
「くーろーすー? ナンパ目的の参加は駄目だよ? 真面目に来てるんだからね!」
ずごごごごと威圧的なオーラをバックに怒りをあらわにするラフィーにクロスはぺこりと頭を下げ頷いた。
「あい。と言っても別にナンパするつもりはないぞ。ただ可愛いと思っただけで」
その言葉が聞こえたのか件の双子の片割れは頬を染めて恥ずかしそうにし、もう片方は嬉しそうにクロスに微笑みかけた。
「お。もしや脈あ――」
すぱーん。
二度目の頭部への刺激は、一度目よりも痛かった。
「面白い人達が来たねぇ。ホワイトリリィさんのお友達?」
そう言葉をかけて来た相手の特徴的な外見を見て、クロスは少しだけ驚いた。
相手を一言で示すなら、梟。
ずんぐりした体と尻尾で、猛禽類独特の嘴とまんまるおめめ。
茶色を基調とした白混じりの模様。
それは似ているとかそういう話ではなく、まごう事なき、完璧なまでに梟そのものだった。
ただし、その大きさは二メートル近く。
クロスと目が合う程度には、その梟は大きかった。
「ありゃ。私みたいなのは珍しかったかな?」
驚いた様子のクロスに気づき、ぐるんと首を回し梟はそう尋ねた。
「ああ。すまん俺この外見だが生まれたてで常識がないんだ。……ところで、もふもふして良い?」
そんなクロスの言葉に梟は笑った。
「ほほー。別に良いよー」
その言葉に、クロスはおずおずとその頭や翼に触れる。
「思ったよりももっふもふだった。……はえー。良いね。やっぱ空とか飛べるの?」
「飛べるーよー」
「へー。ん。ありがとな。俺の名前はクロス。そっちは?」
そう撫でるのを止めてクロスが尋ねても梟は返事をしない。
それにクロスが首を傾げていると……。
ぷくー。
梟の鼻から大きな風船が出て来た。
「…………」
クロスが無言でリリィの方を見つめた。
「あはは……この方夜行性ですので……」
その言葉にクロスは頷き、再度梟を見つめる。
梟は起こすのが可哀想に感じる程、気持ちよさそうに眠っていた。
ラフィーはどうしたら良いかわからず困り果てるクロスを見てケタケタと笑った。
梟が数分程船を漕ぎ、鼻提灯がパンと割れて目を覚ました後に会話は再開された。
「えーっと……何だっけー?」
梟はそう呟き、首をぐるんぐるんと回した。
「俺の名前はクロスだ。よろしく。そっちは?」
「んーとー。ロロだよー」
「そか。よろしくロロ」
「よろしくー」
そう答え、ロロは翼をばさばさと動かした。
「ところで、失礼だったら申し訳ないんだが、ロロって男性、女性?」
「雄だよー。只今絶賛彼女募集中。好みのタイプはふくよかな同族」
「そか。俺はそっちの種族見た事ないけど頑張れ。ちなみに俺の好みは可愛い子なら誰でもだ」
「頑張るー。そしていつか刺されない様気をつけてー。まあそれはそれとして、君のお名前は?」
ロロに見られラフィーはにこやかな笑顔を浮かべた。
「ラフィールだよ。ラフィーって呼んでねロロ」
「うん。わかったよラフィーさん。ところで、……ここで聞いて良いかわからないけど……ホワイトリリィさん大丈夫だった?」
そうロロは翼をリリィの耳元に持ってきて小声で尋ねた。
「えと、何がですか?」
「良く行く集会に危険人物が混じったとかで軍隊が動いて大事だって聞いたけど。大丈夫だった?」
「えと……はい一応。ただ……」
「ただ?」
「後ろの二人が護衛として付いています」
ロロはクロスとラフィーを見て、納得した様な表情となった。
「なるほど。それで見学者を二人も」
「はい。クロスさんは魔法に興味があるそうですのでそれも踏まえて」
「そかー。占星術を専攻する僕じゃあ役に立てないかな。ごめんね?」
そうロロは言葉にした。
「占星術? それってリリィちゃんが使えると言ってた魔法と違うの?」
「うん。占星術ってのは占星魔法だけじゃなくて色々な物を含んだ学問。占いやら天文学やらに魔法やら何やらかんやらを足した物ー。んで僕は学問寄りだから占星魔法とかさっぱりー」
ロロは能天気な顔でそう答えた。
「ここは望遠鏡があるから魔法より天文学目当ての人が多いんじゃないかなー」
そうラフィーが付け足すとリリィはこくりと頷いた。
「はい。少数の魔法研究者と多数の天文学者。それらが入り交じって研究をしているのがこの月の子供達です。私は……まあ気軽な趣味として来てますのでちょくちょく魔法をお勉強しながら皆のお手伝いをしつつ楽しく星を見させてもらってますね」
「えへへー。僕とホワイトリリィさんは結構仲良いよねー。僕天体望遠鏡使えるし」
「はい! いつも一緒に星を見てるんですよね」
そう言ってリリィとロロはにこやかな雰囲気を醸し出した。
「クロス。リリィちゃん取られちゃうよ。良いの?」
ラフィーはそう言ってクロスを肘でつんつんと突いた。
「いや別にリリィちゃんはリリィちゃんで誰の物でもないし趣味が合うのは良い事だろ。ただ……うーん」
難しい顔をしながらクロスは二人を見る。
ハルピュイアという鳥人の種族だがどちらかと言えば人に近いリリィと、完全梟のロロ。
確かに仲が良さそうだが、カップルにはとても見えなかった。
「ちぇー悔しがらないのー。まあ最初にロロが同族趣味って言ってたししゃあないか」
そうラフィーはつまんなさそうに呟いた。
「諸君! 今日は良く来てくれた」
雛壇の上から聞いた事のある声が響いた。
それはつい先ほど聞いたばかりの声、サイロと名乗った者の声だった。
「今日もまた先生方はいらっしゃらない。だからプライマーの代表である僕がこの場を取り仕切ろう。今日は珍しく見学者も来ている。皆すまぬが無知であり未だ同胞でない見学者にも多少の配慮を示し、君達の叡智を見せてあげて欲しい」
そう言葉にしてサイロは雛壇から降りた。
「ああ。アレが一応の代表なんだ」
ラフィーがぽつりと呟くとリリィは苦笑いを浮かべた。
「ああ見えて良い人なんですよ。……マウント取る悪癖ありますけど」
「うん。見てわかる」
そうクロスは呟いた。
「だよねー。やたらと上から見下したがる人だもんねー」
同意する様にラフィーはそう言葉にするが、クロスはそれを否定し首を横に振った。
「いや、そっちじゃなくて良い人ってところ」
そう言葉にし、クロスはサイロの方に目を向けた。
「ほらこれ。前言っていた旧形体の星図の歴史の資料だ。写しだから好きにしてくれて構わないがもう見る事は出来ないから念のためコピーを取っておいてほしい。そっちは初心者用の魔法教本だったな。どこも売り切れだったから僕が使っていたものを貸そう。君は……地図だったな。二百ブルードだ。いつでも良いから払ってくれ」
そう言葉にしてサイロは皆に何かを配りながら忙しなく走り回っていた。
「ありゃ。本当に良い人そう。しかも優秀なのね」
ラフィーは驚いた様な表情でそう言葉にした。
「……まあ色々ありまして……。サイロさ、プライマー・サイロの事を嫌いな人はここにはいませんよ」
「そうそう。僕も色々お世話になってるんだよねー。目が覚めた時に毛布がかかってる時は大体サイロ君だからー」
そうリリィとロロの二人は言葉にした。
「おっと。今僕の事を話す声が聞こえた。何か用か? 緊急でないならもう少し待って欲しい。あと五人に頼まれた物を渡さねばならぬからな」
唐突に、サイロがこちらに近づいてきてリリィにそう話しかけた。
「いえ。何でもないですすいませんお仕事の邪魔をして」
「いや、構わない。プライマー・ホワイトリリィ、君は遠慮をする傾向が強い。出来ない事は僕達に頼っても良いのだぞ?」
その言葉にロロは頷いた。
「そうだよー。僕みたいにサイロ君にどんどん要求して良いと思うよー。んでサイロ君。僕の頼んだ……」
「ロロ。君こそプライマー・ホワイトリリィを見習うと良い。どうして会費で君専用の寝室を用意せねばならんのだ!」
そうサイロは声を荒げた。
「ありゃ。駄目だった?」
「駄目に決まっておる! せめて学ぶ事に役立つものを要求すると良い。……一応寝袋は用意しておいたからどうしても限界の時は僕に言うと良い」
そう言い残しサイロはリリィの方に目を向けた。
「えと、私達は同格じゃないですか。それなのにお願いばかりするってのはどうも気が引けまして」
そうリリィが苦笑いを浮かべ困った様子で答えるとサイロは微笑んだ。
「うむ。そうだともプライマー・ホワイトリリィ。僕達は完全な同格だ。お互い魔法の世界に入門した証であるプライマーなのだから。だが、今この場で言えば僕は先生達の代理でもある。だから遠慮はいらないぞ。もちろん、自分で出来る事は自分で行うのが原則だがな」
「ですが……プライマー・サイロはいつも皆の準備で忙しいために、自分の事が出来ないじゃないですか」
その言葉にサイロはきょとんとした顔を浮かべた。
「……何を言っているのだ? 同胞達が学び成長する事もまた自らを高めるのに重要な要素であろう? 現に皆、僕に色々と教えてくれているから僕はプライマーになれた。そういう訳で相互に助け合っているのだから、僕が誰かの為だけに生きている訳でもなければ特別忙しいという事でもないぞ?」
そう常に全員分の依頼を受け面倒を見るサイロは平然と言い切り、リリィに苦笑いを浮かべさせた。
「さて、クロスとラフィールだったか。君達の見学の理由は魔法の入門と言う事で良かったな?」
「え、あ、俺はそうだけど……」
そう言ってクロスはラフィーを見た。
「私はただの付き添いだから気にしないでー」
そうラフィーは言葉にした。
まだ明かす時じゃない、と言う事なのだろう。
「そうか。残念だが君の方は……いや、才能と学びは関係ないな。ではクロスよ。魔法という物を見てみたくないかね?」
そうサイロが言葉にするやいなや、クロスはキラキラと少年の様な瞳でサイロを見つめた。
「ロロが星を見る時の様な顔をするのだな君は。……良いだろう。プライマー・ホワイトリリィ、彼に君の占星魔法を見せてやってくれないか?」
そう言われリリィは驚いた表情を浮かべた。
「え? 私ですか!? でも私の魔法はどれも地味過ぎません? いや確かに便利ではあるのですけど……」
その言葉にロロは何度も頷いた。
「うむ。だが、日中で魔法が使えるのは僕と君位であろう」
「プライマー・サイロの方が分かりやすくないです?」
「何を言っておる。当然僕も魔法を使う。君一人に押し付ける訳がないであろう。ただ、色々と見た方がクロスの参考になると考えてな」
そうサイロが言うとクロスは尊敬の眼差しを向けた。
「……サイロ、いやプライマー・サイロ。あんた最高にかっこいいぜ……」
そんなクロスにサイロは冷ややかな目を向けた。
「現金な奴だ。だがそれ位分かりやすいのは好感が持てる部分でもある。……まるでロロがもう一人増えたみたいだ」
そう言った後、サイロは小さく溜息を吐いてリリィの方を見つめた。
「と言う訳で、お願い出来るだろうか?」
その言葉にリリィがおずおずと頷くと、部屋にいた十人位がリリィの周りにごそっと集まって来た。
「うわっ。何だこりゃ」
唐突にぎゅうぎゅう詰めとなった事に驚きながらクロスは呟いた。
「あはは。私の魔法は星を見る人達には便利な物だから。まあ……ちょっと見ててね。準備を……」
とリリィが呟いた時には、大きなテーブルの上に大きな羊皮紙が一枚、その手前に平たく青いガラス玉が数十個とそれらよりも少し大きな赤いガラス玉が準備されていた。
「準備しておいたよ。ささ早く早く」
ワクワクとした顔でロロはそうリリィを急かす。
ちなみにロロの表情は現在期待に満ち溢れているクロスと全く同じだった。
横に並ぶと異種族にも関わらず兄弟の様である。
「ふふ。では……拙いものですが、どうかご観覧あれ」
そう呟き、リリィは透き通り良く響く声で詠唱を始めた。
「彼方の先、悠久の時を流るる遠き海。光なき世界の果て、揺蕩う光。声なき歌よ。我が歌よ。夜の光を指し示さん……」
ゆっくり、ゆっくり、まるで歌う様に読み上げた言葉に釣られてか、無数のガラス玉がカタカタと音を鳴らして揺れ動き……そしてガラス玉は羊皮紙の上に移動を始めた。
「未知の光。未知の光。未知の光。未知の光。四度繰り返す先は光なき常闇の世界。見えずとも揺蕩う光。涙を流す月……」
まるで歌の様に心地よい響きに聞き酔いしれ、その時は一瞬にしか感じなかった。
そして終わった時には、青いガラス玉の大半は羊皮紙の上に乗り動かなくなっていた。
「はい。これにて終幕となります。お粗末様でした」
そうリリィが言うとクロスはパチパチと小さく拍手をする。
それに合わせて見ていた全員が拍手をし、拍手は大きく一つの音となった。
「あはは……お見苦しいものを……」
「いやいや。凄い良い歌だったよ。ねぇ」
そんなクロスの言葉に皆が頷き同意した。
「いや、魔法の方を見てやれよ。せっかく君の為に行使してくれたのだから」
呆れ顔でサイロはそう言葉にした。
「あ、そか。だけど俺専門外だからさっぱりわからなくて……何か凄いなーってのはわかったけど」
「うむ。これは五日後の深夜に見える星図、ここから見える星の位置を示しておる」
「へー。んじゃ、動かなかったこの赤いガラス玉は何を示してたんだ」
そう言葉にしクロスは赤いガラス玉を手に取った。
それはひんやりとしたガラス特有の心地よさはなく、何だか生暖かくて若干柔らかかった。
「ああ、赤い石は目的の星です。今回の場合はロロさんの希望で梟座の一等星『プーマ』を探していました。まあ出てきませんでしたけど」
そう言ってリリィは優しく微笑んだ。
「残念ー。でもありがとね調べてくれて」
そう言いながらロロは人が変わった様な真剣な顔でその星図をメモしていた。
ロロだけでなく他の数人も真剣な表情を浮かべている辺りこの羊皮紙にある星海の図は天体を知る者にとってとても重要な事なのだろう。
「さて、次は僕の番だ。僕の魔法はわかりやすいぞ。何と言っても天体と関係が一切ないからな。純粋に、僕は魔法使いになりに来た」
「天文学かじった場所に純粋に学びに……?」
ラフィーは誰にも聞こえない様そう不思議な顔で呟いた。
「おおー。わくわく」
そうクロスは口で言って期待を示す瞳を向け、それにサイロは気を良くする。
だが、今回は他の誰も乗ってこないし関心を示さない。
どうやらクロス以外、誰も興味がないらしい。
「では行くぞ。しかと見るが良い!」
そう言葉にし、サイロは右腕をクロスの方に向け伸ばした。
「呪文の断片。境界の空。万物の理……」
ぶつぶつと呟くサイロだが、先程と違い誰も何も関心を示さない。
それでも気にせずサイロはずっと呪文を唱え続けていた。
「……ありゃー。これ長いわよ」
そうラフィーは呟いた。
「そうなのか?」
「うん。呪文の断片を束ねも纏めも略しもせず使っているし色々と言葉が右往左往してる。その上意味のない言葉も混ざっているから」
「コードってのは?」
「呪文を使う時のキーワードみたいなもの。基本は物質を示す四元素と状態を表す三態。合計十二通りを組み合わせて一つのコードを作ってそれを混ぜるのが魔法の基礎だけど……組み合わせずそのまま唱えてる。だから長いよー」
「そうかー。でもせっかく俺の為にやってくれるわけだしちゃんと聞いてみるよ」
そう話しながらの間でも一切気にせずずーっと詠唱をし続けているサイロの方にクロスは意識を向けた。
「んじゃ、私はあっちでお茶飲んでくるねー」
そう言ってラフィーは離れた場所にあるお茶会にするーっと参加していった。
周りは一切反応を示さない。
そして、サイロ自身も一切回りに反応をせずただただ呪文を唱え続ける。
周りがどれだけ大きな音を出しても、周りに何かあっても一切反応しない。
反応しないというよりも、気づいてすらいない。
それだけひた向きに呪文を詠唱していた。
それは、それだけ魔法が好きなんだという証左であった。
だからこそ、クロスは退屈と思っても、じっとサイロの方を見続けた。
そしてそんな時間が十分を過ぎた辺りで、サイロはぴくりと体を動かした。
「……紅光、紅闇、紅無。合わせ重ね、今解き放つ。炎よ!」
そうサイロが言葉にすると、ぼうっと音を立てサイロの手から小さな焔が生まれた。
大体五センチから十センチ位の真っ赤な炎、それはゆらゆらと優しく燃え上がっていた。
「ふぅー。どうだ!?」
そうサイロがクロスに尋ねると、クロスはどう反応したら良いかわからずとりあえず小さく拍手をしておいた。
サイロはまんざらでもなさそうな表情をしていた。
「うむ。まあこれ位はすぐに出来る様になるだろう。しっかりと研鑽を重ねればだがね。何か聞きたい事があればこの僕が説明しよう。さあ何かないかね!?」
そう言ってクロスをじっと見つめるサイロ。
どうやらお世話を焼くのが相当に好きらしい。
「あ、じゃあ四元素と三態について教えて貰えるかな?」
とりあえずさっき聞いた言葉をそのまま使ってクロスはそう尋ねた。
「……プライマーは知らないのにそっちは知っているのか。魔法の基礎でもかじっていたのか?」
「いや。ちらっと聞いただけで内容はわからん」
「そうか。まあ良い聞かれたなら説明してやろう。四元素はこの世界を構成する四つの元素を『色』で表したものであり三態は物質の状態を三種類に分けたものだ」
「ほうほう」
「具体的に言えば、四元素は『紅』『蒼』『碧』と『無』で示され、三態は『光』『闇』『無』で示す。ここでいう色も状態も実際のそれとは意味が大きく異なるから同一視しない様気をつけるのだぞ」
「ん? 例えば色の赤と『紅』って意味が違うのか?」
「うむ。例えば炎の主元素は『紅』で合っているが林檎の赤色は『蒼』と『碧』が混じって出来ており『紅』は関係ない。ちなみに林檎自体は『碧』が主元素だ」
「へー。なるほどねぇ。赤でも意味が違うと赤の元素って訳じゃないと」
「うむ。そして『光』と『闇』もまた実際の意味とは大きく異なる。『光』とは空から差す光ではなく状態の事であり具体的に言えば……」
「ああ、ストップストップ」
「む。どうした?」
「いや……悪いが……そろそろ俺の頭じゃ限界だ。もう茹りそう」
そうクロスが呟くと、サイロは困った顔をしだした。
「す、すまん。とりあえず冷たい飲み物を持ってくる。それでゆっくり休んでくれ。今日の講義はここまでとしよう」
そう言った後サイロは慌てて水の入ったグラスをクロスの前に用意し、そのままいそいそとその場を離れていった。
「……何か、悪い事したかなぁ」
クロスは罪悪感を持って離れたであろうサイロの方を見ながらグラスを傾け口に運ぶ。
その水は、喉が縮み上がる程キンキンに冷えていた。
その後、リリィの研究の手伝いを行い、サイロの繰り返される自慢話を聞き流し、ロロをもふもふし、昼食を食べて、知らない女性に声をかけてラフィーに怒られて……。
そんな賑やかな時間を過ごし午後四時となった。
天文学という分野とその状況からこれからが本番なのだが、残念な事に帰りの事と安全の事を考えるともう帰らなければならなかった。
「プライマー・ホワイトリリィ。君が居た方がきっと皆助かるのだが……。もちろん見学者の二人もだ。僕にはわからないが星を見る事に夢中になる人がこんなにもいるのだ。きっと君達も気に入っただろうに」
そう塔の入り口で見送りながらサイロは残念そうに呟いた。
「すいません。色々と諸事情がありまして……」
そうリリィが呟くとサイロは頷いた。
「うむ。わかっている。また時間がある時皆に付き合って欲しい。僕では星の事はまったくわからないからプライマー・ホワイトリリィがいた方が助かる。では見学者の二人も。興味があればまた来ても良いし暇があるなら会員にでもなると良い。ここは緩いからな。天体望遠鏡で空が見たいという理由ですら会員になれる」
「うーん。それは本当に魅力的……でも私はパス。立場とか面倒な事一杯あるし」
「俺は前向きに検討かなー。そもそもまだ魔法的には成人していないし」
そう二人はサイロの問いに答えた。
「そうか。……ラフィール。君とはあまり話せなかったからまたいつか、今度は君にも授業を行ってあげよう」
「あ、うん。その時は……うん。お願いします」
ラフィーはそう答えぺこりと頷くと、サイロは満足そうに微笑み頷いた。
その様子を見て、リリィはレモンをかじった様な酸っぱくも渋い表情となっていた。
「じゃ、またなサイロ!」
そうクロスが返すと、サイロは小さく手を振る。
それを見た後、三人は行きの時と同じタクシーに頼む為タクシーの受注所に向かい歩き出した。
何となく、サイロがずっと見送っている様な気がして気まずくて、三人は建物が見えなくなるまで振り向く事が出来なかった。
「あのさ、一つ尋ねて良い?」
クロスが尋ねるとリリィはこくりと頷いた。
「サイロってさ、最初すげー上からだったのに気づけば何か下手に出てたんだが……。どういう心境の変化?」
その言葉にリリィは苦笑いを浮かべた。
「……えっと、その……初対面の人にマウントを取ろうとするんです。要するに……」
そこまで言われて、ようやくクロスは合点がいった。
「ああ。あれ、人見知りだったのか」
その言葉にリリィは苦笑い混じりに頷いた。
「なるほどねー」
そう呟き、クロスは納得した様な表情で何度も頷いた。
「あのさ……私も一つ良いかな?」
今度はラフィーがそう言葉にするとクロスとリリィはラフィーの方に目を向けた。
「あのサイロって奴、まあ良い奴だったよね?」
その言葉に二人は頷いた。
「はい。事情はあまり話せませんが……あの会で災難にあいまして、皆が挫けた時にサイロさんだけがずっと立ち続けて全ての悲しみを背負いました。先生も皆落ち込んで、何も出来なくて。その時でもサイロさんだけはずっと立ち向かって……。ですので、あの会でサイロさんの事を嫌いな人はいないんです。あんな性格ですけどね」
そう言ってリリィは困った顔で、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「なるほど……。リリィちゃんはサイロの事が好きなのか」
ニコニコしながらそうクロスが言葉にすると、リリィは唐突に真顔となった。
「尊敬し敬愛はします。素晴らしい人だとも思います。ですが、異性として見れば心から遠慮したいです」
それは、普段遠慮がちなリリィとは思えない程強い言葉使いと冷たい声だった。
「え、あ、はい」
喜んで良いのか悲しんで良いのかわからないクロスはそう呟き曖昧に微笑み誤魔化した。
「それでラフィーさん。サイロさんがどうしました?」
そう話しかけられ、ラフィーはわざとらしい程に大きく溜息を吐いた。
「えっとね……サイロが良い奴だったから……私も魔法が使えるってバラすタイミングを失ったなーって思って」
「ああ。……楽しみにしてたもんな……」
「うん……ねぇねぇどんな気持ち? 才能がそれなりって言った相手に負けるのってどんな気持ち? ってしようと思ったけど……そんな雰囲気にならなかったし……というかそれしたら罪悪感ががが」
そう呟き、ラフィーは再度溜息を吐く。
その様子を見てクロスとリリィは顔を見合わせ、同時にくすりと噴き出した。
魔王城に戻ってから、ラフィーはいつものローブ姿に着替えアウラに戻った。
今までの気軽な言葉遣いもなく、わがままも言わないいつものアウラに。
だけど、いつもよりか少しだけ、陰が少なく嬉しそうにしている様な……。
そんな風にクロスは感じた。
ありがとうございました。




