歴代最強の勇者と、そのシーフの余生
偉業を成し遂げた王。
人類の救世主。
神が遣わした天使。
王の中の王。
人類の守護者……。
偉業が果てしなさすぎる為、その者を表す呼び名は今も増え続けている。
しかしそのどれもが彼を表すのには、彼の偉大さを表すには不足していた。
故に、彼を最も適切に表すならたった二文字となる。
人は彼を『勇者』と呼んだ。
民を救い、魔王を討伐し、王となり治世する彼を正しく褒め称えるのに余計な言葉はいらない。
というよりも、かつての先人にこれほど偉大な者がいなかった為、言の葉に例えられない。
だからこそ、ただ勇者と呼べばそれは彼だけの事を示し、それだけで民は彼に平伏し彼を称える。
魔王を倒し、無限に等しい寿命を持ち、一国の王となり権力と武力を用いて人間世界のバランサーとなった彼は平和の調停者と呼ぶに相応しい活躍を続けていた。
この時代の人類は類を見ない程に幸せであろう。
法を破る者、悪用する者、民を蔑ろにする貴族、王、犯罪組織。
その全てがクロードのターゲットとなる。
だからこそ、歴代で類を見ない程に平和で、幸せな者が多くその恩恵にあずかった皆がクロードを褒めたたえる。
それでも、全人類を幸せにするのに、クロードの手は短かった。
救いの手を零れた者、犯罪をしなければ生きられない者、それに何より、最も救われない者がすぐ傍にいた。
クロードは独り、王の象徴である玉座に座り虚空を見つめる。
ここ数年、クロードは用事のない時はずっとこの椅子に座り続けていた。
それを民は私を捨て国務に勤しむ真の王であると喜ぶが、それは少々正解とは異なっている。
クロードは私を捨てたのではなく、私と呼べる程の感情を持ち合わせていなかった。
世界を幸せにする為だけの舞台装置となったクロード。
その幸せは、悲しい事にこの世界にはもう存在していない。
そしてクロード自身赤の他人を幸せにしたいなんて謙虚な心を持ち合わせていない。
だから本来ならさっさと自害し終わりを迎えるのだが……約束がありそれすら出来ない。
だからこそ、クロードは待っていた。
空虚な心が限界を迎え、風化し塵となって消え去るその時を、ただ平和の為の舞台装置となって。
そこに幸せなど、ある訳がなかった。
それでも、クロードにはそれしか、平和を愛するクロスに対して出来る事はもうそれしか残されていなかった。
クロードの心は、もう人のそれではない。
例えるならば、砂漠の砂だろう。
砂が人の形をした様なもの、それがクロードの心である。
そして、その砂に潤いを持たせ人とする事が出来る人物は、もうこの世界にはいない。
ここにあるのは、風化する時をただ待ち続ける空っぽの心、それだけだった。
朝なのか昼なのか夜なのか。
それすらわからない荘厳な室内にて、クロードは玉座に座り続ける。
今体感している時間は早いのか、遅いのか。
ここに座り何分が経ったのか、何時間が経ったのか、何年経ったのか。
何もかも曖昧なまま、クロードはただ時間が過ぎるのを待つ。
その様子は虚無と呼ぶ以外表しようがなかった。
「世界最強の勇者。人類の救世主。幸せをもたらす王の中の王。でも、自分の幸せだけは絶対に訪れない。何というか……哀れよねぇ」
そう呟く声を聴き、クロードはその方角に意識を向ける。
怒りも嘆きもない、感情を示さない瞳で。
その双眸を見ると民達は慈愛に満ちた顔と言う。
だが、声をかけた主はそれが慈愛などではなく、無気力なだけであると正しく理解していた。
何故ならば、自分も同じだからだ。
「……メリーか」
その言葉にかつての仲間であったメリーはニコニコとして手を振った。
「はぁいグリーヴ国王様。それともブレイブ・クロードの方が良かった?」
「好きに呼んでくれ。どうでもいい」
「んじゃいつも通りクロードで」
「それで、何の用だ? 俺達はもう仲良くおしゃべりをする関係ではないだろう」
そうクロードは吐き捨てた。
かつての仲間であっても、そこにはもう絆はない。
かつての仲間四人、クロード、ソフィア、メディール、メリーは不俱戴天の敵同士であり、醜い政略争いの尖兵の様な物である。
とは言え、そんな四人であってもお互いに絆を感じられた時も、友情を確かめ合った時も確かに存在した。
だがそれは、クロスという最高の仲間がいた時である。
クロスがいた時は、クロードもメリーもお互いを友と思っていた。
確かに相容れない関係であり、お互い敵であると言い換えても良い。
それでも、クロスがいたなら彼らは友情を確認し、そして好敵手であり仲間として仲良く過ごす事が出来ていた。
そのクロスがいなくなった今、友情を感じる事はあり得ない。
元々残っていた憎しみと敵愾心、そしてクロスを共に失った憐憫。
それ位しか、もうお互いに感じなくなっていた。
「擦り切れちゃってさー。何? 寂しい? なら私が慰めてあげようか? カ・ラ・ダで」
そう言ってメリーは前かがみになり、艶っぽい笑みを浮かべる。
幼い顔立ちから浮かび上がるにはおかしいその妖艶さには確かにミステリアスな魅力があり、彼女の事を好きでなくても男ならフラっと来てしまうだけの何かがあった。
正しく、蠱惑的。
それは誰であっても罠とわかるのだが、それでもこの罠にはわかった上で多くの男性はひっかかるだろう。
あくまで普通の男ならば、だが。
「クロスに捧げる処女はもう良いのか」
その言葉に、メリーは顔を強張らせ歯を食いしばる。
それがどれほど悔しくて、どれほど苦しいのか男であるクロードにはわからない。
だが、いつも飄々として演技めいた態度しか取らないメリーの生の表情が浮かぶ位には辛いのがわかった。
それでも、その程度では同情すら浮かばないが。
「……ふぅ。はいはい、んじゃとっとと本題行きましょうか。メディールが抜け駆けしたわよ」
その言葉に、クロードは眉をぴくりと動かした。
「抜け駆け? もうクロスに関しての情報は何もないだろ」
彼らにとっての共通事項とは、クロスのみである。
だからこの場合もクロスについて話しているのはわかるが、抜け駆けと言える程クロスの情報が残って、クロスに対して出来る事が残っているとはクロードにはとても思えなかった。
「……ご両親共に生きてたわ」
「まさか……クロスの父君と母君がか!?」
クロードは驚きの表情と共に席を立つ。
クロードも昔クロスの家族については調べた事がある。
だが、全く見つからなかった。
それでも、その高年齢に加えてクロスが孤独死させられるという謀略渦巻く渦中という意味で考えると、生きてはいまいと思っていた。
「ふふ。魔王討伐の後に色々状況が煩わしくて身を潜めてたんだって。……メディールは真っ先に会いに行って謝罪したらしいわ。守れなくてごめんなさいって」
「また傷を抉る様な事を……。ご両親は何と?」
「当然、『気にしないで欲しい』って。クロスの親だよ? そりゃ……良い人に決まってるじゃない。私達と違って……」
メリーはそう、寂しそうに呟いた。
「……そうだな。俺達と違って、あのクロスの親御さんだもんな。少しだけ、ほんの少しだけ生きる気力が湧いてきたよ。クロスの代わりにあの方々が静かな世界に向かわれるまでは護らないとね」
そう呟き、クロードは勇者の頃良くしていた微笑を浮かべた。
「そうね。私の方も出来る事はしとくから」
「……それはそれとして、俺も謝りに行った方が良いよな? 俺がリーダーだった訳だし」
「それそれ。それを言おうと思ってたの。絶対謝ったら駄目だよ?」
「どうしてだ?」
「メディールを問い詰めた後ね、私も謝りに行ったの」
「何それずるい」
「……てへ。ま、それは置いといて。……置いといてね。その時さ、凄い腹立たしいけど、クロードの事聞いたんだ」
「ご両親から? 何て?」
「息子の心からの親友だって。手紙でいっつもクロードの事書いてたってさ。それも、勇者としてじゃなくてただの人間、クロードとして。一緒に馬鹿やって、一緒に笑って。楽しかったって……」
そう、メリーは言葉にする。
ただそれだけの事、その程度の事を聞いただけなのにクロードの目から涙が零れていた。
久方ぶりの、人間らしい感情。
悲しみ三割、寂しさ三割、守れなかった悔しさ三割、そして嬉しさ一割。
もう何年も感じていなかった、嬉しいという感情に、クロードは激しく揺さぶられ泣かずにはいられなかった。
「……ごめん」
メリーにしては珍しく、素直に謝った。
その気持ちが痛い程にわかるからだ。
数年に一度、メリーも泣き叫ぶ時が来る。
一日中部屋にこもり、苦しさと悔しさ、後悔、そして会いたいという衝動に身を裂かれる様な苦しみを覚え、ただただ泣き叫ぶ。
体が、心がクロスがいないという事実に堪え切れない。
それでも死ねない、死ぬ訳にはいかない。
クロスの代わりに煉獄の時を、朽ちるその時まで過ぎなければならない。
それがクロスを護れなかった四人に残された贖罪であるからだ。
「いや。大丈夫だ。ありがとうメリー。教えてくれて。そうだ。俺は、クロスの親友だった。誰が何と言おうと、他の誰でもなく俺達はそう思ってたんだ」
そう言葉にし、クロードは泣きながら微笑む。
その笑みは王としての威厳がない、まるで少年の様な笑みだった。
「ん」
メリーはそれだけ言葉にし、頷いて微笑み返した。
「んじゃ。今度クロスの親友! としてご両親に挨拶に行こうかね」
「……腹立たしいけど、良いと思うよ」
「ふふん。クロスにとって一番近いのが俺だと証明された訳だしな」
「……うん。やっぱりあんた殺しておけば良かった」
メリーはそう言葉にし、嫉妬という殺意のナイフを当たり前の様にクロードに向ける。
それは懐かしき楽しかった日々の様で、二人は少しだけ嬉しかった。
「ご両親の事せっかく教えてあげた訳だしさ、一つ聞いても良い? 良いよね」
メリーは恩着せがましくそう尋ねると、クロードは興味なさそうにメリーに目を向けた。
クロードの気分は完全にお友達の家に向かう少年の様になっていた。
「何だ?」
「結局さ、勇者と勇者派閥、勇者機関。それらって一体何だったの?」
そう、メリーは言葉にした。
まだクロスと会う前、盗賊ギルドとしてメリーは勇者について調べた事があった。
世界でただ一人、神に認められた戦士。
偉大過ぎる力を持つ最強最悪の暴力装置。
それが一体どのような物で、どのように生み出すのか。
その事を利用する為、また魔物に伝える為盗賊ギルド総力で調べたのだが答えが見つかる事はなかった。
「今なら調べたらすぐわかるぞ」
「あ、そうなの?」
「ああ。それらなら俺が皆殺しにして全部破壊しつくしたからな。だから秘匿する物も秘匿する人間ももうないぞ」
「そか。でも調べるの面倒だからクロードおせーて」
子供が甘える様な仕草にクロードは嫌そうな顔を浮かべ溜息を吐いた。
「……しょうがないな。んじゃ、とりあえず前提からだ。神様ってのはどうやら特別優しい存在らしくてな。勇者を認定する方法を特別簡単にしてくれたんだ。誰にでも出来る様にな。その結果何が起きると思う?」
「誰でも出来るんでしょ? それならその情報の独占。自分達だけが勇者を生み出せると権威持てるよね。そりゃそうするわ。それが勇者機関、教会の勇者派閥の原典って事?」
「そういう事。んで、勇者という殺戮マシーンを作る権威を持ったら次はどうするか、そりゃ勇者を洗脳するわな。ついでに言えばそいつらにとって便利な道具である勇者がいない時って困るよな。だから勇者を早く招きたいよな」
「あー。何となくわかった」
「まあ待て。ここからが面白いところだから」
そう言ってクロードは笑い、当たり前の様に淡々と自分達に起きた事を説明しだした。
一部の権力者は神から与えられた勇者を認定する権利を自分達で独占した。
それにより、自分達が神の代理人であるという証明をする為に。
だが、それは決して勇者を生み出すというものではない。
ただ認めるだけの為、勇者としての素質、能力を持った者を探さなければならない。
当然、自分達の権威の為に。
彼らは得た権力を用いて勇者を世界中から探してまわった。
探して、丁重に招き、自らの権力を確固たるものと変えていった。
勇者は時に見つかり、時に見つからず。
そういった長い歴史が過ぎ、権力者が何代も代替わりしていく。
それでも、変わらないものがあった。
時の権力者の、権威への執着である。
そしてその執着故、彼らは発想を切り替えた。
勇者が必要なのならその度に探すのではなく、勇者を作れば良いと。
「んで、教会は勇者として資質ありそうな子供をかたっぱしから手に入れていった。時に説得で、時に金で、そして時には非合法的な方法であいつらは子供を集めた。俺もその一人だ」
「……集めた方法はまあ予想付くとして、それで子供を集めてさ、どうやって勇者を作ったの?」
「工程は三つだ。オーバーワークを通り越した致死率八割の過密スケジュール。それに生き残った者同士での本気の殺し合い。そうやって残った上澄みを最後に洗脳して、勇者候補の出来上がりと」
「その中で一番優秀だったのがあんたって訳ね」
「んー。俺が勇者に選ばれたのは優秀さとは関係ないぞ」
「違うの?」
「ああ。俺が選ばれたのはむしろ、俺が一番不真面目だったからだな」
「そうなの?」
「ああ。途中から命令してくる大人共が馬鹿だと気付いてな、要領良く生きてきた。こんなとこで死ぬのは馬鹿馬鹿しいと思ってな。適当に手を抜いて、大人達からは純情で騙されやすい演技をして。そんで長生きしてたら選ばれた」
「……そか。選ばれなくて生きた奴らってどうしてるの?」
「お前も知ってるだろ。勇者派閥でやけにはつらつとした笑顔で自己犠牲を繰り返す若者共を。あいつらだよ」
「……あの、勇者様の為に、世界の為にってしょっちゅう言ってる頭花畑の?」
「そう。幼少時の苦しみと洗脳で真面目な奴らは皆ああなっちまった」
「……勇者というか蠱毒ね完全に。本当碌でもないわ。んで、それやってた馬鹿共はどうしたの?」
「子供を拉致して殺し合わせる様な、そんなクロスが嫌いそうな奴らを俺が生かしておくと思うか?」
「思わない。クロス子供好きだったもんね。にしても、あんたも大変ねぇ。今は世界の守護者様で、幼い頃は汚い大人の小道具なんて」
その言葉に、クロードは鼻で笑った。
「そりゃお前も一緒だろうが。いつから盗賊ギルドの道具になってたんだ?」
「さあ? 生まれた時からじゃないかな?」
そう当たり前の様にメリーは答え、笑った。
「んで、いつまで道具だったんだ?」
「そりゃ、クロスに出会う前までだよ」
「出会った後は?」
「私も、盗賊ギルドも、クロスの希望を聞く道具だけど?」
そう言葉にすると、二人は沈黙して顔を見つめ合う。
そして……二人は同時に噴き出した。
全く同じ境遇で、全く同じ生き方をしている事が、二人にはやけに面白かった。
「どうせなら全員で行くか。クロスの仲間全員で。ご両親に会いに行って、思い出話をして、最後に墓参りでもしてさ」
そうクロードが提案するとメリーは微笑み頷いた。
「良いね。メディールの方には連絡しとくからソフィアにはそっちからよろしく」
「わかった。……土産は何が良いかな。あんまりすさまじいの持っていくと困るよなぁ……」
「例えば何持ってくつもり?」
「宮廷料理人」
「……何で?」
「お年寄りは食事を用意するのが大変って聞いたから」
「……そりゃ困るわ。料理人もクロスのご両親も。せめてその料理人が作ったデザートにしたら」
「わかったそうしよう」
「んじゃ。またねクロード。せめて私よりは長生きしてよね。世界の守護者なんだから」
そう言ってメリーは手をひらひらと振り、音もなく扉すら開かずこの部屋から煙の様に消え去った。
「……さて、俺は何時まで生きなければならないんだろうな」
自嘲でしかない笑みを浮かべ、クロードはいつもの様に玉座に座り虚空を見据えた。
クロスと共に生きようと思い、永劫の時を過ぎても老いない肉体を四人は手にした。
手にしてしまった。
それは肝心の人物を失った四人にとって、ただ拷問の時間を延長しただけに過ぎなかった。
ありがとうございました。




