凡庸中庸、そして欲深い、つまるところただの人
無色の魔力を有色に変換する作業のことを、魔力を構築するとも言う。
不純物の多く混じる荒々しい無色の魔力から余計な物をそぎ落とし、純度をより高く、それでいて自分だけの魔力に変換する。
濾過作業と色付けを同時に行うと思えばおおよそ間違いがない。
その有色の魔力が体内を循環する状態が魔力的な意味での成熟期となる。
本来ならそれはある時期を過ぎればどの魔物も無意識下で行う事が出来る様になる。
だが、クロスの場合意図的に成熟期を起こそうとしている為、目指している物はその遥か先にあった。
自らの意思で有色の魔力を体内に巡回させる。
それを為すには幾つか方法があるのだが……そのどれもが決して容易い方法ではない。
例えば、シンプルに精神統一を行い、無色の魔力を生み出し続け同時にその感情を抑えきる。
燃える様な感情を強く引き出し続けながら延々と抑え続ける。
それを続けられるようになれば自然と青い炎の様な感情が生まれ、冷静に怒る事が出来る様になり有色の魔力を自らの意思で生み出せる様になる。
それをクロスも一度試してみたのだが……その場で嘔吐しぶっ倒れ二時間ほど意識を失った。
元々激しい訓練で傷だらけでの無茶に体が耐えられなかったからだ。
とは言え、例え万全であろうと成功する可能性は限りなく低い。
結局一番成功率が高いのは、今まで通りとにかく強い相手と戦い体を痛め苦しめ続ける事。
一番しんどい方法こそが、悲しい事に一番楽な道だった。
ちなみに、成熟期が過ぎれば誰でも自然と有色の魔力が発生する様になるが、自らの意思で望むままに有色の魔力を生成出来る魔物は全体の二割にも満たない。
それを成し遂げるためには、才能は当然必要であり、今クロスが味わっている様な苦痛極まりない努力もまた必要であるからだ。
ただし、多くの魔法を行使する場合には最低限の基本的技能でもある為に、魔法使いと称される者は皆それを当たり前の様に行うが。
肉体を痛め続ける無茶な訓練に加えて、魔力回路を爆発させるような有色の魔力生成訓練を行ったクロスはとうとう限界を迎えた。
恐ろしい事に本人に自覚はないが、数々の軍人を輩出したと同時に忠実なるメイドのメルクリウスはここがクロスの本当の意味での限界ポイントであり、これ以上同じ事を続けたら蓄積したダメージにより大惨事に繋がりかねないと理解し、クロスに肉体、精神を癒す為の休暇を与えた。
実際肉体の疲労に多少の不安を感じていた為その提案はクロスにとってもありがたい事であるのは確かである。
だが……疲労なんかよりクロスには懸念している事があった。
「あの……大丈夫でしょうか?」
食事中アウラにそう声をかけられ、クロスは自分がスプーンを持ったまま固まっていた事に気が付き我に返った。
「ん? あ、ああ。大丈夫。悪い心配かけた」
「いえ。それは良いんですけど……やっぱり無茶が続いて体が辛いのでしょうか? 色々と報告は聞いておりますが……」
おろおろとした様子のアウラに対しクロスは首を横に振った。
「いや。遠慮とか誤魔化しとかなしに本当に全く痛くない。というか逆に痛くない事が怖い」
ヨロイにボコボコにされる訓練の後有色魔力を作ろうとして失敗し意識を落としてわずか三時間。
本来なら肉体がボロボロになっているはずなのに、どこも痛くないし体も傷がないと思える位思い通りに動く。
それはクロスから見ても少々じゃない異変である。
その言葉を聞き、グリュールがそっと立ち上がった。
「クロス殿。悪いが少し体に触れるぞ」
そう言葉にし、グリュールは背中の心臓付近に手を当てそっと目を閉じた。
「これはまた……」
そう言葉にし、グリュールは顔を強張らせ、険しい表情のまま押し黙った。
「え? 何俺の体そんなまずい感じなの? あの、グリュン殿?」
その言葉に我に返り、グリュールはクロスを安心させる為笑顔となった。
「いやすまん。考え事をしておっただけじゃ。体の方は全く問題ない。おそらく無色とは言え魔力を探知、生成出来る様になった事が作用しておるのだろう」
「流石本職」
「……いや、私は別に医者ではないぞ」
「大魔導士でしょ?」
「いや。そう呼ばれた事もないが……」
「え? その外見で?」
ローブを纏う険しくも穏やかな顔立ちの老人という、どう見ても魔法使いにしか見えない外見のグリュールを見ながらクロスはそう本気で呟いた。
「私は農家じゃと言っておろう。まあ軽い診断位は出来るがの」
「農家って凄い。んで、俺の体は問題ないんですか? 何かやけに傷の治りとか早い様な……」
「うむ。それは問題ない。魔力の叡智に触れた事による作用じゃ」
「んじゃ一時的な感じ?」
「いいや。叡智を忘れぬ限りそのままじゃぞ。そして体で覚えた叡智を我らは忘れる事などない。まあ特異成長とはそういうものじゃ」
「はー。魔物って魔法も薬も使わずこんなに早く傷とか治るんだな。すっごい」
昨日まではメルクリウスにあれやこれやと薬やら治療やらを受けても朝の気だるさと体の痛みは残っていた。
だが、今日はまだ数時間しか経っていないのにほとんど完治している。
だからこそクロスは人間に対する魔物の優位性に苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「いや。無色の魔力を覚えた位じゃ普通そうは変わらないし有色の魔力を覚えた者でもそこまで露骨に再生せんぞ」
「へ? じゃあなんで俺こんなに治癒力高まってるの? 何か軽い切り傷程度なら数分で治りそうな感じなんだけど」
「ま、賢者殿が特別だという事じゃな」
そう言ってグリュールが笑うと、クロスは真顔となりグリュールの方を見つめた。
「俺が特別ってのはありえない。俺は本当の意味で凡人だ。だから何か外部からの理由がある」
そう、はっきりと断言しきった。
適当にお茶を濁す予定だったグリュールはその様子を見て困った表情を浮かべ、ぽつりと呟いた。
「先代魔王の用意した肉体が特別であったという事じゃ。それは――」
「なるほど」
クロスはぽんと手鼓を打ち、納得した。
自分が特別じゃなくて用意された肉体が特別であるなら、クロスは納得出来た。
むしろ特別な肉体に入ったという環境に浪漫すら感じていた。
「……それだけか? 何も聞かんのか?」
「いや別に。言いたくなさそうだし」
そう言葉にし、クロスは普通に食事に戻った。
「……特別と言っても、ラフィール程素質や能力がある訳でもない。精々魔物全体の一割より上くらいじゃ」
「十分過ぎる才能じゃねーか。つまり俺は凄腕の魔法使いになれるのかな」
そう言葉にし、クロスは露骨な程の満面の笑みを浮かべる。
その様子に困惑するグリュールとは反対に、アウラは少年を見る様な穏やかな瞳でクロスを見つめた。
夕食後、自らの部屋に戻ったクロスは顔を顰めたままベッドに倒れ込んだ。
「隠し……通せたかな?」
顔の火照りに内蔵が焼ける様な熱さに苦しむクロスは辛そうにそう呟いた。
これは明らかな異常である。
だが、これは病気ではないしましてや肉体の変調ですらない。
その原因ははっきりと理解しており、またグリュールが『問題ない』と言った事でそれは確信となっている。
そう、クロスは自らの不調を正しく理解している。
だからこそ、誰にも相談出来ずにいた。
クロスの現精神年齢は幾つかは置いておいたとしても、クロスはまがりなりにも死ぬまで生き続けた。
三十か四十か、何歳で亡くなったのかすら覚えていないがその位までは生きてきた。
だからこそ、クロスの精神はある程度以上は老いている。
では今はどうなのか?
精神は引き継いでいるのなら現在老熟した心をしているのか。
答えは否である。
生まれた瞬間から全盛期となる肉体に引っ張られ、クロスの精神はこの肉体同様かそれ以上に活力に満ち、正しく若返っている。
クロスの精神もまた全盛期となっていた。
それだけなら良かった。
その程度なら、何一つ問題はなかった。
そう、クロスの肉体は現在全盛期、人間で言えば十代後半に差し掛かった位である。
それに加えて、クロスの肉体は魔力に触れる事により昨日と比べ物にならない程活性化している。
つまり……現在のクロスは全盛期の肉体に心が引っ張られ、生命体特有の欲望に絡め取られている状態。
ぶっちゃけてしまえば今クロスが苦しんでいる理由は、性欲を持て余しているからに他ならない。
「……きっつ。超きっつ」
人間の時では味わえない様な燃える程の欲情を一身に浴び、クロスは顔を顰める。
優れた肉体であり優れた魔力を持つからこその苦しみであるのに違いはない。
この苦しみは尋常ではない。
だけど、内容が内容だけにこんな事誰かに相談出来る訳がなかった。
原因がわかっている以上簡単な解決方法自体はある。
大人のお店に行けば良い。
というか行きたい。
超行きたい。
だが、そういうお店にクロスが行く事は許されていない。
何故ならば……クロスは魔物の世界のお金を持っていないし、そもそもどんなお金なのかすら知らないからだ。
きっと今の状況を説明し事情を話せば誰かお金位は貸してくれるだろう。
だが……それもまたクロスには許されていなかった。
プライドとか見得とか、そういう話ではない。
居候の身分である自分が女を買うのに金を求めるというのは、あまりにもどうかと思う。
しかも、その集り第一候補は幼い少女にしか見えない現魔王アウラフィール様だ。
それはもう……二重の意味で罪悪感に駆られ死にたくなるに違いない。
アウラが汚い者を見る目を向けても、哀れみの目を向けたとしても、クロスは耐えきれない自信があった。
「……もう少し……もう少し待てば……」
後残された予定は風呂位。
それが終わればこの部屋に立ち入る者は誰もいなくなる。
そうなれば処理位は出来るだろう。
そう思ったクロスは理性を総動員し、自らの爆発しそうな感情を抑えた。
こんこんこん。
柔らかいノックと同時に、仄かな甘さがクロスの鼻元に漂った。
それは食材や植物ではなく生物特有の……もっと言えば女性特有の、甘い香り。
それでメルクリウスが来たのだと理解したクロスは顔を顰めた。
ある意味において、今現在会いたくない二人の内の一人である。
理由は単純、普段ならともかくこの状況で性的魅力の強い女性は色々と毒だからだ。
「失礼するぞご主人。……ん? どうかしたのか顔を顰めなんてして」
入ってきて心配する様子のメルクリウスに、クロスは作り笑いを浮かべて微笑んだ。
「何でもないさ。風呂の時間か?」
「いや。もう少しかかる」
「んじゃ、何か用か?」
「……用がなければ来てはいけないのか?」
そう言葉にし、メルクリウスはそっとクロスの瞳を見つめた。
どこか妖艶であり、蠱惑的。
それでいて生物としての本能か自らを絶対の上位とする様な嗜虐的な笑みを浮かべるメルクリウス。
それを見て、クロスは生唾を飲み込みそっと顔をそらした。
「いや。別に問題ないぞ。ああ、何も問題ない。うん」
そう言葉にするクロスを見て、メルクリウスは微笑んだ。
「そうか。ちなみにご主人。ドラゴンは割と嗅覚が強い」
メルクリスは艶めかしく呟きながらクロスの傍に近寄る――。
それはまるで、捕食者の様な仕草だった。
「あ、ああ。そうなのか。それがどうした?」
腕を組み、頬を赤くし顔を反らせるという明らかに挙動不審のクロス。
そんなクロスにメルクリウスはしな垂れかかり、耳元でそっと囁いた。
「ああ。だから匂うぞ。ご主人の強く熱い感情が……まるで見える様に」
そう呟き、メルクリウスはクロスの耳元で舌なめずりをしてみせた。
「……あークッソ! そう言う事かよ!」
クロスは大声で叫び、メルクリウスから離れ頭を抱える。
それを見てメルクリウスは楽しそうに笑った。
「お前さぁ、分かってるなら揶揄うタイミングとか選べよ! つか落ち着いて冷静に考えてみたら雰囲気とか態度で冗談だってわかるんだよ!」
その言葉にメルクリウスはくっくと意地悪そうに笑って見せた。
「すまんな。そういう性分だ。とは言え、これでも閣下の城で働くメイドであり、忠実なメイドだ。ご主人の為になる物は用意してある」
そう言葉にし、メルクリウスはクロスに青い液体が入ったビンを投げ渡した。
「これは?」
キャッチしながらクロスはそう尋ねた。
「魔力生成による感情制御のポーションだ。成熟期の魔物によっては凶暴性を覚える者や殺意、敵意をバラまく者もいるからな」
クロスは迷わずコルクを抜きポーションを一気に流し込んだ。
「なあ。これって一生飲み続けないと駄目な感じか?」
「いいや。魔力の増幅による感情の増減は初期の、それも一時的な物に過ぎない。ま、三日から一週間位飲めば問題ないだろう」
「そか。……ああ、つまり俺がこうなるのも予定の範疇だったのか」
その言葉にメルクリウスは頷き、そしてくっくと笑って見せた。
「ああもちろん。成熟期前の新兵を鍛えた時、そうなる奴は決して少なくなかったからな。と言っても、持て余す感情が性欲とは思ってなかったがな」
「悪かったな」
「別に悪くないさ。生物として当然であり、また力の源でもある。強者を望む私がそれを否定するわけがない」
「そうか。そう言って貰えると色々と助かる。……なあ。色々恥を晒した上まだ上塗りするのは辛いのだが……ちょっと聞いても良いか?」
「何でも聞くといい。ご主人のメイドである以上私にはご主人の希望を聞き届けるのは職務だ」
自慢げに胸を張りドンと胸を叩くメルクリウス。
それを見て、クロスはぽつりと呟いた。
「……すまん。ポーションを飲んでも全くもって楽にならないんだが。むしろさっきより辛いんだが」
「そりゃそうだ。ポーションは心臓付近に漂い、魔力源からの感情の伝達物質を抑制するだけの効果しかないのだから。さっきより辛いのはご主人にとって魅力的な者が傍におるからであろう」
自信満々な様子で断言するメルクリウスにクロスは顔を顰めた。
「すまん。もう少しポーションについてわかりやすく教えてくれ」
「うむ。ではご主人でも理解出来る様単純に、シンプルに行くぞ。その薬に即効性はない」
「おうふ……。じゃあ今日はこのままか」
そう言葉にし、クロスはベッドに倒れ込んだ。
「……ふむ。ではご主人。今日だけは……私が付き合いその苦しみを癒してやろうか?」
そう言葉にし、妖艶な笑みを浮かべ口の端を人差し指で広げ口内を見せるメルクリウス。
挑発的かつ煽情的な笑みの中にある獰猛な牙。
まさしくメルクリウスという存在を表す様な、そんな表情だった。
「……まじで?」
その言葉にメルクリウスは答えず、クロスの方を見て鼻で笑った。
「……くっそ冗談かよ。わかってるはずなのに引っかかる正直な自分が悲しい」
「くくっ……。とは言え、まるで冗談という訳ではないぞ。そういう事以外でなら解消に付き合おう」
「……具体的には?」
「体力が尽きるまで体を動かせばその悩みから解放される。喜べご主人追加で体が鍛えられるぞ」
「ああ。そっちか」
「んー? そっちと一体どういう事かな? ご主人は一体どんな事を考えたのだ?」
「ノーコメント」
「本当面白いまでに正直だなご主人は。まあ模擬戦すら出来ない程の実力差はあるがまあ……適当にダメージをあんまり与えない様、それでいて疲れ果てるまで位は相手してやるぞ」
「あー。体の疲労がないがそれでも正直何か疲れてるしなー。ついでに言えば色々辛いからそう言う気分にもならないしどうしよ――」
「ちなみに訓練中私の体のどこを触っても私はそれについて一切文句を言わない事を誓おう」
「それで、どこで訓練する?」
一瞬目を離した隙にドアの前に移動し、きりっとしたやる気に満ちる表情でクロスはそう言葉にした。
「……うむ。まあ、別に良い。訓練場を借りている。着いてきてくれ」
苦笑いを浮かべながらメルクリウスはそう呟き、クロスを押しのけてドアを開け外に出た。
結論で言えば、クロスが疲れ切り倒れ終わるまでにメルクリウスの体のどこにも触れる事が出来なかった。
その事がクロスにはやけに悔しくて、強くなる理由をまた一つ増やした。
ありがとうございました。
メルクリウスの時は特にそうですがどこまでがセーフラインか毎回本気で悩みます。
とは言え……地上波でとんでもないアニメをやっているのだからきっとアウトラインはもっと遠くにあるでしょう……たぶん……。




