ヨロイ(後編)
これは訓練などでは決してない。
ただただ片方を大多数で痛めつけ、苦痛を与え続けるだけ。
そんなもの、訓練である訳がなかった。
例えるなら、穴を掘って埋め続ける様な作業。
例えるなら、ドラム缶を押して戻す作業。
繰り返す単純作業により思考を奪い取り、従順な奴隷にする様な作業。
そう、それを正しく表すなら、拷問となる。
絶対に自分の力が及ばない戦力比での一方的な蹂躙。
それを経験すれば例え常人でなくとも、何一つ思考出来なくなるだろう。
だが、それでもクロスは常に思考を重ね続けていた。
自分の能力を完全に超え逆立ちしても太刀打ち出来ない相手であり、どれだけ努力しどれだけ工夫しても一瞬で意識を刈り取られる事に変わりはない。
例えそんな相手であっても、クロスは考える事だけは止めなかった。
絶対に勝てない相手を前にした程度ではクロスは諦めを選択しない。
それはクロスが特別な精神を持ち合わせているからではなく……凡人であるクロスに出来る事など他に存在しえないからだ。
一般人に毛が生えた程度の才能でありながらも勇者の仲間という過大な地位が与えられた。
与えられてしまった。
その仲間達からも同士と認めてくれた。
認めてもらってしまった。
その事はクロスにとって掛け値なしに素晴らしい事であり、人生の誉れである。
だけど同時に、その事実にクロスは劣等感や罪悪感……不安などのプレッシャーと様々な負の感情を呼び起こす。
仲間達と比べ、圧倒的に実力が、実績が足りない自分。
だからこそ、クロスは手段を選ばすあらゆる事を試し強くなろうと考えた。
例えどれだけ自分の寿命が縮もうと、自分がどれだけ苦しもうと、強くなければならない。
強くならなければ彼らの仲間で居続けられない。
そんな強迫観念にクロスは囚われてしまった事もあった。
自分で自分を追い詰める環境にいたクロスは状況次第で……本当に後一歩でも間違えていれば壊れて廃人となっていただろう。
それほど追い詰められていたのだが……それでもクロスは真っ当なままクロスで居続けられた。
クロスのまま、最後の旅まで一緒に居る事が出来た。
その理由は決して難しくない。
勇者達は心の底からクロスの事を大切に思っていたからだ。
大切に思っていたからこそ、クロスの間違いを皆で正した。
最初クロスは無茶苦茶としか言えないトレーニングを重ねた。
睡眠時間を全て削り、肉体を痛め続けていた。
それを見たクロードは淡々と、それでいて心からクロスに説教をした。
ただ心からの心配をしただけでなく、無意味かつ無駄であるとクロードは説明し、それを理解したクロスはクロードに適切なレベルでの……今の自分のギリギリを狙うトレーニングを学んだ。
そして才能は全て開花しきったが、結果は格差が広がり続けるだけに終わった。
続いてクロスが考えたのは薬物による身体強化だった。
それも当然だが、危険性の非常に高いものである。
問題のない範囲の体を鍛える薬は既に仲間達から限界まで使わせてもらっているのだから、後は危険で依存性の高い薬物に頼る他に手はなかった。
そしてそんな危険な薬を使用したその瞬間、ソフィアは即座に解毒の魔法を使用しいつもの柔和な笑みを捨て冷たい目で一言呟いた。
『次同じ事をしたら私と貴方の手を融解させて繋げ、私とクロスさんが二度と物理的に離れられなくします』
その言葉がとても冗談に思えず、本気であると理解したクロスは二度とドーピングには手を出さなくなった。
続いて、体内魔力を増幅する為に邪法と言われる儀式を行おうとしたのだが……実行どころか計画の前段階でメディールがその手を静止させた。
両手を握り、クロスを見つめメディールは呟いた。
『お願い。私の一族みたいな愚かな事は……誰かを犠牲にしての強さなんて求めないで』
普段キツイ口調で上から人を見る様な性格のメディールの、悲しい程弱弱しい泣き言。
それを聞いたクロスに儀式は出来ない。
そもそも、生贄がいるなんて事すら知らないクロスに高度な儀式など出来る訳がなかった。
そしてクロスが最後の最後に辿り着いたのは……肉体改造だった。
それは筋トレとかそういう類ではなく、物理的な手術による本当の意味での肉体改造。
魔物の世界で言うなら機械狂信者による人体実験が近いだろう。
それに手を出そうとしたのだが、メリーに止められた。
普段ニコニコ顔で、どんな時でも明るく無邪気に振舞う魔性のスパイ。
そんな彼女が、泣きながら、震えながらクロスを止める。
普段から自分の感情を絶対に見せない彼女らしくない本気の涙。
それを振り払える程クロスの心は冷たくなかった。
右往左往の失敗話なのだが……同時にクロスは自分が幸せ者であると再確認した。
自分の事を心配してくれる人達がこんなにいるのだから。
それでも……クロスの心に劣等感やプレッシャーが根強く残っている事に変わりはなく、むしろ手段がなくなった以上よりそのネガティブな感情の塊はクロスを攻め立てた。
凡人である限り、クロスの心に暗い気持ちが消える事はない。
しかしクロスに出来る事はもうほとんど残されていない。
だからこそ……クロスに出来る事はもう一つしかなかった。
どんな時でも出来る事を求め、戦い続ける。
例え相手がどれだけ強かろうと、今がどれだけ苦しくて、辛くても、しんどくて、投げ出したかろうと……勝つまで考える事だけは絶対に止めない。
それはクロスが死ぬまで……いや、死んですらクロスが忘れなかった事、クロスの戦い方。
それ故に、ヨロイに殴られ意識を失い続けるという拷問であっても、体が全く動かなくても、クロスは考える事だけは止めなかった。
そもそもの話だが、絶対に太刀打ち出来ない相手と戦う事なんて人間の頃ではただの日常だった。
クロスが飯を食った回数以上に経験した事でしかない。
その程度で――クロスの心が折れる訳がなかった。
黒鉄の巨腕による衝撃。
内蔵がシェイクされ自分が液体になったように感じる程の振動と、それ以上の激痛。
痛みと吐き気、内側を壊される様な気持ち悪さ。
もう何度となく経験した苦痛。
当然だが、幾度となく逃げたいと考えた。
辛くない訳がなかった。
だけど、それでも逃げなかった。
酒を飲みたい。
確かにその気持ちは否定出来ないしそれが理由でここに立っている。
どこまで言っても凡庸で、どこまでいっても俗物。
それが自分であるとクロスは定義しているのだから。
だけど、立ち続けられているのは決してそれだけが理由ではない。
何か胸に、熱い痛みの様な感情が燻り続けそれが自分を奮い立たせる。
それが何なのか自分でもわからない。
わからないのだが……その淡い痛みは、今苛まれているヨロイの拳なんかよりもよほど痛かった。
だからクロスは立ち上がり続けた。
無様を晒し続け、どれだけ情けなく、そしてどれだけ徒労に近いと感じても。
それでもクロスは立ち続けた。
その痛みが悔しさだと知る事すらないままに、クロスは歯を食いしばり……意地だけで立ちあがり、立ち向かい、そして必死に手段を模索し続ける。
故に――この結果は当然でもあった。
ヨロイの攻撃による痛みは何も変わっていない。
死ぬほど痛く、いつ意識が途切れるかもわからない。
そして、クロスがヨロイに対し何も出来ない事にも変わりはない。
それでも、此度は初めて、四度もその強大な攻撃に耐えられた。
攻撃に慣れた?
そんな訳がない。
死ぬほど痛いし攻撃の軸すらずらせずに毎回直撃である。
攻撃が弱くなった?
それもあり得ない。
吹き飛ぶ距離も角度も一切変わっていない。
あいもかわらず空中浮遊アンド自由落下の日々だ。
本当に何一つ、変わっていない。
痛みも、吹き飛び方も、自分が何も出来ない事、何一つ変わっていないにも関わらず、何故か未だ意識が残っている。
六度、七度、八度。
幾度となく吹き飛び、相変わらずの痛みを覚えているにもかかわらず、やはり意識が落ちない。
宙に跳び、地面に、ヨロイに叩きつけられながらでもクロスは起き上がり、そして考えた。
もしや、この土壇場で隠された才能が出て来たか?
その可能性だけはあり得ない。
クロスという存在の才能の鉱脈は既に枯れ切っている。
それだけの事をやってきたという自負をクロスは持っており、またこの程度の危機で才能が開花するなら生前で百回は才能が開花している。
だが同時に、これを偶然と思う程クロスの脳はまだ茹っていない。
何か……何か意識が落ちていない理由があるはずだ。
だからこそ、考える。
考える、考える、考える、考える。
それしか出来ないからこそ、思考の網を張り巡らせ答えを模索する。
戦いの最中、殴られ続ける最中、食いしばって意識を失わない様にしつつ、出来る事、頭だけをとにかく動かし続ける。
どこに、どこにその原因があるのか……。
そしてクロスは、自分の中に今までなかった何かがある事に気が付いた。
心臓の部位から溢れる何か小さな……赤い感情。
その感情は今日までずっと感じ続けていた淡く熱い痛みと交じり合い、溶けあっている。
ただそれだけでクロスの心と体はどこか熱を帯びた様に熱くなり、激昂した時のように目の前が赤くなる。
それは本来の自分が持っていないもの。
クロス・ヴィッシュにはなく、クロス・ネクロニアにだけあるもの。
この肉体から生まれた何か。
つまり……これが魔物の、ネクロニアの魔力である。
そうクロスは理解した瞬間、その力を無理やり引き出そうとした。
砂漠の中で飢えた亡者の様に、貪欲に、強欲に。
クロスが常に持ち続けていた力への執念は悍ましい程であり、内側から力をかき集めれば集める程、目の前が本当に赤く見える程にクロスの心は昂っていき、同時に体に未だかつてない程力が漲る。
そしてクロスはその力を拳にかき集め、今までと同じ様に飛んでくる黒鉄の巨大な拳に対して拳を叩きつけた。
絶対的強者に対し、クロスは初めて自分の意思で反逆してみせた。
物体が激しくぶつかり合い衝撃が音となって周囲に響く。
衝撃で大地は抉れ土は飛び、風が周囲を駆け巡る。
そして……結局クロスが打ち負けて吹き飛ばされた。
決戦兵器であるヨロイがそんな簡単に負ける訳がない。
重量差という絶対的な差を埋める程の力はクロスに備わっていなかった。
だが、それでも掴んだ一歩である。
今までと違い、確かに立ち向かい、反逆した。
抵抗する事に成功していた。
吹き飛ばされた距離も体の痛みも今までと異なって大した事はなく、すぐにクロスは地面に着地する。
情けないことに両手も使っての四つ足の恰好で、後ろに滑りながらだが、確かに着地し、そして再度戦闘態勢を取った。
そう、ただ立ち上がるだけでなく、確かにクロスは戦えていた。
クロスは再度体内の魔力を確認する。
一度に全てを使い切ってしまったらしく残量がほとんどない。
だからこそ……クロスは強引に、無理やりにでも魔力を引き出そうとした。
戦える手段がこの身にあるのなら、クロスがためらわない訳がなかった。
「止めろ!」
そんなメルクリウスの声を聞き、クロスはぴたりと体を硬直させた。
「一旦終了だご主人。お前らも休憩しメンテに入れ」
その言葉にクロスは不満を露わにした。
「……まだ俺は倒れてないぞ?」
その様子を見たメルクリウスは盛大に溜息を吐いた。
「本当に色々と想定外なんだなご主人。無茶苦茶だ。そんな使い方でどうして魔力が使えたのか。いやそれ以前に、そんな方法で魔力を使うと体に激痛が走るだろう。痛くないのか?」
実際メルクリウスの言う通り、魔力らしき何かを使うと心が焼ける様に熱くなり、肉体は物理的に焼ける様な傷みが走った。
だけど、その程度。
クロスにとってそれは些事でしかなかった。
「痛みなら我慢すれば良いだろ?」
その言葉にメルクリウスは溜息を吐き、クロスに向かって手鏡を見せる。
その顔を見てクロスは頬を引きつらせた。
目、鼻、口、耳。
その四カ所全てから、血がだくだくと流れていたからだ。
「……そりゃ赤く見えるわな。物理的に赤いんだから」
そんなどうでも良い事をクロスが呟くとメルクリウスはクロスの首を掴み、ずるずると引きずってテントの中に放り投げた。
「今更だが……さっきのアレが魔物の魔力で間違いないんだよな?」
治療を受けて目に包帯を巻いたままクロスはそうメルクリウスに尋ねた。
「うむ。少々遅れたが言わせてもらおう。見事だご主人。よくやった。……とは言え、『無色』を無理やり使うのはどうかと思うぞ?」
「む、無色?」
「うむ。元来無色の魔力を直接使うという事はない。とは言え無色にも大きな利点があるからそういう方法もない事はないがそれは冥府魔道に落ちきった悪鬼羅刹、早い話が人格破綻者の使う力である。だから通常魔法を使うというのは『有色』、つまるところ自分自身の色の魔力を使う事を表すのだ」
「……あー。えっと……」
クロスは後頭部を掻いた後、ぽつりと呟いた。
「すまん。わかりやすく二、三行で説明してくれ」
「魔力が体内から生じた時は『無色』。そこから再度体を循環すると色が付き『有色』になる。それが自分の色の魔力だ」
「……んー。二段発酵みたいなもんか?」
「すまんがその二段発酵ってのが私はわからん」
「俺も詳しくは知らんが、美味い酒の作り方の一つだってグリュン殿が言ってた」
「そうか。まあ要するに、本来無色の魔力は使えない。よほどの鍛錬を行わない限り激痛に苛まれ体が侵される」
「何に侵されるんだ?」
「冥府魔道とやらだが詳しくは知らん。まあ普通は痛くて使えないんだが……とりあえずご主人は無色の魔力を使う事は禁止だ。そして今更の話だが、自分色の魔力を生み出す過程をスムーズにこなせる様になる事が特異成長期だ」
「オーケー。それはどうやるんだ?」
きりっとした顔で、そして緩んだ頬でクロスはそう尋ねた。
「うむ。酒の事で頭がいっぱいという顔だな。気持ちはわかるぞ。だがな。これと言って適切な方法はない。結局のところ戦い続けるしかないんだ」
「そか。……体に魔力を流す……いや、循環させるか。うーん。……良くわからんな。無色の魔力というのなら何となくわかるのだが……」
そう考えていると、クロスはテントの中に誰かが入って来た気配を感じた。
「ヒント位なら俺でも出せるぞ?」
その声はクロスにとって聞き覚えのある声だった。
「……ガスターか」
「おう。元気にやってるみたいじゃないか旦那」
「まあな。毎日楽しくボコボコにされてるわ」
「そりゃ、旦那のメイドは怖いこわーいドラゴン様だからな」
「なるほどなるほど。んで、そのこわーいメイドさんを選んだのは誰だい?」
「そりゃあ……いけね。俺だったわ」
そうガスターが言葉にした後一瞬の沈黙が生まれ、そしてその後クロスとガスターはゲラゲラと腹から笑った。
「ご主人。あんま笑うと傷口開くぞ」
その言葉を聞きクロスは笑うのを抑え……顔を引きつらせながらぴたっと押し黙った。
どうやら手遅れだったらしい。
「んで真面目な話だがな。魔力循環は慣れたら体が勝手にやる事だから無意識の領域に近い行動だ。だから説明が非常に難しいし言って出来る事じゃない。心臓の動きを制御するとか出来そうにないだろ?」
「ああ。まあな」
「だからこうしたら出来るっていうアドバイスはない。だが、スピリチュアルかつふわっとしたニュアンスでのアドバイスなら出せるぞ。聞くか?」
「頼む」
「オッケ。まず、無色の魔力について個体差があるから決めつける事は出来ないが、基本的に強い感情と結びつきやすい。激しく燃える様な感情だな」
「例えば……どんなのだ?」
「一番多いのが怒りだな」
「ほーん。つまりさっきの俺は怒ってたのか?」
「それはわからん。あくまで個体差がある。んで、その無色の魔力をそのまま使うとその魔力と結びついた感情が表にガンガン現れる。怒りが無色と連動しているなら怒り続けるという事だな。そして、それを繰り返すとその感情に飲み込まれて戻ってこれなくなる。邪道ではあるがそれもまた魔法の形だな。俺は馬鹿だと思うが」
「……んでさ、さっきの話から無色が赤い感情に繋がるってのはわかった。有色だとどうなるんだ?」
「赤い感情ってのは悪くない表現だな。ニュアンスでの話だからそういう個人的な感覚は非常に当てになる。そして旦那の感性で無色が赤であるなら……有色は青の感情と言えばわかりやすいかな」
「……つまり、弱い感情を引き出すのか? それとも悲しいとか?」
「いや。強い喜怒哀楽とはかかわらず、冷静さに近い感情だな。あくまで魔力を加工する作業だからその赤い感情を……感情は燃える様な気持ちを強く持ちつつ同時に心はクールに保つ。それが出来たら魔力が循環する。魔法使いが魔力を使う時の感情制御法だ」
「なるほど良くわからん。結局それはどうやるんだ?」
「……さあ? 結局ニュアンスの話でしかないし。もしかしたら全く関係ない方法でマスターするかもしれん」
「……つまり……方法はこれまで通り戦うしかないと。オーケー考えるよりわかりやすい。メルクリウス。次の戦闘は何分後だ?」
その言葉にメルクリウスとガスターは何やらきょとんとした空気を醸し出し、そして同時に溜息を吐いた。
「ご主人。今日の時間はもう終わっている。それに、例え終わってなくとも今のご主人に訓練を受けさせようなどとは思わん。自分の怪我を自覚してくれ」
そう言われて、クロスは体が傷だらけで既に立ち上がる事すら出来ない程になっていると、ようやくながら気が付いた。
ありがとうございました。




