怠惰と憐憫と後遺症と最後の余暇
クロス達が魔王城に戻ってきてから一週間。
魔王アウラフィールにイディスより預かった資料を渡してから、それだけの日が経過した。
その間クロスが何をしていたかと言うと……何もしていなかった。
文字通り何一つ、仕事とか依頼とかどころか、洗濯や料理すらせず魔王城での居候の日々を謳歌していた。
王国崩壊の危機とか、そのキーが自分だとか、そんな事態であるにもかかわらず特に何もやる事はなく……。
やる事がないのに加え、見事な程に、やる気が湧いてこない。
まるで止まれば溺れる魚の如くなんでもしてきたクロスだが、ここに来て、停滞を迎える。
その理由は……。
「そんで、旦那がこんなんなってるのはどうしてなんだい陛下」
セントール族、風よりも早き者のガスターはソファでぐでーと溶けテーブルに顔をもたせかけているクロスの方を見ながら、そうアウラに尋ねた。
「その……少々プライバシーの込み入った内容ですので……」
アウラは困った顔でそうとだけ告げ、さっと顔を反らした。
言える訳がない。
性交渉をする事が出来ない呪いにかかっていると知ったから、とたんにやる気がなくなったなんて……。
魔王であり為政者でもある為一応なのだが、それでも女性である事に変わりはないアウラがそれを言葉にするのは少々恥ずかしく、またそれに加えてこの事実を女性に告げられるクロスの事を想うと不憫で……。
ついでに言えば外聞も悪く、クロスの情けなさが際立って――。
そんな諸々の理由やらで、アウラは言葉に出来なかった。
「ほーん。……何か面白そうな気配がするわ。旦那、何があったか話してくれよ。この前の運賃と合コンの約束失敗の詫びにでも」
クロスは手をひらひらさせた。
「あいあいー。アウラ―。あの書類見せたげてー」
「え? 宜しいのですか?」
「ああ。もう……どうでも良い……。せめて笑ってもらった方がマシだわ」
「あ、あはは……。まあ情報共有をするのは正しいと思いますので」
そう言葉にし、軽く咳払いをした後、アウラはガスターにその資料の一部を手渡した。
それを読み、ガスターはそっとその紙を裏向きでアウラに返し……手を顔に当て盛大に溜息を吐いた。
「笑えねぇよ。同じ男として……。同情しかない。良し、今回の騒動が一区切りついたら……呪いを解く方法、一緒に探しに行こうぜ。これでも思い当たるフシがない訳じゃあない」
「ガスター……。お前……」
キラキラと、眼を輝かせクロスはガスターに尊敬の眼差しを向けた。
「任せろとまでは言えねぇが……諦める前に、せめて、やる事やってみようぜ」
「……ありがとう。我が友よ……」
「ふっ。良いって事さ」
「そしてそれなら……頼みがある。呪いを解くよりも……いや、そもそもこれは呪いじゃあないんだ。ただ愛が強すぎるだけなんだ。だからその相手を探して……そしてあわよくば……」
「皆まで言わなくても良いさ旦那。任せろ。足には自信があるんだ」
そう、ガスターが言葉にすると……二体は、硬く、強く握手をする。
お互い、まるで無二の親友であるかのように。
「……私には良くわからないですけどねぇ。あ、そんな目的の旅でも私はちゃんと付いて行きますよ。騎士なので」
クロスとは別のソファでゴロゴロしながら、エリーはそう言葉にした。
「ああ。ぶっちゃけ目を離すと心配だしな」
そんなクロスの言葉にエリーはくすりと微笑んだ。
「心配なのはクロスさんでしょ。私は別に独りでも大丈夫ですよー」
そう気軽に言葉にするエリーを、大丈夫だと思う者はここにはいなかった。
大体二時間位。
その程度の時間、クロスの姿が見えなくなるとエリーはどこか落ち着かない様子となり、徐々に挙動不審な行動が増え、そしてそれでもクロスの姿が見られないと、ゆっくり……目が死んでいく。
しかも恐ろしい事に、エリー自身自分がそうなっているという自覚がまるでない。
永い旅の後遺症、外なる神々に塗れながらも生き抜いたにしては軽すぎる代償ではあるが、それでも、クロスはエリーをあまり放置しておく事は出来そうにない。
これもまた愛され過ぎた呪いと同様何とかしたい事ではあるのだが……心の問題は、そう簡単にはいかないだろう。
むしろ、戻って来られた時点で奇跡なのだから、再び再会出来た時点で途方もない奇跡であるのだから、それ以上望むのは贅沢だ。
最悪治らなくても、どうせ一生涯の付き合いとなるのだから、焦る必要もない。
そう、クロスは考えていた。
「そんでさーアウラ。そろそろぐったりするのも飽きて来たし尋ねるけど……ぶっちゃけ俺、このままで良いの?」
「はい? と、言いますと?」
「いやさ、良くわからないけど、この国のピンチなんだろ?」
「はい。そうですね」
「んで、それに俺が深く関わっていると」
「かかわる可能性が高く、そして崩壊を未然に防ぐ可能性が高いと言われてますね」
「んじゃ、俺ここでまったりしてたら駄目じゃね? ぶっちゃけどんな命令でもこなす覚悟だったけど……」
アウラからクロスに与えられた命令は、ただ一つ。
この城から出ない事。
それだけだった。
元々モチベーション最低であった為深く考えず言われるままだらーっとしていたのだが……流石に一週間も城の中にいると、多少のやる気は出て来るし、なにより色々と飽きて来ていた。
「と言いましても……現状これが最善手なんですよねどう考えましても」
「ふむ。わかりやすく説明頼んで良い?」
クロスの言葉にアウラは頷き、言われるがまま出来るだけ簡潔に説明を始めた。
イディスにて集められた予言、魔王国崩壊。
それについての資料を、アウラは大量に受け取りその全てに目を通した。
メインの資料は、実際の未来予知について。
ミューが行った百三十を超える未来予知、その全てにおいて魔王国という存在が消滅する事となっている。
そしてその崩壊百三十の内九十九は、クロスがきっかけとなっていた。
パターン自体は複数ある。
クロスが魔物に絶望した場合。
クロスが何者かに乗っ取られた場合。
クロスが魔物を裏切り人間に付いた場合。
そんな大きな事から、クロスが旅行にいってその先で盗賊に出会って……という小さなきっかけであった場合。
そしてクロスが何もしなかったら魔王国が崩壊しないかと言えばそういう訳でもなく、あくまでクロスが崩壊のきっかけとなりやすいというだけであり、崩壊への道自体は確定と見て良い。
ではそんなクロスが何をすれば良いかと言えば……ただ、時を待つ事が最もベターな選択である。
クロスが崩壊を引き起こす可能性が高い。
逆説的に言えば、クロスが動かざるを得ない事態となった時が、崩壊開始の合図となるからだ。
そして崩壊がはじまってしまえば、どこかでクロスに頼らざるを得ないというのがイディスの見解である為、やはりアウラの傍に居る事が最も正しい答えだった。
「……つまり?」
説明を聞いても集中力とモチベーションのないクロスには理解出来ず、クロスは首を傾げた。
「ここで待って、何かあったら動く。それがぶっちゃけ一番クロスさんが役に立つ方法という事です」
「……じゃあ……何してたら良いんだ?」
「お城で待機ですね」
「……あい」
クロスは深く考えず、そのままソファにもたれかかり天井のシャンデリアを見上げた。
「あー。当分暇が続くなら本でも読むべきかねぇ。どうしよかエリー」
ぐでーとしながらのクロスの言葉。
その言葉を聞いて、エリーは少し迷った後少々の我儘を口に出した。
「私、最近クロスさんの手料理食べてない気がします」
「……ああ。確かにそうだな。ずっと作ってもらってたし……。良し! 料理本見て何か新作考えよう。んで良いのがあれば厨房借りようか。エリー、行こうぜ」
急にやる気を出し、クロスはソファを飛び起きそう言葉にする。
エリーは、誰が見てもわかる程嬉しそうな顔で頷いた。
その顔は、まるで散歩に連れてってもらう犬の様である。
「陛下。言わなくても良いんですかい?」
ガスターは小さな声で、アウラにそう尋ねた。
「何をですか?」
「旦那に俺を付けてる理由。想定外の事態になった時に、何があっても旦那を逃がす為でしょ?」
何故、魔王城内限定ではあってもクロスのメイドであるメルクリウスがこの場におらず、ガスターがいるか。
それはクロスを逃がす為だった。
崩壊を未然に防ぐ事を諦めた時、クロスだけでも助ける為の、最期の最後の策。
その為に、ガスターが付いている。
アウラの配下の中で単体最強は、間違いなくメルクリウスである。
だが、メルクリウスが誰かを護るのに向いているかと言えば、そんな事はない。
むしろ本気を出せば確実に味方や建造物、土地を巻き込む為、それはもはや災害に等しい。
更に、ドラゴンは気に入りすぎると相手を殺そうとする習性がある。
実に厄介な生態なのだが……求愛行動の一種である為止める事は不可能。
一応ドラゴンは誇り高い為勝者であるアウラの命令に逆らう事はしないだろうが……衝動という物は、時として誇りすらも越えてしまう。
だから今、もしもの事を考えてアウラはメルクリウスに別の仕事を任せていた。
一方ガスターはどうかと言えば……実はガスターは戦力的にはそれほど強くない。
戦闘能力でならクロスにさえ勝てないだろう。
それはガスターが弱いからではない。
ガスターが限りなく生存特化の能力をしているからである。
護る力もさほどないが……生き延び逃げる力は、ガスターはアウラ陣営の誰よりも高いと言えた。
「……言わなくても構いません。最悪その時の判断は任せます。もし崩壊がどうしても避けられないと思ったら……私を捨てて逃げて下さい」
「――それは、命令ですかい?」
「はい。命令です」
「……はぁ。謹んでお受けしますよアウラフィール魔王陛下……っと、やっべ、急いで追い掛けないと。旦那放って置くと何起こすかわかったもんじゃないからな。では陛下。失礼します」
ガスターはさっと略式の敬礼を気だるげに見せ、クロスを追いかけていった。
「これで良いはず……。何もなければクロスさんに動きが見えず……また最悪の場合クロスさんだけでも生き延びる……」
そう呟き、アウラは再度見落としがないかイディスからの資料に目を向けだした。
アウラが最悪の想定をしているのには、ちゃんとした理由があった。
いつか言わねばならぬ事ではあるのだが、まだクロスに言えていない、その理由。
それは、魔王国崩壊の直接の原因。
その直接の原因で最も可能性が高いのは人間の再侵攻である事を、アウラはまだクロスに言えていなかった。
ありがとうございました。




