born into this world リヴァイヴ
その日――クロスとエリーは星を見ていた。
魔王城に戻る途中、一刻も早く戻る必要がある中。
わざわざ近くに街もある中野宿をして、一緒に夜空を見上げる。
美しく輝く星々、ロマンチックとさえ言える夜。
そんな星空を、クロスはとある女性の事を考えながら見つめる。
隣にエリーがいるにもかかわらず、別の女性を。
そしてエリーもまた同様に、クロスが考える彼女と同じ女性の事を考え、星を見ていた。
エリーと共に星を見たいと願っていたその女性の事を。
感傷と言えばそれまで。
だが、意味のある儀式であるのもまた確か。
消え去った際、彼女が生きた証は何も残らなかったのだから。
いや、残った物はあった。
エリーの小指に、金色の指輪。
片割れのいないペアリング。
それだけが、最後で唯一の繋がりだった。
「あのさ……俺、実は星を見るの好きなんだ」
そう、クロスは言葉にした。
趣味と呼ぶ程ではないかもしれず、そこまで詳しい訳でもない。
だが、数時間見続けられる位好きなのもまた確かだった。
「――知ってますよ。どうして今まで私を誘ってくれなかったのかはわかりませんが、時々夜家から出て見上げてましたね」
「ありゃ。バレてた?」
「ええ。これでも御身を護る騎士ですから。それで、どうして私を誘ってくれなかったんです?」
「退屈にさせたら悪いと思って……」
「……変なところ気にしますねぇ。そんな時はアレですよ……。見上げながら食べられる物用意してくだされば私は文句なんて言いませんよ」
「――確かに! そうだな。何か食べながら見れば良いわな。次からそうするわ。その時は付き合ってくれるかい?」
「私で良ければ」
そう言葉にし、エリーは微笑む。
今日、誘って一緒に見ている理由を、エリーは尋ねない。
何となく、わかっているからだ。
これが、何かの区切りである事が。
その誰かが出来ないから、代わりに行っているという事が。
「……その……な。あまり、愉快じゃない話があるんだ」
クロスは、空を見ながらぽつりとそう呟いた。
エリーはそれを耳にして、クロスの肩にもたれかかる。
甘える様に……というよりも、甘えさせる様に。
「どうぞ。話したくないけど、話さないといけない事なんですよね?」
「ああ。そうだな。……俺は、ユイ・アラヤとまどろっこしい契約をした。こうなるとわかってたらしなかった……そんな契約を。その契約の一つについてだ」
「……お姉様の、事ですよね」
「どちらかと言えば、俺の事についてだな。……そう、だな。俺自身、実は良くわかっていない。俺と、レイアの境界線がどこにあるのかを。間違いなく、違う個体ではある。レイアの考え、想いと俺のそれは違う」
「例えばどう違うのでしょうか?」
「……んー、ちょっと説明出来ないな」
そう、クロスは言葉をぼやかした。
最もわかりやすいのは、エリーに対しての気持ち。
クロスはエリーを愛しているが、それは親愛の情に近い。
エリーがクロスを主として敬愛するからこそ、それの返礼。
友情があり、卑猥な気持ちが全くわかない訳でもないが、メインの感情は親愛と家族の情。
だが、レイアは違った。
レイアのそれは、家族の情でもあるが、同時に淡い恋心でもあった。
少女の憧れを恋愛感情と呼んで良いのなら、レイアのエリーへの想いは、確かに恋愛感情だった。
とは言え、それをクロスは言葉に出来ない。
それを告げるのはあまりに無粋で、またレイア自身判断出来ない様な淡い感情を勝手に決めつける程傲慢でもないからだ。
「まあ……星を見るのが好きなのは俺だから、レイアも俺に影響を受けてるのは間違いないだろうな」
「ふむふむ。それで……クロスさんは、一体何を、そんな泣きそうな顔で言おうとしているんですか?」
敢えて回りくどく話そうとするクロスに、そうエリーは言葉を投げつける。
まどろっこしいのが嫌という訳ではなく、辛い事を遠回りしてより辛い気持ちになって欲しくないという、そんな気持ちから。
「……いくら女性に成ったとは言え、女性の生活空間を男が見るのは、どうかと思った。だからさ、それを、飲んだんだ。その契約を」
「その契約って?」
「……俺は、今日が終わったら学園であった事を忘れる」
「――それは……」
「どこまで覚えておけるかわからない。だが……レイアであった時見た物は間違いなく、全て忘れる。当然、レイアについてもだ。……こんな事なら、そんな契約しなかったのにな……」
「だから……だから今日、星を見たかったんですね。レイお姉様の記憶がある内に、レイお姉様の事を想いながら」
「……ただの自己満足なんだけどな」
「でも、大切な事ですよ」
そう言葉にし、エリーは飽きかけていた星空を見る。
もし、隣にレイアがいたら、お姉様がいたらどんな反応をしたかを考えながら。
在学中、それは許されなかった。
レイアの視力が極端に弱く、星空なんて目に映せなかったから。
だから、レイアと共に星空を見る事は、絶対に叶わない。
例えもし、あの時ロキが現れず騒動が起きなかったとしても。
「……エリー。頼みがあるんだ」
「伺いましょう」
「レイアの事、覚えていてくれ。俺は忘れてしまうが……お前だけでも……覚えておいてやってくれ。あいつが生きた意味は確かにあって……そして、あいつは一生懸命、生きぬいたって」
「……言われなくても、忘れるつもりはありませんよ。私のお姉様なんですから」
その答えを聞き、クロスはもたれかかっているエリーの頭を、抱きしめる様手で包む。
その日、エリーは星空を飽きる事なく、朝まで見続けられた。
赤子は、生まれた瞬間に泣き叫ぶ。
祝福され生まれてきた事を、世界に刻み込む様に。
己がここにいるのだと、周知させる様に。
それと同じく、その少女は……生まれた瞬間、泣き叫んだ。
だが、それは赤子のそれとは違う。
少女は、生まれてしまったという果てのない絶望の為、慟哭していた。
苦悩、後悔、痛み、苦しみ、憧憬……。
結局のところ、それが最も適切なのは、最初の言葉。
絶望。
少女、レイアは、絶望の中二度目の生を迎える事となる。
望まぬ、二度目の生を。
レイアには、記憶があった。
学園にてどの様に生きたかという記憶。
そして、最後に、星を一緒に見た記憶。
別の誰かとして、星を――。
愛しい相手と共に過ごした記憶が、確かにあった。
それが、心を蝕んだ。
涙が止まらない。
死んでしまいたい。
こんな世界、一分一秒も生きていたくない。
レイアにとってここは、どんな責め苦を与える地獄よりも悍ましい世界だった。
どうしてか?
そんな事は、考える間でもない。
自分が、クロスではないからだ。
ただそれだけが、最悪の絶望となっている。
何故ならば……エリーが愛しているのは――。
「ああ……ああ……ああ! どうして! どうして私を起こしたの!? 何故私をあの男の消耗品として終わらせてくれなかったの!?」
そう、喚く様にレイアはユイに詰め寄った。
「一生涯手に入らない。私はエリーの愛を手に出来ない。その愛は全てあの男が独占している。私の世界はあそこにしかないのに……私は……私は愛した物をもう二度と手に出来ない……。なのに……何故……なんで……」
掴みかかるも力が抜け、膝から崩れ落ちる。
そして、もう起き上がる気力さえなかった。
「ごめんなさい。こんな物しか、用意出来ずに……」
ユイはレイアに、小さな箱を手渡す。
その箱をレイアは手にし、開き、中を見る。
そこには、割れた金の指輪と腕輪が入っていた。
間違える訳がない。
それは、自分が付けていた物。
特に指輪は……エリーと共に合わせた、契約者の証。
あの時だけの、失われた幸せな時間の残骸。
レイアはそれを、慈しむ様に抱きしめた。
壊れてもう価値のなくなったそれらは、まるで自分自身の様に思えた――。
二時間か三時間か……。
ただただ泣き続けるだけの時間が過ぎ去り、その場で何も出来ず立ち竦んだままのユイに、レイアは尋ねた。
「お母様……。涙を止めるのって、どうすれば……良いですか……止まる気配が……」
「まだ……お母様って、呼んでくれるのね……」
レイアは目をこすりながら、こくりと頷く。
例えレイアが苦しむ事がわかっていて蘇らせたとしても、最初から全て計画通りだったとしても、レイアはユイを母代わりだと思っている。
いや、クロスでなく独立した存在だからこそ、尚レイアはユイを母親と思っていた。
他に、繋がりのある者はもう誰もいないのだから……。
「私に言える事は、一つ位。私を恨んで頂戴。貴女が苦しむのを知っていて、それでも私は貴女を生み出し、蘇らせ、そしてこうして貴女という存在を固定化した。全て……私の都合で。母親と名乗る資格さえないわ。だから……恨んで頂戴」
「……お母様、一つ尋ねます。もし、その答えが私にとって気に食わない物でしたら……お母様を殺して私は死にます」
「……教えて頂戴?」
「お母様が私をこうして苦しめているのは……お母様の愛する誰かの為ですね?」
「――そう。私の一番大切な……ミューちゃんの為。その為よ」
レイアはその予想通りの答えを聞き、微笑んだ。
「だったら……恨みません。恨めません。その気持ち、痛い程わかるから……」
ぽふっと、レイアはユイに体を預ける。
ユイはその震える体を、静かに涙を流し続ける娘を、強く抱きしめた。
「やっぱり、貴女は私の娘ね。……想いが強過ぎて……」
その言葉に、レイアは何と返せば良いかわからなかった。
ただ……この腕の中だったら、しばらくすれば泣き止めそうな気がした。
何年か、何十年かはわからないが……失恋として、この痛みを昇華し受け入れる事が出来そうだと……一瞬だが、レイアはそう思えた。
今回の騒動、大本を正せばミューの予知がきっかけであり、それをロキが利用しクロスを魔王にする道にしようとした事が大筋。
その大筋の流れを変えない様にしつつ話をややこしくしたのがユイである。
ユイ視点で言えば、実はロキの作戦の失敗成功はどうでも良かった。
例え成功してしまってクロスが魔王となろうと、失敗してロキが死のうが生きようが、ユイにとっては関心がない。
どちらであれど自分の作戦の大筋に関係がないからだ。
ユイにとって重要なのは、実は結末ではなく、その過程の方。
過程の中でレイアという存在が生まれ、そして死ぬ事こそが最重要な問題であった。
ただ、生まれ死ぬだけでは何の意味もない。
限りある時間の中で強い想いを抱き、自我に目覚め、確固たる強い感情に身を焼き滅ぼす事。
それが、ユイの本当の目的だった。
苦しむ事がわかっていても、それだけ強い感情にレイアが目覚めなければならなかった。
そうでないと、クロスから分離した際にレイアという存在が維持出来ないからだ。
現在のレイアはそれだけの強い想いを持っているのだが、それでも存在の定義はあやふやで、辛うじて消え去っていない程度の状態。
本気でレイアが死のうと決意すれば、その瞬間存在は消滅する。
故に、今レイアは死のうとはしていない。
ただ、死ぬ程辛いだけだった。
全部、最初から、ユイの想定通りだった。
クロスの記憶からレイアであった時の事を忘れるのをクロスは少女達の生活を男が見ない為だと勘違いしたが、実際はレイアを独立した存在とする為。
最初から最後まで、全てユイの手の上で物語が進行していた。
唯一違うと言えば、思った以上にレイアの愛が深すぎた事。
こんな事をした黒幕とわかっても、尚ユイを母親として愛している事位だろう。
「……もう、これは諦めましょう。時間がもったいないです。話を進めてください」
レイアは自分の瞳を指差しながらそう呟いた。
長い時間が経ったが、涙は未だ枯れる気配がなかった。
「私は、まだこのままでも良いわよ。急ぐ必要はないんだから」
そう言葉にし、ユイはレイアの頭を撫でる。
罪悪感は消えないが、同時に愛しい娘であると思っているのも事実。
矛盾しているとは思っているが、そういう歪んた性質であるのがアラヤユイという存在の証明でもあった。
「私が、もったいないと感じるんです。それで、私は何をしたら良いのですか? 私は貴女に何を求められているのですか?」
「……残酷な答えだけど、良い?」
「はい。この体を生体パーツとして運用するとしても、儀式の生贄だとしても、受け入れますよ」
「……私が貴女に望むのは、一つ。……普通に暮らして、普通に生きて……普通に、幸せになって欲しい。ただ、それだけ」
それは、レイアにとって最も残酷な答えだった。
今のレイアにとって幸せとは、失い二度と手に出来ない物なのだから――。
「……難しい、ですね。少なくとも……今は思いつきません」
「そうよね……。ごめんなさい」
「あ、でも、やりたい事はありますね」
ユイは顔を綻ばせた。
「それは何? 私で出来る事なら何でも協力するわよ!」
「あの男が妬ましいので嫌がらせがしたいです」
「……はい?」
「あの男が妬ましいので嫌がらせがしたいです。とは言え、本気で苦しめたい訳でもないですしエリーに迷惑を掛けたくもありません。ちょっと困ってオロオロするところを見てほくそ笑みたい感じですね」
そう言葉にする時のレイアの口はどこか皮肉めいた笑みが浮かんでおり、同時に、眼からは流れ続けたその涙はぴたっと止まっていた。
「……え……えぇ……」
「こう、わかります? 憎い訳じゃあないんです。どちらかと言えば好意さえ持っています。あ、恋愛的な意味ではないですよ? そういう対象には死んでも見れません。ただ、こう……それでも困らせたいって言いますか……困っているところを見ると楽しいだろうなって思えるというか……」
「あの……確認するけど、あの男ってクロスさんの事だよね?」
「はい」
「……クロスさんの事、今どう思ってる?」
「言った限りですけど? 嫌いじゃないけど、恋愛的には絶対に思えない。同時に困らせて溜飲が下がる様な思いをしたいですわ」
「……家族と思ってる感じかな?」
「家族……うーん」
少しレイアは考え、そして……すとんと、何かがハマった様な気分となった。
そう、レイアはクロスの事を家族の様に感じていた。
「歳の近いうっとおしい兄、と称するのがたぶん近いです」
その答えを聞き、ユイはくすりと微笑んだ。
要するに、兄に構って欲しいからちょっかいをかける程度の事。
その程度の事をしてみたいというレイアが、無性に可愛らしく見えた。
「そうね。そういう事なら多少は協力するわよ。と言っても、クロスさんにはクロスさんで苦しめてしまった詫びがあるからあんまり大した事は出来ませんけど……」
「大丈夫。ナンパが成功しそうになった辺りで妨害する位の嫌がらせだから」
「えっとね……クロスさん、ナンパが成功する確率ないのよね……」
「そうです? あんまり褒めたくないですけど外見そこそこで楽しませようという気持ちがあるから数さえこなせば上手く行くと思うのですが……」
「あー。えっとね……誰かに愛されてるみたいなのよね。運命が捻じ曲がる位に……」
そう言葉にし、ユイはクロスの宿命を伝える。
誰かはわからないが、クロスは愛されている。
親が子を愛する以上に、運命を全て捻じ曲げ因果を変えてしまう位に。
故に、クロスはその愛する存在以外と性交渉を行う事が出来ない呪いの様な祝福を受けている。
何一つ良い事はないが、一応祝福である事に違いはなかった。
「唯一の例外はエリーちゃん位だけど……クロスさんが手を出すと思う?」
「例え媚薬を飲んだとしても、絶対に手を出さないわ。ヘタレだから」
「私もそう思うわ。だからナンパの邪魔は……」
「んー。その運命聞いただけで少しざまあみろと思えたから今はそれで良いわ。……いつか、その祝福を授けた誰かさんをあの馬鹿に会わせてあげたいわね」
そんな意地悪な事言ったり優しい事言ったりするレイアは、クロスが中にいた時のそれとは違う。
苦しみ、歪み、それでもまっすぐな芯があり……。
レイアは、確かにレイアという個体として生きていた。
「ああそうそう。レイアちゃんに言う事があったわ」
「何でしょうか?」
「レイアちゃんが嫌じゃないなら、ここ、行ってみない?」
そう言葉にし、ユイはその資料をレイアに手渡す。
アシューニヤ女学園の編入願書を書かれた、その紙を。
「これ……しかもこのクラスは――」
「そ。もう、一人になっちゃったけど、それでも……きっと楽しいと思うわ。仲が良かった大切な友達と一緒に過ごす日々は。どう?」
レイアの戦闘力が異様に高かったのはクロスの戦闘経験があったからに過ぎない。
それでも、全てが全てクロスのコピーであったかと言えば、そうではない。
エリーの為に努力してきた日々は決して嘘ではなく、その積み重ねはレイアだけの物。
ユグドラシルにて圧倒する様な強さはなくとも、レイアは学園で暮らすには十分な力を持っていた。
特に、今は前と違い視力も通常通りな上に、魔力も精霊並に抱えている。
転生させる際の触媒として使われた、膨大な魔力を誇る最上位に等しい魔眼のお陰で。
だから学園生活に困る事はないのだが……レイアは、あまり乗り気ではなかった。
「あの……お母様?」
「あ、あれ? 喜ぶと思ったけど、駄目だった? 仲良くなかった?」
「その……親しかったと思いますしあの子達と一緒にいるのは嫌ではないのですが……」
「ですが?」
「その……死ぬ程、気まずいです」
「――あー」
「その……どさくさ紛れで消えましたけど……綺麗にお別れするって感じになってましたし。後……数名の方には私があの男に変わった瞬間も見られてますし……」
「あー……」
「というかそういう言い訳すら必要ない位、もう純粋でかつ単純に、非常に気まずいです」
「そっか……。うん、あのね……ごめんね?」
「――はい? 何故謝罪を――」
「良かれと思って……願書、もう出しちゃった。てへ」
ユイはそう言ってこんと自分の頭を軽く叩く。
それはレイアから見ても、一目でわかる動作だった。
全く悪気がないという事が。
「……いや、何と言うか……こう……色々きつい空気になりそうなんですが……」
「うーん。それは否定出来ないけど……。あ、そうだ! じゃあ、贈り物をしたらどうかしら?」
「贈り物、ですか?」
「そうそう! 本来ならもう過ぎてるんだけどね、学園で好きな相手や恩のある相手、友達とかにチョコレートを贈る日があるのよ。だから手作りのチョコを手土産にしたら悲しい気持ちなんて飛んできっとにこやかーな感じになるわよ! レイアちゃんお菓子作り得意だったでしょ?」
「……ふむ。……良くわかりませんが……気まずい感じでなくなるなら……私もあのクラスに戻るのは決して嫌という訳でもないですし……。わかりました。やってみましょう。あの……厨房を借りる事は……それと材料を……」
「全部ぜーんぶ、何でも用意しちゃうわ!」
そう言葉にし、ユイはレイアをぎゅーっと抱きしめほっぺをこすりつけた。
「はいはい。全く……お母様も甘えん坊ですね……」
そう言って、苦笑いをレイアは苦笑いを浮かべる。
悲しみは癒えず、未だ煉獄の中に居る様な気持ちだが……それでも、その涙は何時の間にか自然と止まっていた。
アシューニヤ女学園一年、ヒルドクラス。
あの騒動の日、エリー達と離れ離れになってから今日でおよそ二週間。
それだけの時間があっても、未だ、クラスの空気は最悪なままだった。
悲しく、納得し難い別れだった。
あの二体は少女達にとって、憧れそのものだった。
その別れを何とか無理やり納得しようとしたのだが……そんな中、あの騒動が起きた。
唐突で、意味がわからなくて、慌ただしくて……別れを消化出来た者など、このクラスにいる訳がなかった。
まさしく、光そのものだった。
閃光の様に現れ、そして消えていったという意味でも。
既に共にいた時間と同じ位の月日が流れたのだが、少女達はその閃光に目を奪われたまま。
そんなある日……クラスに、贈り物が届いた。
季節外れの、バレンタインの贈り物がクラス全員分――。
「……これは、何ですの?」
イラの言葉にフレイヤは首を傾げる。
「何でしょうね。学園からの贈り物でしょうか。そう言えば……今年は、バレンタインはなかったですわね……」
バレンタインの日は、あの騒動の翌日であり、そんな事する余裕はなかった。
今でも、授業が潰れる位学園は後処理に追われているのだから。
「……これ、皆さん! 中を……!」
モアはそう、声を荒げた。
契約者の事以外ならそれほど声を荒げない、モアが。
それを聞き、クラスの皆もその丁寧に梱包された包を開き、中を見る。
その中に入っていたのは、ラングドシャ。
バターの香り高く、舌の肥えたお嬢様達でさえはしたなく食べたいと思う程のクオリティのそれ。
問題は、その品物ではなく、その品物と共に添えられた、メッセージカード。
『貴方達に感謝と祝福を』
その文書の裏に、短く書かれたその名前。
それは、このクラス皆が知る憧れの片割れ、その名前だった。
「これは……レイお姉様の……」
フレイヤはそう呟いた。
クラスに、沈黙が流れる。
そして、あちらこちらから、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる音が机に響いた。
「私達と……別れる前から……用意をしていたのですね……。私達が、前を向く為に……」
フレイヤはそう呟き、レイアに感謝の気持ちを贈る。
「レイお姉様。貴女なら……貴女なら例えどんな事情があろうと……共にいたかったですわ……」
イラはそう言葉にする。
事情は知らない。
だが、イラは例えレイアが男であったとしても構わないとさえ思った。
むしろ、初めて男でも体を捧げても良いとさえ思った位だった。
「どうして……いつもいつも……私達に施して……受け取って下さらないのでしょうか。あのお方は本当……」
泣き笑いながらの、少女達の声。
想い出に浸り、レイアの事を思い出しながら、皆がそう言葉にし、涙を流す。
まるで鎮魂歌を奏でる様に。
皆、理解していた。
あの時、レイアが死んだのだと。
自分の死期を知った上で、ギリギリまでレイアはここに居てくれたのだと。
だからこそ、少女達は別れの涙を流す。
ようやく、その事実を少女達は受け入れ――。
「ちょっとお母様。何やら空気が予想の斜め下に酷いんですけど……」
ヒルドクラスの入り口付近、プレゼントを運んだ給仕の影に隠れながら、レイアは小声でわざわざここまで付いてきたユイにそうぼやいた。
「あ、あれー? あれみたら『レイお姉様がプレゼントを――』ってならない?」
「なってますね。でも……今日作ったプレゼントだなんて誰も思っておらず、完全にあの日の贈り物が時間差で届いた――というか遺品を受け取ってしまった空気じゃないですか。どうしてくれるんですか一体。私この中クラスに入るんですか? きついんですけど?」
「……あ、あはは……」
「ほら。策略家のお母様ならこんな時どうすれば良いかわかりません? せめて笑顔の中で入りたいんですけど!?」
「う、うふふ……。てへっ」
「てへっじゃないでしょうお母様歳を考えてください」
そう、生後一日の娘に言われた生後数千年の母は、少しだけイラっとし……その上で解決策の出ない問題を考え、手っ取り早い答えを用意した。
「レイアちゃん。手を貸して頂戴?」
「はい? えっと、どうぞ?」
そう言葉にし、手の平を上に向け手を出すレイア。
その手をユイは受け取り……そのまま立ち上がり、ヒルドクラスの扉を乱暴に開け放った。
けたたましく開かれる扉、咄嗟の事で反応すら出来ないクラスメイト。
茫然とするクラスメイト達の方にユイは目を向けず、空気も読まず、レイアをぽいっと部屋に投げ入れ、そして微笑み一言呟いた。
「後は若い物でどうぞごゆっくりと……」
そう答え、さっさと扉を閉め、ユイはその場から離れた。
最悪としか言えない空気をさらにぐちゃぐちゃにし、茫然とするクラスメイトと、レイアを放置して。
「……えっと……その……あの……た、ただいま?」
そう言葉にし、首を傾げ微笑むレイア。
その姿からは前の様な儚さはなく、誰よりも清楚なお嬢様ではなかったが……それでも、あの頃共にいた、頼れる憧れのお方そのもの。
ただ、何が、どうしてそうなったのかわからない、処理能力を完全に超えた事態でオーバーフローしているクラスメイト達はしばらくの間茫然とし続ける事しか出来ず……レイアがいじけ地面に座って涙目になるまで、無言の時間が続いた。
当然だが、クラスメイトはレイアを受け入れた。
事情を全て知り、あの頃と多少違う部分があっても、何も変わらず……。
むしろエリーという存在がいない事に加え、髪の質や目の輝き等外見レベルが上がっている為前以上にレイアを狙う少女達は多かった。
お姉様的、恋愛的、性的、あらゆる意味で。
そんな中、レイアは改めて自己紹介をした。
「お久しぶりです。レイア・エーデルグレイス改めレイア・――です。どうか皆様、また、よろしくお願いしますわ」
レイアは仰々しく頭を下げ、そう言葉にする。
そのファミリーネームは、本来ならまだ、この世界に存在していない名前だった。
少し先の未来に現われる名前、クロスがネクロニアでいられなくなった時に付けられる名前。
その名前を、レイアは名乗った。
名乗った理由は、クロスを兄と思い慕っている事が三割。
残りの理由は……クロスに対して、何となく嫌がらせにならないかなんて、そんなどうでも良い理由の為だけに、レイアは未来の名を手にした。
ありがとうございました。
これで一応、学園編終了です。
思ったよりも長くなった事、ここにお詫び申し上げます。
楽しかった(粉蜜柑)




