瞳に宿した真実
この日を、何日も、何年も待ち望んでいた。
何の理由も告げず、重圧の強い職場で、ミューはただ独り、今日の為だけに、歯を食いしばり、恥をかきながら……ずっとずっと……待ち続けた。
ミューにとってユイ・アラヤという存在は何かといえば、とても言葉では表せない。
強いて言うなら……己を構成する全て。
拾ってくれた恩があり、育ててくれた恩があり……。
そして共に暮らし愛を与えてくれた存在でもあり……。
要するに、ミューにとって光そのもの。
ユイと出会うまで暗闇の中に居続けていたミューとって、ユイとはそんなとても言い表せない程、大きな存在だった。
ミューの両親はミューと同様羊の獣人だった。
獣人らしいおおらかさを持っており、細かい事なんて気にしない代わりにトラブルも多く……特に、寝る事が好きな為遅刻なんて日常茶飯事。
そんな普通の両親だったのだが……ミューが生まれた瞬間、ミューを手放した。
いや、捨てたと言った方がわかりやすい。
と言っても……一つ言い訳をするなら、その理由を持っていたのはミューの方であり、また両親にとってもそれは苦渋の選択だった。
少なくとも、世界を敵に回す程度なら両親はミューを捨てなかった。
いくら適当な獣人は言え、親であるのだから子供の為に命を賭ける位の覚悟は持っていた。
それでも、捨てざるを得ない理由があった。
しかも、二つも。
ミューは外見こそ両親の様な真っ当な獣人だが、中身は色々な意味で普通の枠から外れてしまっていた。
そんな過去がありながらも、現在両親との仲は良好と言えるものまで戻っている。
職業柄滅多に遇えず、父親に至っては両手で数える程度の日数しか一緒にいたことはないが、それでも捨てた相手と捨てられた相手でありながらここまで仲が修復出来たのは奇跡以外の何物でもない。
そしてそれはユイのおかげだった。
真っ当に生きる事が許されず、場合によればそのまま処理されていてもしょうがないミューが今や堂々と生きられるどころか頂上に等しい権力を持って暮らせている。
ユイがいたから。
当たり前がなかったミューが当たり前を手にし、権力まで手にした。
だが、ミューはその事を幸せだと思った事は、一度もない。
ミューにとって幸せとは――。
こん、こん、こん。
遠慮がちだけど、強く叩かれる音。
何度も聞きたいと思って、一度も聞けなかったノックの音。
ノックの仕方だけで、誰かわかってしまう。
それ位……ミューはこの日を待ち続けた。
「お帰り……なさい……ユイ様……」
ノックの返事は、それだけ言うのが、精一杯だった。
「ただいま……で、良いんだよね? ミューちゃん」
「当たり前です。ユイ様が望んで下さるなら……」
「ん。ただいま」
そう言葉にし、扉が開かれる。
何年ぶりかすらわからない、愛しいお方との再会、世界の全てとさえ思っていた相手。
顔を綻ばせ、幸せに満ち……そしてその相手の顔を見て――ミューは絶句した。
「ユイ様……それ……それ……」
わなわなとして、無礼であるとわかっていても我慢出来ず、ユイの顔を指差す。
その、黒い包帯に巻かれた部分、瞳のある辺りを。
ミューが知っているユイは、恐ろしさすら感じる程美しい、黄金の瞳を宿していた。
墓標に隠された王族の秘宝、触れる物皆呪うが触れずにはいられない。
それほどの美しさを持った瞳。
誰よりも美しかった、至高の宝。
その目は、ミューはもちろん大好きだった。
「えへへ。取っちゃった」
ユイはけろっと、そう言葉にした。
「取ったって……どうして!? あれは……あの力は……私なんかじゃ考える事さえ出来ない……本物の『未来視の魔眼』を……至高でさえあるアレを……どうして!?」
ユイがミューを引き取ったのは、似た様な力を持つ瞳を持っていたから。
未来を視通す瞳という、似た様な力を。
だが、似てはいるがそれは完全に別物だった。
外れる事も少なくないミューの瞳と違い、ユイの瞳は正しく本物だった。
なにせ絶対に外れる事のない、本物の未来が視えるのだから。
だからこそ、ミューは泉守の地位は預かっているだけだと思っていた。
いつかまた、ユイがその座に戻る間の空席を回避する為、その為に、自分が泉守になったのだと。
そう思っていたが、その日が来る事はないと、そのユイの顔を見て、ミューはわかってしまった。
「あはは……。まあ色々あって……」
「色々って……。そんな……しかもそれ……消失の呪いじゃないですか!? どうしてそんな物まで……」
「いやー思ったより強くてねぇ。こうでもしないと摘出する事が出来なくて……」
「何でそんな事を……ユイ様のあの瞳は皆の希望で……世界を護る柱で……」
「――そう、ね。そうだったわね。うん。そうだったんだ。私の瞳は……。……ミューちゃん。ちょっと……らしくない事して良い?」
「へ? いえ、私がユイ様のする事を否定する事は……」
ユイはいきなり、ミューを抱きしめた。
ぎゅっと強く、かたく。
それは、愛溢れる抱擁ではない。
耐え続け、堪え続け、その果てに、限界が来た心の折れた者が誰かに頼る様な……。
ユイの腕は、震えていた。
「私は……私はずっと……ミューちゃんが……羨ましかった……。その力が……私と違うそれが……ずっとずっと!」
「ユ、ユイ様!? いきなり一体……それに……劣化でしかない私の眼なんかが……」
「劣化? どこが? 世界を崩壊させないその瞳のどこが劣化よ!? 私がどんな思いであの忌々しい瞳を使っていたと思ってるの!? あんな……あんな忌々しい……」
震えながら、強く抱きしめながらそうユイは叫んだ。
「……ユイ、様?」
「私の瞳は、未来を視る。その意味がわかる?」
「意味? 危険を当て最悪を防ぐ……」
「確かにそういう使い方をし続けて来たわ。でもね、その度に、私は世界を壊して来た。私が未来を視るとね、世界線が収束するの。……意味、わかる?」
「すいません。わかりません……」
「私が見た物は、全てそれが現実となる。それはつまり、本来避けられるはずの不幸さえ確定してしまうという事。それだけなら良いの。それだけなら我慢出来る。その程度なら、忌々しいなんて思わなかった……」
「何か……デメリットが……」
「私が瞳を使う度に、世界が固定される。世界の固定というのはどういう意味かと言えばね、それ以外の世界線は全て消滅させるという意味なの。無限に広がり続ける無数の未来の枝を、私は伐採し続けてきた。あるべき希望も、幸せも、全部。そういう力なのよ……」
未来とは、選択肢の分だけ存在し無数に増え続ける。
たった一歩、たった一呼吸違うだけで、異なる未来が生まれる様に。
その別れた未来を、全て切り捨てる事。
それが、アラヤユイの未来視の正体。
つまり、目視した未来以外の全ての未来を、世界をユイは破壊してきた。
故に、ユイの心は暗闇に落ち続けた。
能力を使う度に、世界を殺して来たのだから。
一個ではない、数百、数千ではない。
存在し得る全てを、一つ以外全ての世界を、皆殺しにしてきた。
そこには、別の個体のミューもいたはずである。
もっともっと沢山の可能性もあったはずである。
それを、ユイは未来視を使う度に、殺し続けて来た。
少なくとも、ユイはそう思って来た。
「私は殺し続けた。使いたくない力を使って……。国なんてどうでも良い。こんな力使いたくない。そう言いたかったけど……でも、それが許されなかった……。嫌で嫌でしょうがなくても……使い続けなければいけなかった!」
そう、魔王に伝えた事もあった。
極力使いたくないと。
それでも、歴代の魔王はユイに魔眼を使う事を強要し続けた。
そうしなければ、国を護れないから。
「それにね……もう一つあるの。私が魔眼を使いたくない理由。使うのが、とっても怖い理由。……世界線を収束され続けると、何が待っていると思う?」
「……決まりきった、未来ですか?」
そう、ミューは考え言葉にする。
ユイは、首を横に振った。
「未来が無数にあるのは意味がある。存在を固定するという大きな意味が。世界線を収束させ続けるとね……未来そのものが無くなるの。完全なるものが消失。つまり、一つ残らず世界が消滅し、崩壊する。私の力でね」
実際、その可能性は確かにあった。
決して高くはないが、ユイの魔眼が世界を壊しきる可能性は、確かにあった。
だから、ユイはこの力を連続では絶対に使わない様にした。
時の権力者に望まれてものらりくらりと躱し続け、使用頻度を最小限にし続けた。
怖かった。
これまで多くの世界を簡単に壊せたからこそ、ユイは知っていた。
世界なんてのは、簡単に無くなるものだと。
世界とは、崩れかけた足場、泡の様な物。
その程度に過ぎないと、未来視の魔眼が伝えていた。
それを知った時から、ずっと、力を使う事が怖かった。
「だからね……貴女の力が……ミューちゃんの力が羨ましかった。それと同時に……貴女は私の救いだったわ。貴女の力は……私と違って本物で、本当に凄いから……」
「ユイ様の苦しみは……わかったとは言えませんが……理由はわかりました。気づかなくて、助けられなくてごめんなさい。でも、それでも……私はこの力をそんな凄いなんて思えません」
他の子よりもちょっと未来が当たる程度の確率。
努力なしで即使用出来る力にしては凄いが、それでもユイの様なオンリーワンではない。
少なくとも泉守となれるだけの能力とは思えない。
そう、ミューは思っていた。
「……あはは。私がこの決断を出来たのは……眼を捨てる事が出来たのは……ミューちゃんのお陰だよ」
「私の?」
「そう。ミューちゃんだったら、全部……ああうん、暗躍とかそういうのは無理ねミューちゃん。でも、泉守の表の仕事は全部任せられると思ったからよ」
「そんな!? 私のこのへっぽこの眼じゃ――」
「その眼を馬鹿にしないで」
冷たく、鋭い声でユイは呟く。
ミューですら、一瞬呼吸を忘れる程、世界が凍えたかと思える程、その声は冷たかった。
ユイはミューを抱きしめるのを止め、一歩離れミューの前髪をそっと上にあげその瞳を見つめる。
愛おしそうに、羨ましそうに。
「本当は自分で気づいて欲しかったんだけど……ミューちゃん思い込んだら気付かないんだもん。せっかく泉守にして、その機会を山ほど上げたのに……」
「い、至らない泉守でごめんなさい。死んでお詫びを……」
「お願いだから死なないで。色々な意味で。私ミューちゃんいなくなったら悲しくて死んじゃうから」
「……わ、私もです。ユイ様がいないと……寂しくて、死んじゃないます。……死んじゃいそうでした」
「――ごめんね」
ユイはそう呟き、ミューの頭を撫でた。
「……この手が、欲しかった。この……優しい手を、ずっと……私は待ってました……」
ぽろりぽろりと、大粒の涙を零し、ミューはそう呟く。
その涙が止まるまで、ユイは頭を、角を撫で続ける。
それ位はしたいと思う程度には、寂しくさせて申し訳ないとユイも思っていた。
『紅茶を淹れて頂戴。上達したミューちゃんの紅茶が飲みたいわ』
そんなユイの言葉に感涙の涙を流しながらミューが紅茶を淹れ、一休みした後、ユイはミューの瞳について説明しだした。
「ミューちゃんの瞳はね、そもそも、未来を視ている訳じゃないのよ」
「えと……それは私が駄目駄目だから能力が足りないとかそういう意味ですか?」
「違うわ。なんでそう斜め下にネガティブなのかしらこの子。……ああ、私もそうだったわねそういや。こほん。話を戻すわね。――そもそも、その瞳は未来予知と仕組みそのものが違うわ。違和感を覚えた事ない? 他の子の未来予知と違うとか、明らかに未来じゃない物が見えたりとか?」
そうユイが言ってもミューはぴんと来ず、首を傾げるだけだった。
「……はぁ。私、教育の才能はなかったみたいね。ごめんねミューちゃん」
「い、いえ。私がただダメダメなだけですから! あわ、あわわわ……」
涙目でおろおろするミュー。
それを見て、ユイは楽しそうに紅茶を口に運ぶ。
数年ぶりの再会で、ユイは一つ思い出した事があった。
この慌てふためくのがミューの日常であり、そしてそんなおろおろ騒がしいうっかりでドジな家族を見続けるのを自分は楽しいと思っていた事を。
我ながら趣味が悪いとは思うが……楽しいのだから仕方がない。
「私の様に未来を確認し確定する瞳でもなく、他の子達の様に修行の末確定していない確率の高い未来を視通していた訳でもない。そもそも……本当に未来視だったらクロスさんを中心に未来を確認は出来ないわ」
「……え?」
「だって、未来を視るのに一人を見るのって変じゃん。未来ってもっと広くて全体を表す事だし、未来視で見るのは世界の中で起きる事象だもの」
「あれ? でも……」
「そう、ミューちゃんはクロスさんの内面を見て、内面が最悪の事象にも、未来を好転させる可能性も見出した。ね? 違うでしょ」
「……じゃあ……私のこの瞳って……」
ユイは紅茶のカップを置き、微笑んだ。
本当に嬉しそうに……安心しきって。
「私のいる時代に生まれて、私に出会ってくれてありがとう。私に世界殺しを辞めさせ、未来を全て消滅させる前に瞳を閉じさせてくれてありがとう……。貴女のその瞳は……未来よりも、世界よりも、もっと深い物を見る目よ」
「私は一体……今まで何を見ていたのでしょうか?」
「……『運命』。貴女のその瞳は、神でさえ見る事が叶わない、世界の運命さえも見通す。私が持っていた魔眼『未来視』よりもなお珍しく強力な力。そして、おそらく至上の至高であり世界で最も希少な才能。『運命視』の魔眼が、貴女の本当の力、その名前よ」
席を立ち、ユイはそっとミューの肩を叩いた。
「ミューちゃん。貴女はもっと自信を持っていいの。私よりも……先代で最も偉大と言われた泉守よりも素晴らしい瞳を持っているんだから。……ミューちゃん?」
ぴくりとも動かないミューを不審に思い、ユイはミューの顔色を伺う。
その顔は、眼を見開き真っ青になってカタカタを歯を震わせている。
ぶっちゃけ笑ってしまいそうな程面白い顔をしていた。
「あわ、あわわわわ。ど、どうしたら良いんですか? え? 私なんかがそんな力どう使えば……あわ、あわわあ! 目を移植。ユイ様にこの目を……」
「あー、うん。それもちょっと考えたんだけど……止めた方が良いわ」
妬み、苦しみからそれも考えた。
一生ミューを大切にしミューの奴隷になって、その代わりその至高の目を預かろうと。
そう考えた事は、過去一度や二度ではなかった。
「ど、どうしてです!? 私よりユイ様が持った方が絶対良いですって!」
「……いや、ね。私、どうしてこんな包帯してると思う? 包帯に消失の魔法陣まで描いて」
「え?」
「いやねぇ……瞳えぐってもさ……視えちゃったんだ。未来。どうやら瞳がなくてもある程度は能力使えるみたいでさ。だからこの包帯、外せないのよねー。少なくとも数年は。つまり、この状態で私に目を移植しちゃうと、私とミューちゃんの力がドッキングして……最悪な事になりかねないなーと」
「さ、最悪って……」
「運命を確定させ望んだ運命を破壊する『世界殺し』の魔眼が誕生しちゃったりして。という訳でやめよ」
ハートマークが出てそうな程明るく、絶望的な事をユイは言葉にした。
「あ、はい。……じゃあ……私はどうしたら……」
後ろから、ユイはミューを抱きしめた。
「私さ、もう一生目が見えないのよね。だから、生活とかサポートしてくれる?」
「も、もちろんです! むしろ私がしたいです。させてください! おはようからお休みまでずっと一緒にいたいです!」
「ありがと。代わりに、私がミューちゃんを支えてあげるわ。私が、貴女の瞳を上手く運用してあげる。貴女が望む様、貴女がしたい様、貴女が幸せになれる様に……」
罪悪感、後悔……。
その気持ちを否定はしない。
だが、一番の理由は、ユイもそうしたかったからに過ぎない。
ミューを幸せに……いや、ミューと共に、幸せになりたい。
それがユイの本当の願いであり、その為に、邪魔な瞳を取り払い、その挙句今日まで愛しいミューと別れ暗躍し続けた。
ミューを寂しがらせるとわかっていても、それでもやるべき事をやり続けた。
ただ、一緒に居たいという願望の為に。
「……私の幸せは、ユイ様と共に居る事です。それだけで……私は良いんです」
それは奇しくも、同じ願いだった。
それが許されない力を持ってしまった二体の望みは、全く同じ物だった。
「……ねぇミューちゃん。一つ、お願いしても良いかな?」
「――私に出来る事なら」
「今夜、一緒に星を見てくれる?」
「それは……嬉しいですが……その……」
その無き瞳を見ながらミューは何と言葉にしようか悩む。
それをわかった上で、ユイは微笑んだ。
「見て欲しいの。私の横で、私の代わりに。今日の星空を……。最後の星空を、先に、進む為に……」
その言葉の意味はわからない。
だが、ミューの答えは決まっていた。
「それが、ユイ様の望みなら」
そう言葉にし、ユイの手を握った。
「……ありがと。後はユイ様じゃなくって、呼び捨てとかだと嬉しいかな」
「それは……その……あの……私が恥ずかしくて死にそうなので……ちょっと、無理です」
真っ赤な顔でそれだけ言うミューを、ユイは愛おしそうに見つめる。
もう、この瞳に何かを映す事はないが……それでも、ユイは幸せだった。
ありがとうございました。




