全てが、ただの前座であったと知った顔。そしてそれ以上の絶望を知った顔
クロスの殺意は、その場で霧散した。
レイアというありもしないはずの幻を見て、感傷に浸ってしまって……。
そんな状態で、誰かを殺す気持ちにはとてもなれない。
だからこそ、クロスは冷静になり、ある事に気が付いた。
ロキが、最初から殺されるつもりだったという事を。
こういう策略家の考えは最初から理解出来ないが、それでもクロスは一つだけ、知っている事がある。
思い通りに事を進めた場合、十中八九酷い事になるという事を。
故に、この場での正解は、殺さない事。
事情も状況もわからないが、ロキの死が目的である事だけは、クロスでも理解出来た。
「あー。これ、助けられたんだよなぁ。たぶん……」
クロスはつい、そう呟いていた。
「何にですか?」
翼を仕舞い、傍によりエリーは尋ねた。
「んー。レイアの幻を見たって言えば、信じる?」
「お姉様のですか? ……そもそも、クロスさんじゃなかったんです? お姉様って」
「違うよ。俺じゃない」
そう、クロスははっきりと断言出来た。
その考え方も、その性質も、そしてエリーとの向き合い方も、クロスとレイアは別だった。
そう、今のクロスははっきり言えた。
レイアは、エリーを愛していた。
「そう、ですか。だったら……きっと幻じゃなくって出て来たんですよ。ほら、お姉様ってあれで強情でいじっぱりで……それで、誰かを助けたいって、いつだって願っていましたから……」
エリーは少しだけ上を見て、一呼吸し、クロスに尋ねた。
「お姉様は、もう、いないんですよね?」
「――ああ。いない」
最初から、そういう契約だった。
レイアがフェニクスと呼ばれる種族なのは、蘇る為。
ただしレイアが蘇るのはクロスとしてであり……つまり、クロスが今こうして存在している以上、レイアは存在していない事となる。
表裏一体だからこそ、それは間違いなかった。
「どうして……一体どうして失敗した……」
ぼそぼそと、地面に蹲りロキはそう呟く。
目を血走らせ、地面を指で掘り……。
綺麗だからこそ、不気味としか表現出来なかった。
「どうしてって言ったら、やっぱり私の可愛いレイアちゃんが理由だよね! レイアちゃん可愛いし強いし最高だから、ねぇエリーちゃん!」
空気なんて微塵も読まず、ニコニコ顔で言葉にするユイにクロスとエリーは冷たい目を向ける。
クロスとの会話で、エリーも何となく、事態を察し、そしてレイアが苦しんだ理由がユイだと理解出来ていた。
「……あ、ごめんなさい調子に乗って。はい、すいません」
ユイは急にしゅーんとなりクロスとエリーから距離を取った。
「……いや、なんでそんなメンタル弱いの?」
クロスの言葉にユイは落ち込んだ様子のままぽつぽつ呟き答えた。
「そりゃ……私も悪いと思ってるし……悲しいなって。……お別れパーティー、出来なかったし。最後にプレゼントもあったのに……ぐすっ。……ああ、部屋戻りたくない。パーティーの準備だけしたハコなんて見たくない……うぅ……後片付け……誰かしてくれないかなぁ……」
クロスはその様子が演技にはどうしても見えなくて、小さく、溜息を吐いた。
「エリー。一応こいつの中じゃエリーはまだ家族判定だから、慰めてあげて」
「え? そうなんです?」
「ああ。俺の中にある記憶が、この曲がりやすいけど戻りやすい形状記憶ヨワヨワメンタルこそユイ・アラヤという証明だって言ってるし」
「……ああはい。まあ良いですけど……」
そう言葉にし、エリーはどうしたものかと首を傾げながら、ユイの頭をなでなでとしてみた。
ユイの機嫌は、あっという間に元に戻った。
「ありがとエリーちゃん! クロスさんもごめんなさいね! それで話戻すけど、ロキ様の目的ってクロスさんいないと達成出来ない系なのよ。だからこの場から離れたら全部終わり。という訳で戻っちゃって。もう試練とかそれどころじゃなくなってるだろうし」
「戻るって、どこに?」
「とりあえずミューちゃんとこ。私の命令だって言えばすんなり行けるから。……それとも、エリーちゃんは学園にちゃんとお別れしたい?」
エリーは少し考えた後、首を横に振った。
「いえ。復興やその他に手伝える事があるなら手伝いますが、そうでないならクロスさんと共にいます。別れを言えば悲しい気持ちなりますし……何より……何となーくですが、嫌な予感がしますし」
「そう……。んじゃ、先に戻ってて。私も後で戻るから」
その言葉に従い、クロスとエリーはその場から……学園から離れ、ミューがいるであろう場所まで歩き出した。
「ところでクロスさん。その剣は、アレですよね? クロスさんの愛剣の」
「おう。ようやく名前もわかって少しだけ理解出来た。ついでに色々と特性やら使い方やらわかったぞ。……声は本当たまーにしか聞こえないけど」
「可愛らしい女の子の声ですよね?」
「あれ? エリーも聞いた事があったっけ?」
「はい! 私にとって大恩あるお方と言っても良い位ですです!」
そんないつも通りの会話をしながら……レイアの事を考えない様にしながら、クロスとエリーはこの場を離れた。
「……アラヤユイ。あんた……何をしたの? 失敗する訳がなかった。クロス様も……その従者も、思考を外れない様、私の考えを読まれない様誘導し続けた。それなのに失敗したという事は……」
そう言葉にし、ロキはユイを睨みつける。
ユイは飄々とした態度で微笑を浮かべた。
「私は何もしておりませんよロキ様。貴女が諦めるまで、黙っておりましたでしょう? ただ……私には自慢の娘がおりますの」
「娘……だと?」
「ええ。悪として生まれ、この世界に不要な存在であると悩み続け……その果てに、自分が一番妬ましいであろうクロスという存在を無償で助けた。そんな……私の自慢の娘が」
それが妄言なのか、本心なのか、嘘を付いているのか、ロキにはわからない。
だが、そんな事どうでも良かった。
「……私を、どうするの?」
「実は、それは決めてなかったんですよね。ぶっちゃけ私貴女だけは殺されると思ってたし。だから貴女のシナリオ乗っ取る形で行こうと思ってたんだけど……うーん私の想像の上を行くレイアちゃん本当素敵」
「……本当、最悪。何を言っているのか何を考えているのかわからない奴に沙汰を任せるなんて……」
そう言葉にし、ロキは全てを諦める。
もう、全てがどうでも良かった。
書類仕事の最中、ミューはノックの音に体をびくっと動かし、そわそわとする。
最近、毎日こうである。
ユイが来るのを期待して、そして違って落胆して。
まだ当分来ないとわかっているのに、ミューは期待する事を止められなかった。
「は、はい。どうぞ」
おどおどとした態度で返事をすると、いつもとは少々異なる、少々以上に予想外の相手が来訪してくる。
「お久しぶりですミュー様。少々、お時間宜しいでしょうか?」
エリーの言葉にミューはこくりと小さく頷いた。
「クロス様、エリー様。お久しぶりです。今お茶を用意させますので少しお待ち下さい」
そう、ミューは言葉にし慌ててとてとてと走っていった。
「んー小動物っぽくて可愛いけど……話しかけると怯えるのを口説くのは難しいなぁ……」
「久しぶりですのに相変わらずクロスさんはクロスさんですねぇ」
「罵倒の様に名前を使うのは勘弁してくれませんかね?」
「でも、そういうのが好きなんでしょ?」
「まあ畏まられるよりはこれ位気楽な方が好みだな」
「ええ、そうでしたね。……たった数週間程度なのに……随分……離れていた気がします。寂しくはありませんでしたけど」
「ああ。俺も似た様なもんだ」
そう言葉にし、クロスは口を閉ざす。
その表情からは、後悔が見て取れた。
誰の事を考えているのかエリーはすぐ理解出来……だからこそ、話しかけず、そっとしておいた。
まだ、受け止め消化するには時間がかかるから。
主だけでなく、自分の方も……。
「お待たせしました。とりあえず紅茶を……っと、どうかしました?」
どこか不思議な空気、普段の自分が出している様なじめじめした空気を感じたミューは不思議に思いそう尋ねた。
「いえ、何でもないです。ミュー様が直々に淹れて下さったのですか?」
「はい。皆忙しいみたいですので」
「泉守様直々とは贅沢ですね」
「その……あまり期待しないで頂けたら。お出しできない程酷くはないつもりですが……」
おろおろしながら露骨に顔を真っ赤にし、慌てながらお茶を配るミュー。
その様子をクロスとエリーは微笑ましい目で見つめた。
「いただきます」
「いただきます」
クロスのエリーの言葉に頷き、ミューは元の席に戻った。
「はい。それでは……事情を説明して頂けますか? 両者共に適応の試練を突破したのだと思いはしますが……」
ミューがそう尋ねるのに答える前、何を話すべきか纏める為紅茶を持ち口に含むクロスとエリー。
その瞬間、カップを加えたまま両者の動きは固まった。
「……あの……もしかして、美味しく、なかったですか? あ、お砂糖とかご自由に……。なんならジャムも……」
常に不安を抱えているミューは慌ててそう言葉にした。
実際のところ、ミューの紅茶を淹れる技量は決して低くない。
むしろ特上に等しいとさえ言える。
それが、クロスとエリーにとっては問題だった。
極上の味で、馴染みのある茶葉。
丁寧で茶葉に合わせた淹れ方、飲む相手の事を限界まで思いやった優しい味。
その味は、レイアが淹れる紅茶の味に良く似ていた。
両者はほぼ同時に、涙を零した。
目を閉じれば、未だにエリーはレイアがすぐ傍に居る様な気になってくる。
実際はクロスとよく似た気配であるからこそのただの錯覚だが……それでも、いると思ってしまう。
それが無性に寂しくて、切なくて……そして、もう会えないのだと思うと、自然と涙が零れた。
クロスはレイアの気持ちを誰よりも近くで見ている。
悩み、苦しみ、それでも足掻き続け、命を燃やしきったその姿を。
誰かの為に一生懸命になれたその生き方を。
紅茶一つ淹れるのにも、お菓子一つ作るのにもそう。
誰にも見られない様に、何度も何度も練習を重ねた。
少しでも、美味しい物を食べて欲しい、楽しんで欲しい。
そう強く願うからこそ、レイアは誰にも努力を見せなかった。
独りで頑張る苦労を、レイアは苦労と思った事は一度もなかった。
エリーは寂しさから、クロスは慚愧から、そっと涙を流した。
「あの!? わ、私何か粗相を……」
クロスはそっと、手の平をミューの方に向けた。
「違うんだ……違うから……時間をくれ。……淹れてくれたお茶は……本当に美味しいから……味わわせてくれ……頼む……」
それは、懇願する様な声。
その声に逆らう事など出来る訳がなく、ミューは静かに椅子に座り、自分の淹れた紅茶を楽しむ。
悪くない出来だとは思うが、感動させる程でもない。
ミューはクロスとエリーに見られない様、そっと首を傾げた。
クロスとエリーが感傷に浸り終わり、紅茶を飲み終わった後――。
二体はミューに向かい、深く頭を下げた。
「いえ、そんな……謝罪なんて……」
相も変わらずおろおろおどおど。
目を髪で隠していてもそんな挙動不審な態度が出ていた。
「いや、それもあるが。感謝もあるんだ。ありがとう……想い出を見せてくれて」
そう、クロスは言葉にしエリーも頷く。
悲しい気持ちの方が強いが、それも大事な想い出で、大切にしないといけない記憶。
だからこそ、ミューに対し二体は感謝を抱いた。
「……いえ、その……どういたしまして?」
わけがわからずきょとんと首を傾げるミューにクロスとエリーま顔を合わせ、微笑みあった。
「ああ。それで思い出したんだけど……たぶん俺らが何があったのかを話すよりも、この方が早い。というかその為に、これを預かって来た」
そう言ってクロスは書類の入った封筒をミューに手渡した。
「これは?」
「ユイ・アラヤからミュー様に」
「おし――じゃなかった。ユイ様からの!?」
ミューは急に明るい笑顔を浮かべたかと思うと慌ててそれをクロスから受け取り、そして急いで目に通す。
その態度は、ミューにとってそれだけユイが大切な存在であるという証明でもあった。
そんなミューは、資料を読み進める毎に、表情をころころと変えていった。
最初はまるで恋文でも貰った青年の様な表情だったのに一気に冷汗だくだくになり、顔を赤くしたり青くしたり……。
最終的にはまるで死人であるかのような絶望的な表情と土気色の顔、そして滝の様な汗を流していた。
メカクレである為目がどうなっているか見えないが、ほぼ間違いなく、涙目になっているだろう。
「……学園への補填。保護者への説明……周囲への会見……事情説明……説明……補填……対策……ああ……ああ……」
そう呟きながら、ミューは頭を抱えご自慢の角を握る。
あるで赤子が母親の手でも握るかのように。
「その……ご愁傷様……です? それともごめんなさい?」
エリーの言葉にミューは首を横に振った。
「いえ。大丈夫ですエリー様。胃痛を抱えるのは私だけではありませんので……」
そう言葉にし、ミューは大きく深呼吸をして息を整えた後、クロスとエリーにぺこりと頭を下げた。
「変則的ですが、試練達成おめでとうございます」
「ああ、そういや適応の試練って話だったっけ。次はどうすれば……」
「いえ、三つの試練全て達成という形になります。問題解決のお礼という形で……そう、ユイ様が決定なさりました」
「え? ……それで良いの?」
クロスの言葉にミューは頷いた。
「ユイ様が全責任を取るという事ですので、それで構いません」
クロスはエリーと顔を見合わせ、茫然とした後釈然としない表情のまま頷いた。
「まあ……それで良いなら……。良くわからんがこれで俺のやるべき事って終わりか。というか元々どういう話だったっけ?」
クロスはエリーにそう尋ねた。
「クロスさんが元人間だから裏切り者かどうか調査する……という体だったはずです。実際は良くわかりませんが……」
そう言葉にし、エリーはミューの方を見つめた。
「……はい。クロスさんに対しての疑惑の調査です」
「んじゃ、俺はもう問題ないという事で良いんだよな?」
「はい。信頼に足ると直々に証明頂いたので」
「んじゃ、俺のやるべき事は終わりって事で、良いんだよな?」
「はい! その通りです。これでようやく『本題の前提』である『証明』が終わり『本当の本題』を話す事が出来ます!」
「――は? 前提? 本題?」
ミューはニッコニコ顔のまま、頷いた。
その様子は、誰が見てもわかる程のやけっぱちである。
「……あのさ、俺ら結構色々な事があったんだ。冒険と呼んでも良い程の事がさ……。悲しい別れとかも含めて」
「はい。全て拝見させて頂きました。クロス様がどうやって逃げたかも、エリー様がユイ様の愛娘となられた事も」
「それで、あれだけの事があっても、あれだけの大事件が、前提?」
「はい。前提です」
「つまり、あれよりもっとやばい事が待ってるって事?」
「はい! 待ってます!」
「……あのさ、嫌な予感がするから帰って良い?」
「はい! 構いませんよ! 正式にアウラフィール魔王様の方に話をする予定ですので、ここで聞いても聞かなくても、どちらでもそう変わりません。まあ早い方が心構えが出来るとは思いますが」
「……何かミュー様……態度変わったね」
「あはははは! 笑ってないとまともに話す事が出来ない様な内容ですので!」
「……厄介事?」
「超ド級で」
「先の事件の後処理と比べても?」
「あれの何万倍も厄介事ですね!」
「……俺、関係してる?」
「はい! 思いっ切り!」
クロスは小さく、溜息を吐いた。
「……あのさ、今更だけどミューちゃんって呼んで良い?」
「どうぞどうぞ! 私如きに様付けは地味に辛かったのでその方が嬉しい位です」
「オーケーオーケー」
クロスはゆっくりと深呼吸をして、覚悟を決めた。
面倒事に関わる……というよりも巻き込まれる覚悟を。
「良し。ただ、俺馬鹿だからさ、ミューちゃん出来るだけ分かりやすく説明してくれ」
「はーい。では、一番重要な部分だけ抜き出しますね。魔王国崩壊の危機です」
「……りありー?」
「りありーですの」
クロスはソファにもたれかかって天井を見る。
それは、思った以上に面倒で、そしてふざける余地のない話だった。
「……俺が関係している理由は?」
「魔王国崩壊のキーがクロス様でした。今だからぶっちゃけますけど、クロス様が国を亡ぼすという予知もあったんです。逆にクロス様が国を救うという予知も。ですので、調べなければいけなかったんです」
「だから、俺が人間の裏切り者かどうか調べたのか」
「はい。正しく言えば、何があってもクロス様が最後まで魔物の味方でいられるかですね。ぶっちゃけますけど、先の騒動でクロス様が誰か一体でも故意に処断していましたら、その時点で私はクロス様の処刑をアウラフィール魔王様に命じていました。簡単に誰かを処断出来る様なら、犠牲を簡単に許容出来るなら、裏切る可能性が高いと判断出来ましたので」
「まじで?」
「まじです」
「……もう、俺殺される事ない?」
「はい。大丈夫です」
その言葉を聞き、クロスは安堵の息を吐いた。
処刑される事が、怖い訳ではない。
自分が処刑されるとなった時の、エリーが怖かった。
クロスがユイの口車に乗ってレイアという存在に変わったのも、口にはしないがエリーが原因だった。
時さえ超える永劫とも言える長い旅をしたその弊害により、エリーの精神は今でも不安定な部分が多い。
そんなエリーを一週間でも独りでいさせる事にクロスは不安を覚えた。
エリーを見守る誰かを、心から求めた。
それが、レイアだった。
そんなエリーがクロスの処刑を素直に認める訳がない。
最悪、それが原因で国が割れかねない。
それ位エリーならするという信頼がクロスにはあった。
「そんな訳で、より細かい未来予知や情報をアウラフィール魔王様に伝え、同時に魔王国崩壊対策を依頼します」
「……あー、つまり、俺はどうしたら?」
「一つ、魔王国滅びる可能性が高いです。二つ、それを止める可能性が一番高いのクロス様です。三つ、アウラフィール魔王様に命令しますので後はそちらの皆様で対処をお願いします。もちろん、こっちも日々情報を仕入れておきますが」
「……ミューちゃん。一個良い?」
「はい。私にわかる事なら何でも」
「いや、関係ないんだけど、全部無事に終わったらさ、デートしてくれない? ランチだけでも良いからさ」
あまりに予想外で、ミューはポカーンとした顔をした。
「……はい?」
「駄目かな?」
「いえ駄目とかそうではなく……何で私? 私こんな見た目だし……」
「こんなって? 可愛いじゃん」
「でも……育つ所育ってませんし……可愛くないし……」
「可愛いよ。なあエリー」
エリーは小さく溜息を吐き、頷いた。
「そうですね。ミュー様は可愛らしい容姿をしていると思います。あ、嫌なら断って下さいね。クロスさんとりあえず気に入った方全員に声かけてますので」
ミューはくすりと笑って頷いた。
「……知ってます。ですが……私にまで声を掛ける程見境なしだとは思いませんでした……。あ、申し出はありがたいのですが……」
「ちぇー。断られちゃった」
「死亡フラグみたいですからね」
「死亡……何?」
「いえ、何でもないです。ありがとうございます。そんな風に女性として見られたのは生まれて初めてでしたので……少しだけ、嬉しかったです」
「そう言われると……何が何でも落としたいって考えちゃうなー俺」
「それは……難しいかと思いますが……クロス様のその宿命的に……」
「宿命……?」
「いえ、何でもありません。……声を掛けて貰えるのは、嬉しいですよ?」
そう言葉にし、ミューは頬を赤らめる。
エリーは気が付いてしまった。
ミューの外見はクロスの好みではない。
動物寄りであるなんてちっぽけな事をクロスは考慮しない。
たがその代わり、クロスはどちらかと言えば育っている女性の方が好きだからだ。
ただし、中身だけで言えば、クロスの好みドンピシャである。
クロスの好みは、喜ばせ甲斐のある女性だからだ。
リベルナイトなんて名乗っていた昔の厄介だった頃のエリーの様に。
エリーは面倒な女性ばかりを好み好まれるクロスに対し苦笑いを浮かべた。
クロスの最初の仕事は、アウラへのメッセンジャーとなった。
イディスよりの正式な依頼と未来予知の報告。
アウラフィール魔王国の物理的な崩壊を未来視し、それを未然に防ぐ事。
その命令書と大量の資料を、アウラの元に持ち帰る。
そして持ち帰った末に、アウラと共にその問題解決に乗り出す。
それが、クロスの受けた依頼だった。
そんな仕事をミューから受け取り、イディスの正門でどうやって帰ろうか。
少しでも早い方が良いから予算度外視で転移陣にしようか。
そんな事をクロスとエリーが相談しているその時、ユイが二体の前に顔を出した。
少しだけおどおどして、どこか困った愛想笑いをしながら。
「あー。娘に別れの挨拶か」
クロスの言葉にユイは頷いた。
仮初で、レイア繋がりであっても、ユイはエリーを娘扱いしている。
そしてユイはそういう家族の縁をとても大切にしている。
それを、クロスは良く知っていた。
「……それもあるけど、他にも色々。クロスさん、契約、覚えてます?」
「――ああ。覚えてる」
「それをエリーちゃんには?」
「話すよ」
「そう……。ごめんなさい」
「最初に決めた事だ。しょうがない。それで、他の用事は?」
「これを魔王様に届けといて欲しいの。ミューちゃんの情報を補足する資料」
エリーは頷き、ユイから薄い紙の資料を受け取った。
「……これで用事は終わりか?」
クロスの言葉にユイは頷いた。
「うん。だけど……んー。……どうしようか……」
「煮え切らないなぁ。何かあるのか? お詫びにデートでもというのなら喜んで――と言いたいが時間がないなぁ残念な事に」
「私の事、嫌いなんじゃ……」
「おう。すっげー腹立ってる。だけど……ほら、超綺麗でセクシーじゃん?」
そんな事を平然と言うクロスをじーっと見つめ、ユイは納得した様な顔で頷いた。
「……ああうん。やっぱ言おう。お詫び代わりに。クロスさんってさ、運命とか信じる?」
「ああ。信じるぞ。未来予知機関なんてあるんだから運命だってあるだろう」
「じゃあ、変えられない運命、乗り越えられない運命だったら? 例えば、魔王国崩壊の危機はどうやっても避けられないとか」
「そんなもん――信じる訳ないじゃん」
そう、クロスは笑いながら言葉にした。
例え、魔王国が絶対に滅ぶのが決定事項だとしても、クロスには関係ない。
例えそれが変わらない未来であろうとそうでなかろうと、抗うだけ。
全力を出さないで終わったら、絶対に後悔する。
それが分かるからこそ、クロスは運命を信じ、その上で乗り越えられる壁であると考えていた。
昔の仲間達に、自分の師匠であり尊敬すべき友人達に対し、クロスはたった一つだけ、負けていない物を持っている自信がある。
それは、諦めない気持ち。
どれだけ弱くても最後まで旅について行ったからこそ、それだけは負けない自信があった。
「ええ。だから話せるの。貴方の運命を――愛の祝福を」
「愛の祝福?」
「そう。クロスさん、貴方誰かにとんでもない熱量で愛されてるの。それこそ、運命がねじ曲がってしまう程。運命で見えてしまう程。普通の愛情と比べる事さえ出来ない程強いレベルね。まるで神様に愛されてるみたい……」
「それってどういう愛?」
「当然、恋愛」
「……誰とか、わかる?」
神妙な顔でクロスはそう言葉にする。
残念な事に、クロスは全く心当たりがなかった。
「さあ? どうでしょう。ただまあ、そういう愛された宿命の下にあるって事だけは確かよ」
「そか……何か……嬉しいけど申し訳ない気もするなぁ。……いや、本当誰だろ。言ってくれたら良かったのに。ぶっちゃけ俺モテた記憶ないんだけどなぁ」
まんざらでもなさそうな顔でそう、クロスは言葉にしていた。
「ちなみに、強すぎる愛は呪縛でもあるわ」
そんな不穏なユイの声に、クロスはぴたりと体を止めた。
「はい?」
「ぶっちゃけるけど、良いよね?」
「……お願いします」
「運命は乗り越えられると信じてるのよね?」
「と、時と場合に……」
「……強すぎる愛の祝福は時に呪いとなり、その人物の運命さえ捻じ曲げ因果を変える。それを、解消しない限り……。まあぶっちゃけますけど、クロスさんその強すぎる位貴方を愛した人と特例を除いた他の方と、セックスする事が出来ません」
それは、あまりにも予想外すぎる言葉だった。
「は、はい? なんだそれ……そんな訳が……」
「思い当たる節ない? 誰かと事に運ぼうとしたら失敗したり、夜のお店に行こうと思ったら駄目だったり、そういうの」
クロスは静かに、音もなく膝を地面に落とし、両手を付き這いつくばった。
「ああ……あああ……。あああああぁぁあ!」
クロスは、慟哭する。
思い当たる節は、嫌だと思う程あった。
あってしまった。
「あ、これその詳しい情報。いらないと思うけど。じゃあねエリーちゃん。こっち来たら顔出してね」
そう言ってユイは蹲りダンダンと地面を叩き慟哭するクロスを放置しその場を後にした。
言いたい事だけ言って、去っていく。
ユイは完全に善意のつもりだが、クロスにとってはトドメを差す行為以外の何者でもなかった。
「えと……その……元気出して下さい? その……何とかなりますよ。運命なんて乗り越えてなんぼでしょ?」
「俺が誰かの愛を乗り越えらえると思うか? ぶっちゃけ、愛とかエロスとかそういうのには、俺は非常に弱い。大好きだからだ! というか……それ以前に俺が乗り越えられる訳ないだろうがあああ! 誰だよ俺好きなの! 言ってくれよ!」
ダンダン地面を叩きそう叫ぶクロス。
その姿は、びっくりするほど情けなく、だからこそ、クロスらしかった。
「……えと、資料見る限り……私は、大丈夫そうですよ?」
クロスはぴたりと、体を止めた。
「え?」
「その……そういう事するの。主従関係ですので。という訳で……私、我慢しますよ? そういう事でも?」
再度、クラスは地面を叩きだした。
さっきよりも何倍も強い力で。
「そこで! 我慢って言葉を出す相手にそういう事出来る訳ないじゃん! 運命の馬鹿野郎! 俺の馬鹿野郎! 誰だよ俺の事好きなのありがとうだけどお店行く位許してよ!」
正門の前で、蹲って叫ぶその姿は、門番達が冷たい目を向けるに十分、怪しかった。
ありがとうございました。




