学園カプリチオ・フィナーレ(前編)
クロスはそっと腕に抱えた少女を救護班に預け、そしてゆっくり、エリーの元に歩く。
クロスとエリーはどちらも無言のまま、しばらくの間じっと、見つめ合った。
エリーは、色々と尋ねたい事があった。
わからない事が、沢山あった。
何があったのか、どうしてそうなったのか、聞きたい事で溢れていた。
だけど、その言葉を飲み込み、エリーは微笑んで、そして……最初に告げるべき言葉を、クロスに伝えた。
「おかえりなさい」
「――ただいま」
そう、クロスも伝えるべき言葉を返す。
エリーは、何も尋ねる事が出来なかった。
だから、尋ねずにいようと決めた。
クロスの顔が……まるで、泣いている様に見えたから――。
「……エリー。色々話したい事があるんだ。きっと……気になっているだろうし。だけど待って欲しい。やるべき事が、残ってる」
クロスの言葉に、エリーは苦笑し首を横に振った。
「言いたくない事は何も言わなくても構いませんよ。傍に置いていただけるなら。私は貴方の剣であり、盾である。使うべき時に使っていただけるならそれで……」
「……ああ。そうだったな。ありがとう、エリー」
クロスはどこか遠くを見ながら、誰かに向かって言葉を投げかけた。
「……おい、どうせ見てるんだろ。出て来い」
それは、エリーが今まで聞いた事がない程冷たい声だった。
憎しみと怒りに満ちた声。
勇者であったからこその、賢者の怒り。
クロスをクロスたらしめる要素の一つ。
理不尽を嫌う、怒り。
その声を聞き、女性が姿を現した。
目を包帯で隠した黒の女性。
その女性、ユイ・アラヤが現れた瞬間、クロスは飛びつく様襲い掛かって胸元を掴み、締め上げた。
「クロスさん!?」
エリーは驚き声を荒げる。
その行動はエリーとしてもあまりに予想外の行動だった。
「どうして……どうしてこんな事をした! どうして俺にこんな事をさせた!? 知っていたらこんな事はしなかった。わかってるのか! お前が何をしたのか!? こうなるなんて知ってたらお前の口車になんて乗らなかった。なぁ……わかってない訳ないよな!?」
ギリギリと、絞め殺す様な勢いでユイを持ち上げながらクロスはそう問い詰める。
問い質しているが、その答えを聞きたい様には見えなかった。
「それが……最も……犠牲が少なかったから……」
ユイは苦しそうに、呻く様に、そうとだけ告げる。
クロスが激昂するとわかっていながら。
「それで貴様はあんな事をするのか!? あの子は最後には自我を持った。俺じゃあなかった。俺じゃなくて、正しく、お前の娘だったんだぞ。それを……」
ぷるぷると震えながら、クロスはユイを投げる様手離した。
ユイは尻もちを付き、咽ながら……ゆっくり、立ち上がった。
それ以上、クロスは何も言えない。
冷静になったからではない。
その所業の責任の半分は自分にある。
クロスは自分でもわかっていた。
この行動が、八つ当たりでしかない事位。
「……あんたは確かに救ったんだろうさ。大多数を。あんたが俺に声をかけたから、俺を利用したから……この程度の被害になったんだろうさ。でも……だからって……。あいつは……あいつの望みは……」
そのクロスの呟きを最も聞かせたい相手は、レイアはもうこの世界にはいない。
そんな事わかっていても、クロスは言わずにはいられなかった。
適応の試練が始まった時、クロスは最初からそれが不可能であると考えていた。
一週間見つからず逃げ続ける。
それが普通の場所ならともかくこの女性の園、女性が快適に暮らせ男性が異物として浮かび上がる仕組みとなったこの環境では中々に難しい。
とは言え、それだけなら何とかなる。
極力誰とも出会わない様サバイバルでもして逃げ続ければ、見つからずにいけるだろう。
それだけならだが。
問題がもう一つ。
ここイディスは最も未来予知に長けた能力者が集まる場所である事。
それから逃げ続けるなんてのは不可能だ。
真っ当な方法では――。
クロスは最初の青い髪で同族ネクロニアのメイドと話した後、即座にもう一体の青い髪のメイドを探した。
試練が始まるまでなら力になってくれる可能性を考えて。
というよりも、あの二体のメイド以外に話せる相手がいなかった。
打算ではあるが、五分程度の勝算はあった。
ネクロニアのメイドと会話をした時、メイドとしてではなく素としての在り方が見えたから。
そしてそのネクロニアでない方のメイドはクロスが話しかけた時……メイドはクロスにこう告げた。
『アラヤ様がお待ちです』
それが、始まりだった。
クロスの行動を、ユイは読んでいた。
ユイはクロスに対し契約を持ちかけた。
幾つもの複雑な条件が絡んだ、面倒な契約。
その契約を遂行する事で、クロスの試練を終了させる。
そういうお互いを利用し合う契約だった。
内容を簡単に表すと、クロスが女性となる事。
より詳しく言えば、クロスの特異性を利用しクロスではなく、別の誰かとして再誕させるという内容だった。
クロスは一度死を体験し、現在二度目の生を享受している。
その上、クロスは肉体こそ魔物のそれだが魂は未だ人間の物。
つまり、魂と肉体が合致していない。
時間が経てば馴染むだろうが、今はまだ、人間の魂のままである。
その魔物として存在していない魂を逆に利用し、加工し――再度再誕させるという物。
人間の魂を持った魔物になったというクロスの状況を擬似的再現し、三度目の生を擬似的に作り出し、新しい魔物へとその身を変貌させた。
不死性を持つと称される、フェニクスという魔物として。
クロスに男、太陽、昼、正義、死を乗り越えた者という属性を付属させ……それを反転させる。
死を迎える者、悪、夜、月、女。
その属性を宿した存在、クロスにとって合わせ鏡の自分、または存在し得た可能性。
それが、レイア・エーデルグレイスだった。
目的は、クロスという存在を隠しながら、エリーが試練を終えるまで見つからず手を貸す事。
その為だけに、レイアは生まれた。
ユイはクロスに幾つものルールを化した。
弱視もその一つ、というより、弱視自体はクロスが望んだ事でもある。
いくら体と心を女性の物にしたとしても、男性が女性の私生活を見るというのは後で知れば嫌な気がするだろう。
だからこその弱視。
クロスはエリーとユイ以外の女性を正しく瞳に映せない呪いを、ユイに頼んでいた。
そしてクロスの望み通り、レイアはエリーの手助けをしながら学園生活を送っていた。
だが、ここでクロスにとっての予想外が発生する。
ユイにとっては計画通りの事で、クロスにとっては望んでいなかった事。
クロスの操り人形であったはずのレイアが、自我を手にしてしまった。
最初は、遠隔操作している様な感覚だった。
自分の様で自分でない何かを操るという、そんな感覚。
だが途中から、クロスは操縦を手放した。
レイアという別人格が生まれた事により、クロスはただ見ているだけの傍観者となった。
本来生まれるべきでなかった存在、強引かつ擬似的に再現された生命体。
そして、その結果……レイアはアイデンティティについて悩み、苦しみ続けた。
自分の良いところ、特技、長所は全てクロスという男の物。
自分はただの代用品。
存在意義のない、模造品でしかない。
だからこそ、レイアは最後の最後まで、自分の手であのヨロイに包まれた少女を助ける事に執着した。
残された寿命を、エリーとの最後の時を捨ててまで。
クロスではなく、レイアが助けたという事にしたかった。
レイアは、やりたい事を沢山持っていた。
希望も願いも、夢さえあった。
だが、それをレイアが叶える事は出来ない。
最初から、そう決まっていた。
レイアとは、死ぬ事でクロスを再誕させる事こそが目的だから。
故にクロスは一番間近でレイアの苦悩を見続けた。
助ける事さえ出来ず、応援する事も出来ず、触れ合う事さえ出来ずに。
合わせ鏡の向こう側で苦悩するレイアを、ただただ見続けた。
クロスが結んだ契約は、生まれたばかりの少女に苦悩と苦しみと絶望を与えるだけだった。
「なあ。一つだけ……教えてくれ。これは……必要な事だったのか? 犠牲とか、そういうのはどうでも良い。俺にとってももう一人の自分が苦しんだ末消えたんだ。犠牲が出なかったなんて言わせない。だからこそ、これは本当に、必要な事だったのか?」
「……私にとってレイアちゃんは娘よ。クロスさん。短い間だとわかっていても、触れ合いたいと本気で思う位」
「本当に、家族だったのか?」
「ええ。かけがえのない、替えの効かない。大切な家族、間違いなく、愛しているわ。……この決められた道筋を捨ててしまおうかと、悩む程度には」
「……そうかよ。……一応、信じてやる。あいつの母親であり続けてたのは事実だからな」
クロスはユイに背を向けた。
「……ただし、俺はあんたの事を好きにはなれそうにないがな。むしろ大っ嫌いだ」
ユイはくすりと微笑んだ。
「それは……良い事だわ。ありがとう」
「あん? なんで――ああ、そうか。気持ちの反転か。俺が嫌いという事は……」
「それはわからないわ。貴方とあの子、どちらも好きな物もあるもの。でも……私は、そう思いたいの」
ユイの言葉にクロスは小さく溜息を吐き、そして……エリーの元に戻ろうとした。
全てを説明する為に。
自分がまだ、この学園の事を覚えている内に――。
「待ちなさい」
ユイの言葉に、クロスはぴたっと足を止めた。
「……なんだよ。まだ何かあるのか?」
「あるというよりも……まだ、終わってないわ。まだ、舞台の幕は下りてないの」
「なんだそれ……いや、そうだったな」
クロスはヨロイであった残骸の方に目を向ける。
それは元の球体に戻り、ふわふわと、宙に浮いていた。
周囲にいるのは、少数の治療班とユイだけ。
イラやアンジェ等クロスのその時を見ていた少女達も、既にここにはいない。
避難はほぼ完了していた。
「お前ら皆今すぐ逃げろ! まだ何かあるぞ!」
そうクロスが叫ぶと、治療班である彼女達は非常に困った顔となった。
そりゃあそうだ、こんな場所に男性がいるのだから意味がわからないだろう。
怯えていないだけむしろマシである。
「先代泉守、ユイ・アラヤとして伝えます。すぐに避難してこの場に誰も近寄らない様にしてください。この騒動を解決出来るのは……虹の賢者様だけですので」
ユイの言葉を素直に聞き、残っていた女性達は皆残らずその場から去っていった。
「……大っ嫌いな名前だけど、こういう時効果あるんだよなぁ。虹の賢者様」
クロスは苦笑いを浮かべながらそう呟いた。
「さて……エリー」
クロスの呼びかけにエリーはさっとクロスの傍に移動した。
「何でしょう、我が主様」
クロスは意地悪な笑みを浮かべるエリーに向かって小さく溜息を吐いた。
「それ、止めてくれ」
「はーい。それでクロスさん、私に何をお望みですか?」
「たぶん、第二ラウンドで、そんでフィナーレが始まる。この場を去る最後の仕事として、綺麗さっぱり幕引きをしたい。手伝ってくれ」
クロスの言葉を聞いたエリーだが、珍しく快諾しなかった。
人差し指を口元に当て、うーんと首を横に振り悩むようなそぶりをエリーは見せた。
「ど、どうしたエリー」
「いえね……逆だなーと。私まだここの学生ですし、私が皆を護りたいから……だからクロスさんに助けて欲しいって言う方が正しいかなーって思って。という訳で、手伝ってくーださい」
「――おう。エリーの頼みなら何時だって聞くさ。……ありがとな」
そう、クロスは言葉にする。
わざと明るく無邪気に振舞って元気付けようとした事を見抜かれ、エリーは少し頬を赤く染め申し訳なさそうに頭を下げた。
ありがとうございました。




