思惑重なる Last dance(後編の4)
球体から放たれる黒い靄を体に浴び、引っ張られる様その少女は起き上がりそして目を見開く。
その瞳は、ドロドロと淀み切った感情に溢れていた。
妬み、恨み、怒り。
おそらく、少女はこの学園にいてもおかしくない位綺麗な顔をしていたはずだ。
だが、その瞳は濁りその歪み切った憎しみの形相からはとてもそうは見えず……。
つまり、少女は、世界を恨んでいた。
「どうして……どうして私は駄目だったのに……私は……この学園に入りたかっただけなのに。友達と一緒に居たかった。それだけだったのに……それなのに……」
そう言葉にし、少女はエリーとレイの方を睨みつけた。
「特別なんて認めない! 私を認めない特別なんて……ズルいズルい! 皆……皆死んでしまえ! 私を置いて行く世界なんてなくなっちゃえば良いんだ!」
アシューニヤ女学園に入学出来なかった。
ただそれだけ。
それだけの事なのだが……少女にとっては、大切な事だった。
他者から見たらそれだけの事が、少女から見たら世界が自分を見捨てた様にさえ感じた。
そして少女最大の不幸は入学出来なかった事ではなく……それを、本当に邪悪な存在に見つかってしまった事。
立ち直る機会ではなく、復讐する機会を用意した、そんな邪悪に。
エリーはその少女の方に近づこうとする。
これ以上暴走させない様に。
それを、レイはそっと止めた。
「お姉様?」
エリーの言葉に返事をせず、レイは少女の方に近づき、そして声をかけた。
「……そう、ね。貴女の気持ちはわかるなんて安易に言えないわ。でも……」
ぴくりと反応し、少女はレイを睨みつけた。
「でも……何よ?」
「貴女を助ける事は出来るはず。……いえ、私が、貴女を助けたいの」
「たす……ける?」
「綺麗事なのはわかってるわ。でも、私がそうしたいの。他の誰でもなく、私の為に」
「……その、綺麗事をのたまう貴女は、私に何をしてくれるの? どうやって助けてくれるの?」
「この学園への入学。途中編入で良ければだけどね」
「そんな事出来る訳が……」
「出来るわ。どうして出来ないと思うの?」
「能力が足りないから私入試落ちたのよ?」
「そんなもの、今から幾らでも取り返しがつくわ。勉強も能力も、全て学園に入って苦労しない程度に出来る様取り計らいましょう」
「そんな事、あんたに……」
「私は、ユイ・アラヤの娘ですから」
少女は、その言葉に沈黙した。
「当然ですが、すぐという訳にはいきません。貴女の事を色々調べたり治療したりしなければいけません。そして、それが終わり次第貴女の教育を始め、入学の準備を整えます。幸い、枠はありますよ。私とエリーさんが抜けた後の枠が」
レイはそう言葉にして微笑み、そして……少女に、そっと手を伸ばした。
「あんたは……」
「私は本気です。本気で……貴女を助けたいの。私が生きたという意味を、私が生きたという意味を生む為に。だから……私の手を取って。私に、貴女を助けさせて――」
聞いている誰もが、理解出来た。
その言葉が、本心から出ているのだという事を。
レイらしくないと感じる程、言葉に熱が籠っていた。
力が、願いが、気持ちが、祈りが籠っていた。
それは黒い靄に纏われ、疑心暗鬼になっている少女にさえ伝わる位――。
「本当に……助けてくれるの? 入学出来るの?」
「約束しましょう。ユイ・アラヤの娘として」
レイの言葉を聞き、少女は俯く。
その後……ゆっくりとその手をレイの手に伸ばし――そのまま、レイの手を強く叩き、振り払う。
それは、明確な拒絶だった。
「どうして……」
「正論を言って欲しい訳じゃない。助けるなんて上から目線も反吐が出る。私ね、ただ、苦しんでほしいだけ。あんたら学園生にね。そもそも、もう……わかってんのよ。こんな事した時点で私に未来がない事位」
「それも何とかしてみせる。貴女が悪い訳じゃない! だから……」
少女は、そっと顔を上げる。
その顔は、歪な笑みを浮かべていた。
狂気に侵されていると、一目でわかる様な。
言葉何かが届く訳ないと理解出来る様な。
「色々な意味でね、遅すぎたのよあんた。私は、あんたみたいな善良な馬鹿が苦しみ悶える姿を見る為に、ここにいるのよ」
そう言葉にし、少女はその手を黒い球体が浮かぶ空に向ける。
球体は少女の呼び声に従い、ゆっくりと落下し、少女を包み込んだ。
「お姉様!」
エリーは茫然とするレイを引っ張り少女と黒い球体から距離を取らせた。
「……私、助けられなかった」
「あれは本心ではありません! 黒いもやもやの所為でそう思ってるだけです!」
「それでも……助けられなかったわ。私は結局……誰も、何も……」
「まだでしょう! しっかりしてください! まだあの子も生きてますし脅威も終わってません!」
エリーに言われ、レイははっとした。
そう、まだ終わっていない。
一度失敗した位で諦めるのは、早すぎた。
「……そう、ね。そうだったわね。ごめんなさいエリーさん。さっきも言ったけど、出来る事をしておきたいの。手伝ってくれるかしら?」
「もちろんですお姉様。私としても……ただの少女が誰かの良い様にされて苦しむのも死ぬのも見たくありませんから。お姉様が必死になってるのって、そういう事でしょうお姉様?」
「ええ……まあ……そう……ね」
「なら――」
エリーが頷くのを見て、レイも同じ様頷いた。
「……ですが……どうやら簡単にはいかないですね。思ったよりも……油断出来ない状況になりそうですお姉様」
エリーはぐにゃぐにゃと変形する黒い塊を見ながらそう呟く。
その黒い塊は、ある意味でだが、自分達精霊の特徴に類似する部分が見受けられた。
魔力的な物が起源であり、それが具現化し物質的な属性を帯びる。
そんな精霊と同じ様な特徴を、黒い塊は持っていた。
少女を内に入れた黒い塊はそのまま変形を繰り返し……そして人型となった。
ただ、それは人と呼ぶよりも、どちらかと言えば重厚なフルプレートメイルに近い。
三メートルを超える巨大な黒い人影で、黒い光沢は金属のソレ。
悲しい事に……レイもエリーも、それに類似する存在を非常に良く知っていた。
『ヨロイ』
そう呼ばれる軍事兵器に、少女と一体になった黒い塊はそっくりだった。
「どこにいるの……イラちゃん……。私は来たよ……貴女を殺しにだけどね!」
その言葉から、二体は殺せない理由が増えた事を理解した。
ヨロイとは、魔物、人間共に利用している、局地決戦用軍事兵器の俗称である。
それがいるかいないかで戦局が覆る、そんな物。
戦争の主役と言い換えても良い。
実際は両軍共にそこまで数を揃えらず、また魔王や勇者、その仲間といった最上位勢には通用し辛い事から本当に主役という訳ではないのだが、それでも、その圧倒的な決定力と継続戦闘能力から主役だと考える声は少なくない。
それだけの物であるという敬意と畏怖を集めている物。
この学園であっても、戦争を知らず戦争の時代すら経験した事がない少女が多数であっても、それは理解している。
それは自分達がどうあがいても勝ち得ない存在であり、立ち向かう事さえ考えてはならない。
本職のヴァルキュリアであっても容易に対処出来ない存在だと。
そんな相手が唐突に出現するなんて非日常により、学園の日常が完全に破壊され、少女達はその場より動けなくなる。
現状が理解出来ないから、あるいは恐怖から、少女達はその場に立ち竦んだ。
レイとエリー以外は。
「お姉様、お願いします」
エリーの声に合わせレイはそっとエリーの腕をなぞりその腕にある金の腕輪――ハイロウを起動し武器に変える。
盾と片手槍という形状に。
エリーはそのまま空を駆け漆黒のヨロイに突撃した。
「まずは……ハリボテかどうかっ」
エリーは空から落ちる様強襲し、ヨロイに向け槍で突く。
魔力の流れで中の少女を避ける様、ヨロイの首元に落下の速度を乗せた突きを放つが……当然の様金属音を響かせはじく。
少なくとも、耐久面だけはヨロイと同様の性能があるらしい。
「エリーさんカバーをお願い!」
レイはそう叫びながらハイロウをレイピアに変えヨロイに打ち込んだ。
ぱきん。
細身のレイピアで隙間を狙うが効果は薄く、心地よい音を立て剣が折れる。
直後、ハイロウにて武器を再生成、今度は細身の剣を使い差し込むが、また効果が見られない。
ガギンと音を立て、剣は隙間にねじ込ませるがそのまま折られ、レイはまた再生成を行う。
何度でも武器を生成出来るという長所を最大限に発揮しながら、レイは槍、斧含め様々な武器を生成しては破壊し、繰り返した結果効果がない事を理解すると一歩下がりエリーと合流した。
「お姉様、何かわかりました?」
「いえ何もわかりませんし情報もありません。少なくとも、私はあの形状のヨロイは見た事も戦った事もありません。当然、ヨロイに成る道具や魔法なんてのも」
「私もです。どうしますか?」
レイはちらっと周囲の様子を見る。
多少避難はしたみたいだがそれでもここにはまだ多数の少女達が取り残されていた。
「救援が来るまでの時間稼ぎを――」
「ですがお姉様……それだと……中の子……たぶん保ちません」
「……どういう事?」
「中の子、魔力が恐ろしい速度で減っています。同時に、黒い靄の様な物が浸食していって……」
「わかりました。一刻も早い撃退を狙います。手伝ってください」
「了解」
その為の手段は、とはエリーは尋ねず了承する。
その答えを、誰よりもレイが求めているなんて事は……その焦り顔から理解出来た。
その装甲面、耐久性、魔力耐性は紛れもなく、重装甲、高火力をテーマにしたヨロイそのもの。
だが、このヨロイはヨロイと異なる部分がある。
それは、機動性。
劣化している訳ではなく、むしろ……ヨロイならざる機動力をそれは持っていた。
多くの魔力を姿勢制御、重力制御に使っているとは言え、ヨロイはその重量から機動力に難がある。
例外は直接武器を使う腕の振りと、脚部に付けられたローラーでの移動位。
それ以外の行動は鈍足であるというのがヨロイにおける定説なのだが……その定説に、このヨロイは当てはまっていない。
凄く速いという訳ではないが……その移動は、その超重量を感じさせない。
ステップを刻み、急回転し、走り、腕を振り抜き……。
ヨロイというよりも巨人と戦っている方が近く感じる。
ただし、その体は超重量の金属で構成されているのだから、重く、硬い。
例え中の少女がただの少女であったとしても、レイとエリーが攻め倦ね苦しむ程度には、強い相手だった。
ぶんっと、音を立て、ヨロイの腕が振り抜かれた。
その間合いに、レイがいるにもかかわらず。
「お姉様!?」
エリーは腕が直撃したレイに対し悲鳴を上げる。
そのまま後方に吹き跳ばされるも、レイはすぐにヨロイの傍に駆け寄った。
「平気です!」
そう叫び、レイは再度攻撃を重ねる。
エリーはそのカバーを中心に動いた。
「あはははははは!」
ヨロイの中から、笑い声が響く。
既に正気は失われ、徐々に少女は少女でない何かに変わろうとしている、そんな声だった。
「記憶消さなければ良かったかなぁ……」
エリーはぽつりとそう呟いた。
「どうしたんですか?」
「いえね、たぶんですけど、消したあちらの記憶にヒントがあったと思うんですよ。まあ……つまり……」
エリーは襲い掛かるヨロイの拳の方に手を向け、魔法陣を生成する。
魔法が使えないエリーが使える、数少ない魔法の類似品。
別世界の魔法。
歪んだ五芒星形の魔法陣、エリーの知る化物共に対する対抗策、防御陣、エルダーサイン。
その防御陣にヨロイの拳が触れると、ばちっと弾ける様な異音を立て拳を弾く。
ヨロイはその防御陣を嫌がる様、即座に腕を戻した。
「……ああやっぱり。これが通用するって事は邪神関連の技術ですねあれ。邪神と呼ぶ程上等ではない様ですけど」
「何か対抗策は……」
「一番賢い選択は逃げるです。曲がりなりにも未知の技術ですからね」
そう、エリーは言葉にする。
選ばれる訳がないと知りながら。
「……では、次点では……」
「とにかく頑張るですね」
「エリーさん。申し訳ないですけど……」
「あいあい。お任せあれ」
エリーは微笑み、レイと共にヨロイに立ち向かう。
結局相手の情報がわかったところで対処策が見つかる訳でもなく、ただ戦い続けるしか選択肢はなかった。
このヨロイを、決して勝てない程の格上とは思わない。
レイとエリーはそう考えている。
だが、現実は違う。
実際は箸にも棒にも掛からない。
エルダーサインとハイロウのお陰で辛うじて戦いにはなっているが、それでも、ヨロイには一切ダメージを与えられていない。
一方、こちらの被害は徐々に拡大しつつある。
何度もハイロウを生成し、エルダーサインを使い、避難しそびれた少女達を庇い……。
どうしても、受け身に回らざるを得ない。
ヨロイという超火力相手にそれが良くないとわかっていながらも。
特に、レイは息が上がり、体に多くの傷を作っている。
決定的なダメージこそ受けていないものの、あまり良い状況とは呼べなかった。
勝てるはずなのに、勝ち目が見えない。
おそらくこれこそがが、この矛盾こそが、互いに感じる連携での違和感の正体なのだろう。
そしてもう一つ……違和感とは異なる、何か。
それにエリーは気づいた。
さっきから、何度も相手の攻撃を受け流し、傷を増やしていくレイ。
直撃はしていない。
だが、避けられる攻撃でさえ、レイは受け流している。
レイの実力なら、エリーよりも優れた身体能力を持つレイならば簡単に避けられるはずなのに。
理由は単純、普段の実力が出せていないから。
エリーのサポートがある状況であっても、レイの視野は狭くなっていた。
中の少女を助ける為には、一刻も早く解放しなければならない。
だがその方法どころか見通しすら立たず、苦戦にあえぐだけ。
要するに、レイは焦っているのだ。
まるで実戦経験がない新兵の様に。
吹き飛ばされ、転がり、綺麗なドレスをボロボロにしながらも、レイは立ち上がる。
何度でも、立ち上がり続けた。
無駄だとわかっていながら。
徒労でしかないとわかっていながら、それでも、ヨロイに向かい続けた。
知恵も知力も使わず、ただただまっすぐ……。
それはもはや思考停止に近かった。
「お姉様。……一体どうしたんですか。らしくないですよ?」
「らしく……。エリー。私らしくって、何かしら?」
「え? それは……」
「私らしくって言える程、私は私を持っていないわ」
「一体何を……」
「私には何もない。何かを選んだ事も、何かを貫いた事も……何もない! 空っぽなの!」
「お姉様は私のお姉様じゃないですか。それじゃあ……」
「……そうね、今は、貴女がいる。想い合った貴女が。私の愛するエリーがいるわ。……だからこそ、今しかないの。この今という時に、あの子を救いたいの。他ならぬ私の意志として。……過去も未来もない、私だからこそ……」
「過去も……未来もない。お姉様、それって……」
レイはそっと微笑み、エリーを抱きしめた。
思えば、最初の頃と比べ感情豊かになったなあなんて考えながら、エリーはされるがままとなった。
「エリー。大好きよ。何よりも、誰よりも。ようやく、自信を持って言えるわ。これだけは、本物だって……。借り物じゃなくて、私自身の気持ちだって。紛い物だらけの私の中の、数少ない……いえ、たった一つ、唯一の真」
レイは、そっとエリーのおでこに唇を押し当てる。
その唇は、熱い程熱を持っていた。
そのままレイはエリーから離れ、そしてエリーの方をじっと見つめた。
「エリーさん……。私ね、フェニクスって種族なの」
「……唐突ですね。そして、私今初めてお姉様の真っ当な情報知った気がします」
「ふふ。ごめんなさいね。まあ火鳥なんて言ってみたものの真っ当なそれじゃないわ。私魔力人間以下という落ちこぼれだから。という訳で、切り札を使いたいんだけど魔力が足りないのよね」
そう言葉にし、レイは手を伸ばした。
「お姉様。……その切り札は……危険な物では……」
レイは一瞬だけ間を置いた後、首を横に振った。
「いえ。危険な物ではないわ」
その言葉を、エリーは信用出来ない。
レイの言葉が信用出来なかったのは、初めてだった。
「エリー。私には、何もないの。だから……せめて、私は私として、誰かを助けたい。貴女と一緒に戦って、何かを為したいの。お願い……」
エリーは迷い迷った末、レイの手を取り、魔力を送り込んだ。
その選択が、どういう意味を持つか、うっすらと理解した上で。
「……ありがとう」
そう、レイは呟いてにこっと微笑んだ後、その魔力を全身に流しこんだ。
徐々に調子が良くなってきいていた体を、強引に覚醒させる為に。
今、この時、レイにかけられた呪い、封印の類は全て消え、最高のコンディションとなった。
最初に変わったのは、瞳。
弱視という封印が解けかかっていた瞳は強引に覚醒する。
続いて、髪。
灰色でボロボロであったレイの髪に艶が戻り、銀灰色の整った色と変わる。
そして、レイの全身が、青い炎で包まれた。
「それじゃ、行ってくるわエリー。――」
聞こえない様、小さな声で何かを呟いた後、レイはヨロイに突撃していった。
何を言ったか、エリーは聞き取れなかった。
だけど、それでも……何を言ったかは理解出来てしまった。
きっと、その言葉を言うと思ったから。
その言葉だけは、言ってほしくなかったから。
『さよなら』
そう、レイの唇は告げていた。
「……お姉様の、嘘つき」
エリーは、その背中を見る事しか出来なかった。
紛い物、偽者、贋作。
それが、レイの自分への感想。
嘘吐き、詐欺師、騙し絵みたいな何か。
それが、レイの考える自分。
結論は、無価値。
正しく自我を持ったレイは、己の事をそう考えた。
生きる意味も、生きた理由も、レイにはなかった。
だからこそ、ヨロイに包まれた少女を助けたかった。
せめて一体だけでも、自分が助けたかった。
己の寿命を全部費やしてでも。
たった一つだけでも、自分が成し遂げたという何かをレイは望んだ。
この生涯に、意味があったのだと思いたかったから。
だが……それでも……。
魔力が満ち、視界が広がり、魔法使いと同様の万能の力を手にし、無限に傷を癒すだけの治癒力を得た。
紛い物とは言え、莫大な戦闘経験値と優れた身体能力も手にしている。
だが、それらを以てしても……邪悪なるヨロイには、届かなかった。
エリーとレイが連携を取った際感じ続けた違和感の正体。
それは……レイの、実力不足。
比べると……レイは、明らかに足りていなかった。
知識があり、能力があっても、レイには、経験がなかった。
襲い来るヨロイの拳に合わせ、レイはその拳を叩きこむ。
激しい轟音を起こし、周囲に突風を巻き起こし、お互いの腕は完全に伸びきり硬直する。
威力は五分。
だからこそ、被害は決して五分にはならない。
魔力の流れる金属と、肉の腕の耐久力が一緒な訳がないから。
拳が砕け、腕が折れ、肉は肘まで裂け血が噴き流れる。
今の魔力溢れるレイなら一瞬で治癒されるものの、衝撃までは消しきれず治っては壊れを何度も繰り返す。
そして傷が治り切ったと思えば……小さな、数ミリの裂け目が腕に残り、そこから小さな赤い炎が噴き出した。
レイの、終わりの合図である赤い炎が。
「やっぱり……私には……何も、救えなかった」
だらんと腕を下げ、レイは空を見る。
一緒に、星が見たかった。
一緒に、音楽を奏でたかった。
一緒に、誰かを救う旅に出たかった。
ぱきり、ぱきりと音を立て、その体は罅割れていく。
最後の時が来る事はわかっていた。
こうなる運命だと、最初から。
本当は誰にも見つからず、終わる予定だったが……そんな静かな最後すら、叶えられなかった。
だからこそ、助けたかった。
他の何でもなく、自分の為に、自分の意思で、自分と関係ない他者を。
「……こんな気持ちでの最後になるなんて……恨みます。お母様と……私の本物。恨んで、怒って……そして、許してあげます。エリーさんの為に」
レイは目の前に襲い掛かるヨロイに向け、淡い笑みを浮かべた。
「私には、貴女を救えませんでした。でも、貴女を救ってはあげます。強引に、乱暴に、だけど確実に。私は優しいので、だから……せめて、楽しく生きなさい。貴女は……弱いままで良いの」
狂気に秘めた笑い声を響かせるヨロイにそう呟くレイ。
全身は罅だらけ。
纏っている青い炎も罅から生まれる赤い炎に浸食され、九割以上が赤い炎に変わっている。
罅が大きくなり、全ての罅が繋がり……そして、青い炎が全て赤い炎に変わったその瞬間に、レイはエリーの方を見て、にこりと、微笑んだ。
最後の最後は大好きな物を見て――終わりたかった。
そのまま、レイア・エーデルグレイスは赤い炎に包まれ、その生涯を終える。
そうなる様、予定された通りに。
違和感の正体、レイアの真実。
それを、エリーは見た。
燃え上がる中、そこにいたのは……懐かしさを感じない、懐かしい顔。
ずっと会いたいと思っていたのに、寂しいとは一ミリも感じなかった相手。
レイがいたその位置から、ヨロイに向かい剣が伸び襲い掛かる。
ぐにゃりと、剣はまるで鞭の様な軌道を描きまるでバターでも切るかのようにヨロイの腕を切断する。
赤い炎の中にいた彼は、赤い炎から外に出てヨロイに接近し……そして、ヨロイをたった一本の短剣で解体した。
まるで、それが当たり前かの様に。
中にいた少女は、彼の腕に包まれていた。
「君が一番許せなかったのってさ、友達と一緒の学校に行けなかった自分自身だったんじゃないかな」
そんなクロス・ネクロニアの声に少女は一筋の涙を流し、少女はそのまま意識を失った。
クロスはそっと、天を見た。
まだ星が出ていない、空を。
「……ごめんなレイア。俺の所為で悲しい想いをさせて。こうなるってわかってたら、アラヤと契約なんてしなかったのに」
そう、誰にも聞こえない様クロスはぽつりと呟いた。
ありがとうございました。




