思惑重なる Last dance(後編の1)
そして、その日が訪れた。
レイとエリーがアシューニヤ女学園学生として過ごす最後の日、別れを告げるその日。
その日は、完全に文化祭のノリとなっていた。
クラスで出し物を用意し、周辺教育機関の女生徒達を招いて楽しみ、ワイワイとはしゃいで。
ヴァルキュリア候補養育所だけではなくノルニル機関すらも遊びに来ていた。
ただ娯楽目的で。
本来の目的がレイとエリーのお別れ会であると知っているのは一割にも満たず、過半数はこの学園の凄い生徒が飛び級で卒業したからその記念だろう位にしか思っていない。
そんな明るいノリだからこそ、少女達が救われた部分はあったはずである。
悲しさが消える訳ではないが……賑やかな空気のお陰で、少女達は陰鬱とした気持ちをため込まず思いっきり泣く事が出来ていた。
わんわんと大きな声で、お嬢様らしさなど欠片もない姿で泣き続ける少女達。
フレイヤは静かに、イラは声を枯らし……落ち着いているのはルーンの契約者組位だが、その少女達も目に涙を溜めている。
そんな少女達が集まるヒルドクラス教室に、主役の片割れが申し訳なさそうにちらっと顔を見せた。
「ご、ごきげんよう……。何か……ごめんなさい……」
どういえば良いかわからずエリーは静かに中に入り、その姿を見せる。
淡い黄色のドレスを身に纏ったエリー。
明るい印象をより強調させ、まるで花に集う蝶の様。
可愛いを全面に出したその恰好は、エリーの新しい魅力を引き出していた。
「エリーさぁん! お似合いですわぁああ。あああああああ!」
声にならない声でイラは叫び、エリーの手を取った。
「あ、ありがとうイラさん。イラさんが用意して下さったのですよね? この服? ドレス?」
「はい! エリーさんに似合う様一生懸命用意いたしましたわ!」
「少し可愛らしすぎて恥ずかしいですけど……嬉しいです」
そう言って、はにかみ微笑むエリー。
それを見て、イラはまた大泣きをしだした。
クラスの中で一番情に厚いのは間違いなくイラである。
色々問題児で女学院という環境で愛多しという問題児であるが、それは間違いない。
だからこそ、その泣き声に釣られる様また皆が泣きだした。
「えっと……その……あのあの……」
せっかくの可愛い恰好でもオロオロとする事しかエリーには出来ず……もう片方の主役が早く訪れるのを祈り続けた。
その祈りが通じたのか、時間が来たからか、最愛の気配が近づくのをエリーは感じた。
その気配の主は、静かに、何時もの様に教室の扉を開け放つ。
そして……その現れた愛しのお姉様の姿を見たエリーは……口をあんぐりと開け絶句した。
エリーの姿は可愛らしい黄色いドレス。
少女の趣味らしく垢ぬけていて若々しくて、それでいて可憐。
エリーが着るには少し若すぎるが間違いなく似合う服装。
一方本日の主役の片割れ、レイア・エーデルグレイスの着ている服は――。
いや、間違いなく似合っている。
雰囲気も荘厳で、儚げで、それでいて、美しい。
素晴らしく似合っているのだが……黒一色でかつ布地の多いドレス。
身に纏う空気はこの大泣きの合唱渦巻くクラスの空気よりも尚重たく……一言で言えば、葬儀を彷彿とさせる。
要するに、喪服みたい……というよりも、喪服そのもの。
そんな印象のドレスをレイは身に纏っていた。
「……あの……レイ様? その……」
「ごきげんようエリーさん。少し待って下さる? やる事があるの」
そう言葉にしてからレイはとことこと歩き教壇の前に立ち……。
「泣き止みなさい!」
そう、レイは叫んだ。
その声に、対し、反応は様々。
泣き止まない少女達や茫然とする少女達。
だが、およそ三分の一……十体ほどの少女はぴたっと泣き止み、同時に立ち上がり整列をしてみせる。
まるで軍隊の様に。
それは、レイが教え込んだ調理担当班の少女達。
少女達はレイが命令する前にエプロンを手に取った。
「……それで良いわ。既に調理室は貸し切りにしてあります。私は行けませんが……やりきってきなさい」
「……ありがとうございますレイ様。では、後悔のない様全てを出しきってきます!」
少女の言葉にレイは満足そうに頷き、優しく微笑む。
その顔を見届けた後、調理担当の少女達はこれまで見せた事もない程真剣な表情で教室を出て行った。
「……お姉様、軍隊でも作りたかったんですか?」
エリーの言葉にレイは首を傾げた。
「いえ、美味しい物を作りたいというので教えただけです。ただし……」
「ただし?」
「愛情を込めれば美味しい物が作れるなんて砂糖菓子よりも甘い考えを捨て去る程度には厳しくしたつもりですが」
「……お姉様、これが終わったら軍の方行きません? 教導官に推薦しますよ?」
「興味ないわ」
そう、レイは言葉にし自分の席に座った。
少し、ほんの少しだけ少女達の泣き声が大人しくなる。
静寂の中啜り泣く声が聞こえ、そしてレイの服装。
完全に、お通夜の様な雰囲気となってしまったその空気の中、エリーはレイに話しかけた。
「……お姉様」
「何かしら?」
「お姉様はこのパーティーが終わったら、どこに行くんですか?」
「……難しい質問ね。どこに行くのか……私にはちょっと……」
「では私と一緒に行きませんか? ちょっと女性にだらしないですが私の主が……」
笑顔を作って、そうなったら良いなという夢をエリーは語る。
それが出来るとも、自分でさえ思っていないのに。
「ごめんなさい」
レイは、はっきりとした拒絶を見せた。
それが不可能だと、誰よりも理解していたからこそ、希望を見せない様に。
「……いえ。私の方こそ……その……無理を言っちゃってごめんなさい」
「……わからないのよ。私もどうなるのか。でも……もう、会う事もないというのは間違いないわ」
「それは……寂しいですね。やっぱり。わかっていても……私、こんなに気の合う方と出会ったの、初めてです」
「私もよ。……まあ、私の場合は色々事情が異なるのだけどね」
「聞かない方が良いって奴ですよね?」
「そうね。出来たら貴女の愛しいお姉様として終わらせて欲しいわ」
「……わかりました。お姉様。今日は出来るだけ一緒にいましょう」
そう言葉にし、エリーは微笑んだ。
「ありがとう。私のエリー。大好きよ」
レイもまた、エリーに返す様にこやかに微笑んだ。
いつもの儚げな微笑ではなく、明るい笑顔で。
「らしくない……いえ、そっちがお姉様の素なんですね……たぶん」
「さて、どうかしら。……貴女達も、言いたい事があるのなら今の内に言っておきなさい」
レイは周囲からただ見ているだけだった少女達にそう声をかけた。
「そんな……お二方の邪魔をするなんて……」
フレイヤはおろおろしながらそう言葉にした。
「遠慮はいらないわ。というよりも、遠慮をしてエリーさんの心残りを作らないで上げて欲しいの。……パーティーの時エリーさんと話せないつもりで、今しか時間が取れないつもりで、しっかりと話して頂戴」
「……本当に、よろしいのですか?」
「良いに決まってます。クラスメイトでしょう。ねえエリーさん」
エリーは満面の笑みで頷いた。
「もちろんです。私も皆さんとお話したいです」
そんなエリーの言葉で、少女達はやっと遠慮する事を止めエリーとレイの下にわっと群がった。
「……あれ? 私もなの?」
自分の元に来て質問責めする少女達を見てレイは狼狽えた。
「いや当然でしょう。というか私より人気ありますし」
「いや、そんなエリーさんみたいに私可愛くないですし……」
「そういう所もお姉様の魅力ですけどね。という訳で皆さんも私のお姉様がどれだけ魅力的でどれだけ好きか語って下さい」
楽しそうに、本当に楽しそうにエリーはそう言葉にした。
うろたえつづけるレイを横目に、少しだけ明るくなったその顔を見ながら。
その後に調理班も戻ってきて、皆でレイが怒り叱るまでもみくちゃにし続けた。
教室に運びこまれるエリーへのプレゼント。
調理班と調達班に分かれクラスメイトだけで作り上げたそのデザート。
それの乗るカートを見ながら、イラは内緒話の様にレイに話しかけた。
「……レイお姉様。どうして今なんです?」
「何がですか?」
「プレゼントです。パーティー中でも良くないですか? これからパーティーがあるのにわざわざ甘味を出すというのは……」
「エリーさんの胃袋なら別に問題ないですわ」
「いえそうですけど雰囲気とか……」
「――少しでも早くしておきたいの。大切な事を。……間に合わなかったなんて後悔したくないから。さ、貴女もエリーさんの方に行きなさい」
「……レイお姉様も食べてくださいね」
そう言葉にし、イラはエリーの方に走っていった。
パーティーが胡散臭いから、無事終わる気がしないからなんて言葉を、レイは飲み込んだ。
冷たい金属のクローシュをエリーは手に取り、そっと持ち上げる。
その中に入っていたのは、プリンだった。
ガラスの器にプルンとした黄色い固体。
カラメルの代わりに極めて透明に近い琥珀色の液体が降りかかったそれを見ながら、エリーはそっとスプーンを手に取った。
「食べて良いです? 良いですか?」
きょろきょろとクラスメイト達を見ながらエリーはそう尋ねる。
少女達は皆、微笑ましい表情で頷いた。
「皆で協力して、貴女の為に作ったのよ。味わって食べなさい」
苦笑しながらのレイの言葉。
それに、エリーは大きな声で返事をする。
「はーい! いただきます!」
スプーンをプリンに挿し、すくいあげ大きな口でぱくり。
その仕草はまるで子供の様だった。
「お代わりは幾らでもありますから安心してくださいねエリーさん。……あれ? エリーさん?」
一口食べた後次に手を付けず無言で固まるエリー。
それを見てクラスメイト達は首を傾げた。
不味い訳がない。
クラスの中で調理が得意な十体を選りすぐり、短期間とは言えレイが徹底的にしごき上げたのだ。
美味しい以外の結果が出る訳がない。
愛情とは、どれだけ拘れるか、どれだけ労力を重ねられるか、どれだけ手間を惜しまずにいられるか。
料理の愛情とは、そういう話である。
誰かの為にどれだけ苦しめるかとさえ言い換えられる。
そしてクラスメイト達は、直接調理をしていない者も含め全員がその苦しみを乗り越えた。
プリンなんて簡単な料理を作る為だけに自分がこれまで蓄えた知力、体力、技術、精神、すべてを注ぎ込んだ。
「エリーさん。えっと、あの……」
何かを言おうとしてイラは言葉を止める。
エリーが震えている事に気づいたからだ。
「ふっ……う……、ご、ごめ……ごめん……なさい……。あの……おい……し……」
言葉が、上手く出てこない。
代わりに出て来るのは、瞳からの雫。
止めようとしても止められないその涙に、エリーは翻弄される。
さっきまでの少女達の様に。
「エリーさん……」
「ありが……とう……ございます。皆……皆……私達の為に……皆……」
それだけを言葉にし、エリーはスプーンを置く。
震えて、涙が流れて、感情がいっぱいになって、食べるどころではなくなっていた。
レイがプレゼントに調理を選んだのはエリーが食べる事を好むからだけではない。
大切な想いを伝えるという手段で、高価な贈り物や想い出の残る絵ではなく、料理を選んだ、ちゃんとした理由が存在する。
エリーは精霊という種族である為、物理的な側面と同等かそれ以上に精神的な側面に依存している。
同時に精霊は土地の守り神の様な性質を持ち、その性質の中には捧げものを受け取るというのも入っている。
つまり、エリーは贈り物に籠った感情を受け取る事が出来るという事だ。
少女達皆が、家の力ではなく自分の力でその素材を集めた。
貴重な花の蜜、卵、牛乳。
酪農なんてした事がないけれど、皆分担して一生懸命、自分の手で頑張った。
調理班は壮絶とも言える位過酷なレイの修行を受けた。
それでも、一度たりとも弱音を吐かなかった。
それは学生の調理という言葉では済んでいない。
腕に火傷を作り、調理場では汗を掻き続け、極度の疲労から嘔吐して倒れる者もいて……それでも、少女達はレイの特訓に付き従い続けた。
その集大成が、これ。
『忘れないで欲しい』
プリンには込められた想いは、少女達の一生懸命の一生の気持ち。
それが、エリーにも伝わらない訳がなかった。
短い生涯、まだまだ鳥かごから出ていない少女達だからこそ、その憧憬、その喪失感は強い。
その胸がチクりと傷む苦しみを抱えながら、少女達は一生懸命、伝えようとした。
これだけ、大好きだったのだと。
「食べなさい。私のエリー。貴女の為に作った、貴女への捧げものよ。精霊として、クラスメイトとして、託された者として……食べなさい。ちゃんと味わってね」
厳しい口調だが、優しい声色でのレイの言葉。
それを聞き、エリーはスプーンをもう一度取り、乱暴に食べ進める。
涙を流しながら、それでも笑いながら、エリーはその想いを受け取る様に口を動かした。
「レイお姉様もどうぞ」
イラはそう言葉にし皿とスプーンをそっと手渡した。
「あら。私にも?」
「もちろんです。お二方にですから。あ、食べさせてあげましょうか?」
「ふふ。それは魅力的なお誘いだけど私今はエリーさん以外からは受け取らない様にしているの。ありがとう」
そう言ってレイは皿を受け取り、スプーンでプリンを掬い口に運んだ。
「美味しいけど……やっぱり私には少し甘すぎるわ」
レイは目じりをそっと拭い、微笑みながら呟いた。
ありがとうございました。




