生命の源、大地の恵、愛憎の歴史を重ねる神秘の雫
「大変でしたね……と私が言葉にするのは少々責任感に欠ける発言ですね……。申し訳ありませんでした」
夕食時開幕、深く頭を下げながらアウラがクロスに言った言葉である。
自らが主宰の幼稚園に精神年齢成人男性を送るという嫌がらせの様な状況を作っただけでなく、その最中に襲撃まで起きて巻き込まれるという酷い惨状。
その時点で土下座ものの謝罪案件なのにそれだけでは終わらず、何故か生徒であるクロスが救出に参加し成功させたという報告を聞いたアウラはどう言葉にすれば良いか困っていた。
謝罪か、お礼か、報酬か。
そのどれかを選択すべきなのだが、そのどれを選択するにしても政治的な理由で面倒になると理解しているアウラは困り果てていた。
だが……クロスの答えはそのどれでもなかった。
「んー。別に気にしなくて良いさ。そもそも俺の身分なんてこうして毎日飯食ってるだけだし気にしないでくれ」
「ですが……」
「いやいや。つーか俺も別に善意とか自己犠牲とかそんな博愛精神で動いた訳じゃないから本当気にしないでくれ。いやまじで」
「……では、クロスさんはどうして……他の教職員と共に戦ったんですか?」
「そりゃ、ガキとは言え同級生の仲間だぜ? 放置したら後味悪いだろ?」
「……それだけです?」
その言葉にクロスは少し考えてから頷いた。
「それだけとは言い切れないが、それが一番の理由であるのは確かだな。もしこれでギタン……捕まった子が酷い目に遭ってみろよ? 夢見の悪い事悪い事。つーわけで、特に何事もなく再会出来たから今日は気分良く寝れそうだ」
当然の様にそう言い放ち、クロスは微笑んでみせた。
「わかりました。ではクロスさんが今晩より枕を高くして寝られる様にデザートのグレードを少し上げる事をお礼とさせていただきましょうか」
そう言葉にしてからアウラはメイド達に目配せをする。
それにメイド達は頷き奥に移動した。
「まじかー。これ以上の物が出て来るのかー……」
毎晩人間の王族よりも良い物を食っている自負があるクロスは間抜けなにやけ面を晒す。
そんなクロスを見てアウラは楽しそうに微笑み口元を手で隠した。
「仲良さそうなところを悪いのだが、私も混じって良いかね?」
そう言葉にしながらだが悪びれた様子もなくアウラの父であるグリュールが食堂に入って来た。
「お父様。お戯れはお辞め下さい」
頬をぷくーと膨らませるアウラを見てクロスとグリュールは微笑を浮かべた。
「はは。申し訳ない。父親とは娘をからかわねば生きていけぬ生き物でな」
そう言葉にしてからグリュールは二人から離れた席に着く。
その直後、いつも通りやたら豪勢で恐ろしく贅沢な食事がメイドによってテーブルに並べられていった。
「……食べる前にグリュール様に尋ねたい事が――」
「呼び捨てで良いぞクロス殿」
「んー。ではハーヴェスター殿と」
「……あいわかった。それで何を尋ねたいのかな? ラフィールの好みの男性なら――」
「……お父様?」
お湯すらも凍り付きそうな冷たい声のアウラにグリュールは口元で人差し指を重ね×印を作って誤魔化す。
それは幼い外見、大人しく明るい性格のアウラから発されるとはとても思えない恐ろしい声だった。
「え、えっと……どうして離れた位置に座っているのか尋ねても?」
「ん? ああ……。さきほどの話と関わりがあるから答えにくいのじゃが……ラフィール。真面目な理由なのですまないが話すぞ」
そうグリュールが言葉にするとアウラはこくりと頷き無言となった。
「理由は単純、魔王アウラフィール・スト・シュライデン・トキシオン・ディズ・ラウルの夫探しの為じゃよ」
「――はい?」
クロスは少々以上に斜め上な答えにぽかーんと間抜け面を晒し聞き返した。
「気持ちはわかる。色々と身分や状況、スタンスやらの政治的な問題が関わるのじゃが……まあうん。シンプルにラフィールに夫が見つかる可能性が低いから確率を上げる為、資格のある者がラフィールと食事をとる際にはこうして顔を見合わせて食事を取ってもらう事になっておる。私らが少し離れた場所から見ながらじゃがの」
「……は、はあ……。良くわかりませんがわかり――いやちょっと待って! それ俺も対象なの?」
アウラと顔を見合わせる位置にいるクロスは慌ててそう言葉にする。
アウラは少しだけ頬を染め、目を逸らした。
「うむ。幸か不幸かはクロス殿次第じゃが、こちらとしては候補の一人と考えておるから旦那になる可能性はあるぞ。うむ、場合によってはお主が魔王となるかもしれぬな」
そう言ってグリュールは本気か冗談かわからない笑顔を向けた。
「……いや、俺元人間……」
「だからじゃよ。元人間の勇者パーティー。その中で最も信頼のおける虹の賢者。そんな者と穏健派魔王が結婚すれば地位も将来性も盤石となる。とは言え……私もラフィールもそのつもりはないがね」
「あ、そうなんです?」
安堵しつつも少し寂しい気持ちを覚えながらクロスはそう尋ねる。
その言葉に対し、グリュールの代わりにアウラが頷いて答えた。
「はい。ただでさえクロスさんには色々と迷惑をかけているのにそんな……。正直に申しますと、クロスさんが権力に興味がある様でしたら政略結婚という事でもう少し前向きに検討したのですが……」
その言葉にクロスは露骨なほどに顔を顰め手を精一杯横に振って拒絶のアピールをしてみせた。
「俺みたいな凡人が王とかないわ。無理無理かたつむり。つか俺が何か権力とか持っても魔が差して悪さして、んですぱーんと処刑される未来しか見えんわ」
「そうでしょうかね……。私は……いえ。何でもありません。私達もクロスさんが、こういう汚い世界が嫌いな事も似合わない事もわかっております、ですのでご安心を。巻き込むつもりはありませんから」
そう言葉にしてから魑魅魍魎蔓延り闇夜よりも深い暗闇の様な伏魔殿の世界である王宮情勢の王たるアウラはにっこりと微笑んだ。
「ああ。とは言え、アウラには世話になってるしアウラの夢は掛け値なしに見てみたい。困った事があったら言ってくれ。手伝える事があれば手伝うから」
アウラは微笑み、そして確かにクロスの言葉に頷いた。
「うむむ。クロス殿も、ラフィールと男女の関係になりたくなったら遠慮なく父である私に言っておくれ。趣味嗜好からラフィールが憧れるシチュエーションまで十二分に――」
そうグリュールがつらつらと語る事に室内の温度が冷え込んでいく様な錯覚が起き、同時にアウラの笑顔がひどく冷たく……そして鋭くなっていく。
確かに笑っている……はずなのだが、クロスはその笑顔が肉食獣が口を開く寸前の様なものに思えた。
グリュールは再度、人差し指を自分の口元で交差させ×印を作って目を逸らした。
雑談混じりの食事も終わりが近づき、アウラとクロスがそろそろデザートに手を掛けようかという辺りで、メイドの一人がアウラに近づきそっと耳打ちをする。
それを聞いた後アウラは頷き、メイドを下がらせてクロスの方に目を向けた。
「クロスさん。メルクリウス……メイドさんが急ぎではないですが何やら用事がある様です。どうしますか?」
その言葉を聞き、クロスは首を傾げた。
たった数日の付き合いでもメルクリウスが超が付くほどのプロフェッショナルだという事は知っている。
彼女の仕事は素晴らしく、完璧という言葉を見事に体現していた。
銀に輝くロングヘアーで落ち着いた表情のクールビューティー。
それでいて時折見せる上位種族特有の獰猛かつ挑発的な笑み。
ドラゴンという種族の所為かメイドという仕事を嫌々行っているフシはあるのだが、それでも彼女は間違った事をした事がない。
その彼女が火急の用でないと言いつつ魔王との食事中に連絡を通してくるという事は……今話を聞いた方が良い何かがあったという事だろう。
少なくとも、そこそこに重要度が高い案件であるのだろうと考える程度にはクロスはメルクリウスを信頼していた。
「アウラとハーヴェスター殿が宜しければ入れても……」
その言葉に二人は頷いた。
「……それは良いが……ラフィールはアウラで私がハーヴェスター殿というのは少々寂しいものがあるな。やはりグリュンと呼んでくれぬかの?」
その言葉にクロスは苦笑いを浮かべながら頷いた。
「グリュン殿は……外見に見合わずお茶目な部分が多いですね」
「ははは。空気を読まないと素直に言ってくれても良いぞ?」
その言葉にクロスは肯定も否定もせず苦笑いだけを浮かべた。
こんこんと丁寧なノックの後、メルクリウスが食堂に姿を見せる。
メルクリウスは入場と同時に踏み鳴らしながら足を揃え、背筋を伸ばし、険しい顔で敬礼をしだした。
「御夕食の歓談中失礼します。魔王閣下、並びにハーヴェスター」
一ミリも姿勢をブレされずそう言葉にするメルクリウスにアウラは苦笑いを浮かべた。
「メルクリウス。貴女はもう軍属ではないでしょう。メイドとしての作法で十分ですよ?」
「いえ。例え軍属に元が付こうと我らが敬愛する魔王閣下に対し無礼を行う事など出来る訳がありません」
「相変わらず融通が利かない位真面目ですのね。故に、貴女の事を私は心より信用していますよ」
「はっ。恐縮です。誉め言葉でない事も重々承知ですが、申し訳ありません。性分です」
「わかってますよメルクリウス。――直れ。そしてその後は私にではなく自らの主人に対して向き合いなさい」
「はっ! 失礼します」
そう言葉にした後メルクリウスは姿勢を緩め、いつものクールな表情でクロスの方に目を向けた。
「と言う訳でご主人、アルコールテストの結果が出たぞ」
その言葉を聞き、クロスががたっと音を立てテーブルを立ち上がった。
「それで、それでどうだったんだ!?」
今までで一番生き生きした顔でクロスはメルクリウスにそう尋ねる。
それを見てメルクリウスは急に無表情となり――。
「すまんがアウトだ。現在のご主人に対し飲酒を許可する事は出来ない」
メルクリウスはゆっくりと、子供に言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。
それを聞いたクロスは全ての表情を失う。
そして――。
ほろり。
そっと大粒の涙が零れた。
「おしゃけ……」
それだけ呟いてから、クロスは赤いカーペットの上に蹲った。
カーペットは意外と暖かかった。
「……おお。何と不憫な……」
そう呟き、ハーヴェスターことグリュールは瞳を曇らせ絶望的な表情を浮かべる。
酒を作るほど好きだからこそ、グリュールはクロスの気持ちが痛い程理解出来た。
「……ご主人。気を確かに」
そう呟くメルクリウスの瞳にも強い憐憫が浮かんでいた。
ただ唯一アウラだけはたかだか酒がまだ飲めないだけでどうしてそこまで皆が気にするのかわからず首を傾げ、そして三人を気にせずデザートのクリームチーズが挟まれたサンドケーキを食べる事に集中した。
「……メルクリウスよ」
グリュールの声を聞き、メルクリウスは再度背筋を伸ばし敬礼した。
「はっ」
「良い。そのままで良いとも。それで、どこで引っかかったのか詳しく説明を」
「了解しました。まず、精神年齢の方は転生前のものが引き継がれてますので十二分に問題ありませんでした。続いて肉体の方。これも成熟期を過ぎていると判断出来ますから問題ありません。つまり……」
「なるほど。人間にはない感覚だからこそ、特異成長期がネックとなったか」
その言葉にメルクリウスは頷いて答えた。
魔物は成熟期と呼べる状態、人間で言えば成人という状況となるのは種族毎に異なる。
極端な例で言えば生まれてすぐ成熟する種族や千年単位で成熟しない種族、果てには死ぬ前の一年だけ成熟する種族もいるし、一生成長し続ける代わりに一生成熟しない種族すら存在する。
だからこそ成熟期、つまり成人したと見なされ飲酒が出来る状況というのは種族ごとの差が大きすぎる為、判断が難しい。
故に、三つの基準を設けてそれら全てを満たした者を成熟期が終えたと見なす様に法で定められた。
一つ目は、精神年齢の成熟化。
ある程度の落ち着きがあり自己で責任が持てる者を表す。
とは言え、これはそこまで厳しいものでないのでここだけがひっかかる種族は少ない。
二つ目は、肉体年齢の成熟化。
人間でいう二次成長を終え肉体的な成長が残り僅かとなった者を成熟化したと見なされる。
そして最後に、魔力的な意味での成熟化。
特異成長期を迎えたかどうかを判断する。
特異成長期とは魔物にしかない成長期の一種である。
魔物はその名の通り、魔に連なる者の事を表す。
名前に反しほとんど魔力を持っていない種族もいるにはいるが、それでも魔力が皆無という訳ではない。
そして人間と異なり魔物は魔力の大小に関わらず、必ず己の魔力と己の肉体を絡み合わせ結び付ける。
ただ魔力を生み出すだけでなく、生み出された魔力を再度体に戻して循環させて再構築し、魔力を絡みつかせてより自分らしい魔力に変化させる。
それを行う事により肉体と魔力を変異させる事が特異成長期である。
これをする事で別に魔法が使える様になる訳ではないが、それでも自分の魔力を把握できる様になり、また同時に身体能力も魔力分向上する。
そんな魔物にとっての常識の一つだが……クロスはそれを知らない上に、その特異成長期をまだ迎えていなかった。
「つまり……そのとくい? 成長期って奴が来るまで待たないと駄目なのか。それってどの位で来る? 明日? 明後日?」
うるうるとした目でそう呟くクロスを見て、メルクリウスは小さく溜息を吐いた。
「……私の見立てだが……半年から一年だな」
ほろり。
クロスはまた泣いた。
しくしくと、カーペットにうずくまり泣いた。
「……ふむ。メルクリウスよ。そなたはまだ軍部に伝手は残っているかね?」
グリュールの言葉にメルクリウスは頷いた。
「はっ。何時現場に戻っても問題ない程度には」
「ふむふむ。ではハーヴェスターから一つ依頼があるのだが……宜しいかね?」
「身命に賭けまして」
「よろしい。では、クロス殿の特異成長を早めてやって欲しい。方法はわかるね?」
そうグリュールが言葉にすると、クロスはカーペットからがばっと起き上がった。
「そんな事出来るのか!?」
「うむ。特異成長とは要は魔力と肉体が絡み合う事を言う。つまり……強引にでも魔力を酷使すれば成長を促進させる事など決して難しい事ではない。大変な事ではあるがね」
「その方法とは!?」
グリュールに掴みかからんばかりの勢いを向けるクロスにグリュールは微笑み、そしてメルクリウスの方を見た。
「私よりもそなたの方が詳しいであろう。説明してあげてくれないか?」
その言葉にメルクリウスは敬礼で返した。
「了解です。ご主人よ。これは本来特異成長期を早める為の方法ではない。強くなる為の方法である。だから想像以上に苦しく、また厳しいぞ。そんじょそこらの覚悟では途中で挫ける。現に軍属であっても挫ける者は少なくなかった。だからハーヴェスターは難しくないが大変だとおっしゃった。その覚悟はあるか?」
そんな脅しを含めたメルクリウスの言葉に、クロスはまっすぐ、飢えた狼の様な目でメルクリウスを見つめ返した。
「メルクリウス。俺が欲しいのは確認ではない。その方法だ。早く教えてくれ」
「――良い目だ。そういう目は私も好みである。では難しい部分を省いて簡単に説明しよう。とにかく戦えば良い。強敵と戦い、体を痛め、苦しみ、悩み、そして強者に打ち勝ち更なる強者と戦う。そんな修羅の如き戦いを幾度と繰り返せばその分魔力は体を循環し、特異成長は早くなるという訳だ」
「それで、俺はどうしたら良い? 相手を探せば良いのか?」
「いいや。全て私が用意しよう。ハーヴェスターからの依頼であり、ご主人の為だ。その位は雑作もない。過去軍属で部下だった者達を相手として宛てがおう。だから必要なのは血反吐を吐き、ゲロを吐き、血のしょんべんをまき散らしてでも戦うという意思を持ち続ける事だけだ。ちなみに比喩表現ではないぞ。どうだ? そこまでの覚悟はあるか?」
「――明日から頼む」
その答えに、メルクリウスはにぃっと歪な笑みを浮かべ喜んだ。
「どうしてこの人達お酒でこんなに盛り上がれるんだろうか」
アウラは小さく溜息を吐いた後、嫌がらせと八つ当たりと父への愛の為、グリュールの専属医に酒を飲みすぎていると密告すると心に決めた。
「メルクリウスよ。今回の私の依頼の……我が友となるべく酒を飲み交わしたいという、私の依頼の報酬についてだが……」
「いえ。ハーヴェスターからの御依頼を受けこなす事こそ名誉。それだけで報酬として十分です」
「たかだか農家である私には過度な評価としか言えんな。とは言え、その気持ちを無碍には出来まい。――報酬はクロス殿と共に酒席に座る事としよう」
その言葉を聞いた瞬間、メルクリウスから強烈な、圧力の様な何かが体から放たれた。
獰猛で、暴力的で、傍若無人で。
そんな種族としての圧力、暴威。
龍という種族特有の気の様な何かが満ち溢れ、それを周囲にまき散らしながら狂暴な笑みを浮かべて、メルクリウスはクロスの傍に寄った。
「当然だが、期間が短い程大変で、そして苦しい。だが、私は早くハーヴェスターの酒が飲みたい。故に……一月だ。一月の間ご主人を地獄に叩き込む。反論は認めない」
そんな一方的に脅すようなメルクリウスを見て、クロスは首を横に振る。
「足りん。――どれほど過酷でも構わん。二週間で終わらせる。出来るな?」
「――吐いた唾は飲み込むなよ」
嬉しそうに、心から嬉しそうにメルクリウスはそう言葉にする。
それを見て、グリュールは微笑んだ。
息子の成長を喜ぶ父の様に、孫の成長を喜ぶ好々爺の様に。
そしてそんな三人を見て、アウラは決意した。
こんなバカ共を減らす為に酒税を上げようと――。
ありがとうございました。




