思惑重なる Last dance(中編)
クラスメイトがレイに料理を教わり始めてから二日。
たった二日で、状況は劇的に変化した。
料理の技量とか、少女達の苦労とか、そういう事ではなく……学園そのものが。
それも、想像をはるかに超える形で。
おそらくサプライズパーティーの予定だったのだろうが……もはやサプライズという隠しておける規模ではない。
むしろ別の意味でサプライズ感満載となってしまっていた。
「あの……レイお姉様?」
「何かしら? ……手を止めず話しなさい」
そう言われ、少女はカチャカチャ泡だて器を動かした。
「えっとですね……あ、砂糖この位で良いです?」
「悪くないと思うわよ。私ならもう少し控えるわ。逆にエリーさんの好みならもう少し多くても良いかもしれないわね。聞きたい事はそれ?」
「いえ。そうではなく、何だか、大事になっていません?」
「みたいね」
「……私達はこれで良いんです? あの……手伝ったりしなくても……」
「その余裕が貴女達にあるの? 本気で、喜ばせたいんでしょ? あの子を、私のエリーを。忘れられないプレゼントにしたいのでしょう? 違うのかしら?」
「いえ、違いませんが……」
「ならば、ギリギリまで手を動かしなさい。期日まで余った時間は全て料理に費やしなさい。周りの雑音なんかに耳を傾けず――自分を出しきりなさい」
「は、はい! お姉様って、意外と熱血系だったんですね……」
「ごめんなさい。こんなやり方でしか教えられなくて。でも、結局練習量が上達においての最効率だと思ってるの。私は」
「いえ。悪いのではなく、少しイメージと違ったので。お姉様はこう……コツを覚えてそつなくこなすタイプとばかり。むしろ努力とかお嫌いなのだと……」
「そうでもないわ。私不器用なの。……結局のところ、経験は決して裏切らない。何があっても。それを知っているだけよ」
そう言葉にし、レイは窓から空を見る。
どんな状況でも、どんな時でも、例えどうなっていたとしても、今までの経験は変わらない。
それだけは、何があっても裏切らない。
今のレイだからこそ、それを強く実感していた。
「……少し、いつもと雰囲気違いますねレイお姉様。でも、楽しそうです」
少女の言葉にレイはくすりと微笑んだ。
「こういうのは嫌いじゃないのよ。……さて、見本という訳でもないですがケーキを作っておきました。休憩の時にでも食べてください。私は……一時間程ここを離れますので」
そう言葉にし、レイはぺこりと頭を下げ調理実習室から退出した。
学園の様子は、レイが少し歩いただけでわかる程変わりきっていた。
賑やかな様子でわいわいと騒ぎ、ポスターを貼ったり看板を立てたりする学生達。
工事や改修の為生徒以上に数の多い従業員の方々。
そしてどこもかしこもパーティー仕様。
要するに、学園の皆はレイとエリーの為のお別れパーティーの準備をしているという事だ。
何故か学園祭とも思える規模で。
学園全域がパーティー会場。
しかも周囲にある学園八つの生徒達も授業を休みにしてまで遊びに来るという始末。
どこかの誰かが出来るだけ派手になんてオーダーを出し、それが出来るどこかの誰かが悪乗りした結果。
その様に、レイはこの現状の発生原因を考えていた。
とは言え……それだけではないだろうが。
「レイ様。ごきげんようですわ!」
その声を聞き、レイは足を止める。
そこには綺麗な金色の少女がいた。
「アンジェリアさ――いえ、アンジェさん。ごきげんよう。何か用かしら?」
「ただの世間話ですわ。それと……貴女達の大切なパーティーで可愛い私が出てしまって目立っちゃう事への謝罪をあらかじめしておこうかと思いまして」
ふふんと自慢げにそうアンジェは言葉にした。
「ふふ。アンジェさんらしいですね。構いません。何時もの様にお願いします。それが可愛らしい貴女らしさなんですから」
そう、何時もの儚げな微笑を浮かべながらレイが言葉にするとアンジェはぷるぷる震え真っ赤になった。
「……ぐ、ぐぬぬ……。ああもう恥ずかしい事をさらっと……。本当……。ではお歌の練習があるから失礼しますわ! ごきげんよう!」
そうどこか怒った様子で……いや、割とわかりやすい照れ隠しをしながらアンジェはレイに背を向け歩き出した。
と思ったら、ぴたっと足を止め、顔だけレイの方に向けて来た。
「レイ様、調子が良さそうですわね。最初の頃、少しだけ心配していましたわ」
それは、レイにとって予想外の言葉だった。
「……え?」
「魔力量がかなり増量して、そして安定しています。表情も穏やかですし。ちょっとだけ、本当にちょっとだけですが心配してましたのよ。では今度こそごきげんよう」
そう言葉にし、アンジェは今度こそ足早にその場を後にした。
レイは足を止めながら茫然とし、その事実に気が付く。
気づけば、学園を見渡せる程度には視力が回復している。
日常を楽しめる程度に、体も心も落ち着いている。
それはレイにとって、好ましい変化ではなかった。
「……ああ、そうか……。こうなるのか……」
ぽつりとそう呟き、自分の手をそっと見つめる。
「あとどの位、私は保つでしょうか」
その呟きは、誰の耳にも入らなかった。
レイは気持ちを切り替え、そのまま目的の場所に移動しノックをせず部屋に押し入る。
別にマナーを蔑ろにしている訳ではなく……ノックをすると、拗ねるからだ。
相手の名前は、ユイ・アラヤ。
先代泉守で、この狂想曲パーティーを開いた黒幕であり、レイア・エーデルグレイスの母親。
絡み癖があり、寂しがり屋で、だけどどこぞの魔王様の様な陰謀家でもありよくよくフィクサー気取りの行動を取る。
まあ一言で言えば……めんどくさいの塊である。
「いらっしゃいレイアちゃん。お茶請けは……クラッカーあるわよ。さっぱり塩味の」
甘い物続きで苦しんでいるであろうレイアへの気遣いを見せるユイ。
こういう所が信用出来ないとか黒幕とか言われる理由だろう。
最近甘い物続きで飽いてきたなんて一言も発していないレイはそんな事を思いながら、ユイの傍に移動し紅茶を淹れだした。
「お母様はケーキ要りますか?」
「もちろんいる! レイアちゃんの手料理なんだから!」
そう言葉にし、ユイはレイの頭をよしよしと撫でた。
「……はぁ。すぐ用意しますね」
レイは困った顔で少し頬を赤らめながら、二体だけのお茶会の用意をして席に着いた。
「それでお母様。幾つか質問があるのですが……」
「お茶会終わってからで良い? そしてケーキ食べさせてー。あーん」
ユイは口を開きニコニコしながらそう言葉にした。
「……はぁ」
レイは小さく溜息を吐き、ユイにケーキを食べさせる。
確かにユイは日常生活を送るのが難しい様に見える。
包帯に覆われた目を見れば視力がないなんてのは聞く必要すらない。
だが、それれでもユイ程になればそろそろ馴れて来てもおかしくない。
たぶんだが、ただ甘えているのだろう。
そう思いはするのだが……それを確信する術がない為レイは結局言う事を聞かざるを得なかった。
「……つまり、私のお母様への質問に対しての答えは、ゆっくりお茶会する気分でなくなる様な答えなのですね」
ケーキをもぐもぐしていたユイはレイの言葉に驚き、咽そうになって紅茶のカップを持ちそっと喉に流し込む。
流れる様カップを手に取るその仕草。
それはもう目が見えているのと何も変わらない位の動きだった。
「やっぱり見えているんじゃないですか。……いえ、視えていると言った方が良いですか?」
「けほっ。ちょっとまって気管に入った……。吐き出してなるものかレイアちゃんのケーキ……。ふぅ。いや全く見えてないわよ。感じているだけで」
「そうですか。何にしてももうおひとりで食べられますね。どうか後はご自分で」
レイはユイの正面席に座りクラッカーをそっと口に含み、ぱきんと折った。
「ちぇー。レイアちゃんのけちー。……食べ終わったら、質問に答えるわ」
そうユイが言葉にするのに頷き、レイはその時を待った。
そこから二十分位。
ユイがケーキを食べ、紅茶をお代わりして飲んだ後、レイは改めて会話を始めた。
「それで、お母様はどうしてこんな事をしたんですか?」
「こんな事って?」
「私とエリーさんのお別れパーティー自体は良いんです。あの子達が納得出来る終わりとなるなら道化になるのも構いません。ですが……この規模にする理由がありませんなんですこの学院、学園、学校九つ合わせてのお別れパーティーって。他学園どころか他学年すら関係ないでしょうに……」
「えー。だってストームちゃんとエリーちゃんから出来るだけ派手にって言われちゃったんですもの。だったら願いを聞いてあげたいと思うのが親心でしょう」
「関係ない方々を招待してまで?」
「だって、派手でしょ?」
「よそ様のカリキュラムを滅茶苦茶にしてまで?」
「一日ずれた位で滅茶苦茶にならないわよー。それに少女達にとっては良い休みにもなるわ」
「……それで、本音は?」
「え? 別に深い意味はないわよ?」
「……昔視た物と関係が?」
「いや別にー」
そう、あっけらかんと答えるユイ。
見ようによってはのらりくらりと躱している様にも見えるが……レイにはどちらか判断つかなかった。
「はぁ。お母様。一つ、良いでしょうか?」
「何かしらレイアちゃん」
「……あまり、私に時間はないみたいです」
曖昧で、わかりにくい言葉。
だが、ユイはその言葉の意味が正しく理解出来た。
「そう。……もう数日、保ちそう?」
「保たせてみせます。あの子達の為に。だからこそ、お願いが――」
「駄目」
「……何を言うかもわからない内に断るのは……」
「目の再封印でしょどうせ。駄目よそれは。認めないわ」
「ですが……私なんかが……」
「私なんかなんて言わないで。例え仮初であっても、今だけだとしても、貴女は私の娘よ。その事を自覚して頂戴。そういう約束でしょ?」
「……申し訳ありませんでしたお母様」
レイはどこか落ち込んだ様子で、深く頭を下げた。
「……レイアちゃん。残された時間が少ないからこそ、やりたい事をやりなさい――いえ、やりきりなさい。自分がやりきったと納得出来るまで、我儘になりなさい。でないと……本当の本当に、最悪の後悔を迎えてしまう事になるから」
「それは……どちらが後悔するのでしょうか?」
「どっちなんて選択肢意味がない質問よそれ」
「……そうでしたね。すいませんでした」
「私も、レイアちゃんが後悔しない様に、少しでも悲しい気持ちにならずに済む様頑張るから、あなたも頑張って頂戴」
「……正直、お母様の言葉は半分以上意味がわかりません」
「たぶん、レイアちゃんと話すこの学園の子達も同じ気持ちだと思うわよ」
「――まあ、親子ですから」
そう言葉にし、レイは微笑んだ。
ユイの言う事はさっぱりわからない。
わからないが、それでも、信じる事は出来る。
例えどうであれ、今母親であるのは間違いないからだ。
また、もう一つ信じるに値する理由がある。
レイは自分が秘密主義者で嘘つきだという自覚がある。
当然、最愛のエリーに対しても嘘を付いている。
だからこそ、同じ秘密主義で嘘つきであるユイの事を、レイは信じる事が出来た。
同族故のシンパシーだろうか、何となくわかるのだ。
何が目的で、どこを見ているのかが。
レイが部屋を去ってから、ユイは小さく溜息を吐く。
その直後、部屋にくすくすと笑い声が響いた。
「なんとまあ……酷い嘘もあるものですねぇ。全く……ああ、魔物とはなんと醜い存在である事でしょうか。やはり、私達には正しき道を導く指導者が必要だと再確認しましたわ」
そう、笑いながら言葉にするその声は、明るい声色とは裏腹に呪いの様に重苦しく、胸や下腹部にのしかかる様だった。
部屋の奥で隠れていたその女性は、楽し気な表情で、ユイの方を見つめた。
「嘘つきである事は、否定しませんわ。ロキ様」
その言葉にくすくす笑い、ロキはベッドに腰を掛けた。
長身でグラマラスな体はどこか妖艶さが漂っているが、どちらかと言えばそれは食虫植物のそれに近い。
その本性は魔性という言葉すら生ぬるく、破滅願望の劫火そのもの。
ロキは己の体と同等程の体積のある長くボリュームのある髪をふわりと持ちあげて膝に乗せ、そっと撫でた。
「正直、貴女は家族への愛だけはあると思っていましたのに……少しだけ、がっかりしました」
ロキはそう言葉にし、ユイを睨みつけた。
「家族愛が強い方だという自負はありますが?」
「ならばどうして他所の学園を巻き込んだのですか? 私は貴女が各地に放ったエーデルグレイスを避けて動いていましたのに……。イディスを敵に回さない様に立ち回っておりましたのに……。これでは全部だいなしです。わかっているんですか?」
「わかっているとは?」
その言葉に、ロキは強い怒りを覚えた。
「貴女のその行動の所為で、大切なお別れ会とやらが滅茶苦茶になるのですよ!? こちらの譲れない一線位わかっているでしょう。貴女の行動はわざと惨劇への導火線に火を付けたようなものです」
ユイは何も言い返さず、黙ってその言葉を聞いていた。
「貴女――この展開は泉守の予言の外にありますね?」
ユイはまた、何も答えなかった。
「――貴女には……誰かへの愛なんてない。あるのは自分の価値を高める事だけ。どうせ今の泉守の予言を外す為にこんな事をしたのでしょう? そうしたら先代はなんてすごかったんだーという風に出来ますので。ああ、きっとそう――」
ユイは我慢出来ず、くすり笑った。
まるでロキを嘲る様に。
その笑顔がロキにはおぞましく、不気味に映った。
まるで、鏡に反射した自分の顔を見たと錯覚するほど、気持ち悪かった。
「……何か間違っていましたか?」
「ええ。全部間違っています。というよりも、前提そのものが違いますね」
「では、その前提とやらをご高説頂けません事?」
「良いですが、どうせわからないと思いますよ。貴女では」
明らかな挑発。
それにロキは微笑んだ。
「その私程度にわからない程大層なお話、興味ありますわ」
「ふふ。では、誤解されたままなのも悲しいので解いておきましょう。貴女の前提となる話の勘違い。それは、ミューちゃんです。ミューちゃんは優秀ですよ? 貴女が思うよりも何百、何億倍も……それこそ、私なんかよりもね」
「予言的中率百パーセントの貴女が言うとただの嫌味にしか聞こえませんわね」
「ね? わからないでしょう。ミューちゃんがどれだけ凄くて、どれだけ可愛くて偉大で頑張り屋で素晴らしい存在かが。つまりそういう事です。貴女も私も、その程度、ミューちゃんの足元にも及ばないという事です」
そう言葉にするユイの言葉は、どこまでも純粋だった。
何一つ疑いはなくどこまでまっすぐで――だからこそ、ただただおぞましい。
他人をここまで信用することなど出来るわけがないのに、彼女は妄信さえも足りない程に、彼女を信じている。
その押しつぶしてしまいそうな重苦しい情念は、間違いなくロキの同類だった。
「……ふふ…………ふふふ。あはっ。ごめんなさい。訂正するわ。そうね、貴女が自分の名誉や地位の為にそんな事する訳ないわね。私と同じ貴女が……。つまり貴女には貴女の思惑があって、私には私の思惑がある。その結果このお別れパーティーが血の惨劇となってもしょうがない事、つまりそういう事ね」
満足そうにそう呟き、ロキはベッドから立ち上がる。
その顔はどこか晴れ晴れとしていて、そして納得した様な表情だった。
「では、私はこの辺りで失礼します。もう会う事もないでしょう」
そう、ロキは言葉にする。
終わりを始める為に。
新しい秩序の始まりの礎となる為に。
勇者信仰、真の勇者による統治なんて新しい魔物の世界。
そんな大層な願いに殉職する為に。
その意図、その意味がわかった上で、ユイは微笑んだ。
「ええ、また会いましょうロキ様」
それは、ロキの言葉の否定以外の意味はない。
ここにきて、初めて、明確に立ち位置をわける言葉を放つユイに微笑みながら、ロキはまるで煙の様に部屋から消えていった。
「……恨まれるでしょうねぇ」
今ユイが描いている未来予想図は、エリーも、レイも、それどころかミューすら考えていない物。
ミューが苦労して描いた未来予想図をぶち壊し、エリーとレイのお別れを最悪の形とし、少女達に不幸を招くもの。
嫌われ恨まれても仕方ない事。
皆が大切にしていた物をひっくり返し泥を掛ける行為。
それがわかっていても……それでも、ユイは心から微笑む事が出来た。
昔と比べてあまりにも楽な境遇に。
嫌われ悲しませる程度で護りたいものを護れるのなら、孤独となる事など安い出費でしかなかった。
ありがとうございました。




