Beautiful World 最大の試練
どうしてこんな事になったのだろうか。
今のこの状況を、不幸をエリーはそう思わずにはいられなかった。
エリーはレイについて何も知らない。
レイア・エーデルグレイスという名前で、先代泉守ユイ・アラヤの娘。
これは嘘ではなく事実だろう。
だが、それ以外は本当の事かどうかわからない。
いや、こう言った方が良いだろう。
レイは、意図的に何等かの嘘を付いている。
内容まではわからず、また極力嘘を付かない様にしているが、それは間違いないとエリーは知っている。
姉妹であり、魂の契約者であり、そして共犯者だからこそ、何となくそれがわかる。
エリーはレイが近接戦闘が出来るという事さえ知らなかったが……。
とは言え、予想はしていた。
エリーの動きに完璧に合わせられ、エリーに適した武器をハイロウ変化で用意出来、そしてエリーにアドバイスまで送れるのだから近接に長けていない訳がないに決まっている。
レイの事をエリーは全部が全部分かる訳じゃあない。
むしろわからない事の方が多い。
だが、絆は確かに感じているしレイがいつだってエリーの為に暗躍してくれている事もわかっている。
だがそれでも……どうしてレイがこんな現状を用意したのか、エリーにはわからなかった。
森林の中、エリーは今たった独りでいる。
これは良くある模擬戦、クラス対抗の亜種。
エリーの対戦相手は……レイを除くヒルドクラスの全員。
それも、和気藹々やビフレストの先であるエリーの胸を借りるとか、そういうぬるい話ではなく、限りなく真剣勝負に近い。
クラスメイトの少女達は本気でエリーをぶちのめすつもりで戦いに参加している。
士気は高い……というよりも、その士気は死兵のそれに近い。
そして戦いたくない相手との戦いには、常に傍にいるはずのレイの姿はない。
というよりも、この誰も得をしない戦いはレイのお膳立てによって決まった様なものである。
何故。
それが、エリーにはわからない。
がさっがさがさ……。
草影から音を鳴らし、剣を持つ少女達が現れる。
フレイヤとイラ。
クラスメイトで、特徴的で、最初に交友を結んだ相手。
二体は決して仲が悪い訳ではなくむしろ良い方ではあるが戦い方があまりに違いすぎて普段は連携を取らない二体。
お互いのポリシーが違い過ぎて連携を取る事が難しい二体。
そんな二体は、本当の本当に全力で、真剣な様子で、それでいて自分のポリシーを捨てて組みエリーに剣を向けて来た。
少女達の戦闘は大半が怪我をしないフィールドでの模擬戦であり、それ以外の訓練、授業では大体手を抜き五割位の力で戦う様教師に忠告されている。
未熟者が全力を出すと大怪我に繋がるという至極当たり前の理由の為に。
だからこんな実戦さながらの模擬戦には、少女達は慣れていない。
怪我をする事にも、させる事にも、当然……命を奪う事にも。
だと言うのに、少女達からは普段感じる温い甘えの様なものはなく、例え怪我しても、怪我をさせても成し遂げるだけの何かがあるという覚悟が生じている。
その理由すらも、エリーにはわからなかった。
「輪舞でなくてごめんあそばせ。少し変則的ですが円舞曲のお誘いに来ましたわ!」
イラはレイピアに似た細身の剣をエリーに向けた。
「実力不足は知っていますが……退けない理由があります。どうかお付き合いを!」
フレイヤはエリーの背後に立ち、静かに教科書通りと言える様な丁寧な動作で剣を振る。
不規則かつ自由な動きで行動が読みづらいイラ。
片手レイピア片手銃という変則的な構えでかつ服がこすれ合う程密着する戦闘はダンスの様。
逆にフレイヤは両手で剣を持ち、丁寧に振り上げ振り下ろす。
丁寧でかつ遅いが、しっかり気合が入ったお手本の様な振り方。
それは中途半端に速いだけの剣よりよほど重く、そして避け辛い。
とは言え……残念ながら実力が違いすぎるが。
事前にレイに変化してもらった片手剣を持ち、くるっとその場で一回転。
本当にダンスの様な仕草。
ただそれだけ。
それだけで、フレイヤとイラの武器はぱきんと割れその場に尻もちを付く。
誰が見てもわかる程の、敗北だった。
「後、三十体……」
そう呟き、エリーは寂しそうな顔でどこかで隠れこちらを襲おうとしている少女達を探しに向かった。
どうせすぐ終わる。
その後聞けば良いだろう。
そんな風にエリーは思っていた。
そんな訳、あるはずないのに。
事の始まりは非常にシンプル。
適応の試練最後の条件、クラスメイト全員がエリーを優秀であると認める事。
それをエリーは簡単な事だと思っていた。
というよりも、それ位の尊敬は集めていると思っていた。
だが、結果はエリーが思っていた方向と真逆。
誰独り、エリーとレイが優秀であると認めなかった。
クラスメイトはそれを言葉にする事を、拒絶した。
当たり前な事ではある。
だが、その当たり前がエリーにはわからなかった。
どうしたら良いかさえ。
だから、レイに頼った。
レイならどうしてこうなったかも、そしてどうすれば良いのかきっとわかるだろう。
自慢のお姉様だから何でも出来る。
そう、エリーは思っていた。
そんなレイからの返事もまた拒絶だった。
その理由すら、エリーにはわからない。
その挙句に提案されたのが、この模擬戦。
エリー対レイ以外のクラスメイト全員という理不尽極まりない内容。
当然、理不尽に感じるべきはエリーの方ではなく、クラスメイト達の方。
そこそこのハイロウでの戦闘経験を積んだ今でなら、クラスメイトどころか一年二年全員と戦ってもエリーは完勝する。
下地と経験の差は、一年二年で埋められる物の訳がない。
軍としての最前線の経験は、クロスと共にいた経験は、少女達が追い付ける様なぬるい物の訳がない。
どうしてそんな酷い事をレイが言ったのか、エリーにはわからない。
そしてその酷い内容をクラスメイトが受けた理由もまたわからない。
エリーには、理解出来ない事しかなかった。
「……良かったの? これで?」
模擬戦のフィールドを見下ろせるテラス、二体以外誰もいない喫茶店にて黒と白のハイトーンが似合う目を隠した女性は紅茶のカップを片手にそう呟いた。
「これがお母様の望みではなかったのですか?」
レイの言葉にその女性、ユイは困った顔で笑った。
「望みというか違うというか……」
「ああ。視えてしまったのですね」
「違うわよレイアちゃん。視えてないからこそ、こうしたの。希望を残す為、繋ぐ為。でも、レイアちゃんが一切手を貸さないなんて思わなかったわ私は。何だかんだ言ってエリーちゃんには甘いから」
「……否定はしません」
「でしょ?」
「ですが……いえ、だからこそエリーさんはこの状況を独りで何とかしなければならないんです」
「どうして?」
「私が介入したら、遺恨が残るでしょう?」
「……介入しなくても遺恨なんて残るでしょう。これじゃエリーちゃんの方すら追い詰めただけじゃない。これ今何戦目よ?」
「まだたったの三戦目ですね」
そう、レイは言葉にする。
レイは模擬戦を提案したが、別に模擬戦で話を付けろなんて言ったつもりはない。
模擬戦位で納得する訳がない事位最初からわかっている。
つまり、納得しない限り何度でも繰り返されるという事だ。
この一方的な蹂躙劇が。
だが、確かな理由がある。
譲れない物がある。
どうしてこうなったのか。
それがわからないのはエリー位だろう。
それを認めたら、クラスからいなくなる。
それがわかっているのだから、クラスメイトが認める訳がないだろう。
尊敬をした。
親しくなった。
仲良くなれた。
憧れた。
美しいとさえ思った。
そんな相手がいなくなったら悲しいに決まっている。
それがわからないのはよほど機微に疎い奴位だろう。
「エリーちゃんは交渉のイロハも知ってるしちょっとした政も出来るし……あんまそういうのわからないタイプじゃないと思ったんだけどねー。違ったの?」
「いえ、違いませんよお母様。ただ、向けられた好意にはちょっと鈍いんですよ。長い旅の後遺症という面もありますが、元からの気質でしょうね。伊達にリベル・ナイトを名乗ってはいません」
レイはそう言葉にし、そっと紅茶のカップを傾けた。
「……レイアちゃんは、これエリーちゃんが……」
「まあ負けるでしょうね。いえ、絶対負けます。一戦目と二戦目でかかった時間が倍になっていますし……戦う気概のない存在が勝ち続けられる程世界は甘くありません。相手がどれだけ未熟であろうと、本気である以上は……。なのでそう遠くない内に負けるでしょう。そして……負けても終わりには……」
実力は、天と地ほどある。
疲労具合も当然スタミナの差から少女達の方が大きく、少女達は試合を重ねるごとに弱っていく。
それでも、心の強さが違いすぎる。
エリーとレイと共に卒業をしたいと、せめて二年に上がるまでは一緒にいたいと願う少女達。
何一つわからず、少しまで仲の良かった少女達に必死に追われ、しかもお姉様であるレイにまで見放され独り不安と混乱の中にいるエリー。
最初から勝てる訳がなく……いや、そもそも、これは最初から勝ち負けの話ではない。
「……そうですね。五試合目位でしょうか。その位でエリーさんは一端ここに戻って来るでしょう。ですので……これからたっぷりと時間があります。ゆっくりお茶会をしましょう」
そう言って、レイはにっこりとユイに微笑みかけた。
「嬉しいけどちょっと心が痛いわ……」
「そうですか。私は別に……」
「だったらこれは私の眼の錯覚かな?」
そう言って、ユイはテーブルに置かれた自分のカップを指差す。
そこに浮かぶ琥珀色の液体は何度も小刻みに波紋を浮かべていた。
レイの貧乏ゆすりに反応して。
「――淑女らしくないところを見せました」
そう言葉にし、レイは落ち着きなく足を動かすのを止めた。
「良いのよ。そういうところがレイアちゃんの良いところなんだから」
「どう、でしょうかね。私は少し、甘やかしすぎた気さえします」
「良いんじゃない。せっかくの姉妹なんだから甘やかしても。仮初でも何でも、貴方達は二つで一つの魂の契約者なんだから」
「そうですね。……あと何日あるかわからない、終わりの見える契約ですけど」
そう言葉にした後、レイはまた足を小刻みに揺すりだす。
ユイはもうそこに触れない様に、そっと優しくレイに微笑んだ。
レイとユイはそれからしばらく、繰り返される模擬戦を観察しながら色々な話をした。
例えば、ストームの義手について。
海難事故で片腕となったストームが不便にならない様取り寄せた物、金属の義手。
機械生命体という機械狂信者にとって理想の様な生物が存在しており、彼らが住む世界は全ての物が機械化している。
ただその特徴と特性、高度過ぎる文明による齟齬から、一応魔王国内ではあるものの隔たりが強い。
はっきりと言えば、メリットだけでなくデメリットも強いから魔王国としては一歩離れた隣人程度で付き合っているのだとユイは説明した。
そこで作られた高度な技術による義手である為性能は折り紙付き。
実戦であれば相手の腕を抉り切る位は出来るしハイロウと組み合わせる事で色々な可能性もある。
実際そういう切り札もあったらしい。
その切り札を使う前にレイが義手を吹き飛ばしてしまったが。
他にもユイが知った事、見た事などを楽しそうに話し、レイが聞き手に回る。
表情こそ涼し気だが、レイも別に退屈そうにはしていない。
そんな中、エリーが姿を見せた。
武器ではなく、黄金の腕輪を付けた状態で。
どうやら武器化が解け敗北したらしい。
「お姉様……」
「六試合目。思ったよりも保ったわね。それで、次の準備でしょう。片手剣と両手剣どっちが良い?」
「お姉様……あの……」
「疲れやすいなら片手剣にするけどそれでどうかしら? それとも弓で隠密する? ああでも魔力操作ミスしたら大事になるわね。やはり素直に剣を――」
「お姉様!」
レイは話すのを止め、泣きそうな顔をしているエリーの顔をじっと見つめた。
「……私には、わかりません。どうしてこんな事をするのですか? あの子達は一体何を考えているのですか? 私に勝つ事が目的ならこれで終わりでしょう。お別れする前に勝ちたいって気持ちならわかります。でも……もう一回って何ですか!? どうやったらこれは終わるんですか! 何時になったら……私は向けたくない相手に武器を向けずに済むのですか……」
泣いてはいない。
だが、心が絶望に染まっているのは見て取れた。
理解出来ないという事が、不安をそれほどに増大させていた。
「正直……私からしてみたらどうしてそんな事がわからないのかと思うわ。でもね、それでも良いと思うの。貴女に足りないのはそこじゃないから」
「私に……足りない物?」
「ええ。あの子達はね、皆、真剣よ? 貴女と違って。本気で、一生懸命。それこそ、命を賭けている位にね。わかる? 貴女みたいな格上で絶対勝てないとわかる相手に本気で、しかも模擬戦フィールド外で挑み続けてるのよ? それがどれだけ勇気がいる事か」
「……わかりません。それが……それがわからないから私はっ……」
「だから貴女は知らないといけないわ。知って、そして応えないといけない。それは貴女がしないといけない事よ」
「……お姉様は、手伝って下さらないのですか?」
半笑いと呼ぶべきか、自嘲と呼ぶべきか。
およそエリーらしくない表情からのその言葉を聞き、レイは椅子から立ち上がった。
「貴女が本当にそれを望むのなら……そうね、手を貸すのも吝かではないわ。でも……それをした場合、貴女はきっと後悔するわ」
「後悔なんて……お姉様がいたら私はそれだけで……」
「貴女だけじゃなくて、あの子達も皆後悔する。後悔したまま、お別れする事になる。貴女はそれで良いの?」
こんこんと問い詰める様に、それでいて幼子を諭す様に。
そんな言葉だからこそ、絶対の信頼を寄せる相手だからこそ、それが真実であるとエリーにも理解出来た。
理解出来たが……感情ではそれを受け入れる事は出来なかった。
「良くないです! でも……それでも……どうしたら良いか……私にはわかりません……私は……お姉様じゃないです……何もわからないんです……」
「わからなければ、どうしたら良いの? そんな事、誰でも知っている事じゃないかしら?」
そう言葉にし、レイはエリーの頭を優しく撫でた。
「ちゃんとぶつかりなさい。あの子達に。あの子達の様に、本気でね」
その言葉の意味が、エリーにはわからない。
わからないが……エリーは片手剣をレイに用意してもらうとすぐその場を後にし、森の中に入っていった。
「やーっぱり、レイアちゃんは優しいねぇ」
ニコニコ顔でテーブルに肘を置きながら、ユイはそう言葉にする。
その反応がどこか面白くなくて、レイはぷいっとそっぽを向いた。
そんな仕草、自分しか知らない、レイの側面。
それが見られたユイは満足そうに微笑んだ。
そから三時間後だろうか……。
辺りが暗くなり出した時間帯で、エリーはクラスメイト達と共に森から出て来た。
クラスメイト達は皆涙をボロボロとこぼし、そんなクラスメイト達をエリーは涙を流さず慰めている。
何が起こったのかレイにはわからない。
だが、それを考えるのは無粋である位は、話が終わった事位は理解出来た。
「お疲れ様。皆疲れたでしょう。ケーキでもどうかしら?」
レイはそう、優しく皆に尋ねた。
「……今は……とても食べる気分では……」
普段は気丈な態度のイラですら、そう蚊の鳴く様な弱弱しい声で囁くだけ。
その様子を見てレイは残念そうな顔をした。
「私が作ったのですが……食べて頂けませんか?」
「……レイお姉様は……ずるいです……」
そう言葉にし、イラはより涙を流しながら、そっとテーブルに着く。
残りの少女達も皆席に座っていった。
「ありがとう。すぐ用意するわね」
そう言葉にし微笑んだ後、レイは残って紅茶を飲んでいるユイの方を見つめる。
ユイもそれに気づき、レイに顔を向け返した。
「お母様。一つ、お願いが御座います。愚かな娘の、一生で一度のお願いです」
「……何かしら?」
「一週間の猶予を頂けませんでしょうか? お別れをするにしても時間を……この子達とエリーの為に……」
ユイは紅茶を一口飲み、こう答えた。
「一生のお願いなんかじゃなくて紅茶のお代わりと……後、私にもレイアちゃんお手製ケーキを頂戴」
レイは微笑を浮かべ、こくりと頷いた。
ありがとうございました。




