Since when 契約×誓い
「いらっしゃいエリーちゃん! さっそくだけどレイアちゃんの妹って事は私の娘だよね? うん、きっとそう。というか私の娘だとずっと思ってたわ! ようやく会えたわねマイドーター! ハグして良い?」
部屋に入って早々、ニコニコと弾んだ声でユイはそうエリーに話しかけ……まくしたてた。
レイの後に呼び出されたエリーは、その言動のおかしな魔物の姿を茫然としながら見つめた。
先代泉守、ユイ・アラヤ。
動物混じりの人型、獣らしさが残る四肢にぐるりと丸まった巨大な角。
どことなく、ミューに似ている。
だが、ミューの様な羊っぽく可愛らしい種族とは、大きく異なっていた。
トンガリ帽子を被った彼女。
左右異なった色の角。
角は左が白く、右が黒い。
黒い髪、黒い肌、蹄に近い足、そして黒く雄々しい翼。
片角が白い事を除きすべてがバフォメットの特徴だった。
バフォメット。
魔物全体の中でも上位の戦闘力を誇り、同時に高い知性と魔力を持つ魔物。
あまり群れる事をせず、生まれてすぐに親と別行動を取る事すらありえるという。
だからだろう。
発見数があまり多くなく、詳しい情報はエリーすらも良くわかっていない。
そんなバフォメットのユイだが……一つ、おかしなところがあった。
言動は確かにおかしいがそこではなく……目の前にいるバフォメットは……。
「あの……それは……」
そう言葉にし、エリーはユイの顔に手を向ける。
「あ、これ? まあ色々あって気にしないで」
そう言葉にし、ユイは顔に巻かれた包帯をとんとんと触った。
真っ黒い包帯が、ぐるぐると目のある位置に巻かれている。
そしてその包帯には何やら呪詛の様な模様が描かれており、同時に顔中央辺りにうっすらと魔法陣の様な物が浮き上がっていた。
その魔法陣を、エリーは理解した。
精霊という種族であり、なおかつ長い旅路をしたエリーは学術的な方法ではなく魔力の流れと直感でそれがわかってしまった。
「それ……何かを消滅させる魔法陣ですよね……そんなもの……」
「あらあらエリーちゃん凄いわね。一目見ただけでわかるなんて……泉守の才能あるんじゃないかしら」
「私の妹ですから」
そう、レイが誇らし気に言葉を付け足した。
「そうね。そして私の娘ですもんね」
ふんすと嬉しそうにユイは胸を張った。
「……ああはい。貴女方が親子であるという事は良くわかりました」
少し困った顔で照れながらエリーはそう言葉にした。
「ま、包帯は気にしないで。ようやくしがらみを捨てる事が出来たところだから」
「……ですがそれ……視えてないですよね?」
「見えてないわねー。むしろね……視たくなかったのよ。ま、私の事はどうでも良いのよ! 本当に! エリーちゃんエリーちゃん」
「はい。何でしょうか先代泉守様」
「お母さん。またはマッマと呼んで頂戴」
渋い顔をし、エリーはちらっとレイの方を見た。
「……言わないと話が進まないと、経験者として語らせてもらいます」
「……わかりましたユイお母様。これで良いですか?」
「もっとフランクにぃ……。全くこの姉妹は壁を作るのが上手いんだからぁ」
「それで、何の用でしょうかユイお母様」
「私が適応の試練の試験官です」
「……はい?」
「私が、適応の試練の、今エリーちゃんがやってる試練を見る役です。えへん!」
ドヤ顔満点のユイ。
その表情を見た後、エリーはレイの方をちらっと見た。
「……私も、今初めて聞きました」
そう言葉にし、レイは溜息を吐いた。
「という事でー。まあちょっとレイアちゃんが頑張りすぎだと思うけどー概ね優秀って認めても良いかなって思ってます」
「という事は……一つ目の試練終わりという事ですか。それでクロスさんは今どこに……」
「おっとおっと。質問に答えるのは話が終わってからよ。まあ私が答える事ではないけど。試練ね、概ね認めてるけど……あと一歩かなーと思ってるの」
「あと一歩と言いますと……ユグドラシルの最優秀闘士になるとかですか? たしかレギンレイヴとか」
「いや、それはどっちでも。というか本音を言えばストームちゃんと喧嘩すらして欲しくない位よ私は! まあ言わないけど。ストームちゃんに嫌われたくないし!」
「はあ……では私は何を……」
「難しい事じゃないわ」
ニコニコとし、椅子から立ち上がり、大げさはポーズを取りながら、ユイは高らかに宣言した。
「クラスメイト全員がエリーちゃんを優秀って認める事。それが適応の試練最後の条件よ」
エリーはきょとんとした顔をした。
「……それだけです?」
「はい。それだけですよ」
「それなら今すぐでも出来ません?」
「出来るでしょうね。ああ、でも一個だけ。ストームちゃんとの決闘が終わってからよ。もし今試練に合格して出て行っちゃったらストームちゃんずっと待つ事になっちゃうじゃない」
「ああ。そうですね。私も約束を破るつもりはありませんけど。ただ……そういう事なら……この生活ももうすぐ終わりますね。ねぇお姉様。……お姉様?」
もうすぐ終わると考え、寂しそうに感傷に浸るエリー。
そんなエリーとは異なり、レイは考え込む様な表情と同時に眉をひそめている。
それは普段どんな事でも飄々とした態度のレイにしては珍しく、本気で困っている様な表情だった。
「……お姉様。何か気になる事でも?」
「エリーさん。どうもそう簡単な話で終わりそうにありませんよ?」
「へ?」
「……わかりませんか?」
エリーは少し考え込み、話を纏める。
レイが何について簡単でないと言っているのか。
これがストームとその契約者との決闘についてならわかるが、話の流れからクラスメイトに納得させる事について言っているのだろう。
だが、それのどこが難しいのかエリーにはわからなかった。
レイのお陰で、もう既にエリー、レイのコンビはクラスどころか学年最優秀の座を不動の物にしている。
クラスメイトが認めない訳がないじゃないか。
そう、エリーは考えた。
「わかりません」
「そう……。私が言う事じゃないですが、貴女はもう少し感情という物を理解すべきですね」
レイはそう言葉にし、仕方がないという様な表情で溜息を吐く。
そしてその後、ユイの方を見た。
「お母様も酷い……いえ、厳しい事をしますね」
「そう? 今日まで頑張ってきたんだったらそう難しい事でもないでしょう?」
ニコニコ顔でそう言葉にするユイに、レイは怪訝な顔を浮かべた。
「……思ってもいない事を……」
「ふふ……。あ、それはそれとしてレイアちゃんエリーちゃん。今晩一緒にお食事どう? せっかくだし二人のこの学園での生活とかそういう事教えて頂戴?」
そうやってユイは話を強引に切り替え、元に戻らない様にしぐいぐいと一緒に食事アピールをし続けた。
あまりにうざったく、仕方がないから一緒に食べようとレイとエリーが思う位、その圧は強かった。
アシューニヤ女学園の中で最も強い存在とは誰か。
それは『レギンレイヴ』と呼称される者を置いて他にいない。
事実はどうあれ、レギンレイヴの名前が学園最強の称号である事に違いはないだろう。
闘士達の決闘場、ユグドラシルの最頂点ビフレストの先に集まる精鋭の頂点の証。
これは、そんなレギンレイヴと成る者達……とは何の関係もない。
確かにレギンレイヴに限りなく近い者達である事に違いは――いや、それは正しくない。
レギンレイヴとなるだけの技量があり、現在のレギンレイヴに匹敵、或いは超える能力を持つがしかし、その称号に興味がない者達の宴。
ある意味においては、学園の頂点とも言える戦い。
だからこそ、ここにいる四体、契約者二組の決闘に多くの者が興味を抱く。
観客席がぎっしりと埋め尽くされる位には。
ビフレストの先、ユグドラシル頂点の決闘。
その観戦は、決して安い物ではない。
安い席でも数百万ブルード、逆に高い席だと数千万ブルード、場合によっては億にまで到達する事もある。
金銭的に余裕のある、所謂お嬢様と呼ばれる少女達であっても、決して安い物ではない。
そうであっても、席はきっちりと埋めつくされる。
それは、それだけこの決闘の注目度が高いという事を示していた。
「エリーさん体調や精神状態はどうでしょう? これだけの観客がいらっしゃいますが」
試合前、これから使用するフィールドを遠目に見ているエリーにレイはそう尋ねた。
「え? あ、はい。大丈夫です。特に緊張とかしていませんから」
そう答えエリーは微笑む。
そんなエリーを見てレイは少しだけ困った顔をした。
「……そうですか」
「ありゃ? 何か私まずい事あります?」
「そうですね。観戦されての見世物での戦闘に慣れていないのはわかりました」
「いえ、本当に緊張していませんよ?」
「ええ。緊張はしていなさそうです。ただ、だからこそまずいんです。エリーさんは本番に強いタイプですから」
「……それが不味いんです?」
「いつもより調子が良いという事は――」
そこまで言われ、エリーはレイの伝えたい事を理解した。
普段より調子が良いというのは、エリー位の技量になれば決して良い事だけではない。
それはつまり、普段と違う状態という事に他ならないからだ。
普段の様に戦うとスタミナの調整や間合いの詰め方取り方等を誤る可能性があるという事。
そして、高揚する精神で戦うという事は冷静さを欠かしやすいという事でもある。
だからこそ、釘を刺す意味でもレイはエリーに不安がある事を伝えた。
「……んー。お姉様は普通っぽいですね」
「少しは緊張していますよ? ですが、私は見世物の様に戦う経験は十分ありますので」
「お姉様って時折結構深い闇見せますよね……それもさらっと」
「そうでもないわ。不幸だなんて思った事は一度もなかったですし。それに例え過去が不幸であったとしても、可愛い妹も今はいるんですから」
「……むぅ。ずるいなぁ本当」
そう言って、エリーはレイの肩にとんと自分の肩を当てた。
「あ、お姉様お姉様。クラスメイトの方々も応援に来て下っていますよ! もしかして全員いるんじゃないですかね?」
エリーは最前列付近に集まるヒルドクラスの仲間達が手を振っている事に気づき手を振り返した。
「……ええ。そうでしょうね」
そう答えるレイの顔は、少しだけ曇っていた。
レイははっきりと喜ぶ顔を表に出すタイプではない。
だけど、クラスメイトが応援に来て喜ばない程情緒を蔑ろにしてはいない。
そんなレイがクラスメイトを見て顔を曇らせるという事は……つまり、何かあるという事だった。
「お姉様。どうしました? 何だか最近様子が変ですが……」
「……いえ。何でもないわ。私よりも試合……ではないですね。決闘に集中しなさい。勝敗は二の次でも良いですが……わざわざ来てくださったクラスメイトにみっともないところだけは見せない様にしなさい」
「は、はい!」
そう答え、エリーは自分の頬をぴしゃりと叩く。
自分で思ったよりも叩く力が強い事と、体が強張っている事から、エリーは自分が少し緊張し興奮しているのだと今更に気づいた。
決闘が始まる十分位前、その相手であるストームが姿を見せ、片手を上げエリーとレイに挨拶をして傍に寄って来る。
その隣には、ストームの契約者であるだろう相方の少女もいた。
「あれは……ハルピュイアでしょうか?」
ストームの相棒の種族的特徴を見てエリーはそう呟いた。
「いえ。あれはセイレーンよ」
レイはそう言葉にする。
その言葉を聞きもう一度エリーはその姿を見るが、良く違いがわからなかった。
パステルカラーエメラルドの翼を持ち、それに似た色合いの短髪の女性。
種族的特徴と美形という意味で非常に目に付く容姿をした、可憐な少女。
遠目からでもわかる可愛らしい顔立ちに明るい表情。
だが、それ以上……容姿について気になる部分がある。
少女の背中の翼は片方しか見えていなかった。
しかも、その片方しかない翼も隙間が見えるほどボロボロで痛々しい。
当然だが、とてもまともに飛べそうには見えない。
翼人種にとって翼は誇りそのもの。
女性で言うなら髪に匹敵する。
だからこそ、それを気にもしない明るい笑顔が逆に痛々しかった。
「よう。今日は全力でぶつかり合おうぜ」
あいかわらずのハスキーボイスでそうストームが言葉にすると、横のセイレーンはストームをげしっと蹴った。
「最初はごきげんようでしょう。もう……しょうがないなぁ。すいません私のエインヘリヤルが……。ごきげんようレイさん、エリーさん。うちのストームが迷惑をかけたみたいでごめんなさい」
「ごきげんよう。迷惑なんてそんな事はありませんわ。それと、お名前を尋ねても宜しいでしょうか?」
セイレーンはそう尋ねるレイを見て『はて?』と首を傾げた後エリーの方を見て、微笑みながら頷いた。
「すいません。不作法でしたね。私はラーネイル。ラーネイル・テルクシエペイア。ストームと同じく最高学年で……まあ、色々あってみての通りかな」
そう言葉にし、ラーネイルは痛々しい片翼を羽ばたかせ微笑んだ。
「あ、先に言っとくけれど……同情をするななんてとても言えないし見苦しいとは思うけど、これが原因で油断や手加減だけはしないで。私見た目程弱くはないから。それだけは、そんな気持ちで戦われたら、流石に怒るから」
「ご安心を。魔力が乏しく視力が低く……しかもこんな淀んだ灰色の髪となった私よりはマシでしょうから」
レイの言葉にラーネイルは微笑んだ。
「あらあら。お互い様でしたか。それなら安心ね。でも、手加減はしないわよ?」
「必要ありませんので大丈夫です」
「ふふっ。そうでしょうね。ストームの妹さん、それと麗しい金色の騎士様。これより良き時間を――素晴らしいセッションを奏でましょう」
そう言ってわざとらしく頭を下げ、ラーネイルはストームを引き連れフィールドの向こう側に移動する。
決闘が始まる時間まで、三分を切っていた。
「それでお姉様。どう戦います?」
「いつも通りで構わないわ。観客がいようと、相手が強かろうと、いつもの様に戦えば十分。そうでしょう?」
「そうですね。何時も通りですね」
そう答え、エリーも気持ちを戦いに切り替える。
決闘前に会いに来たのは発破掛けの意味があったのだろう。
その効果は十分あったらしく、エリーは変に緊張したり腑抜けたりしておらず、静かに、はっきりとこれからの心構えが出来ていた。
ありがとうございました。




